2012年4月28日土曜日

クラウディウス・ザイドル『サザンな大人たち』主婦の友社, 2006。

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クラウディウス・ザイドル『サザンな大人たち』主婦の友社, 2006。

内田樹が『大人のいない国』という対談本を出しているが、
本書もその流れに乗っている。

いま我々はいつまでも「若い」ことが求められる。
社会全体が若さを求め、「いい歳」をした大人であっても
20代前半の若者と同じくクラブに行き、朝まで踊り続ける。

そんな「「青二才の種族」の出現と同時に、別の種族が消滅してしまった。「巌のように偉大な人物」である。彼らは今どこにいるのだろうか?」(91)
日本のみならず先進国では若者的な人物のみが存在するようになった。

兼好法師が『徒然草』を書き始めたのは20代後半からであった、という。
若いのに「年取った」フリをして、世の中を見つめていた。
こういった態度はもはや求められていないのかもしれない。

実際、私は教員だが「教員」という生き方は常に若さを求められる。
「若い」だけで技術がなくとも、「若い」教員には人気が集まる。
社会全体が教員の世界と同様になりつつあるのかもしれない。


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