2011年12月22日木曜日

カール・シュミット『政治的なものの概念』

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カール・シュミット『政治的なものの概念』

Schmitt, Carl, 1927, "Der Begriff des Politischen", Euncker & Humblot. München.(=1970, 田中浩・原田武雄訳『政治的なものの概念』未来社)

シュミットの有名な「友・敵関係」について述べた書。国家は敵を定めることで「我々」国民を形成する。

「諸国民は、友・敵の対立にしたがって結束するのであり、この対立は、こんにちなお、現実に存在するし、また政治的に存在するすべての国民にとって現実的可能性として与えられているものである、ということは、道理上否定できないのである」(18)

「政治的な対立は、もっとも強度な、もっとも極端な対立である。いかなる具体的な対立も、それが極点としての友・敵結束に近づけば近づくほど、ますます政治的なものとなるのである」(20)

→対立を擬制することで政治はなされる。「だれを敵とみなし、敵として扱うかを決定的に判定する」(52)ことが国家や政治団体の立場である。

「「戦争を追放する」ことは、そもそも不可能である。追放できるのはただ、特定の人びと、国民・国家・階級・宗教等々であって、これらは、「追放」によって敵であると宣言されるのである。このように、厳粛な「戦争追放」も、友・敵区別を解消するものではなく、国際的な敵宣言という新たな可能性によって、友・敵区別に新しい内容と新しい生命を与えるものなのである」(57)

「人類そのものは戦争をなしえない。人類は、少なくとも地球という惑星上に、敵をもたない|からである。人類という概念は、敵という概念と相容れない。敵も人間であることをやめるわけではなく、この点でなんら特別な区別はないからである。戦争が人類の名においてなされるということは、この単純な真理となんら矛盾するものではなく、ただとくに強い政治的な意味をもつにすぎない」(63)




 世界政府の可能性など、なかなか興味深い。シュミットは世界政府が出来、名称としての「戦争」がなくなっても、例えば「平和維持活動」などの名称などの形で戦争がなされることを指摘している(102)。

◯解説より

「シュミットは、「政治的なもの」の究極的な識別徴標を、「友か敵か」すなわち「友・敵関係」として捉える。道徳においては善・悪が、美的には美・醜が、経済において利・害(もうかるかもうからないか)が、それぞれ固有の識別徴標であるように、政治に固有の識別徴標は、「友・敵」関係だ、というわけである」(121)

「シュミットが、例外状況においては、国家は、既存の法体系や慣行・ルールを徹底的に破壊しつくしてしまうことをリアルにえがきだしていることははなはだ興味深い」(127)

2011年12月17日土曜日

コンビニに群れる高校生。

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コンビニに群れる高校生。

 教員採用の関係上、福島県いわき市に行く。帰りに少し時間ができたので(東京での予定がキャンセルされたので)湯本駅まで行った。
 居場所のない高校生たちが駅前コンビニに群れている。

 都会が巨大な娯楽空間になっているなら、田舎においてもその代補的空間が要求されてしかるべきであろう。

 田舎において居場所のない彼らが自ら「居場所」を空間に作り出す。それがコンビニであろう。人間には「清」の姿だけでは生きられない。「清濁あわせのむ」ではないが、「濁」を許す空間も必要なのだ。「濁」的空間が排斥される場合、人々は是が非でも「居場所」を創りだそうとする。
 
 コンビニの前に高校生たちが群れているというだけで批判をするのは、社会の問題点を忘れた姿である。

 帰りの電車でそう考えた。

「おわり」を言う権力性

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「おわり」を言う権力性

 昨日、野田首相が原発事故の収束宣言を出した。今日、たまたま福島県に行ったが、『福島民報』は「ふざけるな」という内容ばかりだった。「おわり」を宣言すると、もうこれ以上の「再建」はなくなる。「おわり」といって終わりにしてしまう暴力性を訴えていたのである。

コンビニに群れる高校生。

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コンビニに群れる高校生。

 教員採用の関係上、福島県いわき市に行く。帰りに少し時間ができたので湯本駅まで行った。
 居場所のない高校生たちが駅前コンビニに群れている。

 都会が巨大な娯楽空間になっているなら、田舎においてもその代補的空間が要求されてしかるべきであろう。

 田舎において居場所のない彼らが自ら「居場所」を空間に作り出す。それがコンビニであろう。人間には「清」の姿だけでは生きられない。「清濁あわせのむ」ではないが、「濁」を許す空間も必要なのだ。「濁」的空間が排斥される場合、人々は是が非でも「居場所」を創りだそうとする。
 
 コンビニの前に高校生たちが群れているというだけで批判をするのは、社会の問題点を忘れた姿である。

 帰りの電車でそう考えた。

2011年11月13日日曜日

三木清, 1954, 『人生論ノート』新潮社。

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三木清, 1954, 『人生論ノート』新潮社。

「幸福は徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である」(18)

「日常の小さな仕事から、喜んで自分を犠牲にするというに至るまで、あらゆる事柄において、幸福は力である。徳が力であるということは幸福の何よりもよく示すことである」(19)

「他人を信仰に導く宗教家は必ずしも絶対に懐疑のない人間ではない。彼が他の人に浸透する力はむしろその一半を彼のうちになお生きている懐疑に負うている」(27)

「すべての人間の悪は孤独であることができないところから生ずる」(43)

「創造的な生活のみが虚栄を知らない。創造というのはフィクションをつくることである」(43)

「我々の怒の多くは神経のうちにある。それだから神経を苛立たせる原因になるようなこと、例えば、空腹とか睡眠不足とかいうことが避けられねばならぬ」(55)

「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである」(65)

「嫉妬は、嫉妬される者の一に自分を高めようとすることなく、むしろ彼を自分の位置に低めようとするのが普通である」(69)

「一種のスポーツとして成功を追求する者は健全である」(75)

「期待は他人の行為を拘束する魔術的な力をもっている。我々の行為は絶えずその呪縛のもとにある。道徳の拘束力もそこに基礎をもっている。他人の期待に反して行為するということは考えられるよりも遥かに困難である。時には人々の期待に全く反して行動する勇気をもたねばならぬ。世間が期待する通りになろうとする人は遂に自分を発見しないでしまうことが多い。秀才と呼ばれた者が平凡な人間で終るのはその一つの例である」(90-91)

「現代人はもはや健康の完全なイメージを持たない。そこに現代人の不幸の大きな原因がある」(97)

「旅において人が感傷的になり易いのは、むしろ彼がその日常の活動から抜け出すためであり、無為になるためである。感傷は私のウィーク・エンドである」(110)

「行動的な人間は感傷的でない。思想家は行動人としての如く思索しなければならぬ。勤勉が思想家の徳であるというのは、彼が感傷的になる誘惑の多いためである」(110)

「生活を楽しむことを知らねばならぬ。「生活術」というのはそれ以外のものでない。それは技術であり、徳である。どこまでも物の中にいてしかも物に対して自律的であるということがあらゆる技術の本質である。生活の技術も同様である。どこまでも生活の中にいてしかも生活を超えることによって生活を楽しむということは可能である」(121)

「旅は過程である故に漂泊である。出発点が旅であるのではない、到着点が旅であるのでもない、旅は絶えず過程である。ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味うことができない者は、旅の真の面白さを知らぬものといわれるのである」(134)

「永遠なものの観想のうちに自己を失うとき、私は美しい絶対の孤独に入ることができる」(145)


「娯楽が芸術になり、生活が芸術にならなければならない。生活の技術は生活の芸術でなければならぬ」(124)

「我々が旅の漂泊であることを身にしみて感じるのは、車に乗って動いている時ではなく、むしろ宿に落着いた時である。漂泊の感情は単なる運動の感情ではない。旅に出ることは日常の習慣的な、従って安定した関係を脱することであり、そのために生ずる不安から漂泊の感情が湧いてくるのである。旅は何となく不安なものである。しかるにまた漂泊の感情は遠さの感情なしには考えられないであろう」(133)

2011年11月1日火曜日

池上俊一, 2007, 『イタリア・ルネサンス再考−−花の都とアルベルティ』講談社.

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池上俊一, 2007, 『イタリア・ルネサンス再考−−花の都とアルベルティ』講談社.

 筆者は近代の個人主義意識の起こりを万能人アルベルティ(レオナルド・ダ・ヴィンチが劣等感を感じたほどの人物)を参照しつつ論を進めている。

「イタリアで、かように急速に印刷術が普及したのは、ものを書く学者・作家が多く、字の読める層が広範にあり、しかも学校や個人的勉学での使用のほか、仕事(法律家・医者・聖職者)、趣味、敬神などで大量に書物の需要があり、産業として成立する素地があったから|であろう」(76-77)

ルネサンスにおいて「女性が公的空間から排除されたのは、女性の〈名誉〉を守るためでもあった。彼女らの〈名誉〉の中心要素とは、貞淑・純潔えあり、それを失うことは深刻な社会的結果をもたらす。なぜなら〈名誉〉は、個人のそれにせよ家族のそれにせよ、自力だけでどうなるものではなく、他者から見られた社会的価値の相対であったから」(151)

「彼(☆アルベルティ)は、子供は、乳児期には父親の手ではなく、優しく静かな母親に育てられるべきであるとするが、その後の教育は、父親の務めだとしている」(177)

「ルネサンス分化の精華を生み出した芸術家や思想家の伝記、とりわけアルベルティやギベルティの自伝に表れているのは、とてつもない、己の天賦の才と美徳への賛嘆と自恃であり、これは、「個人主義」の宣言として、ブルクハルトのように読むことがたしかに可能である」(229)

「アルベルティにとっての〈美徳〉は、人間の地上での健全な活動を保障するが、その活動の領域が〈時間〉である。『家族論』のジャンノッツォ(☆アルベルティ『家族論』の登場人物)は〈時間〉について、身体・|魂とならんで、人間が自分の占有物だといえるものだ、としているのは興味深い。ところが他人に与えることのできぬ、という意味ではたしかに自分のものだが、その「使い方」は、その人の意志いかんにかかっている。だから〈時間〉とは、行動の可能性、文化・教養の運用そのものであり、したがってそれは、〈美徳〉の活動領域なのだ。
 〈勤勉〉は、もっぱら市民関係のなかで行われ、家族や国家の繁栄をもたらし、富の花を咲かせる。人間の価値は〈勤勉〉のなかにのみ存する。人間は人間のために役立つよう生まれたのであり、いつも社会で活動しつづけるために生を享けたのであり、怠惰以上の罪はなく、高邁で崇高な目標に向かって努力することで、自らのうちに完全な〈美徳〉を実現できる。〈勤勉〉が実現する〈美徳〉。
 だが、〈無為〉にもじつは二種類あり、悪しき怠惰のほかに、ユマニストのための〈無為〉=〈閑暇〉がある。〈勤勉〉のうち最高のものは、文学研究であり、それは、まさに〈閑暇〉においてしかありえない。自由時間は、〈無為〉でありつつ〈勤勉〉なのだ。こうした〈時間〉の質についての差異化は、ユマニスト特有の考え方だろう」(266-267)

「アルベルティの拠り所は、政治ではなく、家族だけだった。そして自ら家族に与えた新理念のおかげで、権威主義へと落ち込む危険を免れていた。彼の最終的なメッセージは何か。それは家族と都市を同到させること、そして世界中に〈自然〉を模範とする人工の美を押し広めることによって人類を救出することだった。「家族イデオロギー」と「都市イデオロギー」に深くコミットすると見せかけながら、〈普遍〉と〈多様性〉の理念を梃子に、芸術の|〈装飾〉と言葉の〈修辞〉であらゆるイデオロギーを骨抜きにする、これが彼の人生と思考を貫く方法であった」(291-292)

「他のユマニストと異なり、大学で教鞭をとらず、パトロン(権力者)にすがって生きることもなく、最後まで私人として公に尽くす道を探ったアルベルティ、経験主義者であると同時に理想主義者でもあり、深刻な問題を論ずるときも快活で機知に富み、しかも威厳を失うことがないアルベルティ、彼の生き方は、わたしの理想でもあると、告白しておこう」(303)

●解説 山崎正和
「じつは自己顕示は個人主義の産物ではなく、逆に個人主義こそ自己顕示のなかから生まれてきたという経緯だろう。最初に確立した個人があって、それが自己をみせびらかしたのではなく、むしろ見せびらかしの競争のなかで、個人は見せびらかすべき自己を発見して行ったのにちがいない」(319)
→ウェブレンの『有産階級の理論』を思い出す。

2011年10月23日日曜日

坂口恭平, 2010, 『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』太田出版.

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坂口恭平, 2010, 『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』太田出版.

 カウンターカルチャー性が面白い本。ホームレスのほうが実は「自由」で素敵に生きている、という事実を赤裸々に示している。それは炊き出しやゴミのなかから資源を捜すという「都市型狩猟採集生活」が現代日本で可能であるという事実による。なお本文では「ホームレス」とは使わない。
 映画『ダメジン』を思い出す。イリイチ的なコンヴィヴィアルな生活を示した内容。

 ドロボウ市。「開催場所は、南千住駅から徒歩で行ける、山谷地区の玉姫公園周辺だ。山谷地区というのは、台東区泪橋交差点を中心とした日雇い労働者たちが滞在する簡易宿泊所が集中する地域の通称であり、俗に言う「ドヤ街」である。
 市場は、雨の降らないかぎり毎朝五時〜七時の二時間だけ開かれる」(80)

 われわれはどの電化製品がどれくらい電気を食うか、殆ど知らない。しかし「都市型狩猟採集生活における電気との付き合い方は、まるで正反対だ。/一二ボルトで動く小型テレビは、自動車用バッテリー一台を使えば、一日五時間見たとして一〇日間ぐらいもつ。そんな具体的な数字がすらすら出てくる。つまり、電気をモノとして捉えているのである」(94)

「冬の間は、自分でお酒もつくります。スーパーで麹を買ってきて、米を四合炊く。少し水を入れ、そのあとに麹を入れて、場合によってはイースト菌も入れます。それらをかき混ぜ、蓋をしておく。一週間も置いておけば、おいしいどぶろくができあがりますよ」(128)
 なんか伊丹十三の『タンポポ』に出てくる浮浪者集団のようだ。

「水といえば、朝方、植物の葉の上に溜まっている朝露は、ぜひとも一度飲んでみてほしいです。昼は暑くて蒸発してしまいますが、夜になって気温が下がると水分は蒸発せず、朝方になって溜まって出てくる。これは完全に濾過された水であると同時に、植物の体内を通過する際にその栄養分も吸収していて、おいしいんです。これがどういうことかというと、たとえ天変地異が発生して、都市の水道機能が断たれたとしても、飲み水を手に入れる方法はいくらでもあるということです」(133)

「ぼくが繰り返し言う都市型狩猟採集生活というのは、ただの路上生活のことではない。最終的な目標は、自分の頭で考え、独自の生活、仕事をつくり出すことにある。(…)違法行為にならないように距離を取りながら自分なりの本質的な生活を見つけるという作業は、現代の冒険といっても過言ではない」(146)

「彼ら(藤本注 都市型狩猟採集生活者)は、暗黙の了解あってのことではあるが、公有地に住みながらも撤去されることなく、家を建てることに成功している。すでに、ぼくにとって、公園や川沿いに建つ〇(ゼロ)円ハウスはただの路上生活者の家ではなくなっていた。それらは、権力を持たない、力のない人間であっても、都市の中に独自の空間を獲得できるという証明そのものであった。
 ぼくはまた、彼らがそこで生活することの持つ意味や可能性に対して、自覚的であることにも感銘を受けた。
 彼らは、何一つシステムを変えることなく、すべてを自らで決断するという勇気によって、自分だけの家、自分だけの生活を手に入れているのである。つまり、社会がどんな状況になろうとも、そこから独立した生き方をしているために、常に主導権は自分自身の手を離れることがない」(174)

 イリイチ的主張を現代日本で実現すると、そのひとつの形態が「都市型狩猟採集生活」ということになるのかもしれない。

 若干、美化しすぎの気もするが、「カウンター・カルチャー」の初めはそういう過度な美化から「こちらのほうが実はいいのではないか」という感覚を広める必要がある。まあ、仕方ないか。

大村敦志・東大ロースクール大村ゼミ, 2011, 『22歳+への支援 ロースクールから考える大学院生の「支援システム」』羽村書店.

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大村敦志・東大ロースクール大村ゼミ, 2011, 『22歳+への支援 ロースクールから考える大学院生の「支援システム」』羽村書店.

大村敦志・東大ロースクール大村ゼミ, 2011, 『22歳+への支援 ロースクールから考える大学院生の「支援システム」』羽村書店.
修士課程2年 藤本研一


 良くも悪くもロースクールの院生がつくった、という感じが強い本。この程度の水準・内容で出版できる事自体驚きであるが、帯紙に「ロースクール白書」と書いてしまうことに笑ってしまう。
 アンケートも、例えばパーセンテージや総数を表示していないなど初歩的ミスが目立つ。また、東京大学ロースクールのゼミの有志で作成されているため、自分たちへの支援を呼びかける口調となっている。ゼミ調査の文献でなければ読まなかった本である。
 内容はインタビュー集である。普段、どのように生活しているかわからないロースクール生に対し、勉強の仕方・学費・生活費・子育て支援など、院生目線で見たリサーチである。
 インパクトが強いのはロースクールのシステムの特異性である。「司法試験を目指すロースクール生にとっては、終了後の5月に試験、9月に合格発表というスケジュールになっており、修了後の住居をどうするのか、その間の住居費はどうやって捻出するのか等の問題を抱えてい」(74)る点が特に大きい。学生寮の場合、大学院修了とともに出ていくことが必要である場所も存在するため、大学院生向けの住居支援の仕方に再考を促す内容となっている。
 また、専門職大学院の一つであるため、社会人経験者や子育てを平行して行う院生も存在するため、保育園設備の重要性を訴えるなどの内容が記載されている。
 細かく見ていくと冗長なため、結論部分のみを見ていく。

「本書で見てきた支援制度を前提にすると、ロースクール生に対する公的な支援は、学生一般または研究者養成のための支援の一環として行われているにすぎない現状があります。そしてその結果として、新しい法曹養成制度との関連で支援の空白期間(藤本注 上記のロースクールの日程を参照)が生じることになったり、支援不足のためにロースクールに通いたくても通えない人がいる可能性があります。一方、財団による奨学金に代表されるような私的な支援はそれぞれの理念に基づいており、ロースクール生に対象を絞った法曹関係者による支援なども存在します。これらの私的支援制度が公的支援の不足部分を穴埋めしているという側|面があると考えられます。(…)新しい法曹養成制度と連動し、ロースクール生のための公的支援が必要であると言うことはできないでしょうか」(118-119)

 ロースクールは通常の大学院と異なる、という指摘である。そのため今までの大学院生支援と同じ発想で考えてはならない、という主張をしている。同様の主張には次のものもある。

「ロースクール生は修了後すぐに法曹として働き収入を得るということができません。にもかかわらず、大学院を修了しているため奨学金の返還義務が生じます。したがってロースクール修了後、法曹になるまでの間、奨学金を返還しながらどのように生活していくのかが大きな課題となります」(70)

 ロースクールの特殊性を鑑みた上での奨学金制度の設備が必要であるようだ。
 その後、筆者たちはロースクールの知見を広げ、大学院生一般に話を敷衍する。

「他の分野の大学院まで見渡したうえで、「大人」ではあるけれど経済的自立のできていない大学院生とはどのような存在であるか、それに対する現在の支援制度はどのように作られているのか、今後さらなる検討が必要です」(122)

 なんとも私にとって耳の痛い内容であるが、疑問も感じる。ロースクールは本書にもあるように、学業に追われるためアルバイトをしにくい状況にある。その点、(われわれ)一般の文系大学院生とは少し異なっている。
 大学院生に対する支援、という発想を本書から私は得ることができた。しかし、本書は院生目線のため、「支援しなければならない」という主張をしている。その支援理由は社会的弱者にも法曹になる「機会の均等」の実現から論を導いている。この論理から、例えば殆ど就職先のない大学院(哲学・倫理学など)に対しても「機会の均等」の上から支援が必要であると本当に述べることが出来るのか疑問である。大学院生への支援が本当に社会的に必要であるのかの議論が更に必要であろう。「モラトリアム」として大学院に入る院生が存在する(66)ことを想定する必要がある。
 他の本書の不備として、基本的情報の記載がなされていない点があげられる。例えば東大ロースクールの学費が幾らかは当然視されているためか記載されない(筆者は110万円前後であったと記憶している)。
 本書は東大ロースクールを目指す人にとっては代え難い貴重な資料集となるであろうが、私にとってはミニコミ誌にすぎなく感じられた。
 以上。

2011年10月16日日曜日

本川達雄, 1996, 『時間ーー生物の視点とヒトの生き方』NHKライブラリ.

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本川達雄, 1996, 『時間ーー生物の視点とヒトの生き方』NHKライブラリ.

 時間の多元性を生物学の観点から語った本。子どもは大人と違う時を生きている等、なかなかに興味深い。
 人間は「本能の壊れた動物」であると岸田秀は言う。本書でもそれを証明しているようだ。

「東京ほどの高密度で住んでいる哺乳類は、どの程度の大きさのものになるのでしょうか。計算すると体重が六グラム、哺乳類として一番小さいトガリネズミのサイズです。では日本の全国平均の人口密度で住んでいる動物はどうかというと、体重が一四〇グラムですから、ドブネズミ程度。いずれにしても日本に住めばネズミ小屋暮らしになってしまうのですね」(11)


「生きものには生きものの時間があるのです。ならば当然、生きものを理|解するには、その時間を使わなければいけないでしょう」(46-47)
「子供はエネルギーをたくさん使って時間が速く進むから、一日二四時間という同じ絶対時間の間に、子供は大人よりもいろいろなことをやってたくさんの経験がもてます。だから逆に子供では一日が長く感じられるのではないでしょうか」(154)
→これは生き物全般、赤ちゃん-幼児-子ども-若者-大人-老人の時間の違いを認識することの指摘でもある。

 動きまわるのが少ない生物ほど、エネルギーの消費が少なくて済む。また寿命も伸びる。そういったエネルギー的観点から、人間の生き方を探った本である。

「日本の人口密度はネズミ程度だと冒頭で申し上げましたね。ネズミ小屋の中でゾウなみのエネルギーを使っている、これが日本人の生活ということになります」(121)

「現代人も縄文人も、体自体に大きな違いはなく、私たちの体のリズムは昔のままなのです。とすると、体の時間は昔と何も変わっていないのに、社会生活の時間ばかりが桁違いに速くなっているのが現代だということになります。
 そんなにも速くなった社会の時間に、はたして体がうまくついていけるのでしょうか? 現代人には大きなストレスがかかっているとよく言われます。そのストレスの最大の原因は、体の時間と社会の時間の極端なギャップにある、と私は思っています」(140)
→人間の動物性である。

 読んでいて思うのは、動物の悲しさである。動けば動くほど、エネルギーが必要になり多くを食する必要がある。そのため、一生に費やすエネルギーを早く使いきってしまい、寿命を迎える。一方、ほとんど動かない動物(ex. ナマケモノ)や植物はエネルギー消費が少ない分、長く生きれる。頑張ることや一生懸命さというものを問い直すことが必要だと思った。

2011年10月9日日曜日

映画『地球に優しい生活』(原題: No Impact Man アメリカ2009)

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映画『地球に優しい生活』(原題: No Impact Man アメリカ2009)

 新宿武蔵野館でトークショーも含めて、本日見に行った。初日というのは映画のエネルギーを強く感じる。

 さて、この映画は1年間地球に負担をかけない(No Impact)生活をニューヨークの都心のアパートで行う、というものだ。田舎ならいくらでも自給自足ができる(こっちも大変だけど)。それを都会で、奥さんが働きつつ、家族3人で行うという点で「大変」なのである。
 いままで私が観てきたドキュメンタリーとの違いは、本作の主人公は「成長」・「変化」していく点だ。一般的なドキュメンタリーは固定的で迷いのない主体として描かれる。代表例は『ゆきゆきて、神軍』。主人公の奥村謙三は最初から最後まで「変な人」であり、活動家である。何かを経験してもそこからの学習や変化は描かれない。一直線のモデルである。このように描かないと、ドキュメンタリーでとりあげるべき人物ではなくなってしまうからだ。最初から最後まで、環境運動家は変化せず、批判に屈せず、やり切るのが一般的なドキュメンタリーである。
 一方、本作の主人公は意外に弱い。自らの生活を綴ったブログへの批判にヘコみ、いろんな人からの批判・指摘を受けて「自分が間違ってるかもしれない」とアッサリ認めてしまう。また、単に自らの活動を誇示するのではなく、他の運動家や農場・地域の人々から学んでいく姿勢が挙げられる。夫・妻との会話・対立を経験しつつ、なんとか1年過ごすという映画である。ある意味確たる主体性が消滅した、ポストモダン的なドキュメンタリー、と言えるだろうか。主人公たちの会話や「地球に優しい」主張も、よく聞くと矛盾しあっている。エレベーターはダメだが、遠くの牧場への電車は構わない、本は読むけれどトイレットペーパーはNGなどなど。混乱・葛藤・矛盾を描き出している。
 一般的なドキュメンタリーとの違いは、おそらく編集の仕方である。編集はすべての映像を撮ったあとに完了する。その際、「変化しない」部分を組み合わせて作ると一般的なドキュメンタリーになる。しかし、それをあえて混乱・矛盾したまま描くと本作のようになる。編集の力はすごいものだと思う。

 私は本作のように「変化」する主体を描いたドキュメンタリーを好む。だって私は弱い。他者の声に簡単に影響される。また以前と違う考え方にいきなり変化することがある。おそらくほとんどの人の生活もこういうものだろう。それゆえ、本作は変化・矛盾している自分のような弱い主体でも、何かができるのではないかと考えさせることに成功しているのである。面倒くさく言うと、本作は共同主観性の立場で描かれたドキュメンタリー映画だ、ということができるだろう。
 

2011年10月7日金曜日

坂本佳鶴恵, 2005, 『アイデンティティの権力−−差別を語る主体は成立するか』新曜社.

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坂本佳鶴恵, 2005, 『アイデンティティの権力−−差別を語る主体は成立するか』新曜社.

「他者は、自己にとって自己と同じように独自の仕方で世界を認識し意味構成する認識主体として、あるいは逆に自己によって意味づけられる認識の単なる対象として、現れる。他者を「対象」として知覚する限り、他者の存在は私と世界の諸事物との関係を変えることはないが、他者を認識主体として認めるや否や、私はもはや自分を中心に世界を構成することができなくなる。世界のもう一つの中心としての他者の出現は、同様の意味作用の中心として権利づけられた他の身体による現実構成の中で、現実構成の主体から対象へと堕してしまう。ここには自己が自由な意味形成の主体から単なる状況的現実の一項にすぎない状態へと陥る恐怖が描かれている」(46)

「役割距離は、このように特定の役割期待の中で要求されるものもあるが、役割を遂行する個人についての一定の情報を与えることに利用される場合もある。いずれにしろ、役割距離は、遂行している役割以外の真の自己の存在を他者に呈示する。しかし、スティグマをもつ人々にとって、スティグマという役割から距離をとってみることは不可能である。スティグマを余裕をもって不真面目に演じることなどできないのである」(58)

「障害者は、障害を隠すことで健常者とみなされたり(パッシング)、「障害者」の役割を意識的に演じてみせたりするなど、自己表出をコントロールすることができる。こうした作業は、社会規範に基づいた一方的な自己規定に対して、自らの意志でコントロールできる部分を、少しでも見いだそうという、自らを「主体化」する努力といってもよい」(187)

→パッシングとはやり過ごすこと、みたいです。

「関係論的自我論では、自己を変えるためには、関係を変えなければならないが、関係を変えようとすれば、その前に自己を変えなければならないという循環に陥る。主体性重視の、ミード的自我論では、主我が客我を変えることになるが、主我は、客我に対する反応であるから、帰る対象が自らの前提になってしまう。そこで浅野が提示する物語論的自我論は、自我の変容を自己物語の書き換えとして考える。物語は、他者=セラピストに対して語り、その他者が物語の裂け目、非一貫性を指摘していくことで、新た|な物語が形成されていく」(196-197)

「語るという行為は、聴くという行為がなければ成立しない。自己についての語りは、他者による認知がなければ成立しないのである。では、自己はどのようにして他者に認知されるのか。どうすれば、「私」を認知させることができるのか。私を認知する〈聴く主体〉は、どのようにして成立し存在するのか。
 ポストモダンの、パロディやアイデンティティの流動化の戦略は、結局のところ、この〈聴く主体〉が存在しなければ、意味がない。換言すれば、〈聴く主体〉がいかに成立するかが、パロディなどの撹乱の戦略に先立つ重要な課題なのである。〈聴く主体〉は、一方的な啓蒙によってできるのではない。|それは、語る者との間の相互作用によって、成立する。語る者と聴く者が、主体となる以前の、流動的なアイデンティティの相互の変容に共同で取り組むこと、ともにマジョリティのアイデンティティとマイノリティのアイデンティティの間を往還していく、そうした準備ができていることが必要なのである。周縁的アイデンティティやその主体性という、語る主体の視点からばかりでなく、〈語る-聴く〉相互行為という視点からのアイデンティフィケーション論の構築が必要である」(坂本佳鶴恵, 2005, 『アイデンティティの権力−−差別を語る主体は成立するか』新曜社.229-230)

→アイデンティティは受容する他者・「聴く主体」がなければ成立しない。

「したがって、女性の立場を否定するのではなく、「女性」を女性(いま女性である人々)だけでなく、誰もが(現実にあるいは想像的に)」採りうる立場として開放し、相対化していくこと。社会に規定された女性という立場に依拠しつつ、その問題点を変革し、女性の価値を劣った価値としてではなく、男性とも共有できる価値として定義し直していくこと。自らのからだや欲求を、自らに対しても他者に対しても、積極的に肯定していくということ。そうしたことが必要になってきているのではないか」(295)

2011年10月5日水曜日

G・H・ミード『社会的自我』,船津衛・徳川直人編訳, 1991, 恒星社厚生閣.

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G・H・ミード『社会的自我』,船津衛・徳川直人編訳, 1991, 恒星社厚生閣.

 ある意味ミード入門としても読める本。

「意味とは、対象が引き起こす、表示された反応のことである」(22)

「人間が自分自身に対して対象となるのは、まさに、自分の行為にかかわる他者の態度を取得する自分自身に気づくからである。人間が自分自身に立ち戻ることができたのは、他者の役割を取得することによってだけである」(57)

「もし、人が「机」という言葉を発音し、その発音を自分自身で聞いた場合、その人は、机という対象に対する組織化された反応態度を、他者に引き起こすのと同じ仕方で、自分自身のうちに引き起こしたことになる。このようにして引き起こされる組織化された態度は、普通、観念(idea)と呼ばれている。われわれが述べていることについての観念が、有意味な発話(significant speech)すべてに伴っているのである」(64)

「われわれは、自分に対する他者の態度を取得でき、そして、他者の態度に反応でき、また実際にそうするかぎり、まさに、そのかぎりにおいて、自我をもつのである」(65)

「思考とは内的会話のことである。そこにおいて、われわれは、自分自身と対峙する特定の知り合いの役割を取得している。しかし、普通、われわれが会話しているのは「一般化された他者」と名づけられたものとである。それによって、抽象的思考のレベルに到達することになる。そしてインパーソナル性、われわれの考えるような、いわゆる客観性というものを獲得するようになる」(66)

2011年9月22日木曜日

水たまりと鬱病について。

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水たまりと鬱病について。

人は5センチの深さの水たまりで窒息死することができる、という。でも、そこで窒息死するのはなかなか難しい。酔ってそのまま、ということくらいじゃないと、なかなか出来ない。センスが必要だ。

鬱病というのも、他の人にはたいしたことない環境でも、発症できる人はいるのだろう。

だとすれば、鬱病になるのはひとつの才能、ひとつの能力、ひとつのセンスではないか、と思う。だって、他の人ができないことをしているわけだから。

2011年9月21日水曜日

ホームドア

この写真のように黄昏てる人がいる時点で面白い、と想像した。

2011年9月19日月曜日

ひろさちや, 2007, 『「狂い」のすすめ』集英社新書。

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ひろさちや, 2007, 『「狂い」のすすめ』集英社新書。

「つまり、目的意識があると、われわれはその目的を達成することだけに囚われてしまい、毎日の生活を灰色にすることになるのです。失敗したっていいのです。出世できなくてもいいのです。下積みの生活でもいい。それでも楽しく生きることができるはずです。|
 要するに、繰り返しになりますが、現代日本の社会は狂っています。こんな狂った社会で、社会が考えるまともな生活をしてはいけません。こんな社会でまともな人間になれば、われわれは奴隷になってしまいます。
 だから、狂いましょうよ。狂うことによって、わたしたちは本当の人間らしい生き方ができるのです。わたしはそう思っています。」(55-56)

「わたしたちは世間、世の中に役に立つ人間になる必要はありません。いや、わざわざわれわれが世の中に役に立つ人間になろうとしないでも、人間は生きているだけで世の中の役に立っているのです」(61)

「わたしたちはたまたま人間に生まれてきて、生まれたついでに生きているだけだ。別段、それ以上の意味なんてない」(73)

「笑えるときは笑っていいのですが、泣いて苦しむときは泣き苦しめばいいのです。苦しみを楽しむことができれば、あなたの人生はすばらしい人生になります。それが「現在」を楽しむことです」(85)

「ともあれ、釈迦の言葉は、あのホラティウスの「カルペ・ディエム(今日を楽しめ)」と同じです。わたしたちは、自分は自分であって他人ではありません。現在の自分をしっかりと肯定し、その自分を楽しく生きればいいのです。それが仏教的生き方だと思います」(100)

「人間ができることは、ただ現在をしっかりと生きることです。そして、現在をしっかりと生きるために、人間は病気になると、負けることを承知の上で病気と闘って生きます。それがキリスト教徒らしい生き方です」(104)

「だからわれわれは、
ーー孤独を生きねばならないーー
のです。いいですか、孤独に生きるのではなしに、孤独を生きるのです」(127)

鬱気味な日々。

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鬱気味な日々。

なんかうつ病気味だ。これを、「うつ病になってしまった」と捉えるなら、「以前」「普通」の状態が想定されるだけである。

しかし、うつという視点でものを見るチャンス、「頑張らなくてもいいんじゃないか」と考える発想のチャンスを貰った、ということもできる。

人生は長い。寄り道をわざわざ作らせるために、こういった「うつ」という状態になるのだろうと思う。

現代人に欝が多いのは、実は精神を病んでいる、ということではなく前期近代的(あるいは高度経済成長期的)なガンバリズムから身を守るための社会的セーフティネット、あるいは人間の身体的防衛システムの起動である、ということができるのではないか。

2011年9月11日日曜日

新宿の反原発デモ

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新宿の反原発デモ

 新宿の脱原発デモに行った。心情的に私は現状維持→漸次廃止だから即時撤廃を言う人に違和感を感じつつ歩いた。
 …といっても、新宿三丁目の交差点から歌舞伎町のそばまで。実質200メートルくらい。本当はもう少しやるつもりだったが、警察とデモの人たちがもめ始め、怖くなって抜け出てしまった。

 デモをやる人は、下手したら警察に捕まる可能性がある。そんな当たり前のことを、デモ隊と警官のやり取りを見ていて実感した。だからこそ、危険を顧みずヴァルネラブルの姿勢でデモをやれる人は尊敬する。私は軽く考えすぎていた。
 警察はデモがあっても交通を通し、社会混乱を防止することが仕事。だから僕の歩いていた周りも警察官が歩道側・車道側ともに車や人との接触がないようガードしていた。しかし、これはデモ隊に加わることと、デモ隊から出すことを防ぐという裏の意味がある。私はまだ離脱可能なタイミングだったからデモ隊から出ることができた(警察が周りをガードしているから、なかなか途中参加・途中離脱ができない。トイレに行きたい人はデモを完全に離脱しないと行けないのだ)。

 ちょうど『〈民主〉と〈愛国〉』を読んだ後だったので、安保闘争ないし大学紛争の気持ちが少しだけ分かった。なつかしい「日大全共闘」の幟を持って歩いているおじいさんがいた。歩いている途中、後ろで各種右翼系団体への批判を隣同士している人がいた。ある意味、純粋な反原発の意図のみならず、左翼系活動のシンボルとして脱原発が利用されているのであろうと思う。

 自分はかなりせこい参加の仕方をしており、いろいろ反省した。
 私がデモに参加しても、誰も発砲もしてこなければ機動隊に殴られることもないだろう、という予期ゆえに軽い気持ちで参加していた。しかし、本当はそこまで考えないといけないのかもしれない。
 

トイレ男子

メガネ男子とか、草食系とか、いろいろあったなあ。

2011年9月6日火曜日

自由な教育とは何か?〜時間論から見る理想の教育について〜

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自由な教育とは何か?〜時間論から見る理想の教育について〜

自由な教育とは何か?〜時間論から見る理想の教育について〜

1,境界現在と現在経験
 
 ゲーテの書いた『ファウスト』に次の台詞がある。
 
止まれ時間よ、お前はあまりに美しい。
 
 悪魔メフィストフェレスとの契約において重要な意味を持つことはさておいて、このフレーズには「いま」・「この瞬間」の輝きということが示唆されている。つまり、この瞬間における生の躍動感の経験が目標として掲げられている。「いま」この瞬間の充実を達成し、人間の生が最大限に活性化するタイミングこそ、ファウストが「止まれ時間よ!」と叫ぶ時であった。
 それを考察するにあたり、大森(1996)の概念を参照したい。彼は過去現在未来と一方向にただ過ぎ去るだけの時間という「現在」の捉え方を「境界現在」と呼び、充実した生のあり方たる「現在経験」(ファウストが叫ぶ際の「時間」)とに分けて述べる。
 
「現在」という概念は昔も今も人を当惑させる。捉えようとすれば指の間からすり抜けるし、捉えたと思うと似ても似つかぬものだったという苦い思いをさせる。私はこうしためくらましが生まれるからくりを何とか同定できたと思う。それは「現在経験」と「境界現在」との混同である。過去と未来とからなる時間軸上に何とか定位される「境界現在」は、現在経験の影武者にさえなれないほどに貧困なしろものであって、「現在経験」という生の豊かさに満々としている「現在」に近似することもできない。(大森 1996:99-100
 
 我々の生活経験を振り返ってみても、真に充実し、生が躍動していたと考えられた「時」とは、時間が経つのを忘れていたときであることに思い至ることができるだろう。逆説的ながら、経過するという時間の特徴を忘却する、あるいは意識しなくなる際に、その現在は「現在経験」に変化するのである。
 もっと言えば次のようになる。真に充実した瞬間というのはもはや自分という主体の存在が消える瞬間のことである。ゲームに集中し、ふと我に返ると何時間も経過していたことに気づくことがある。このことはつまり、ゲームに熱中していた間は自分という存在が消えているからこそ「我に返る」ことが可能になっているのだ。このような自己が溶解する経験こそ、自分が真に事物と向き合うということになるだろう。言い方を変えれば、その事物と自己が溶解しあい一体化しているということができる。他者との対話に熱中するときも、「自分」という存在が溶解し、他者と一体化、ないしは区別がつかなくなる程度まで混ざり合ったときであると言えるだろう。
 いまの説明がわかりにくければ、その逆を考えるとわかりやすい。退屈するのは、退屈する自分という主体がそっくりそのまま残っている時である。退屈を感じる自分が存在する時、時間ばかりが気になる。現在を充実させるには自己が溶解しなければならないのである。
 まとめると、自己が溶解する時というものが「現在経験」する時であるといえる。そしてその瞬間「時は流れず」、充実した「現在」のみになる。もはや主体が溶解しているので、時間が流れていることを失念するためである。大森はこういった現在経験のもたらす意味を考察したのであった。
 
2,充実した教育の条件
 
 説明が遅れたが、本稿の目的は充実した教育についてを考察することである。そのために大森を引いたのであった。彼の指摘を踏まえるならば、充実した教育(あるいは学習)というものは、目的志向なものではない、と述べることができる。世に行われる教育改革は、大抵の場合、「目的」をどうするか、という議論に終止している。学力低下論争も学力が単に低下したということよりは、その教育が担う「未来」像が時代にふさわしいか・ふさわしくないかをもとに議論されていたのである。
 目的を意識する際、現在それ自体を充実させる(楽しむ)という意識は低下する。子どもの認識レベルで言えば、〈遊びたいけど、テストがあるから勉強しよう〉という内容が例になる。この例で言えば、未来に実施される「テスト」の存在が、現在行う学習を縛ることになる。無論、この状態でも主体は学習を楽しむことは可能である場合もある。しかし、厳密かつ理論的に考察すると、それは未来の植民地になり果てた現在(境界現在)が見せる幻の楽しさ、ともいうことができる。本質的に「現在」を充実させることにはならないのである。「現在」が未来の植民地になり、未来を実現するためにただ過ごされるだけの「境界現在」に成り下がるのである。
 教育を巡る議論は、「境界現在」に成り下がるなかでの教育実践を考える段階のものがあまりに多い。教育実践それ自体を楽しむという発想は「教育詩学」を始めとする一部にしか存在していない。
 「境界現在」ではなく「現在経験」するなかでの実践、つまり「いま」を充実させる中での教育実践はいかにすれば可能なのか。筆者の結論はこうである。現在を充実させるためには、未来を想定せず、「いま」その教材と戯れること・触れること・考えることそれ自体が楽しい(=現在の生の充実、あるいは現在経験)という教育こそ、理想の教育であるということだ。この教育が子どものみならず教育従事者(教員・保護者など)にも楽しさをもたらす実践こそ、理想の教育であるということである。
 その際、先ほど述べた自己の溶解が起こる。教材ないし事物と自己とが溶解しあい、その経験自体に楽しみを覚えられる状態に至るのである。これこそ、充実した学習であり、充実した時間を過ごしたことになるだろう。
 この実践を「教育」と呼べるかはまた別の問題である。「教育」という言葉時代、「目標」(=「未来」)を想定してのプロセスだからである。「学習」・「学び」こそ、「現在経験」を重視する実践にはふさわしいと言える。
 筆者が想定するのは幼少期の子育てである。諺に「子どもは3歳までに親の恩を返す」とある。これは子育てをする経験のなかで親が得られる生の充実(楽しさ)の大きさを述べたフレーズであると解することができる。親は「よい子に育てよう」という意識を持って関わることもあるかもしれないが、子育てという行為それ自体を楽しんでいるところがあると言えるだろう。「よい子にしよう」という親の意図は、時間軸上でいえばかなりの期間(数年)が経たなければ実現するかどうか分からない。何らかの時点で親は自身の意図の挫折を味わう。子どもという主体はそんなにすぐ生育するわけではないからだ。そのような挫折を経験するなかで、何らかの期待というものは低減し、子育てというプロセス自体を楽しむようになる。このとき、現在の充実(=現在経験)が行われるようになる。子育てという、子どもと大人の行う相互行為のプロセス自体に焦点が当てられるようになる。
 これは読書会と近いモデルであるとも言える。ここでの読書会のイメージは、マルクスの『資本論』なりウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』なりを知り合い・友人と選び、読んでくる箇所を決め、集まった人たちと議論をするというものである。
 読書会には何か当面の大きな目標があるわけではない。究極的に言えば学問をすることが目標になるかもしれないが、決めた教材を読み・議論すること自体が目標になる。行為それ自体が目標になるわけだ。書を読み、他者と内容を共有し議論する過程を楽しむわけである。
 読書会を想定する際、イリイチの次の言が参考になる。
 
わたしの考えでは真理の探究はフィリアの成長を前提としているということです。(Illich 2005:260
 
 フィリア、つまり友情の深まりによる真理探究について述べた文である。友人・仲間との対話の中での研究の重要性を説いている。ここで重視すべきは、「フィリアの成長」と研究活動(学習と言い換えてもいい)とが軌を一にして進んでいく、ということである。他者との関わりが深まるほど、学習も深くなっていく。まさにレイブ&ウェンガーのいう「正統的周辺参加」である(Lave & Wenger 1991)。正統的周辺参加とは、集団への参加による学びの重要性を述べた理論である。集団への参加の度合いが進むほど、個人の学習も進んでいく、というモデルだ。それにより個人のアイデンティティの形成も行われていくというところに、レイブ&ウェンガーの特徴がある。「学習はいわば参加という枠組で生じる過程であり、個人の頭の中でではないのである」(Lave & Wenger 1991:8)と、集団への参加とその学習の進展がつながり合っている学びのあり方なのである。
 イリイチは理想の研究手法として「わたしはまた、真理の探究が、講義室ではなく、食卓を囲んだり、一杯のワインを傾けたりというユニークな方法で追求される様を示したかったのです」(Illich 2005:254-255)と述べている。この場合、想定される目標は他者との関わりないし研究それ自体である。そのような学びのあり方こそ、何か目的を想定し「現在」が植民地化される教育モデルを乗り越える形、つまり本来的な学びのあり方なのではないかと考えるのである。
 
3,結論
 
 結論を述べる。目標のある「教育」からプロセスを楽しむ(今を充実させる)「学び」・「学習」への転換が必要である、ということである。アーレントの想定した公共圏モデルは、他者との現れの領域のなかでの関わり合いというプロセスを重視するという実践である。教育もそれを目指すことが本質的に重要なのではないかと考えられる。
 しかし、一番いいのは苫野(2011)のいうように擬似対立を乗り越え、「目的」も「現在」の充実も両方を目指す姿勢である。筆者が述べたのはあくまで「学習」であって、「教育」ではない。学校教育において、目標を持たなければ生徒を評価することも出来ない(学習の到達目標がなければ評価を行うことなど出来ないのだ)。公教育では主体の社会化が必要となり、社会化には当然モデルとすべき像が目標として想定されていなければならない。本稿で筆者が試みたことは、そのままの形で教育実践に用いることはできないかもしれないが、「そういうあり方もあるのだ」ということを示す参照枠組みとして想定されれば本稿の「目標」に応えたことになるだろう。そうなったとき苫野の指摘を乗り越えることが可能なのではないかと考えている。
 
4,参考文献
 
Illich, Ivan, 2005, "The Rivers North of the Future: The Testament of Ivan Illich as told to David Cayley", House of Anansi Press, Toronto.(=臼井隆一郎訳『生きる希望』藤原書店, 2006.
Lave, Jean & Wenger, Etienne, 1991 "Situated Learning : Legitimate Peripheral Participation", Cambridge University Press, Cambridge.(=佐伯胖訳『状況に埋め込まれた学習』産業図書株式会社, 1993.
大森荘蔵, 1996, 『時は流れず』, 青土社.
苫野一徳, 2011, 『どのような教育が「よい」教育か』, 講談社.
 

2011年9月4日日曜日

無題ノート

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待ち合わせの力学

 待ち合わせの際、とくに話すこともないときはボーッとするか携帯を見るかしか許されない(許可されない)。例えば書籍を読もうとすることは「不適切である」とされる。Goffmanならば共在状況の一例であるとみなすであろうが、人前では本を読むことは許されず、携帯を見るようなことやぼーっとするような生産性の高くない振る舞いのみが許可されている。
 従属的関与(Goffman)とはいうが、集まりに対する敬意を払う度合いが、待ち合わせの際には強く求められる。携帯などはいつでも離脱できるメディアだが、書籍はそうではない。ギリギリが新聞・雑誌である。
 集団に働くこの権力関係も、フーコー流にいうと眼差しの権力ということになるのであろう。関係性に働く権力である。文脈ごとに適切とされる振る舞いの仕方は、あらかじめ集団に内在されているのだ。
 権力は案外こういうところにあるもんなんだ、と改めて気づいた。

2011年8月29日月曜日

動物園

一瞬、感染に見えた。

2011年8月27日土曜日

寺山修司, 2009, 『寺山修司著作集 第3巻 戯曲』クインテッセンス出版株式会社。より「邪宗門」

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寺山修司「邪宗門」に見られる構築主義的発想。

山太郎 だとすれば、その黒衣を操っていたのは一体誰なんだ?
新高 それは、ことばよ。
佐々木 じゃあ、そのことばを操っていたのは一体誰なんだ?
新高 それは、作者よ。
そして、作者を操っていたのは、夕暮れの憂鬱だの、遠い国の戦争だの、一服のたばこの煙よ。そして、その夕暮れの憂鬱だの、遠い国の戦争だの、一服のたばこの煙だのを操っていたのは、時の流れ。
時の流れを操っていたのは、糸まき、歴史。いいえ、操っていたものの一番後にあるものを見る事なんか誰にも出来ない。|
たとえ、一言でも台詞を言った時から、逃れる事の出来ない芝居地獄。
終わる事なんかない。どんな芝居えも終る事なんかない。ただ、出し物が変わるだけ。さあ、みんな役割を変えましょう。
衣装を脱いで出て来て頂戴。
(寺山修司, 2009, 『寺山修司著作集 第3巻 戯曲』クインテッセンス出版株式会社, pp.220-221「邪宗門」)

 寺山修司の戯曲「邪宗門」のラストは、意外に構築主義的。我々は言葉に縛られている。その意味では日常も「逃れる事の出来ない芝居地獄」。ゴフマンのいう表局域の社会的役割関係から逃れられない。でも、「役割を変え」ることはできる。それが主体の抵抗可能性だ。

2011年8月19日金曜日

Cicero, 44 B.C., Laelius de Amicitia.(=中務哲郎訳『友情について』岩波書店, 2004.)

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Cicero, 44 B.C., Laelius de Amicitia.(=中務哲郎訳『友情について』岩波書店, 2004.)

 キケロの友情論。友情論の古典である。3人の男の会話体のなかで友情論が交わされる。警句集として読むことができ、なかなか興味深い書物である。
 ただ、いまの時代、寺山修司が茶化して語る以外、友情について大真面目に語ることは一種のパロディになってしまう。そのあたりにポストモダンの「哀しさ」がある。
 この本を読もうとしたのは、帰省時に持ってきた本のうち『言葉と物』以外に読む選択肢を設けるためである。あとはルネサンスについて勉強しているので、ルネサンス期に評価された「人文主義」の代表人物の本を読もうと思ったためである。
 気になる点は一つ。当時の「友情」というのは同性愛的な意味もあるのだろうか、という点である。
 以下は抜粋から。

「つまり友情とは、神界及び人間界のあらゆることについての、好意と親愛の情に裏うちされた意見の一致に他ならない、ということだ」(25)

「まさにこの徳が友情を生みかつ保ち、徳なくしては友情は決して存在しえないのである」(25)

「友情は数限りない大きな美点を持っているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにする、ということだ。それは、真の友人を見つめる者は、いわば自分の似姿を見つめることになるからだ。それ故、友人は、その場にいなくても現前し、貧しくとも富者に、弱くとも壮者になるし、これは更に曰く言いがたいことだが、死んでも生きているのだ。その者たちを友人たちのかくも手厚い礼が、思い出が、哀惜の念が見送るところから、逝く者の死は幸せなものと、残された者の生は称えるべきものと見えるのだ」(27)

「大抵の人は、恥知らずに、とは言わぬまでも理不尽にも、自分ではなれないような友人を欲しがり、こちらからは与えないものを友人から期待する。まず自分が善い人間になって、それから自分に似た人を求めるのが順当なのに」(67-68)

「愛してしまってから判断するのでなく、判断してから愛さなければならない。それなのにわれわれは、注意を怠ってひどい目に遭う場合が多いのだが、とりわけ友人を選び敬う場合にそうなのだ」(69)

「友人の語る真実が聞けないほど真実に対して耳塞がれてしまっている者は、救われる見込みがない」(73-74)



2011年8月1日月曜日

三題話

映画『おじいさんと草原の小学校』

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映画『おじいさんと草原の小学校』

 ある日(2004年)、ケニアにおいて、教育の無償化Free Educationが実現される。「すべての人に」教育を受ける権利がある、との宣伝文をもとに、地方の小学校にマルゲという老人がやってくるという物語である。実は彼がケニア独立の立役者、マウマウ団であったということがこの物語の鍵を握っている。

 映画内で、何度も回想シーンが出てくる。イギリスからの独立にあたり、妻と子どもを殺されるシーンが繰り返される。その象徴たる大統領府からの「手紙」を読むために、マルゲは学校に入る。それには、自分の過去の苦しみの精算をしたい、との意志があったことだろう。過去を乗り越えるためには勉強が必要なのだと思う。

 本作から思ったことは次の2点。

①教育の輝きと教育の持つ夢を再確認できた。別にマルゲは「一人」で学べばよかったのでなく、小学校的なコミュニティというか、公共圏の中での「学び」を志向していたように思える。

②Free Educationということが希望だった頃のことを観ることが出来た。

 こんな「輝き」のあった教育も、一部の生徒にとっては「牢獄」や「不自由」の象徴になってしまう。マルゲが止めようとした子ども同士のいじめも、学校が重荷になる一つのきっかけとなった。

 「学校」の持っていた輝きは、まさに自分たちが獲得した権利と認識された瞬間にのみ、存在するものなのかもしれない。それが制度化し、普遍的なもの・自明なものとなった瞬間に、「輝き」は失せるのだ。
 イリイチを好む私のような人物は、学校の「輝き」を否定する。しかし、教育を受ける権利が体制側から勝ち取ってきたものであるという点は忘れてはならないであろうと思った。

 さて、私はこの2日の間に、妙に似た映画を2本見ている。今日の『おじいさんと草原の小学校』、昨日の『かすかな光へ』である。『かすかな光へ』は教育学者・太田堯(おおた・あきら)のドキュメンタリーである。『おじいさんと草原の小学校』の主人公・マルゲは84歳で「学に志」した。太田堯は92歳の現在も教育サークルに関わったり、地元埼玉での環境教育活動や講演会・現場の見学などに余念がない。老いたとしても学ぶ態度を、自分も見習いたい、と強く思った。

 最後に一点だけ。タイトルと違い、言うほど「草原」は出てこない映画である。

(神保町・岩波ホールにて)


2011年7月23日土曜日

南悟, 1994, 『定時制高校 青春の歌』岩波ブックレット(No.351)

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南悟, 1994, 『定時制高校 青春の歌』岩波ブックレット(No.351)

 短歌をつくる実践をとおして見つめる、定時制高校のリアリティ。岩波らしく、左な立場から現在の定時制高校を見つめる作品。それにしても、こういう「メインストリーム」の外の教育をあつかう本は、どうして「本当の学校はここにある」といいたげな内容になるのだろう(フリースクールしかり、定時制高校しかり)。別に意義があるわけでなく、個人的な疑問である。

「最近、夜間定時制高校には、中卒後未就学で高校生活をやり始めようとする若者や中高年者、あるいは登校拒否で中学や高校に行けなかった生徒、また知的な障害や身体に障害を持つ生徒、さらには難民を含めての外国人生徒や海外引揚げ生徒たちの入学が増加しています。私の勤務する工業高校の場合、各種資格や専門技術の修得を目指しての入学生徒も多数にのぼります。
 定時制高校は、このような人びとにとって、なくてはならない学校なのです。
 ところが、ここ数年来教育行政は、「働きながら学ぶための定時制高校の役割は終った」と言い、経済効率優先の立場から、定時制高校を廃校にして、「単位制高校」の設置を全国的に進めています」(5)

→それに加え、少子化による全日制高校の統廃合の結果、定時制が受け皿になっている側面があるという(2010年10月カタリバ大学「定時制高校のリアル」より)。

「人間の値うちを「成績」という尺度でのみ計ろうとする傾向は、学校だけではなく、私達の社会そのものを色濃く染めています。そうした基準からは、働くことで培われる人間形成の重い価値は見えてこないでしょう。
 働き学ぶという、この崇高な生き方が尊ばれ守られていくためには、何よりも、たとえ生徒が減少しようとも、たとえ経費がかかろうとも、定時制高校が残されていかなければならないと思えるのです」(6)

「短歌を詠むということは、さながら、足跡をとどめることなく学校を去って行った多数の生徒たちがいる中で、かろうじて生徒たちの足跡をとどめる作業であるように思えるのです」(53)

「ここに登場した生徒たちの生き方は、まさに私たちが豊かさという幻想を持たされ、いつかしら見失ってきた庶民の生き方そのものなのです。私たちの生活は、高度経済成長期、バブル高騰期と、いつの時代も、豊かになった、世界の一柳国に生ったという錯覚を持たされ、上昇志向に駆りたてられてきたのではないでしょうか。
 そうした世の風潮にあっても、私たちが見失ってはならない、ごくあたりまえの生き方を、生徒たちの歌は裸形のまま提示してくれているように思えます」(58)

→☆昔はこういう部分を共感的に読めたが、なんか岩波書店特有の理想主義の香りを感じてしまう。これ、自分の感受性が社会学によって狂わされてしまった、ということなのだろうか。

南悟, 1994, 『定時制高校 青春の歌』岩波ブックレット(No.351)

2011年7月5日火曜日

斎藤次郎 1996『気分は小学生』岩波書店

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斎藤次郎 1996『気分は小学生』岩波書店

中年のオジサンが小学四年生のクラスに1年間留学するという、ありそうでなかったフィールドワークである。

Webで「斎藤次郎 教育評論家」と調べると、2007年の大麻吸引事件の話しか出てこない。私は大麻を吸うとか関係なく、いい仕事をする人の作品を大事にしたい、と考えている。そうしなければ、ビートルズの曲は大体すべて聞けなくなってしまう(ちなみに逮捕時点で30年の大麻吸引歴があるため、小学校「留学」中もむろん大麻をやっていたことになる。どうでもいいけど)。

ちなみに、本書は95年の取材であるから俺がちょうど小一の時のことである。斉藤の「留学」先は小4であるからリアリティがある。本書の「子ども」は俺のことなのだ!

以下は抜粋。

「ぼくのモットーは「子どものことは子どもに習え」であった」(2)

授業が「わかっているものとわからないものとの共存はあり得ない。割り算がわかってしまえば、わからない人の苦しみを共に担うことはもうできないのだ。これは「教育」という営みのかかえる宿命的な背理ではないか」(43)

「子どもたちは、休み時間になればもうこっちのものなのである。彼らは非常にしばしばダメージ大きいボクサーがゴングに救われるように、チャイムに救われる。あいさつが済んで教科書を机にしまった瞬間、悪夢はきれいに拭い去られるのだ」(47)

2011年7月1日金曜日

オレオレ詐欺の広告

オレオレ詐欺注意の広告。
本人が自宅にオレオレ詐欺の電話をすればいいのではないか、と思った。

裁判になっても家族内なので民事で済むだろうし。

2011年6月27日月曜日

集団ぎらい

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集団ぎらい

 わかったことがある。最近の私は「三人関係」以上のものに慣れていない、ということだ。4人くらいでだらだら過ごす、ということに耐えられなくなっているのだ。そのことが私に飲み会やサークルなどの際に疎外感をもたらしていたのだ。
 基本的に私は一人でいるか二人でいる。話すのも酒を呑むのも多くて二人。そのため3人以上でいるとどうふるまっていいか分からなくなる。
 実家に帰るのが億劫なのも、家族というマスに埋没する必要があるからだ。家族という集団の幻想を維持する一員にならざるを得ないのが「キツい」ために帰省が嫌なのだ。同様に飲み会にあまり行きたくないのも、集団に埋没しなければいけないからだ。飲み会は「会」の維持が最優先になるイベントである。「会」が存在するという幻想を乱すもの(=私)は排斥されなければならない。
 そんなわけで私は集団が嫌いになっている。集団ぎらいを英語でいうと何になるのか。massphobiaとでも言うのだろうか。

2011年6月5日日曜日

昼モス

朝マック、昼モス、夜ロッテ。

2011年6月1日水曜日

R.セネット(1980):今防人訳『権威への反逆』岩波現代選書、1987。

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R.セネット(1980):今防人訳『権威への反逆』岩波現代選書、1987。

「権威の絆は、強さと弱さのイメージから造られている。つまり、権力の情動的表現なのである。孤独は、他の人々から切り離されていること、つまり絆の喪失の知覚なのである。友愛は、同類のイメージに基礎を置いている。同一の国民として、同性として、同じ政治的立場として「われわれ」という感覚によって引き出される情動なのである」(2)

「自由は幸福ではない。それは分裂の経験であり、暴君と奴隷がどの人間にも宿っているという最終的な承認である。この事実を承認して初めて決闘者以上のものになれるという希望は常に抱けるのである。自由は私があなたに与える承認が私自身からある何かを差し引かない時に、最終的に存在するのだ」(178)

「感情移入は他人の生活へのなにほどかの探求を要求するのに対し、共感はもっと控え目で、必然的に理解しようとする試みを伴わない関心の表現である。感情移入の想像は、二つの自分自身であるドッペルゲンガーの創造とも異なる。そうではないく、他の誰かの身体や環境のうちに想像される自分自身なのである」(197)

「われわれが18世紀から継承した民主主義のあらゆる観念は、権威は目に見え、読むことのできるものであるという概念に基づいている」「この共通の努力から、市民はある権力を指導者に委任するとともに、指導者がどれくらいその委任に値するかを裁定するという結果が生じる」(234)

「権威とはそれ自体本質的に想像力のしわざである。それはものではない。他人の強さの中にあり、もののように見える堅固な保障の探求である。この探求を達成できると信じるのはまさに幻想であり、しかも危険な幻想である。暴君だけがその要求を満たす。しかし、この探求を全く行うべきでないと信じることも危険である。その時、いずれであれ、絶対視が起きるからである」(273)

訳者あとがきより。
「権威者は畏怖を引き起すだけでは不十分である。養育なき権威こそ否定されるべきなのである」(279)
☆アレントも『過去と未来の間』において教育に権威が必要である点を述べる。フーコーやアルチュセールの権力論には「呼びかけ」に答えることで主体subjectが形成される、とあるがそれを「養育」と見ることもできるのではないか。

R.セネット(1980):今防人訳『権威への反逆』岩波現代選書、1987。

2011年5月4日水曜日

コンピューター将棋

大学で開催されていた。一体どんなイベントだったのか。

2011年4月28日木曜日

鷲田清一(2006):『「待つ」ということ』、角川選書。

「〈待つ〉ことはしかし、待っても待っても「応え」はなかったという記憶をたえず消去しつづけることでしか維持できない。待ちおおした、待ちつくしたという想いをたえず放棄することなしに〈待つ〉ことはできない」「〈待つ〉とは、その意味では、消すことでもあるのだ」(16)
→☆教育とは待つこと、とはよくいうが、それは教育への期待を消すことでもある。
→☆次の文章を思い出す。『寺山修司名言集身捨つるほどの祖国はありや』(2003)より
「さよならだけが/人生ならば/またくる春はなんだろう/はるかなはるかな地の果てに/咲いてる野の百合何だろう」(69)
「言葉は、ひとを「いま」から引き剥がしてくれるものである。言葉によってひとは時間の地平を超える」(23)


「現在の外へ出ること、それも〈時〉という持続のなかで現在から外出することが、「何かを待つ」ときには起こる」(113)


「「祈り」はあくまで〈待つ〉ことのひとつのかたちであって、「神さま」への要求なのではない」(139)
→☆これ、祈りが一見受動的に見えたとしても実は受動的な行為であることの説明ではないか。祈り自体は自らにかける暗示や期待の現れである。「自分が運命を変える」という主体の表れでもある。


「〈待つ〉は、人類の意識が成熟して付加的に獲得した能力なのではない。〈待つ〉ははじめから、意識を可能にするもっとも基礎的な位相としてあった。〈待つ〉ことから未来は生まれ、意識は始動したとすら言えるかもしれない」(188-189)
→☆では、動物に「待つ」は存在するのか、が不明点である。飼い犬は飼い主の帰宅と餌を「待っている」のだろうか。むしろそう見えるのは人間の観察によるだけであり、動物には常に「現在」しかない以上、未来の予測は不可能なのではないか(むろん、「動物」の種類にもよるが)。

「〈待つ〉のその時間に発酵した何か、ついに待ちぼうけをくらうだけに終わっても、それによってまちびとは、〈意味〉を超えた場所に出る、その可能性にふれたはずだ」(193)


→「待ちぼうけ」という歌は、来るはずのない兎を待つ男の物語であるが、「待つ」からこそ開けてくる世界観でもある。


☆所感:「哲学とは死ぬための準備」(ソクラテス)ならば、人生とは「死」を延々と待つ行為になるのであろうか。

2011年4月24日日曜日

種の分類

種の分類か1つだけ間違っている。
とうもろこしだけ、料理法が描かれている。

2011年4月17日日曜日

元森絵里子(2009):『「子ども」語りの社会学 近現代日本における教育言説の歴史』、勁草書房。

元森氏の博士論文を元にした本。結論部分に感銘を受ける。要は「子ども」と「大人」を分ける切れ目はどこに現在おかれているか、という部分。「すなわち、身も蓋もない結論であるが、現代において、「子ども/大人」の区分は、もはや「子ども」の処遇に関する領域それ自体ではなく、経済(市場)、法、政治(行政国家)などの近代社会を支える諸制度に組み込まれたものとして、消し難く残り続けるのである。そうであるならば、教育などの「子ども」をそれらの領域から保護して「非主体」に留め置く—さらに言えば、同時に責任主体としての「大人」にする—領域は、その陰画としてのみ要請されると考えられる」(216)


 その言い換えが次の部分。
「消し去れない(☆大人と子どもの)最終ラインは、経済、法、政治という領域との関連性における「子ども」のための領域であり、それらの領域で責任主体たれない未成年という擬制のみである。このある意味身も蓋もない知見を前章までの知見に引きつけて言い換えれば、現代において、「子ども」と「大人」を分けているのは、しばしば想定されているような、完全に倫理的な判断力や責任能力を備えた「近代的主体」とその準備期間という区別でもなければ、本書で見てきたような、秩序に一体化する「国民」とその予備軍という区別でも、非社会的な「私」と理想の生という区別でも、堕落し誤った存在と未来の社会を実現する存在という区別でもないのである」(220)


 言説分析の長い検討と、プレーパークでの「語り」の検討などをもとに出した結論がこれである。確かに現在の切れ目は「責任主体」たるか否か、にあるということができる(こういうと本書をすごく乱雑に語ったことになってしまうが…)。


 ほか、中学生毎日新聞の言説分析部分に「登校拒否」に関する中学生の投書数の分析(165-)など、使える箇所があった。

2011年4月15日金曜日

山下和也(2010):『オートポイエーシス論入門』ミネルヴァ書房。

学術の世界で使えるオートポイエーシス論を目指すという本。
 言語システムについての記述(5章など)などから、どことなくブルーマー『シンボリック相互作用論』を思い出す本である。ということは、オートポイエーシス論はシンボリック相互作用論と親和性が高い理論なのだろう。


 オートポイエーシス論のキーワード。
「オートポイエーシスはオートポイエーシス論でのみ語らなければならない」(8)
「産出されたものがあれば、必ずそれを産出した働きがある」(9)


「オートポイエーシス論とは、あえて言うと、産出するものと産出されるものの理論に他ならない」(9)


「オートポイエーシス論は自己の発生の論理を扱う理論である」(29)


「システムがその作動を通じて自分のコードを書き換えて変化することを、マトゥラーナの術語を借りて、「構造的ドリフト」と呼ぼう」(43)


「オートポイエーシスの自律性の最大の帰結は、原理的にこのシステムを外部からコントロールすることはできない、という事実だ。コントロールしようとしても自律性によって抵抗される」(51)


「端的に言えば、構造的カップリングとは、複数のオートポイエーシス・システム同士がお互いを環境として攪乱を生じあっている状態である。したがって、これはシステム間の単純な相互作用ではない。一方のシステムが他方のシステムに働きかけ、それに応える形で逆に働き返す、という図式にはなっておらず、相互の攪乱は完全に同時で、そのためそれぞれの作動は自律的であり、対応関係にはない。したがって、構造的カップリングしているそれぞれのシステムにおきる変化に因果的対応関係をつけることは不可能だが、構造的カップリングはそれらシステムすべての作動の前提となり、それぞれのシステムはカップリングしている相手のシステムの作動を、残らず自分自身の作動に織り込んでいる」(75-76)
「当然、カップリングしている総体に何が起きるかは、創発による。個々のシステムの作動からは決まらない」(76)


「デカルトは、「私は考える、それ故に私はある」という回り道をして私の実在に至ったが、実際には、「私」と言ってシステム自身にとっての視点をとった瞬間、私の実在は確定している。デカルトに、自分が疑うに際して「私の存在するということが極めて明証的に、きわめて確実に伴われてくること」も当然なのである。私が、すなわちシステムが実在しないなら、システム自身にとっての視点もなく、「私」という事態そのものもありえないので」(183-184)
→☆これ、ゴフマンの"Frame Analysis"によれば、個々人のフレイムによって認識される自己システム、ということなのだろう。


「整理すると、観察者の視点からの自己認識は、厳密に言うと自己認識になっていないということ。認識しているのは認識システムで、その認識表象に現れているのは認識システムそれ自身ではなく、無意識システムの構造である意識の、しかもその現れにすぎず、まったく異なる。つまり、認識している自分とされている自分は、どこまで行っても別物である。にもかかわらず、観察者の錯覚のために、認識システムはその現れを自分自身と誤解するのだ。それは認識システム自身が、自己言及によるとして、つまり自分自身の現れを自分自身と誤解するのだ」(248)

Beck, Ulrich(2002):島村賢一訳『世界リスク社会論』2010、ちくま学芸文庫。

 チェルノブイリの事故の起きた1986年、「リスク社会」という名称のもとに社会学者ベックはデビューをした。その『危険社会』は学術書としては異常なほどよく売れた、という。そんなベックの入門書的なのが本書である。

「「サブ政治」という概念は、国民国家の政治システムである代議制度の彼方にある政治を志向しています。その概念は、社会におけるすべての分野を動かす傾向にいある政治の(最終的にグローバルな)自己組織化の兆しに注目します。サブ政治は、「直接的な」政治を意味しています。つまり、代議制的な意思決定の制度(政党、議会)を通り越し、政治的決定にその都度個人が参加することなのです。そこでは法的な保証がないことすら多々あります。サブ政治とは、別の言い方をするならば、下からの社会形成なのです。」(115-116)
「世界社会的なサブ政治の特徴は、イシューごとにその都度形成される(政党、国家、地方、宗教、政府、反乱、階級といったものの)「対立」の連合なのです。」(116)

→☆この「サブ政治」を担う「市民」が、常に多数にとって正義かどうかは限らない。ベックも石油会社シェルに対する反対運動をしても、アウトバーン建設を進めるドイツ首相への反対がないことを語っている。だからこそ、多様な「市民」の多様な「サブ政治」が必要、と言えるのではないか。

「危険とは、例えば天災のように人間の営み、事故の責任とは無関係に外からやってくるもの、外から襲うものである。それに対してリスクとは、例えば事故のように人間自身の営みによって起こる、まさに自らの責任に帰せられるものである。つまり、そうである以上、リスクは社会のあり方、発展に関係している。リスクとは、ベック自身が認めているように、自由の裏返しであり、人間の自由な意思決定や選択に重きをおく近代社会の成立によって初めて成立した概念である」(訳者解説:159-160)

→☆東日本大震災は「危険」であるが、福島原発は「リスク」である。

「「困窮は階級的であるが、スモッグは民主的である」」(『危険社会』51頁からの引用)「という言葉に象徴されるように、環境汚染や原発事故といったリスクが、階級とは基本的には無関係に人々にふりかかり、逆説的にある種の平等性、普遍性を持っていること、そしてチェルノブイリ原発事故に端的に示されているように、リスクの持つ普遍性が、国境を超え、世界的規模での共同性、いわゆる世界社会を生み出していることが挙げられる」(161)

2011年4月6日水曜日

寺山修司(1974):『さかさま世界史 英雄伝』、角川文庫。

・「二宮尊徳」について。
「少なくとも、薪を背負って本を読むよりは、薪を下ろして本を読む方が頭に入ります。それに、読書は人生のたのしみであって、義務ではない。そのために、山道の二往復が一往復になったり、サボったといって叱られても構わないのではありませんか? 山道を歩くときには、本ではなくて山道を”読む”べきです。自然は、何よりも偉大な書物だというのが、私の考えです」(77)

・「毛沢東」について。
「私の考えでは、政治の言語はつねに「標準語」であり、人生の不安や性の悩みについて語るときだけ「方言」が生きてくるのであった」(131)

・「聖徳太子」について。
「犯罪が国家なしでは存在せぬ概念であることを思うとき、国家は犯罪の母体なのだと教えてくれたのも、聖徳太子であった」(169)

・「セルバンテス」について。
「ドン・キホーテの滑稽さを、「時と所」の読みちがえ、歴史感覚の欠落だったと言ってしまえば事は簡単だが、しかし、しばしば「時と所」の読みちがえが大きな過誤をのこすことに注目しないわけにはいかない」(216-217)

・「孟子」について。
「しかし、教育というのは半ばお節介の仕事ではありませんか? 自分の子さえいい環境に引越しさせれば、他の子のことは構わないというのでは、教育の本質から外れていると言わざるをえません」(234-235)
☆教育が結果的にエゴイズムをもたらす、という側面。ランドル・コリンズ『社会学の歴史』において、デューイらプラグマティストが批判されている。それは教育の拡大ということを「学歴インフレ」を考慮せずして手放しで賞賛した点にあるからだ、と。教育の拡大という個々人のエゴイズムの反映の政策が、意図せざる結果をもたらす好例である。

・「キリスト」について。
「しかしユダヤ小市民を軽蔑し、革命児たらんとした大工の倅で、娼婦、漁師、兵隊、前科者を集めて、家族制度の破壊を説き、放浪とフーテンの日々をおくっていたキリストは、メガネをかけたオールドミスたちの心の中のキリストさまとはべつの、やくざな、性的魅力あふれた男っぽい男だったと思われる」(249)

●小中陽太郎による「解説」より。
「電気に感激するとは、未開人なみの発想だが、闇の中に電気がともると嬉しい、と思うことが、戦後民主主義の根本であると私は思っている」(280)
☆いまの日本を見て、この言葉が胸に響いた。

2011年4月2日土曜日

空手といじめ

空手にそんなに力があるのだろうか?

今週の早稲田教会

毎回、講演テーマが風変わりな早稲田教会。

2011年3月31日木曜日

ファシズム化

宮台や佐藤優は「ファシズム」に日本の可能性を見たが、いまの地震報道や地震に関する政府対応を見ると、すでにファシズム化しつつあるように思われる。ちょうど、今週のサンデー毎日の特集は「福島原発大本営発表の罪」であった。
 宮台や佐藤優は楽観視しすぎていたのではないか、と思われる。

知識人とスティグマ

知識人は他者によってしか呼ばれない名前だ。丸山真男も吉本隆明も自身を知識人とは言わなかった。その意味で知識人も一種のスティグマである。

2011年3月30日水曜日

小熊英二(2002):『〈民主〉と〈愛国〉 戦後日本のナショナリズムと公共性』、新曜社。

小熊英二(2002):『〈民主〉と〈愛国〉 戦後日本のナショナリズムと公共性』、新曜社。
発表者:藤本研一
2011/03/30
範囲:第8章「国民的歴史学運動 石母田正・井上清・網野善彦ほか」(pp307-353)
☆は藤本のコメント。

概要
・結論:マルクス主義歴史学である「国民的歴史学運動」は大きな影響をもったが、間もなく限界を迎えることになる。この運動は「民衆」自身が歴史を綴ることを重視した運動であり、民衆を中心にした歴史へ読み替えやマルクス的イデオロギーを伝える学問にするなどの動きがあった。この運動は、想定された「民衆」と実際の民衆の間にズレがあることや、共産党の意向の変更により挫折を余儀なくされることになる。


・戦後歴史学:マルクス主義の影響が強い リーダーは石母田正(いしもだしょう)/戦前のナショナリズム批判の最大の勢力の一つ
→1950年代前半では「民族」がもっとも強調された領域。
・本章のテーマ:国民的歴史学運動とこの時期のマルクス主義歴史学
→戦後左派のナショナリズムの性格と限界

●孤立からの脱出(307-)
・「1930年代末には、数年前まで隆盛を誇ったマルクス主義歴史学は、ほぼ完全に圧殺されていた」(308)
→古代史・中世史で細々と研究が行われるようになる。戦後もマルクス主義歴史学は古代史と中世史の研究者が中核を担うことになる。
・戦後の石母田:著作『中世的世界の形成』の経験から、「民衆からの孤立を脱し、社会に働きかける学問として、戦後の歴史学を構想していった。そしてそうした志向は、やがて「民族」という言葉によって表現されてゆくことになるのである」(313)

●戦後歴史学の出発(313-)
・「敗戦後、言論統制と皇国史観の支配から解放された人びとは、歴史学へ熱い関心をよせた」(313)
・「1946年1月、戦中には孤立に追い込まれていた哲学・科学・歴史学などのマルクス主義系知識人が集まり、そこに非マルクス主義系知識人も加わって、民主主義科学者協会(民科)が創立された。その歴史部会の機関誌として、1946年10月に『歴史評論』が相関される。戦前いらい石母田たちが拠点にしてきた『歴史学研究』も1946年6月号から再刊され、この二つの雑誌が戦後のマルクス主義歴史学の中核になった」(313-314)
・「第6章でみたように、文学においては、政治的中立を装う「芸術至上主義」が批判されていたが、歴史学でそれに相当するのが「実証主義」だった。中立を装う「実証主義」は、最終的には帝国主義の側に加担する、ブルジョア思想にほかならないとされていたのである」(314)(☆いろんな動きは軌を一にしている。時代の空気は人を同じ方向に向かせる。)
・「マルクス主義歴史学者からすれば、歴史とは明確なメッセージ性をもち、児童に希望と誇りを与えるものでなければならなかった」(315)(☆しかし、これは本当に「歴史学」なのだろうか)
・石母田の民衆文化観(1948年):「身分制度のもとで下層民がつくった民謡は、能や法隆寺が支配階級の意識を反映しているように、卑屈な被支配者意識を反映しがちである」(317)
・「いかに民衆からの孤立を脱するかを課題」とする石母田は、「民衆にたいする啓蒙活動」(318)をはじめる。その際講師も人民から学ぶことを重視した。
・「歴史というものが、つねに政府や知識人といった権威から与えられるという「古い卑屈な伝統をこわす」ために、民衆自身が「自由な創意と興味」によって歴史を書くことを提案することにあった」(319)
→「労働運動の歴史」の記述を、労働者が出来るようにすること、など。「歴史の専門家がその仕事を助け」ることで。
→「「政治」と「研究」の二元的対立の使用を目指した思想であった」(321)/石母田が「悔恨を抱いていた「若い人たち」に対する責任を果たす行為でもあった」(321-322)
・しかし、石母田自身「農村をよく知らない」(232)や「図式的なステレオタイプ」(232)で農民像を語る等、精緻性に欠けていた。
・「民族」観:当時の石母田:「「民族」や「民族文化」は過去の伝統ではなく、未来にむかって創造されるものであった」(324)

●啓蒙から「民族」へ(324-)
・1950年のスターリンの言語学論文:「近代的な「民族」は資本主義以降に形成されるが(☆フーコーのいう「人間」は18世紀に成立した、との主張を思い出す)、その基盤として、近代以前の「民族体」が重視されるべきだということが説かれていたのである」(325)
→「民族文化」も「近代以前のものを含むべきだという転換を示すもの」(325)になった。
・石母田の「民族」観の変化:「大衆こそが民衆」(326)/スターリン論文への共感
→①民衆志向 ②アジアの再評価(とくに在日朝鮮人への注目)

●民族主義の高潮(331-)
・「支配者がつくったテキストや文化を再解釈し、それを革命の表現に転化してこそ、支配者が大衆に注ぎ込んだ愛国教育を逆手に取ることができる」(333)という藤間の主張/(☆現代ではとても共産党の言説とは思えない、)民族主義的な言説の横行
・民衆中心主義への読み替え:「武士道は支配者の思想ではなく、民衆を守り、民族全体を守る者の責任の倫理として、むしろ下から出て来たものである」」(334)
・倉橋文雄「歴史をほんとうに大衆のものにするためには、文学の場合と同じく歴史家の場合も資料操作以上の飛躍が必要ではないか」(334)(☆ここまでくると学問ではなくなっている。イデオロギー性や「闘争性」を学問がもってはいけない理由でもある)
・1955年頃「この時期、共産党系の歴史家でナショナリズムそのものを批判する者はほぼ皆無で、ただ肯定すべきナショナリズムを歴史上のどこに求めるかをめぐって論争していた」(336)
・まとめ:「もともと1948年の時点では、「民族」は近代の産物だという見解と、理想的な「民族」が形成されるまでは階級闘争が重視されるべきだという認識が、単純な「民族」礼賛への歯止めになっていた」(337-338)
「しかし、そうした歯止めが取り払われた1950年代以降は、旧来の「民族」観を批判していたはずのマルクス主義歴史学者たちさえもが、慎重な姿勢を失ってしまった。もともと彼らも、他の日本臣民と同様に、戦前の愛国教育を受けて育ってきた人びとだった。いわば彼らは、革命推進のかたちで「民族」という言葉を使うことが許されたとき、数年前まで馴染んできた言語の発話形態に逆戻りしてしまったのである」(338)

●「歴史学の革命」(338-)
・国民的歴史学運動のはじまり:「民衆が自分自身の歴史を書くことで「声」を獲得し、知識人はその助力をすることで既存の学問を改革すること」「を実行に移したものであった」(339)
・竹内好「1950年には、戦争と革命は予測でなくて現実であった」(342)
→(☆当時のリアリティでは共産主義革命は「必然」であったのだ)
・石母田の「大衆から孤立」しない「インテリゲンチャの活動」への呼びかけ:「大学進学率が低く、学生にエリートとしての自意識が残っていた当時においては、こうしたアピールは共感を集めた」(343)/農村に入ることで、学問からの「疎外」を回復する(☆現場に入ることで人生観が切り替わり、結果学者としてのアイデンティティを放棄、その共同体の一員になる、という内容のエスノグラフィーはたくさんある)
→☆石母田の講演の内容は1953年発行の書物におさめられている。1955(s.30)年の段階において大学進学率は10.1%(短大含む)である。B・クラークの図式でいうならば、マス段階どころか「エリート」段階の高等教育である。
・農村に入る「「学生さん」への敬意と好感は、大学生の存在が大衆化する60年代半ばまで持続し、60年安保闘争の高揚を支えることになる」「いわば国民的歴史学運動は、参加した学生たちの心情という面では、1960年代の全共闘運動と、部分的には共通していたといえる」(345)

●運動の終焉(346-)
・1953年頃からの活動の行き詰まり
①学生・研究者の相互批判 自己批判の強制(☆参考エッセイを参照)
②「「民衆のなかへ」という理念そのものが、現実の民衆にたいする無知から発していたことを意味していた」(349)
③1955年7月の六全協による、日本共産党の方針転換
→「運動の瓦解は、多くの人びとを傷つけた」(351)/網野善彦が1960年代後半までほとんど論文を発表できなくなる。
・「「よろこび」や「たのしさ」を出発点としていたはずの運動が、政治的な「実用主義」に巻きこまれ、「強制」や「義務」に転化してしまった」(353)という石母田の後悔。(☆内藤朝雄の「中間集団全体主義」あるいは山本哲士の「社会イズム」の弊害である)

論点
・考察にもあるが、「学問」と「政治」の繋がりについて、考察したい。学問はたしかに「政治」や「社会」から中立の存在ではないが、だからといって「政治」や「運動」に肩入れした学問をするのは本末転倒であると思われる。それは「学問」システムから離脱することになるからだ。

考察
・共産党やソ連の姿勢一つで学問の方針が変わってしまうところに、当時のマルクス主義歴史学の学問的自立性の弱さがあったように思われる。

・人間は善意で人を不幸に落とし込んでしまうことがありうる。それが個人と社会をめぐるパラドックスである。「国民的歴史学運動」における石母田の姿勢も、それであった。通常は「やりすぎ」の運動を防ぐため、各社会システムごとに「きまり」がある。学問ゲームにおいてはそれは「科学性」であるし、『ホモ・アカデミズム』や『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待』においてブルデューの言った研究者のハビトゥスを意識する必要がある。また、マンハイムの「存在の被拘束性」やウェーバーの「客観性」原理の意識など、学問する上で最低限守るべきルールは存在している。
 石母田の失敗は、あまりにも歴史研究ゲームから外れすぎたところにある。民衆に対する歴史研究だったはずが、単なる党の市民運動に堕してしまった時点で「アカデミズム」ではなくなったのだ。いわば学問ゲームから自ら離脱してしまったのである。
 無論、この傾向をアカデミズムの自閉性ということもできる。しかし、オートポイエーシス理論をもとにするならば、そもそもどの社会システムも閉鎖的であるのである。その社会システムが外部の社会システムと接触するとき「構造的カップリング」が発生するというのがルーマンの理論である。「構造的カップリング」の前後で社会システムが変容している点に注意したい。
 つまり、石母田らの行った「国民的歴史学運動」は「歴史学」という社会システムと「市民運動」という社会システムが構造的カップリングを起こし、まったく異質のシステムに変更した、ということなのである。本来の歴史学システムとは変遷しているわけであるから、歴史学から追い出されてしまうのは始めから分かっていたわけである。本来的な歴史学を批判し、新しい「国民」のための歴史学創出を行おうとするばあい、その新しい歴史学が本来的な「歴史学」でなくなるのは、トートロジー的ではあるが、真実である。
 仮に市民運動システムとの「構造的カップリング」が歴史学システム全体を変容させるほど多大なインパクトをもっていたばあい、逆に石母田の方法が歴史学の主流になっていた可能性がある。これも「構造的カップリング」の働きによる。しかし、その場合歴史学システムの外にいる人物からみて、全く異質な「歴史学」システムに変貌している可能性がある。

・科学を「民衆」のものにするためにはあえて非科学的な記述をすることを辞さない態度が「国民的歴史学運動」にあった時点に問題があったと考えられる。I・イリイチは『シャドウ・ワーク』において「民衆のためのサイエンス」science by peopleと「民衆によるサイエンス」science for peopleとを立て分ける。前者は民衆にあてた科学であり、主体は知識人である。一方、後者は民衆自身による科学を訴えた内容となっている。イリイチは前者を批判し、後者の実現を呼びかけている点に注目したい。「国民的歴史学運動」は前者に当たるのはいうまでもないことである。
 ここでイリイチの「民衆のためのサイエンス」と「民衆によるサイエンス」の違いを考察したい。前者の難しい点は「前衛」を名乗るばあい、「民衆によるサイエンス」を理想としても(本章でも問題になっていたことである)、一時的であれ「民衆のためのサイエンス」としての知識人が必要だ、というアポリアを招いてしまう点にある。イリイチ自身が自覚的だったか不明であるが、イリイチと言う知識人自体、「民衆によるサイエンス」を実現するためにアジ的言説を吐いたという意味で「民衆のためのサイエンス」を実行していたといえるからだ。
 つまり、「民衆によるサイエンス」は「民衆のためのサイエンス」なしに成立しえないという問題点をはらんでいる。「前衛」党の存在は「民衆によるサイエンス」をエンパワメントするのが働きだが、制度化しない段階で「前衛」が手を引かなければ結局「民衆によるサイエンス」が育たず、「民衆のためのサイエンス」に終ってしまうのである。

・ 批判的教育学がでてくるのは、我々研究者が無自覚的に行っている実践(プラチック)が現行体制の再生産機能をもってしまう。ただでさえ体制順応的になるからこそ、アップルらはあえて「批判的教育学」を実践したのであった。
 下手をするとマルクス主義的な色がついてしまうため、教育学のメインストリームになれなかったのはこのあたりに由来している。このあたりも、本章と合わせて考察したいと思う。
 社会学者R・Collinsは次のように述べている。
「政治・経済・社会階級は決定的につながっている。なぜなら経済システムは所有をめぐって組織され、所有は階級を定義し、そして所有は国家によって維持されるからである。所有物は所有されているもの自体ではない。所有物が誰かによって所有されるのは、国家が所有者の法的権利を確立し、その権利を保証するためには警察権力、必要ならば軍隊を用いるというかぎりにおいてである」(66)
→研究者や経済人が体制派寄りになってしまう理由である。


[ ] 『生きる思想』確認

参考文献

Illich, Ivan(1981):玉野井芳郎・栗原涁訳『シャドウ・ワーク』岩波書店、2006。
Collins, Randall(1985,1994):友枝敏雄 訳者代表『ランドル・コリンズが語る社会学の歴史』、有斐閣、1997。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考エッセイ(社会イズムないし「中間集団全体主義」についての考察のために、あるいは『滝山コミューン1974』の解釈について)

学校の違和感について。
藤本研一
 学校に通っていた頃、私はつねに違和感を抱え続けていた。例えば授業中。予習をするとその授業の内容は判ってしまうため、「なぜ授業を受けるのか」分からなかった。また受験に出ない教科を勉強する意味を、見出せなかった。数学の時間に日本史をやり、地学の時間に日本史をやり、現代社会の時間に日本史を勉強していたのが私であった。
 学校の違和感には、2つの要素が原因であるように私は考える。ひとつは集団での学習が強制される点、もう一つは内藤朝雄の言う「中間集団全体主義」がクラスで働く点である。

 集団での学習が強制されるのは、「マス」相手の授業である。生徒集団に対し、教員が1人で授業をする。授業を理解でき、知的好奇心を満足させられる生徒ならまだいい。けれど、そうでない生徒にとって授業は苦痛になる。ひとつは授業を理解できない生徒にとって。理解できないからこそ、退屈し寝てしまうか遊び始める(教室を出る者もいる)。もうひとつは授業の内容より先をやっているため、バカらしくて授業を聴けない生徒である。進学校では予備校や独学で先の内容をやっていることが多く、授業は退屈になってしまう。けれど、「全員で授業を受ける」ことが要請されるのが日本の授業だ。
 もともと、学校のクラスでも授業に求める内容は人それぞれ違う。「もっと高度な内容を」求める生徒と、「もっとゆっくり分かりやすくやってほしい」という生徒とでは、需要が異なるのである。また近年流行の「マルチプル・インテリジェンス」(ハワード・ガードナー)という発想が示すように、人それぞれ「理解しやすい」学び方は違う。耳で聞くより声に出す方が理解できる生徒・目からでしか理解できない生徒・とにかく体や手を動かさないと理解できない生徒などが共存する空間において、単一のやり方が通用するはずがないのである。
 けれど、近年の教育における公共性の議論では、「皆と同じ授業を受ける」必要性が要請されているように思われる。マイノリティやブルジョアが特別の学校に行くことは、社会の複雑さに出会うことがないまま成人してしまう危険性がある、と考えられている。佐藤学の「学びの共同体」実践は、多様な他者との対話・恊働による公共性の教育がその一例である。私はこれに胡散臭いものを感じる。「教育って、そんなにすごいものなのか?」と。ムリヤリでも「学びの共同体」で共通に活動をする程度のことで、公共性が学べるものなのか? そのことが、後述する「中間集団全体主義」のいじめを誘発することはないのか? もっと弊害のない方法はないのか? そんなことを議論することもなく、皆が一緒の授業を受けることで公共性を学ばせることが重視されている。確かに、「学びの共同体」のような実践には一定の効果があるのだろう。けれど、それがベストであるかというとそうでもない。その代案はラストに私が書く。
 
 さてさて、学校の違和感についてもう一つの要素である「中間集団全体主義」を見てみよう。内藤朝雄は次のようにまとめている。「各人の人間存在が共同体を強いる集団や組織に全的に埋め込まれざるをえない強制傾向が、ある制度・政策的環境条件のもとで構造的に社会に繁茂している場合に、その社会を中間集団全体主義という」(内藤朝雄『いじめの社会理論』柏書房、2001年、21頁)。日本では学校や会社の中などに中間集団全体主義が入り込んでいる。この中間集団全体主義は共同体の構成員に有無を言わさず強制されるのだ。内藤は学校でのいじめはこの中間集団全体主義により、引き起こされていると述べている。
 『学校が自由になる日』(雲母書房、2002年)の中では、内藤や宮台真司・藤井誠二が日本の学校のなかの中間集団全体主義について語っている。学校では学習するためにクラスメイトの顔色を伺う必要があったり、部活に一生懸命うちこんでいる「ふり」をする必要があったりする。「基本的に、学力の上下と人格の交わりをセットにする学校というシステムそのものが間違っているんです」(307頁)との内藤は発言している。つまり、本来学校では学習をする場所であるにも関わらず、イヤなクラスメイトとも「仲良く」することがないと学べない場所になっているのだ。クラスが学習のための便宜的集団ではなく、生活集団としても組織されている。そのことが学びをするためにクラスメイトの機嫌を見ないといけないという心理状態を引き起こす。
 私もそれを経験した。授業中、積極的に手を挙げたい。しかし、クラスメイトから「目立っている」と言われたくないため手を挙げない。そこからいじめが起る危険性があるからだ。学習効率的に、これほど不合理なことはない(だからこそ、分からない点を質問できるという塾に需要が生まれるのだろう。塾産業は日本の学校が中間集団全体主義のため、学びを行うことが難しいために存在するのかもしれない)。
 中間集団全体主義の例として、『滝山コミューン1974』(原武史、2007年)という作品がある。著者が小学生時代のことを回想して描いた記録だ。小学校のクラスの「自治」が極端にまで成立したときの様子が描かれている(もっとも、この自治は教員が生徒を操りながら作り出したものである点がミソである)。本作のハイライトは、小学校の自治活動に批判的であった「私」が、友人の朝倉に小会議室に呼び出される場面である。引用してみよう。

 小会議室に入ると、代表児童委員会の役員や各種委員会の委員長、4年以上の学級委員が、示し合わせたかのように着席していた。ただこのとき、片山先生や中村美由紀(藤本注 当時のこの小学校の児童会長である)がいたかどうかははっきりしない。
 朝倉はまず、九月の代表児童委員会で秋季大運動会の企画立案を批判するなど、「民主的集団」を攪乱してきた私の「罪状」を次々と読み上げた。その上で、この場できちんと自己批判をするべきであると、例のよく通る声で主張した。
 六八年から六九年にかけての大学闘争では、全共闘の学生が大衆団交やつるし上げを通して、大学のトップや教授に自己批判を強要する「追及集会」がしばしば開かれたが、驚くべきことに、全生研でもこのような行為を「追及」ではなく「追求」と呼び、積極的に認めていたのである。(『滝山コミューン1974』255~256頁)

 学校という中間集団が、一人の児童に「自己批判」を要求する。中間集団全体主義の典型と言える事態であろう。実際は、これほど分かりやすく個人に強要を行うことはないが、集団への帰属を個人に無理やり行わせることが多いという点で、類似する点があるはずである。
 このあと原は自己批判を拒否してドアを開けて逃げる。「「追求」を迫られたのは一度きりで、その後は朝倉が私に何か言ってくることもなかったのものの、校庭で4年の学級員から石を投げられたときにはさすがに愕然とした。私はまるで、学校全体を敵に回したような気分に陥り、特に七五年に入ってからは、受験勉強のためと称して学校を時々休むようになった」(258頁)。中間集団が個人を排斥するのである。

 注目すべきは朝倉という存在である。朝倉は以前、原と親しい友人であった。そんな朝倉が、豹変したように原を吊るし上げの場に呼び寄せる。人間を変化させる中間集団全体主義の恐ろしさである(本書で何度も「違和感」という言葉が出てくる。学校の違和感を探るにあたり、本書は重要な書物であろう)。 

 以上、学校の違和感の理由として集団での学習がある点と、中間集団全体主義が存在する点を見てきた。両者は相互に関係し合い、いまの学校のクラスで学習を行うことが難しいことを示している。
 私はこの状況の改善には、個別学習が必要であると考える。それは、人それぞれ教育に要する需要が異なるためである。またクラスの解体も必要であろう。大学のように、授業ごとに生徒が集まるようにするのである。都立・山吹高校のように、無学年・単位制の学校も存在する。
 中間集団全体主義が広がる日本の学校において、学びを成立させるためには授業選択制も必要となるであろう。クラスの中に学びを閉じ込めてはならない。