2010年4月29日木曜日

「内職」の研究。

 授業中、関係ない科目を勉強すること。生徒の間では「内職」と呼ばれる行為である。なぜか教員は「内職」を目の敵にし、内職をする生徒を叱る。

 学校という空間において、なぜ「内職」という生徒文化が発生したのだろうか。なぜ生徒は「内職」をするのだろう。私が高校時代に常に内職をし続けたがゆえに、その点に非常に興味がある。そのため、現在の大学生に高校時代のことを振り返ってもらいつつ、調査を行いたいと考えている。


●先行研究:CiNiiで調べたところ、学校における内職の実態についての調査は存在せず、大学の授業改善の論文内で「内職を禁止させる」ものとして桜井の論部と川口の論文が紹介されているだけである。(桜井芳生 メディアのダーウィニアン社会学序説--IT時代における「内職・私語封じ」にもなる「大学授業改善(FD)テクニック」の紹介もかねて  地域政策科学研究、川口啓子 学生参加型授業の試み : 2005年度「福祉経済論」における学生たちの多彩な報告 大阪健康福祉短期大学紀要)

 それゆえ、今回は大学以前の段階での「内職」の実態を探る調査を行うことに意義があると考えられる。


 後述するアンケートを大学生に配布し、高校時代を振り返る形で調査を行えればと思っている。


●今後の問題意識としては、


「内職」という語は、いつ登場したか。

「内職」を、教員はどのように扱ってきたか。

「内職」を、なぜ教員は叱るのか。


…を研究していきたいと思っている。


●私の内職体験について。


 「内職」という文化の存在を知ったのは和田秀樹の受験勉強術についての本であった。中学生の頃である。受験に関係のない科目は内職をして勉強時間に変えろ、などの主張が印象的であった。私が内職を始めたのは高校1年生から。大学の付属校であるため、大部分がそのまま系列大学に進学するが、私は初めから外部の大学への進学を希望していた。そのために受験勝利を目指し、ひたすら授業中は内職をしていた。

 各種問題集を説き、単語帳(英語・国語)を開き、授業を半分聴きつつ勉強していた。そのように熱心にやることが「真剣さ」の証であると考えていた。

 結果的に、第五志望の早稲田大学教育学部に現役合格。これは内職のお陰なのか、内職をしたために「第五志望」合格であったのか、未だによく分かってはいない。


●アンケートの中身について。


以下の内容を考えている。以下、引用。


//////////////////////////

 「内職」に関するアンケート。


①あなたは学校で内職をやっていましたか?


はい/いいえ


②「はい」と答えた方に質問します。


⑴いつごろから、内職をはじめていましたか。

小学校から/

中学校1年から/2年から/3年から/

高校1年から/2年から/3年前期(4~9月)から/3年後期(10~3月)から


⑵どのような「内職」をしていましたか(複数回答可)。

あ:授業中に単語カードを読む

い:授業中に授業科目の参考書を読む

う:授業中に授業科目以外の参考書を読む

え:授業中に授業科目の問題集を解く

お:授業中に授業科目以外の問題集を解く

か:授業中に授業に関係しない本(小説・新書など)を読む

き:授業中に授業に関係しない雑誌(漫画・週刊誌など)を読む

く:その他


⑶「その他」と答えた方に質問します。具体的には、どのように内職をしていましたか。




⑷内職をしていたのは何故ですか。

あ:受験勉強を進めるため

い:授業がつまらないため

う:暇であったため

え:授業についていけないため

お:教員が嫌いだったから

か:友人が内職をしているから/内職を薦めるから

き:その他(内容をお書きください                )


⑸内職をしていた教科は何ですか(複数回答可)。

英語(リーディング)/英語(オーラルコミュニケーション・文法)/英語(ライティング)/数学1・A/数学2・B/数学3・C/現代文/古典/漢文/日本史/世界史/地理/倫理/現代社会/政治・経済/物理/化学/生物/地学/保健・体育/家庭/芸術/総合学習


⑹内職をして、教員に見つかったことはありますか。


ある/ない


⑺⑹で「ある」と答えた方に質問します。

その際、教員の反応はどうでしたか(複数回答可)。

あ:叱られた

い:黙認された

う:その他(具体的にご記入ください                   )



③あなたについてお答えください。

⑴あなたの出身高校はどちらですか。

国立/公立/私立


⑵あなたの出身高校名をお教えください(任意)。


       高校    科


⑶あなたの大学はどちらですか(任意)。


      大学       学部     年


ご協力、ありがとうございました。



2010年4月28日水曜日

 学校の違和感について。

 学校に通っていた頃、私はつねに違和感を抱え続けていた。例えば授業中。予習をするとその授業の内容は判ってしまうため、「なぜ授業を受けるのか」分からなかった。また受験に出ない教科を勉強する意味を、見出せなかった。数学の時間に日本史をやり、地学の時間に日本史をやり、現代社会の時間に日本史を勉強していたのが私であった。

 学校の違和感には、2つの要素が原因であるように私は考える。ひとつは集団での学習が強制される点、もう一つは内藤朝雄の言う「中間集団全体主義」がクラスで働く点である。


 集団での学習が強制されるのは、「マス」相手の授業である。生徒集団に対し、教員が1人で授業をする。授業を理解でき、知的好奇心を満足させられる生徒ならまだいい。けれど、そうでない生徒にとって授業は苦痛になる。ひとつは授業を理解できない生徒にとって。理解できないからこそ、退屈し寝てしまうか遊び始める(教室を出る者もいる)。もうひとつは授業の内容より先をやっているため、バカらしくて授業を聴けない生徒である。進学校では予備校や独学で先の内容をやっていることが多く、授業は退屈になってしまう。けれど、「全員で授業を受ける」ことが要請されるのが日本の授業だ。

 もともと、学校のクラスでも授業に求める内容は人それぞれ違う。「もっと高度な内容を」求める生徒と、「もっとゆっくり分かりやすくやってほしい」という生徒とでは、需要が異なるのである。また近年流行の「マルチプル・インテリジェンス」(ハワード・ガードナー)という発想が示すように、人それぞれ「理解しやすい」学び方は違う。耳で聞くより声に出す方が理解できる生徒・目からでしか理解できない生徒・とにかく体や手を動かさないと理解できない生徒などが共存する空間において、単一のやり方が通用するはずがないのである。

 けれど、近年の教育における公共性の議論では、「皆と同じ授業を受ける」必要性が要請されているように思われる。マイノリティやブルジョアが特別の学校に行くことは、社会の複雑さに出会うことがないまま成人してしまう危険性がある、と考えられている。佐藤学の「学びの共同体」実践は、多様な他者との対話・恊働による公共性の教育がその一例である。私はこれに胡散臭いものを感じる。「教育って、そんなにすごいものなのか?」と。ムリヤリでも「学びの共同体」で共通に活動をする程度のことで、公共性が学べるものなのか? そのことが、後述する「中間集団全体主義」のいじめを誘発することはないのか? もっと弊害のない方法はないのか? そんなことを議論することもなく、皆が一緒の授業を受けることで公共性を学ばせることが重視されている。確かに、「学びの共同体」のような実践には一定の効果があるのだろう。けれど、それがベストであるかというとそうでもない。その代案はラストに私が書く。

 

 さてさて、学校の違和感についてもう一つの要素である「中間集団全体主義」を見てみよう。内藤朝雄は次のようにまとめている。「各人の人間存在が共同体を強いる集団や組織に全的に埋め込まれざるをえない強制傾向が、ある制度・政策的環境条件のもとで構造的に社会に繁茂している場合に、その社会を中間集団全体主義という」(内藤朝雄『いじめの社会理論』柏書房、2001年、21頁)。日本では学校や会社の中などに中間集団全体主義が入り込んでいる。この中間集団全体主義は共同体の構成員に有無を言わさず強制されるのだ。内藤は学校でのいじめはこの中間集団全体主義により、引き起こされていると述べている。

 『学校が自由になる日』(雲母書房、2002年)の中では、内藤や宮台真司・藤井誠二が日本の学校のなかの中間集団全体主義について語っている。学校では学習するためにクラスメイトの顔色を伺う必要があったり、部活に一生懸命うちこんでいる「ふり」をする必要があったりする。「基本的に、学力の上下と人格の交わりをセットにする学校というシステムそのものが間違っているんです」(307頁)との内藤は発言している。つまり、本来学校では学習をする場所であるにも関わらず、イヤなクラスメイトとも「仲良く」することがないと学べない場所になっているのだ。クラスが学習のための便宜的集団ではなく、生活集団としても組織されている。そのことが学びをするためにクラスメイトの機嫌を見ないといけないという心理状態を引き起こす。

 私もそれを経験した。授業中、積極的に手を挙げたい。しかし、クラスメイトから「目立っている」と言われたくないため手を挙げない。そこからいじめが起る危険性があるからだ。学習効率的に、これほど不合理なことはない(だからこそ、分からない点を質問できるという塾に需要が生まれるのだろう。塾産業は日本の学校が中間集団全体主義のため、学びを行うことが難しいために存在するのかもしれない)。

 中間集団全体主義の例として、『滝山コミューン1974』(原武史、2007年)という作品がある。著者が小学生時代のことを回想して描いた記録だ。小学校のクラスの「自治」が極端にまで成立したときの様子が描かれている(もっとも、この自治は教員が生徒を操りながら作り出したものである点がミソである)。本作のハイライトは、小学校の自治活動に批判的であった「私」が、友人の朝倉に小会議室に呼び出される場面である。引用してみよう。


 小会議室に入ると、代表児童委員会の役員や各種委員会の委員長、4年以上の学級委員が、示し合わせたかのように着席していた。ただこのとき、片山先生や中村美由紀(藤本注 当時のこの小学校の児童会長である)がいたかどうかははっきりしない。

 朝倉はまず、九月の代表児童委員会で秋季大運動会の企画立案を批判するなど、「民主的集団」を攪乱してきた私の「罪状」を次々と読み上げた。その上で、この場できちんと自己批判をするべきであると、例のよく通る声で主張した。

 六八年から六九年にかけての大学闘争では、全共闘の学生が大衆団交やつるし上げを通して、大学のトップや教授に自己批判を強要する「追及集会」がしばしば開かれたが、驚くべきことに、全生研でもこのような行為を「追及」ではなく「追求」と呼び、積極的に認めていたのである。(『滝山コミューン1974』255~256頁)


 学校という中間集団が、一人の児童に「自己批判」を要求する。中間集団全体主義の典型と言える事態であろう。実際は、これほど分かりやすく個人に強要を行うことはないが、集団への帰属を個人に無理やり行わせることが多いという点で、類似する点があるはずである。

 このあと原は自己批判を拒否してドアを開けて逃げる。「「追求」を迫られたのは一度きりで、その後は朝倉が私に何か言ってくることもなかったのものの、校庭で4年の学級員から石を投げられたときにはさすがに愕然とした。私はまるで、学校全体を敵に回したような気分に陥り、特に七五年に入ってからは、受験勉強のためと称して学校を時々休むようになった」(258頁)。中間集団が個人を排斥するのである。


 注目すべきは朝倉という存在である。朝倉は以前、原と親しい友人であった。そんな朝倉が、豹変したように原を吊るし上げの場に呼び寄せる。人間を変化させる中間集団全体主義の恐ろしさである(本書で何度も「違和感」という言葉が出てくる。学校の違和感を探るにあたり、本書は重要な書物であろう)。 


 以上、学校の違和感の理由として集団での学習がある点と、中間集団全体主義が存在する点を見てきた。両者は相互に関係し合い、いまの学校のクラスで学習を行うことが難しいことを示している。

 私はこの状況の改善には、個別学習が必要であると考える。それは、人それぞれ教育に要する需要が異なるためである。またクラスの解体も必要であろう。大学のように、授業ごとに生徒が集まるようにするのである。都立・山吹高校のように、無学年・単位制の学校も存在する。

 中間集団全体主義が広がる日本の学校において、学びを成立させるためには授業選択制も必要となるであろう。クラスの中に学びを閉じ込めてはならない。

 この内容は、少しずつ改訂していく予定である。

 以上。

2010年4月25日日曜日

イヴァン・イリッチ著、金子嗣郎訳『脱病院化社会 医療の限界』晶文社クラシックス、1998年

 フーコーの関係で言うと、「生涯教育」は一生涯のディシプリンである。恐ろしいことであり、人間はいつまでたっても自由に/わがままに生きることができなくなってしまう。

 イリイチはこう語る。もともと、教育の場では限られた場所(学校)で限られた時間に、限られた教科の手ほどきをうけるために教師の前にさらされていたが、「新しい知識の商人はいまや世界が自分の教室だと考える」(197頁)。たえず「学び続ける」ことが強制されるのだ。一見、自律的に見えるが「ムリヤリ」やらされる自主学習であることを見落としてはならないはずだ。イリイチは続ける。「教科の教師は自ら教科をあえて学ぼうとする非学生のみを資格なきものとすることもできたが(藤本注 これも、非常に皮肉で面白い。自発的に学ぶ学生はもはや学生ではないのだ)、一生、くりかえされる「教育」「自覚化」「感性訓練」「政治化」の新しい管理者は、自分が同行しない行動様式をすべて一般大衆の眼の中で貶めようとするのである」(197~198頁)。「一生、くりかえされる「教育」「自覚化」「感性訓練(フーコーの「規律・訓練」だ)」「政治化」」というのは、まさに生涯学習や生涯学習の批判になるものだ。本来、学びは勝手にやるものである。やらなくても別に構わないものだ。それが本田由紀のいうポスト産業社会型スキルでは常に学び続ける姿勢やモチベーションや「さわやかさ」が求められる。人々が無理矢理学ばされ、それを「生涯学習」という美談でまとめてしまっている。恐ろしきことではないか。


イヴァン・イリッチ著、金子嗣郎訳『脱病院化社会 医療の限界』晶文社クラシックス、1998年

かつてない危機。

 アニメ映画では必ず主人公たちが「かつてない危機」に陥る。それがTVで紹介されるのを見て、視聴者は劇場に向かう(そして観客になる)。人々は「かつてない危機」に弱いのだ。体制が崩れるというカタストロフィーこそが、「一体どうなるのだろう」という不安と同時にカタルシスをもたらすのである。


「かつてない危機」が日常にはない(リストラされるまではリーマンショックはショックではない)。ゆえにアニメという一見平和に見える手段を通して、人々は「かつてない危機」を求めにいくのである。決してアニメは「アニメ的日常」の延長を映画のなかで行うことはしない(そんなことをするのは「水増ししたテレビ」である)。

2010年4月22日木曜日

環境教育は本当に必要か?

 環境教育について、昨日大学院の授業の中で議論になった。方法論についてが問題となるなか、私は「そもそも環境教育は不要ではないか」という発言をし、非常に「浮いた」存在となった。皆が思うほど、環境教育の自明性は確立していないのではないかと感じたために私は質問をしたのであった。

 いま地球環境は悪化している。「だから」環境教育をしないといけない。どの論者の意見にも、この論理が含まれている。私はそれに対し、「なんで?」と感じる。地球環境の悪化はよくわかる。ではなぜ環境教育の実践が必然となるのだろう。

 学校「教育」にはお金と時間がかかる。「やったほうがいいこと」と「やらなければならないこと」を区別し、優先順位の高い「やらなければならないこと」に費用と時間をかけていくことが必要となる。環境教育を、多くの人は「やらなければならないこと」だと認識しているため、私の昨日の発言は「浮いた」ものとなるのだろう。私の認識では環境教育なんて所詮は「可能なら、やったほうがいいこと」である。お金と時間が余っていたらやろうかな、のレベルである。

 例えば、私も習った高校の「現代社会」教科書にはインフォームドコンセントという言葉があった。これを言葉だけで知っているだけでなく、実際に行うという体験学習をしたほうが生徒には深く理解することができる。でも、それをやらない。何故か? 必要性が低いと感じられているためである。それでも、人によっては「やるべきだ」という論者もいる。
 「ノーベル賞取得者を増やす教育を」という提言も、一昔前に出された。これは実践もされないままに忘れ去られようとしている。何故か? これも必要性が低いと感じられたためである。
 私は納得できないが、環境教育はどこかの時点で人びとに「必要性が高い重要な教育だ」との合意が形成されてしまったのだろう。ただ憂えるべきは実際に教育を受ける側が、たとえ嫌がったとしても「環境教育」を受けなければならないということなのである。

 環境教育において、これを学校で行う限り、「反環境」的意識を持つ人びとは排斥をされるか悪い評価を与えられてしまう。個人の心情を教育機関が「評価」し、価値付けを行ってしまう。環境教育のように、目指すべき方向や結論がハッキリしたものを学校で行うことは茶番のような気がしてならない。
 

2010年4月16日金曜日

フリーについて。

いまパソコンで文章を打っているが、これを誰かが盗み見て管理することは可能である。いまの技術では人間の興味関心をgoogleが管理し、その人向けの広告を提示する。苫米地も言っているが、無料で(フリーで)何かを得るということはその分自由を喪失することになるのだ。そして、この無料による支配は国家がかねてより行っていたことなのだ。
 たとえば無料の学校制度。近代公教育の3つの前提は①義務制、②無償性、③宗教的中立であった。②の「無償性」がなぜできるかというと、それは国民を国家が統制するためである。もっと言えば近代的な「国民」を作り出すために、おこない始めたのが公教育なのである。この「国民」は近代社会の労働にも耐え、「国家」という幻想の共同体思想を信じるという人々のことである。つまり、無償で行ってもその分のリターンがあると信じているために無償性の教育制度ができたのだ。決して、啓蒙的精神を人々に与えるためや「子どもの幸福のため」にできた制度ではない。
 そこから考えれば、国家がフリースクールなどのオルタナティブスクールを恐れる理由がよくわかる。なぜならばわざわざ「無償」で提供している公教育を否定して「ここに本当の学びがある」「本当の教育がある」と訴えかけるからである。どんどん国家の策略が崩れていってしまう。故に国家としてはフリースクールは廃止したい。けれどそうしないのは、「不登校」という現象の方が、国家にとってはより深刻な「公教育否定」であるからだ。わざわざ無償にしているのに、登校しないなんてどういうことだ、と。
 ちなみに、1999年にはイギリスのサマーヒル・スクール(フリースクールの本家)は廃止されそうになり、抵抗を示すことで存続できることとなった。国家は廃止のタイミングを目指している。

2010年4月11日日曜日

里見実『学校でこそできることとは、なんだろうか』太郎次郎社エディタス、2005年

 本書は近代学校教育を批判するという「よくある」本である。けれど、1点違うのは〈「学校」がダメなのはよくわかるが、逆に学校でこそ出来ることはいったいなんであろうか〉という点である。著者はデューイやフレネの行う経験主義に基づく学校教育のなかに、今後の「学校」教育のヒントを求めている。

個のレベルでの学びを大胆に追求した教育実践家たちの多くは、学習の個別化と学びの共同性の追究を、二律背反のこととは考えていない。一方の深化は他方の深化をうながすのだ。(47頁)

クラスをもった教師たちがまず最初にとりくむのは、学級づくりであり、あたたかで協力的な子どもの関係性をつくりだすことだ。勉強そのものよりも、この子どもの関係づくりに教師は自分をかけているといっても過言ではないだろう。それがなければ「勉強」も進捗(石田注 しんちょく)しないことを熟知しているからである。(51頁)

たんなる情報蓄積型の学習ならば、共同性は、おそらく無用であろう。昨今、学力向上の名目で、いわゆる「学習の個別化」、そのじつは「学習の一律化」が推奨されるのは、その学力観が徹底的に情報蓄積型であり、同化・吸収型であり、預金型であるからだ。こうした学習像の行きつくところ、それは、電子メディアによる「学習の個別化」の徹底、その「能率」化、すなわち学校の解体であると思われる。そうした「ポスト学校」社会へのシフトは、教育産業だけでなく、今日の学校の内部で、すでにはじまっているといってよいだろう。
 だからこそいま、学校で何が可能かを、われわれは深刻に問わなければならないのだ。(52頁)

→「銀行型教育」はフレイレが批判した概念である。「銀行型教育概念にあっては、知識は、自分をもの知りと考える人びとが、何も知っていないとかれらが考える人びとに授ける贈物である」(フレイレ『被抑圧者の教育学』67頁)。このとき生徒は教員の言葉を頭の中に「預金」するのみであり、その預金を活用することがない。教員―生徒の間に「対話」は成立しない。ゆえにフレイレは「課題提起教育」という教員―生徒間の「対話」が成立する教育法を提唱したのであった。そのときに「生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師teacher-student with students-teachersが登場してくる」(同81頁)。

習熟主義的な「学力向上」は、最終的には学校否定に行きつくことになるのではないかと、ぼくは思っています。つまり、それは学習を本質的に利己的なもの、個人主義的なものとしてとらえていて、他者とのやりとりのなかで解発され、高められていく場のなかの行為としてはとらえられていないのです。となれば、学習の成否を一義的に規定するのは、その子どものアタマのよさ、遺伝子的に決定された知的能力といったようなものになっていくでしょう。それはなんとも「貧しい」学習ではないでしょうか。(199頁)

→ここで里見が言う点は、非常に重要な概念である。正統的周辺参加論legitimated peripheral participationを思い起こす。「徒弟制度などの下で、新参者が当該の実践的共同体の営みに参加することを通して、古参者からその知識や技能を修得していく過程を学習論として一般化した理論である。この理論によって、文脈を欠いた知識や技能を個々に獲得するのではなく、本物の実践を組織することで状況の文脈に埋め込まれた学びを共同的に展開することの重要性が指摘された」(浜田寿美男「正統的周辺参加論」、佐伯胖編『「学び」の認知科学事典』大修館書店、2010年、118頁)。「学び」は個人的プロセスである点は否めないが、集団内だからこそ学べる点もあるのである。それが「暗黙知」であったり、「こつ」であったりする。
*『「学び」の認知科学事典』より、暗黙知について。「暗黙知(tacit knowledge):実戦的経験からインフォーマルに獲得された非言語的な知識。学校や書物を通して教えられる形式的、言語的な知識と対比される」(楠見孝「大人の学び」、同書257頁)。
 なお、解発とは「特定の反応または行動が一定の要因によって誘発されること」(『広辞苑』第5版)。

事物とかかわり、また他者と恊働する場を保障しないかぎり、個人の成長もまた期待しがたい。社会成員としての人間の成長と個人の個性の開花を、デューイは二項対立と考えませんでした。それを対立項にしてしまう社会と教育のありかたこそが問われなければならないのです。(205頁)


 最後に、後学のための引用。

約束の土地であった西部のフロンティアが消滅した十九世紀の後半以降、学校が新しい「西部」として登場したと、『アメリカ資本主義と学校教育』の著者、S・ボウルズとH・ギンタスはいう。学校の階梯をよじのぼることによって、貧困や肉体的苦役から個人は解放されると期待された。そしてこの競争は、すべての者にたいして均しく開かれており、チャンスは平等で公平でなければならなかった。それこそがアメリカの民主主義の証たるべきものであった。(18頁)

2010年4月5日月曜日

山口昌男『いじめの記号論』(岩波現代文庫、2007年)


柳田国男は、子供は彼ら自身の独立国、共和国を築いていたといういい方をしています。ガキ大将もいたけれども、子供は仲間で遊ぶ。お互いに学校に行くようになっても、だいたいその圏内にある全員が面倒を見合う。子供組というきっちりした関係でなくても、子供たちにはいわば自主的な遊び仲間があったといっています。そのなかである程度いじめられるかもしれないけれども、それは鍛えるという意味があって、陰湿ないじめではなかった。(92頁)

 かつての子どもコミュニティを≪子どもの共和国≫と呼んでいたセンスを、私は興味深く思う。この共和国は大人が作ったものではなく、子どもたちが自然発生的に作り上げたものだ。
 子どもの共和国はおそらく、構成員を少しずつ変えながら変遷してきた。橋本治の『勉強ができなくても恥ずかしくない』(1)には、そんな子どもの共和国が描かれている。その中では中学生になると、そのコミュニティから去るというプロセスが描かれていた。気付けば参加していて、やがていなくなる。子どもの共和国の構成員は流動的なのだ。地方では子どもの共和国をさかのぼると自分の父母や祖父母、そのまた前の先祖、地域に人が住み始めたころまでさかのぼれるものもあるかもしれない。

たとえばすぐ塾へ行かなくちゃいけない。塾は、仲間をつくるためではなくて、仲間をつくらないために行くところでもあるわけです。子供の遊び仲間の代替物にはなりません。遊びの塾までができるような世の中では私のいうことは通用しないのかもしれません(93頁)


 山口の言うことは、以前私が書いた『子どもにとって「夕暮れ」とは何か?』と関連があるように思われる。仲間を作るという働きを奪うために、あえて塾に行かせる。「地域の子と遊んじゃ駄目よ」といいつつ。地域の多様な子ども集団(これも郊外化で大分幻想になってきたが)でなく、「塾」という同質の集団内にいさせようとする。子どもが異質な他者と出会う場を奪っているのだ。私が「夕暮れを子どもから奪ってはいないか」というのは、夕暮れが子どもが他者(地域の子どもや大人、異界など)と出会う時間帯であったからである。

 …まあ思うのは、「ガキ大将」も神話だったのではないかという点である。日本全国どこでもガキ大将はいたのか? そんなことはないだろう。いるように皆が信じているから、いたように感じられるのではないか。同様に、「ガキ大将を中心にした子ども社会があった」と聞くことがあるが、これも一種の神話あるいは都市伝説だったのではないだろうか。

 あと「子供組」はあくまで子どもの自発性から生まれた概念であるが、現在の「子ども会」は大人が中心に作ったものだ。ともすると、大人が押しつける子どもコミュニティになってしまう。小学生の時、少年野球チームの名前に「中町スポーツ少年団」というものがあった。スポーツをする集団を大人が無理に作ってはいなかっただろうか、と思うのである。
 この件が重要なのは、よく「教育活性化」と称して大人が子どものために何らかのコミュニティを作りだすことがある。あるいは自分がやりたいからと言って、「フリースクール」を作る者もいる。子どもの内発性に基づかず、外発的な集団。確かに成功して子どもが喜ぶこともあるが、子どもの自主性に応じていないため子どもの興味がなくなることもままある。そんなとき、大人は「こんなに俺が頑張っているのに、何故この子は楽しまないのだ」とフラストレーションがたまる。小学生の少年野球時代、えらく理不尽にコーチから怒られていたことを思いだす。〈コーチたちは楽しみのために野球をやっているのかもしれないけれど、僕は小学校の皆が野球チームに入っているから仕方なくやっているだけなのだ。どうしてそんなに怒られないといけないのだ〉と感じつつ、プレーをしていた。
 大人が自らの興味に基づいて「子どものため」と称して何かをするのは間違いではないか。子どもの内発性を信じようではないか。子どもに自由を与え、そこから出てくるものを採用することこそ、これからの時代にふさわしいのではないだろうか。 

2010年4月4日日曜日

なぜ妖怪物語の舞台が高校に移ったのか?

 『かのこん』というアニメを見た。主人公・小山田耕太(おやまだ・こうた)はいつも源ちずると犾森望(えぞもり・のぞむ)という「恋人」たちに振り回されるという単なるラブコメ(ただしR指定が付く)。ちずるも望も実は「妖怪」で、物語の裏テーマに妖怪との共生が描かれている。
 観ていて一つ気づいたことがある。それは《妖怪の出る高校》が舞台である点だ。

 90年代後半に連載されていた『地獄先生ぬーべー』と『かのこん』は非常に似ている。妖怪の出てる学校が舞台で、登場人物達はその妖怪に振り回され、主人公の活躍で妖怪が退治される、というストーリー運びに共通性が見られる。違うのは『ぬーべー』が小学校が舞台なのに対し『かのこん』は高校が舞台であるという点だ。

 昔から妖怪と出会う物語の主人公は、学齢期以前か小学校の年代の子どもであった。座敷童が見えるのは小学生低学年ごろまでであった。『となりのトトロ』では二人姉妹がトトロという妖怪(と言って悪ければ異界の存在)と出会う物語であり、『ゲゲゲの鬼太郎』は鬼太郎と小学生たちの交流を描いた物語であった。
 一昔前は妖怪が見える(言葉をかえるなら「異界と出会える」)のは小学生までの子どもであった。けれど『かのこん』において妖怪と出会うのは高校生。段々と妖怪と出会う物語に出てくるキャラクターの年齢が上がってきているのだ(アニメ化されると言うことは「高校生が妖怪と会うなんてありえない」と言う声よりもこの舞台設定を受けいれる読者が多いということを意味する)。
 昔、妖怪を含め「異界」と出会うのは文字通りの「子ども」のみであった。彼らはよく世の中を理解できないため、説明不可能なものを「妖怪」と感じたこともあっただろうが、「子ども」でしか見えない/出会えない世界があった。それが「異界」であり、「妖怪」であった。異界は成長するにつれて、段々見えなくなっていく。そのため、以前ならば中学校以上を舞台にした「異界」「妖怪」ドラマは成立しなかった(というか、読者というオーディエンスの側が受容したがらず、物語が作られることがなかった)。いま『かのこん』という高校を舞台にした妖怪ドラマが存在しているということは、その分、妖怪の存在を受容する年齢が上がってきたことを意味しているのだろう。

 いまのところ、「大学」に異界が広がるアニメやドラマは存在しないように思える。しかしそれも程度問題である。知らない間に大学を舞台にした異界との出会いを描く物語が登場することだろう。そうなったとき、日本人の「幼稚化」はさらに進むであろう。
 あるいは異界と現実が混じり合っていた中世に逆戻りするのかもしれない。ポストモダンとを中世回帰のように認識する人もいるが、それこそ日本の未来の世界ではないだろうか。
 スピリチュアルな言動を見聞することが最近多いが、「異界」との出会いを人々が求めている証拠と言えなくもない。

追記

 民俗学では「妖怪が見える」ことを非科学的だ、と批判することはない。「なぜ妖怪談義が語られるか」に問題意識を持つ。同様に「何故子どもは妖怪物語の主人公になるか」と言えば、それは子どもという存在がカオスに包まれた存在だからである。

再帰

 冒頭の「妖怪との共生」について。
 本作では耕太少年はちずるという先輩に振り回されつつも彼女を受容し、彼女を愛そうとする。それが「妖怪」との恋愛であることを百も承知で、耕太は日々生活を送っていく。ちずるの「母」たちが耕太少年へのテスト(結婚することを見越した上で、ちずると耕太を結婚させるべきか否かのテスト)を行っても、耕太とちずるの仲は深まっていく一方であり、周囲からも承認を得られていく。
 多文化共生社会となった昨今、我々は異質な「他者」と共生を余儀なくされる。ちずるが「妖怪」であることは、「他者」概念の比喩なのではないか。つまり、他者との共生を「妖怪との共生」に置き換えることで、このドラマは急に現代的テーマを持ってくるのである。
 映画『ビッグ・ファット・ウェディング』には保守的ユダヤ社会と陽気なギリシャ社会との「共生」の困難さとそのダイナミズムが描かれる。『ビッグ・ファット・ウェディング』では新郎側が在米ギリシャ人コミュニティに加わることで共生(ここでは結婚)を実現していた。結婚することが決まっても、共生をスムーズに行うためあえて時間をかけて新郎側と新婦側が交流をしている。『かのこん』でも「新郎」である耕太少年が妖怪社会を受容することで源ちずるとの共生を実現させようとしているのである。その受容と妖怪コミュニティからの「承認」には時間がかかるため、本作(アニメ版)では「一線を超える」ことなく恋愛関係を続けている。
 結論。「共生」にはコミュニティへの受容が必要である。そして受容され「承認」されるには時間が必要である。下手をすれば結婚を決めるまで以上に時間がかかることもあるが、それを素っ飛ばして結婚しても、結局はうまくいかない。
 従前は親やコミュニティが結婚相手を決めていた。その際、新郎側と新婦側のコミュニティの間に受容と承認のプロセスが存在していた。結婚が「愛し合う二人の問題」になった現在、新郎・新婦両コミュニティの承認なく結婚関係を行うことが多くなった。『かのこん』や『ビッグ・ファット・ウェディング』は、異文化を持つ相手と結婚をする際には両コミュニティとの間で受容と承認のプロセスを持つべきであるということを描いた作品なのである。

内発的意志と外発的意志

 子どもに自由を認めるとは、失敗する自由も含めての発想である。
 たとえ失敗してその人のためにならなかったとしても、「外発的に与えられたものに人は納得しない」ということを肝に銘じなければならない。内発的な意志による決断でないと、「あのとき、自分の本当に行きたかった道を選べば良かった」と後悔することになる。

 進路選択。四大に行ける「学力」を備えた高校生が「職人になりたいから大学に行かずに就職する」ということを言い出しても、「いや大学は行っといたほうがいいよ」と教員は邪魔をする。親からも「社会」からもそういわれ、結果「やっぱそういうものかな」と大学受験をしてしまう。
 やがて大卒でサラリーマンになった彼は、満員電車に揺られ、外の景色を見つめている。或るとき線路沿いに見える個人経営の店を見つける。そこで働く職人たち。「俺も、あの道を選んでいても良かったんじゃないかな」とふと思う。その時、10数年の時を経てあの進路指導室での一コマが頭によぎるのである。

 無論、自分で道を選んだ結果、失敗することもある。けれど自分で選んだことであるならそれなりに納得できるはずだ。外発的な動機で道を選択した場合、ルサンチマンだけが高まっていく。
 
追記1

 これに近い状況は、大学院に行くか行かないかの選択時にもある。
「君くらいの学生なら、院で研究をしたほうがいいんじゃないか」
 仮にそういわれても、いい内定先を得ているなら学生は迷わずに企業に向かう。

 大学院に行くかどうかの選択時と同じ状況が、高校の進路指導の際に起きれば面白いのだが。


追記2

 この話にはさらに反論が可能である。
 twitterに流れていたが、2ちゃんねる管理人のひろゆき氏が「若者の起業は失敗しやすい」という旨で文章を書いていた。それへの反応として「いや、これはひろゆき氏のフリであって、《こんな文章を読んで起業を諦めるのなら、起業してもまずうまくいかない》というメッセージを伝えているだけなのだ」、というものがあった。本文中の進路指導室の話はまさにそれである。「この道はやめとけよ」と言われても、《にもかかわらず》自分で道を選ぶという姿勢が重要なのだ、と言うことも可能である。

奥地圭子『学校は必要か』NHK出版、1992

 東京シューレが出来て7年目に出た本。その時点での奥地の著書に『女先生のシンフォニー』(これは教員時代の1982)、『登校拒否は病気じゃない』・『東京シューレ物語』・『さよなら学校信仰』・『お母さんの教育相談』・『登校拒否なんでも相談室』があり、手記収録に『学校に行かないで生きる』・『学校に行かない子どもたち』がある。シューレ発足からわずかの間にかなりの関連書が出されていることがよく分かる。当時、東京シューレという存在は非常にもてはやされた。現在はあちこちに「フリースクール」が出来たため、東京シューレそれ自体への注目度は人々の間で下がったのではないか。
 「不登校」と言わずに「登校拒否」と言っている所に時代を感じる(奥地が後に書いた本は『不登校という生き方』である)。

 本書は「学校離れを起こしている子どもたちを『直そう』とするのではなく、子どもが背を向けていく学校を問い直すことの方が必要である」(222頁)との発想から《「どんな学校なら必要か』を考えてほしいという問題提起》を起こす、という目的のもとで書かれている(あくまで目的の一つであるが)。学校へ行くことで個性が失われたり、子どもが無気力になったり、(いじめなどで)傷ついたりしてしまう。それでも大人(親・教師・一般人)は「それでも学校へ行け」と子どもを責める。重要なのは学校のあり方を考えることであるにもかかわらず、子どもをムリに学校に適合させようとする。これはベッドに合わせて人を引っ張って伸ばしたり、足を切断したりするというプロクルステスのベッドと同じである。

 印象深い点を引用。

東京シューレをやるようになって、はっきりと見えてきたことだが、教師時代の研究授業や研修の方向は、四十人なら四十人の子ども全員を、一斉に、四十五分間いかにこっちを向かせるかの技術訓練だったのだと思う。(73頁)

子どもは何らかの強制力がないと勉強しないものだ、学ぶはずがない、だから子どものやる気を待っていてはダメで、大人が何かやらせないと、楽なほう(やらないほう)に流れるに決まっている、それでは生きていけるようにならない、と思っている大人は実に多い。「でもそれは違う」という私の考えはまちがっていなかった、と東京シューレ七年の実践で思えるのはうれしいことだ。(89頁)

 奥地が指摘する点、結構多くの人が話す内容である。子どもに自由を与えるのは危険だ、などなど。これ、子どもを不信の目で見る立場である。ニイルほど信用するのも危うい気がするが、それでも現在の日本では子ども(さらに言うなら若者)への根強い不信感が漂っているようである。だから子どもを縛るためにココセコムやら改札を通るたびの「お知らせメール」やらの技術開発が要求されるのだろう。まさに「学校身体の管理技術」が発達し、子どもがどんどん不自由になっているのだ。
 私たちはもっと子ども(や若者)を信頼してもいいのではないだろうか。そう思う。


2010年4月3日土曜日

野村幸正『「教えない」教育』二瓶社、2003年

 本書のサブタイトルは「徒弟教育から学びのあり方を考える」。心理学者の立場と、仏師に弟子入りしている立場両面から「徒弟教育」という「教えない」教育のもつ意義についてを語る。暗黙知・正統的周辺参加などのキーワードを元に説明をする本である。

いま、教育に人の働きが発揮されると、単に教える者から教わる者へと教授すべき内容の情報が移動するだけではない。その情報を取り巻く世界が共有され、それを学ぶ意味あるいは喜びといったものが、教える者と教わる者とが一体化したかかわりのなかで共有されていく。そして、それがそれぞれに分化し対象化されてゆくなかで、情報が情報として伝達されてゆくことになる。それはもはや情報の伝達云々以上のものであり、情報の創造と言ってもよいほどのものであろう。そして、この人の働きをもっとも強調した教育が、すでに言及した徒弟教育である。さらには正統的周辺参加である。(105〜106頁)


 ここにあげた「あえて、教えない教育」を実践するのはいささか難しい。けれどその中に日本の教育(公教育も私教育も入る)の改善点があるのではないか。ちょうど原ひろ子『子どもの文化社会学』にあった「教えられることに忙しい」子どもが日本に多く存在しているのだ。

教師としての職業を遂行してゆくこともまた難しい。ましてや教えることを仕事とする教師が「教えない」とまで言い切ることは、余程の力量と自信があってはじめてできることであろう。そして時には、この教えないことが教えることよりもはるかに重要な意義をもつこともある。過剰教育が問題となるのは、単に知識を与え過ぎる云々を超えて、せっかく子どもが直面した生の体験を自らの言葉で表現してゆく機会をも奪ってしまうからである。教えられるがゆえに、子どもたちは自らの言葉で考えぬくことを放棄してゆくこともあるに違いない。それを放棄した子どもがその後どういう道を辿るかは言うまでもない。(130〜131頁)
 著者の野村は「教えない」教育である徒弟教育に最大限の評価をする。けれど、広田照幸も言っているが、徒弟教育は「あわない」個体(子ども)を排斥するなかに成立した制度であることについてを忘れてはならない。仕事に不適応な子どもが自主的/他律的にいなくなっていくからこそ、効率的ではないが「技」の習得/仕事による自己形成という教育作用が徒弟制度にあったのだろう。
 それゆえ、現在の公教育のように《分からなくても、とりあえず教員が語り続けるのをじっと聞く》ことの意義も、不適応な子どもの排斥が無い分、一定程度評価しなければならないだろう。