2010年2月23日火曜日

N先生の思い出。

 高校時代。高三の後半はずっと受験対策に明け暮れていた。数学の時間に日本史をやり、地学の時間に日本史をやり、漢文の時間に日本史をやっていた。私が高校の授業の中で学んだことは、「授業だけ聞いていても、受験には受からない。もし自分の夢があるなら、他者に依存するのでなく、自分から進んで学んでいくことが必要だ」というテーゼである。要は〈内職なくして、主体的な学びなし〉というスローガンを内面化したのが高三の受験生時代だったのだ。

 さて、こんな私ではあるが高校の先生方には色々とお世話になった。それは内職をさせていただいたということだけではなく、個人的に会った際に多くのことを教わったということだ。教室での授業では私はほとんど学んでいなかった。
 特に現代文のN先生の話は非常に興味深かった。寡黙で規律正しいN先生のもとに、私は慶応大学法学部の小論文を解く度に添削してもらいに行っていた。デジタル/アナログの二項対立から小論を書いた際、一読して「面白い。」と言ってくださったことが、ものすごく私の支えになった。ブログで雑文を書きなぐるようになったのも、もとを辿るとN先生に褒めていただいたことが一つのきっかけかもしれない。

 N先生が小論文にコメントを下さる際、次の話をされたことを最近思い返している。実はこの指摘、非常に深い意味があったのではないかと考察しているのだ。忘れないために、ここに記すことにする。

「常に人類の社会は〈少数者による多数支配〉の図式で続いてきた。ギリシャの市民政治も多くの奴隷を支配していたし、ローマ帝国も中国の各王朝も日本の大和朝廷・天皇制も常に〈少数による多数支配〉であった。現代の日本においてもそれは続いている」

 高校時代、N先生からお話をうかがえただけでも意味があったように思える。

時代劇にまつわる考察。

 「あばあちゃんは、必殺仕事人が好きなんや」
 故郷・兵庫にいる母方の祖母が私に語ったことがある言葉だ。

 私の祖母のように、「時代劇をよく観る」という老人は数多くいることだろう。けれど、「時代劇をよく観る」からといって、「お婆ちゃんの誕生日のお祝いに、ずっと時代劇の映る衛星放送を契約したよ」とすることは、必ずしも喜ばれることではない。
 通常、祖母は選択可能なチャンネルの中で、相対的に個人的趣味にあう番組を選んで視聴している。通常のテレビにおける選択行動と、「これ!」と決めたお気に入りばかりをずっと視聴するという衛星放送的選択行動とでは、天と地ほどの差があるのだ。
 だから、「時代劇好きな祖母が喜ぶ」と思ってスカパーなどの衛星放送を導入することは、双方不幸になることがある。祖母は別に時代劇ばかりを観たいわけではないのに、子ども(孫)に遠慮してそれを視聴しないといけなくなるからだ。
 だから、テレビの宣伝でも気をつけないといけない。「スカパーではお好きな番組をいくつも契約できます。ご老人が喜ぶ時代劇専門チャンネルを契約されますと、親孝行ですよー」。こんな殺し文句に負けてはいけないのだ。

シュタイナー教育について学ぶ。

最近、子安美知子『シュタイナー教育を考える』を読んでいる。シュタイナー教育の概要が詳しくわかってくる本だ。

外から教えるのでなく、子どもの内側から発露してくるものを大事にする授業。それを実現するために、オイリュトミーやフォルメンを行う。子どもの内なるリズム・発育時間を大切にし、それに沿って少しずつ授業のやり方を変えていく。

ホリスティック教育といわれるものの中でも、一番ホリスティックな教育がシュタイナー教育であるようだ。

 ただ、1点、読み進める中で疑問を感じた。子どもの自然な発育を待ち、それに合わせて授業を行うというシュタイナー教育。これ、ものすごく周到な洗脳教育プログラムでもあるのではないか。
 むろん、シュタイナー教育のプログラムが邪悪な意図を持って作られたものでないことは確かだ。けれど、善なる意思を持って「その子のために」教育プログラムをつくることが構わないとするなら、公教育プログラムに対してもそう言えてしまう。
 シュタイナー教育やフレネ教育、モンテッソーリ教育など、「~~教育法」というものを色々私は学んできた。公教育よりよっぽどましな教育であることは確信している。けれど、これらの「~~教育法」は、子どもに対する押しつけ・洗脳・強制であるように感じられるようになってきた。よい教育プログラムを用意することは、そのプログラムに適応するようにしか、子どもは育つことができないことも意味する。あらゆる「~~教育法」というと呼ばれる存在に、私は「気持ちの悪さ」を感じてしまうのだ。本来、子どもという存在はそれ自体において価値がある存在であると考える。その存在に対し、他者が「よい教育をしよう」と言って何らかの教育プログラムを強制することは権力的作用ではないか。
 『フリースクールとはなにか』という本の中でも、次のようにある。


伝統的な学校教育ではなく別のものを求める、というとき、シュタイナー、モンテッソーリ、フレネその他、はっきりした教育思潮と方法論をもって世界的に広がっている教育もある。それらは、オルタナティブ教育と呼ばれても、フリースクールとは呼ばれない。フリースクールは、オルタナティブスクールのなかの一つであって、学校教育以外であればフリースクールというわけでもない。
 フリースクールが、他のオルタナティブ教育ともっとも違う点は、子どもを主体とすることであり、教育内容を自由につくりだす、ということであろう。○○を○○のために教える、活動させる、というのではなく、子どもの興味、関心、意欲に依拠して作っていくことになる。それは、子ども中心であるがゆえに、教師と生徒の関係を含め、あらゆる側面が変わることになる。(NPO法人東京シューレ編『フリースクールとはなにか』教育資料出版会、2000年、17頁)


 教育プログラムが優れたものであるほど、そのプログラムに子どもを(無理矢理でも)合わせようとする。イリイチの言葉を借りるなら、「制度化」である。「子どもが成長すること」という本来的な目標を忘れ、教育プログラムの遂行のみを目的と取り違えてしまうようになる。フリースクール以外のオルタナティブスクールでは、ともすればそういった価値の転倒(=価値の制度化)が起きてしまう可能性があるのだ。子どもを主体とする教育。それ以外のものに、私は「違和感」「気持ち悪さ」を感じてしまうようだ。

 そういえば宮台真司の『14歳からの社会学』にあったことを思い出す。世界が精密にプログラムされている現状。それに気付いた時、人は離脱しようとするのだ、と映画『マトリックス』などを基に説明をしている。教育に対してもそれは言える。教育プログラムが精密であればあるほど、「俺って、いなくてもいいのかもな。どうせ、誰に対してもこんな教育をするんだろうし」と「自己疎外」が発生する。学校教育における落ちこぼれや不良とされる人々は、「自己疎外」ゆえに教育プログラムを離脱しようとするのだろう。

追記
●ちなみに、70年代西ドイツで起こった「反教育学」という流れは、フリースクール的な教育機関と親和性があるようです。

2010年2月21日日曜日

レストランの比喩。

 何を食べるかを決めるのはレストランの側が「食べてもらいたい」人だろうか。そうではない。何を食べるべきか決めるのは、あくまで客である。
 同様に、「学ぶ」内容を決めるのは学ぶ人である。学校に行っている/いないに関わらず、あくまで「学びたい」ことを学ぶべきだ。

 その昔、フリースクール関係者が『脱学校の社会』を読み合った時代があった(80年代ごろ)。その際「学び(教育)の主体は誰か?」という読み方をしていたそうだ。「学ぶ」内容を決めるのは国家ではなく、学びたい人ではないか、という読み方である。
 国家は教育主体ではない。主体性を持つべきはあくまで「知りたい人」「学びたい人」である。
 
 …こんな話をシューレ大学の朝倉さんに伺った。

ボウルズ/ギンタス著『アメリカ資本主義と学校教育2』(岩波現代選書、1987)

 上・下2巻に渡るこの本で、著者は何を明らかにしたかったのか。


経済の変革と教育の変革とが対応した過程を通じて起こるという、この歴史的な解釈にもとづくとき、教育制度とイデオロギーの主要な転換は必ず、生産構造、労働力の階級的構成、抑圧されている集団の性格の変移によって惹き起こされてきた。(182頁)



 教育社会学において、〈教育〉の使命は単純明快。「選別」と「社会化」である。社会が要請する人材を選び出し(「選別」)、とりあえず社会の構成員になってくれるよう育成する(「社会化」)のが〈教育〉なのだ。ここでいう社会の要請とは、要は経済界の意向なのである。この主張はボウルズとギンタスがネオ・マルキストであるために起こっているのだろう。マルクスは経済の規模やシステムの変化が、社会構造の変化を招いたと説明する。経済が政治体制・社会構造を決めるのであって、その逆でない。ゆえに〈教育〉も経済の構造から抜け出すことはできないのだ。
 教育を語るなら、経済を知らなければならない。


何故、わが国の青少年に対して権威主義的な学校という重荷を負わせようとするのであろうか。何故、若い人々が、その日々の大部分を無力感、人間の尊厳を犯すような独裁的な規律、絶えざる退屈感、行動の矯正という雰囲気のなかですごさなければならないのであろうか。何故、民主主義的な社会で、各人が最初に公的な機関と接触するのがこのような徹底的に反民主主義的なものにならざるを得ないのであろうか。
 最近多くの人々がこのような疑問を投げかけてきた。ここからフリースクールという新しい運動が起きてきたのである。(177~178頁)

 この部分の後、しばらくフリースクールの話が続く。近代教育批判者の一団として、「ジョージ・デニスン、ジェームズ・ハーンドン、ハーバート・コール、ジョナサン・コゾールの私的日記から、ジョン・ホールトのプラグマティックな主張、チャールズ・シルバーマンの本格的な社会的分析」(178頁)と名前を挙げている。非学校論者として、私もこれらの人々の本を学んでいくこととしよう。
 ボウルズとギンテスはフリースクール運動に必要なこととして、≪運動のなかに、学校が社会から独立したものであるという考えをはっきり否定し、学校をその社会的、経済的な文脈の中で具体的に位置づける分析的立場の展開がなされなければならない≫(179頁)。これは、本書において経済が教育を大きく変化させてきたことを述べていることと関係が深い。つまり、「よい教育をしよう」としても学校だけで教育を成り立たせることの不可能性を知らなければならない、ということである。『日本を滅ぼす教育論義』において著者が主張したのも、教育と経済との密着不可分性を認識することの重要性であった。


 この本は、結論的に社会主義革命によってしか社会変革を根本的に行えないことを主張する本である。ネオ・マルキストの本であることを認識しておかないと、誤読をしてしまう。

 気になる部分を抜き書きして、本稿を終えよう。

教育制度は人々を教育して、経済生活で地位を得て仕事をすることができるようにするわけであるが、教育制度自体の社会的関係は、事務所や工場の社会的関係に合うようにつくられている。したがって、学校教育の抑圧的な側面は決して非合理的ないしは邪道なものではなく、むしろ、経済的現実を、体系的、普遍的に反映したものとなっている。解放された教育ということだけでは職業的なミスフィットと職場ノイローゼの蔓延をもたらすことになる。それだけでは、教育の自由化には役立たない。抑圧の原因が学校制度の外部に存在しているからである。かりに、学校がより人間的な形態をとるべきであるとするならば、職場もまたより人間的なものでなければならない。(179~180頁)


基本的には、教育制度は、経済の分野から起こってくる不平等や抑圧の度合いをつよめたり、弱めたりすることはない、むしろ、教育制度は労働力の教育と階層化の過程においてすでに存在しているパターンを再生産し、正当化する。このことはどのようにして起こるのであろうか。このプロセスの核心は、教育的な体験の内容あるいは情報伝達の過程にあるのではなく、その形態、教育的体験の社会的関係にある。これは、経済の分野における支配、従属、動機づけの社会的関係に密接に対応している。各個人は教育的体験を通じて、成人して労働者となったときに直面する、無力感の度合いを受け入れるよう誘導される。(205~206頁)


追記
●本書はフリースクール運動の欠点の指摘(180頁など)をしている。またイリイチの『脱学校の社会』に対するコメントも本書には掲載されているので、修士論文を書く際には読み返すこととしよう。

ボウルズ/ギンタス著『アメリカ資本主義と学校教育1』(岩波現代選書、1986)

 教育制度を変革することを意図するならば、経済制度も考慮しなければならない。この本はこのことを主張する。アメリカで学校教育が成立した歴史を振り返り、常に経済的影響を教育が受けてきたことを説明するのだ。


要するに、われわれがここで展開するアメリカの教育制度にかんする分析は、教育改革の運動が挫折したのは、経済分野における所有と権力の基本的な構造を問題とすることを拒否したからであるということを示唆している。(…)教育制度が平等主義的、かつ人間解放的となるのは、社会生活のなかでの全面的な民主的参加を可能にし、経済的成果の平等な配分を受けることができるように若い人々を教育することができるときだけである。(…)このように考えれば、教育改革の戦略は、経済制度の革命的変革の一部をなしていることになる。(23〜24頁)

 以下、気になる点の抜き書き。

教育と資本主義経済との間に存在する決定的な関係を、どのようにすればもっともよく理解できるであろうか。まず始めに、学校が労働者をつくりだすという事実から出発しなければ、十分な説明にはならないであろう。(16頁)

経済制度の構造に対して疑問をもたないかぎり、現行の学校教育制度はきわめて合理的なものであると言えよう。したがって、制度改革は、一般の人々に対して論理的または道義的な論点を訴えるだけでは不十分である―オープン・クラスルームを首唱する人々の大半より一般の人々の方が、社会の現実をよく理解していると言ってよいであろう。(15頁)
 フリースクールに関する考察も多い本である。


頑張らなくても、認めてね。

 24時間テレビ、私は大嫌いだ。
 一番イヤなのは、「障害を持っているけれどそれに負けずに頑張っている子」のドラマである。それをみて、「ああ、私も頑張らないとな!」と思ってもらえるよう、お涙ちょうだい型ドラマになっている。
 あまりにもこういうドラマを見ると、「障害者って、頑張っているんだ」という認識になる。現実にいる障害者を目にしたとき、その人が「頑張っていない」なら「なんだよ、コイツ」と思ってしまう。
 障害者は頑張らないと認められないようである。そういうウラの意図が「障害を持っているけれどそれに負けずに頑張る」という認識に込められているのだ。
 個人は個人であるだけで、その存在を認められるべきである。頑張っていようが、頑張っていなかろうが、自分を受け止めてくれる居場所が必要だ。
 要は「頑張らなくても認められる空間」が必要なのである。アーレントの言う公共性の議論ともつながりが深い。
 フリースクールを「居場所」ということがあるが、それもある意味では「頑張らなくても認められる空間」ということなのである。

〈世界〉とは何か。

 その人にとって見える世界しか、〈世界〉ではない。進学校に通った人間の〈世界〉では、大学に行かない人はアブノーマルなのだ。けれど、中堅高校に通った人の〈世界〉において、大学は「半分くらいの人が行く所」という認識になる。

 私(=進学校に行った人)は勝手に、「いま大卒でも仕事が無くなってきており、大学院に行くことが要請されている」と軽々しく言ってしまう(大大学 傾向と対策)。しかしそれはあくまで「私」の見た〈世界〉であり、日本全体を見た話・地球全体を見た話ではない。
 知識人やマスメディアの人間は「大卒」ばかり。自然と大卒人間の見た〈世界〉観を維持する報道を行う。けれど〈世界〉はもっと本来豊かなものなのだ。アーレントの他者概念の中にも、そのようなものがあった。
 自分の見ている〈世界〉だけが世界ではない。そう考えていくと、異なる他者への理解がおよぶはずだ。自分の〈世界〉がいかに狭いかを知ることが必要だ。それ故にこそ、若者は旅に出るのだろう。自分の知らない〈世界〉と他者を通じて触れ合うことができるからだ。フリースクールに通う子どもたちも、不登校時代に海外放浪旅行や「四国のお遍路」を踏んだ経験を持っている人がしばしばいる(『ボクらの居場所はここにある!』)。それにより、不登校や学校を相対的に見れるようになる。「あ、なんだ不登校でも生きていけるんだ」と気づくのである。
 

2010年2月19日金曜日

佐藤公治『認知心理学からみた読みの世界』(北大路書房、1999)

 学びとは、個人的な営みなのだろうか? 私は最近、それを考えている。結論的には「個人的な営みだ」と考える。しかし、本書では「集団の営みだ」と主張されている。

 あとがきから見てみよう。 

本書では、学習者の主体的な理解活動や知識構成の過程に焦点をあてながら、同時に学習はまさに社会的な過程であるという社会的構成主義の立場から、個々人の理解や知識が、いかに対話と社会的相互作用のなかでその影響を受けながら形成されるかを明らかにしていくことがめざされた。いまなぜ、対話や協同的な学びなのかということは、本書のなかで述べたことなので繰り返さないが、学校教育のなかで学びがともすると個人の自立を強調して、自分の力だけで学びを完遂していくこと、そのための能力の育成といったことに目標がおかれがちであることに対して、学びというものは本来、個人の閉じた系ではなく、もっと他者との相互交流、相互の支え合いのなかで行われる開かれた系としてとらえ直していくことが必要なのである。(240頁)

 このことが、「本書で私が読者の皆さんに伝えたいメッセージであ」ると述べられている。

 確かに学びは集団の営みである点であることは否めない。しかし、近代社会において個人が所属する集団は年々変化する。ずっと同じ学校の同じメンバーで学びを進めるわけでないのだ。集団による学びは基本的には一期一会。教室の中でずっと続くようでも、数年したら全く違うメンツと関わるようになる。会社内でも部署移動はしょっちゅうだ。そのように、集団による学びは構成メンバーが常に変化する。
 とすれば、重要なのは「一人で学べる」力ではないか。特定の人がいるから学ぶ、というのでは常に学び続けることは出来ない。現代の社会においては、いつリストラされるか、いつ別の業種を行うことになるか、だれも予想できない。そんな時代では、必要な時に必要な能力を身につける/学ぶ力が必要不可欠だ。「一人で学べる」力がないと生活できなくなることもあるのだ。
 おまけに、「みなで学ぼう」とすると、無責任になってしまう。
  
 そのため、集団的学びの重要性は非常に良く分かるが、結局「一人で学べる」力を身につけないと後々困ることになるのは事実だろう。「一人で学べる」力がないと、イリイチのいう「制度」に依存した人間になってしまう。いまも、ユーキャンなどの通信教育が流行ってますよね? 本当はそんなサービスに頼らなくても、自分で学べるのが本当の人間のはずである。
 
 「一人で学べる」(「一人立つ」とも言えるか?)人びとが集まったとき、集団的学びがさらに発展するであろう。


2010年2月18日木曜日

学参の研究〜コンヴィヴィアリティのための道具を目指して〜

 脱学校論を、私はずっと研究してきたが、これはイリイチの「イイタイコト」ではなかった。あくまで、産業社会の「制度化」(価値の制度化)を批判するためのものであった。

 これでずっと研究するのもいいが、いささか飽きてきた。

 次のテーマとして、自主的・自律的学習を可能にするもの、要は「コンヴィヴィアリティのための道具」を研究していきたい。その例として、学習参考書をとりあげてみてはどうだろうか。

 研究初めとして、手元にある『現代 教育学事典』(労働旬報社、1988)を見てみよう。

参考書
予習・復習をふくめて学習を自主的に深めていくために副次的に用いられる、教科書以外の図書の総称。したがって、参考書は、本来、子どもの学習が主体的に行なわれるさいの手引書という性格をもつ。すでにこのような性格のものは、大正期の自由教育の展開のなかで用いられていた。しかし、参考書の利用が直ちに自主的な学習を意味するとはかぎらない場合もある。明治後期には上級学校進学のための参考書がすでに使われており、それ以降も国定教科書を学習するための安易な解説書が利用されていたのはその好例である。今日における受験参考書の氾濫も同様である。このような参考書とその利用は、暗記主義・教科書中心主義の傾向を招きやすい。むしろ、その弊を克服し自主的な学習を促す参考書とその利用が望まれる。同時に、学習における問題意識の喚起、学習のもつ面白さの体験の指導などを先行させたい。(久田敏彦)


2010年2月17日水曜日

シューレ大学学生ゼミでの、卒論発表会。

 本日19時から21時まで、若松河田のシューレ大学で「学生ゼミ」が行われた。今回、有り難くも私が卒論を発表させていただいた。テーマはイリイチの『脱学校の社会』。周りはフリースクール関係者がほとんど。相手がすでによく知りすぎていることを、話してしまわないか、という不安が襲った。けれど、何とか形になってよかったと、と思う。

 卒論の第三部の内容をもとに話をした。そこの中に「教育とは待つこと」という概念を軽々しく書いていたが、もっと考察したうえで書くべきだったと気づかされた。
「待つのが大切とはいうけれど、〈待たれるプレッシャー〉がある。不登校になったわが子にいつ親が〈いつまで待てばいいんだ!〉と言い出すか分からない。それに、シューレでは〈待つ〉態度が貫かれているというが、それは本当だろうか。むしろ、〈待つ〉というよりも子どもをそのままの姿で認めるという態度が重要なのではないか」。
 Sさんの発言(趣旨)だが、非常にためになった。

 もう一点、非常に勉強になった所がある。それはフリースクール的学びを行う際の課題とも言うべきものだ。フリースクールにいて、文字を書けないまま18歳になり、免許をとろうとしても字が書けないから取れない、という方がいる。その人が小さいときに、「文字を書く練習しようよ」と多少強引でも語るべきだったのかどうか、ということがテーマだった。
 朝倉さんは「海外のフリースクールだと、そのことはあまり問題にならない。それは日本の場合、フリースクールに来るのは不登校経験のある子が多いことが一つの要因だ。学校で傷つき、学ぶことを〈辛いこと〉〈苦しいこと〉と経験している子にとって、学ぶモチベーションになれないことが多い。学ぶことを楽しみであるとは捉えられず、比較されるもの・自分のバカさ加減を知られるものだと認識していることがある」。
 この話も興味深い。「学びに傷ついている」ということは、非常に恐ろしいことである。
 さて、このテーマにあった「文字が書けないまま大きくなる」ことについてだが、フレイレの言葉を思い出す。フレイレは脱学校論者の一員であるが、〈成人への識字教育は6週間ほどで行える。それなのに、何で何年も学校に通わないと行けないのか〉という理由からであった。フレイレは実践の中で識字を即習できるプログラムを開発したのだ。さきの18歳の方の件も、「必要ならば数週間で即習出来る」学習プログラムを用意していると、「渇きによる学び」が起きた際容易に学ぶことができる。そういえば、前に『こんばんわ』という夜間中学校を描いたドキュメンタリー映画を見た。そこでは生活に必要な漢字を250程度に選別し、それらを生活文脈の中で学習できる教材が用意されていた。せっかく教育心理学が発達し、脳の研究も進んだのだから、「簡単に日本語の読み書きができる」プログラムを開発すべきであろう、と感じた。
 

昼宴会

やる気のない日常の光景。高田馬場にて。

2010年2月15日月曜日

池谷壽夫(いけがや・ひさお)『〈教育〉からの離脱』青木書店、2000

 この本を、私は大学の図書館で借りた。久々に、「購入したい!」と思う本と図書館で対面することができた。
 例によって、アンソロジー的に紹介したい。
 なお、池谷のいう〈教育〉とは、≪近現代に特有な教育のあり方を、それ以前のいわば共同体に埋め込まれて営まれていた教育と区別する意味で、〈教育〉という言葉で表現≫(9頁)するために、岩崎弘昭の『講座学校1 学校とは何か』(柏書房、1995)にならって持ってきた概念である。それにより、「人間が生きていくうえで不可欠な活動様式のひとつである教育一般」(同)と「近代に特有な教育のあり方」(同)とを区別できる。その上、≪〈教育〉を否定しそのオールタナティブを求めたとしても、それは教育一般を否定することにはならない≫(同)という良さがある。そこに続く≪近代的な〈教育〉は、人類が生き延びていく上で、資本主義的生産様式のもとで作り上げてきた活動様式とシステムのひとつの選択であり、そのあり方こそが今問われているのである≫(同)という指摘も興味深いものだ。
近代日本においては、公教育の成立と同時に、まずは家庭とそこでの教育が学校教育を補完・強化するものとして位置づけられる。次いで、家庭は国家社会の基礎をなすものとして積極的に位置づけられる。ここでは、家庭の親のいっさいの行動と文化が「卑猥か清浄か」という〈教育〉的規範に基づいて点検され、〈教育〉的なもの(「健全な」「清浄な」もの)となるように促されるばかりでなく、性別役割分業にもとづいた「スウィートホーム」の中で、積極的に子どもに「服従」「愛情」「責任」「公徳」などの徳を涵養することによって、家庭は「小国民」を教育する場とならなければならない、とされるのである。まさに近代社会にあっては、家族とそこでの教育は国家の戦略のうちに組み込まれているのである。(33頁)


「愛情」の名のもとで生徒を保護し指導しようとする〈教育〉のあり方を、「〈教育〉的パターナリズム」と呼ぶことにしよう。このパターナリズムのもとでは、教師は生徒のことを思って一生懸命努力し生徒を一定の方向に導こうとするが、その〈教育〉的な世話に対して、生徒は反逆することもできない。教師のこうした世話を受ける代わりに、「受身の黙認」(R.セネット『権威への反逆』)を余儀なくされるからである。「先生が一生懸命僕のことを思ってやってくれるのだから、その期待に応えなくては」というふうに考えてしまうのである。(49頁)

近代社会は、タテ・ヨコ・ナナメといった多様な人間関係を破壊し、人間関係を「親―子」関係と「教師―生徒」関係というきわめて単純な人間関係、しかもタテの垂直的な関係に還元してきた。しかもそこでは、他者に依存せず「自立」することが目標とされている。(…)つまり、子どもは教師の言うとおりに行動するように強制されながら、たえず「自立」的であることが自分のライフスタイルや自己価値を規定するものとしえ求められる、という矛盾した生を生きることに案る。文部省の言う「自ら主体的に判断し行動するために必要な資質や能力の育成を重視する教育」、すなわち「新しい学力観」は、まさにこうした矛盾した心性を生徒に引き起こすことになる。(57~58頁)


(石田注 母親と娘の会話を池谷は紹介する。娘の「汚い」言葉を母親が「そんな言葉はいい子は言わないわよ」と言って注意する。それにより、娘の「いい子」の部分は≪今後はうそをつかないで母親を裏切らないようにしようとする。しかし、もうひとりの自分はこう考える。「お母さんがわたしが悪いと言うのはあたっている。お母さんが好意的に考えてくれても、わたしは悪いことをしちゃうし、お母さんがだまそうとさえしちゃう。わたしはそんなにいい子じゃないもの」と。こうして、この子はしだいに「悪い子」を実現してしまう≫(70頁)に続けての引用。
〈教育〉的関係のもとでは、親や教師が今ある子どもを価値評価したり断定したりして、ある特定の「よりよい」方向へと変えようと望めば望むほど、子どもは逆にその価値評価や断定を実現しようとしてしまう。結局のところ、〈教育〉はその当初の目的さえも遂げることができない。(70頁)


世俗での子どもの「成功」を求めれば求めるほど、大人たち自身と現実世界が汚れていく。だからかえって逆に、世俗にまみれない純粋さや「無垢さ」が、汚れた自己を清めてくれるものとして、あるいはそうした自己から解放させてくれるものとして、大人の側から子どもに求められもすることになる。
 このように見てくると、「無垢なる」子ども像は、大人の〈教育〉的願望とその目標であると同時に、大人の側の強制的な〈教育〉行為をいわば「免罪」し浄化してもくれる、そうしたものとして要請され求められた、と言うことができよう。(95頁)

→灰谷健次郎的「子ども尊重」思想には、この池谷の指摘が当たっているような気がしてならない。

親の愛情は〈教育〉目的達成の手段であり、子どもは〈教育〉操作のたんなる客体であり、大人も〈教育〉のためにすべてを犠牲にしなければならないという点では、〈教育〉の奴隷にほかならない。しかもこの中で子どもは、親に呪縛され、そこから逃れることもできなくなる。(123頁)

80年代にかつてない高度情報・消費社会が到来し、子どもの世界を襲ったことである。今や子どもたちは、一方では、資本(大人たち自身)によって仕掛けられたこのサブカルチャーの世界に入り込むことによって、大人世代から自らを隔離しつつ(隠れつつ)、消費・情報を通じて同世代としての自己確認をしている。しかし同時に他方では、学校や社会では市民的権利への通路は保障されていないとしても、いわば「消費・情報的な市民」としては、大人との境界を越えて大人世界へと参入してもいる。(181頁)

→ポストマンは「子どもはもういない」を書き、「子ども期の消滅」の理由をテレビの普及に求めた。池谷は「消費・情報的な市民」という概念で「子ども期の消滅」を描いているようである。

子どもが大人と共同する場所があれば、意図的な〈教育〉がなくても、何らかの学習がそこでは行われるということである。すなわち、意図的な〈教育〉がなくても学習は存在するし、学習は〈教育〉から相対的に自律したものとしてある、ということである。たとえば、ヘアー・インディアンの社会のように、子どもの自発的な学習があっても、大人の側に〈教育〉的な営みがない社会もある。ここでは子どもたちは大人がしているのを見よう見真似で学んでいるのである。(195頁)

 この本の後半部は「性教育」を人々がどのようにとらえてきたかの時代史が語られる。
 昨年の8月にフリースクール全国ネットワーク主催の「子ども交流合宿 ぱおぱお」が早稲田大学早稲田キャンパスを舞台に行われた。オープニングのセレモニーの際、あるフリースクールの代表として壇上であいさつした子のセリフが印象的だった。
 「ここでは、普通に下ネタが話せるから、いい」
 学校において、下ネタはタブーである。それが自然に・普通に話せる環境であるということは、池谷が終章でも書いているように、フリースクールが子どもにとっての「居場所」であるからだろう。

アーレントの他者概念。

 読書会で使用するため、岩波書店の志向のフロンティアシリーズの『公共性』を読了した。アーレントをもとに公共性を説く。若干、理解に及ばないところもあったが、だいたいにおいて興味深い内容であった。

 悩みや葛藤・「ためらい」がある状態こそ人間の本源的状態である、と内田樹は言う。アーレントもその認識に基づいている(あ、時期的に見ても真逆か)。自己の中にひとつのイデオロギーが確固として存在している状態を、危険な状態だと彼女は指摘する。個人の中に多くの他者の声が響き、その中で悩み、考えることに人間の崇高さを説く。
 アーレントにとって、「他者」とはコミュニケーション可能な存在のみをさすのではない。重度の障害者や赤ん坊すらも「他者」と認識する。

 世界は他者の数の分だけ豊かになり、誰か一人が世界から退場することはそれだけ世界が貧しくなる、とアーレントは説明する。ここでいう世界とは人間世界だけでなく、「わたし」の内面世界のことでもある。
 異質な他者を尊重するのは、その分だけ自分の内面世界が豊かになるからである。異質な他者を排斥することは自分の内面世界をそれだけ貧しくすることにつながる。
 
 ひとりの他者をどこまでも尊重する(平易に言うと、「一人を大切にする」ということ)という行動は、自己の生命(=内面世界)を豊かにするための戦いであるともいえる。他者の他者性を尊重した分、自分の内面世界に「他者」が増え、より豊かに生きれるようになる。はずである。

「教育のための社会」とは?

 「教育のための社会」(ロバート・サーマン)という概念が、いまひとつ分からない。
 大学2年生のころの認識では、「教育的でないものを排除した社会」と考えていたが、どうもそれとは違うようだ。
 大学二年の時の認識を検討しよう。「教育的でないもの」とは、たとえば反道徳的・退廃的・反社会的な存在のことを意味する。それらを排斥するとは、簡単に言うと「異質・異様な他者」を排斥するである。ホームレスの人、在日の人、風俗産業従事者、外国人労働者、犯罪経験者を子どものそばから追いやることである。「異質・異様な他者」のいない社会は確かに安全で、暮らしやすく、平和な生活が待っていることだろう。
 いい環境を求めて、都心から郊外に引っ越すのが高所得者の常であるが、郊外には「異質・異様な他者」はいなくなる。親たちはこのことを「教育的にいい環境である」と認識する。安全・快適・平穏・静寂な生活が繰り広げられるからだ。さらに高所得者はゲーテッドコミュニティー(要塞都市)に住む。けれど、このことは子どもにとって本当に喜ばしいことなのか?

 良い社会とは正統的教育コース(高校普通科→大学→大企業or公務員)以外の教育コースの存在を許容した社会である。反・正統的教育コース(高校中退、ニート、中卒就労、高卒就労など)を歩んだ人間は、正統的教育コースに生きる人間にとって、非常に異質な存在として認識される。時には「ああならないようにしよう」という反面教師として、時には「気楽に過ごせていいよな」という呪詛の対象として。
 「異質・異様な他者」を排斥する環境で育つとき、子どもは大人社会の排斥の風潮を内面化する。それが表層に表れ始めた時、大人以上に「異質・異様な他者」を排斥するようになる。昔からホームレスへの暴行事件やチマチョゴリを切り裂く事件が起きていたが、それらは子どもの「異質・異様な他者」排斥が行動として表れた事例である。
 
 結論として言おう。「教育のための社会」を、「教育的でないもの、反・教育的なものを排除した社会」という認識の仕方は誤りである。「異質・異様な他者」を排斥することにつながるからだ。
 ということは、「教育のための社会」とは逆説的ながら、反・教育的なものを包摂した社会ということができる。教育のための社会とは、「いい教育のために~~しなければならない」という言葉が存在しない社会、つまり「異質・異様な他者」や反・教育的なものすら受け入れる社会であるといえるかもしれない。

追記
●「異質・異様な他者」に非寛容な社会は、内部に住む人間にも非寛容である。絶えず同調性を強いるためである。内藤朝雄は「中間集団全体主義」という概念を提唱しているが、まさにそういった一種の全体主義が広まる。そうなったとき、集団内部での排斥者は「中間集団全体主義」を内面化しているため外に出ることを「してはいけないことだ」と認識する。結果、とことんまで追い詰められ精神を病むか自殺をしてしまう(ひどい時は殺傷事件を起こす)。
● 岩崎弘昭の概念を使うなら、「教育のための社会」とは〈教育〉を排斥し、中世以来の「共同体の中に埋め込まれた学び」を復権させる行為であるといえるであろう。

2010年2月14日日曜日

イリイチ『生きる思想』「レイ・リテラシー」の章より、脱学校(非学校)について。

 『生きる思想』の「レイ・リテラシー」の部分で、イリイチは《自分自身が『脱学校の社会』のなかでとっていた素朴な見解を批判しようと思います》(116頁)と述べている。

原稿は九ヶ月も出版社のところにありましたが、その間わたしはますますその内容に不満をもつようになりました。ところで、ついでながら言うと、その本は、学校の廃止を論じたものでありません。この誤解は、ハーパー出版社の社長、キャス・キャンフィールドのせいです。かれはわたしの乳飲み子の名付け親になったのですが、そうすることで、わたしの考えに誤った表現を与えてしまったのです。この本は、学校の廃止ではなくて、学校の非公立化を主張したものでした。ちょうど教会が、合衆国では非国教化されているようにです。(116〜117頁)
 イリイチは『脱学校の社会』では費用がかかりすぎるという点からも「非学校化」を提唱したのであった。


 このあと、イリイチは「学校の典礼論」についてを説明していく。「典礼」とはYahoo!百科事典(データ元:『日本大百科事典』(小学館))では次のように説明されていた。要は、礼拝の際の儀式のことをいう。
キリスト教の教会で司祭によって公に行われる礼拝の儀式のことである。語源ラテン語のリトゥルギアliturgia。典礼は神を崇(あが)め、人々のために神の祝福と恵みを求めるために行われるが、典礼にあずかる信者が同一の信仰を確認しあい、連帯心を強める効果をももっている。典礼は、カトリック教会東方正教会、ルター派、改革派教会などによって、それぞれ公認された典礼書の指針にのっとって行われ、典礼書には祈り、賛美歌、聖書朗読の箇所などが記され、司式者と奉仕者のなすべきことが定められている。(…)[ 執筆者:安齋 伸 ]

 《教会学の中でも典礼論は、いつもわたしが好んでいるテーマです》(118頁)と、神学というイリイチの出自に基づいて論を進める。典礼論は《「教会」という現象を作り上げるうえでの礼拝の役割を扱ってい》(同)る。典礼論の研究テーマは《おごそかな身ぶりや聖歌、位階制度や儀式の諸道具が、どのようにして、信仰ばかりでなく、信仰の対象である教会共同体という現実を作り出すのかということ》(同)である。
 《比較典礼論を研究することによって、神話を作り出すのに本質的な儀式と、そうでない非本質的な様式とを区別する目が鋭くなります》(118〜119頁)とイリイチは続ける。このような典礼論研究をもとにして、《学校で行われていることがらを典礼の一部として見る》(119頁)姿勢をイリイチは身につけた。

そうやって、わたしは、学校schoolingという典礼が、近代の事物が社会的に構築されていくうえでどんな役割をはたしているのか、そして、そうした典礼がどの程度、「教育への[依存]欲求」というものを作りだしてきたのか、という点を研究するようになりました。また、学校[という典礼]に参加する人びとの精神のありかたのうえに、学校がどんな痕跡を残すかということにも気づくようになりました。わたしは、学習の理論や学習目標がどれだけ達成されたかといった研究についてはカッコに入れ[判断を控え]、学校における典礼の形態に注意を集中しました。『脱学校の社会』として出版した諸論文のなかで、わたしは、学校の現象学を論じました。

 その「学校における典礼の形態」の例として、次のものをあげる。

《「教師と呼ばれる人間のまわりで、年に二百日、日に三時間から六時間勉強する年齢別に構成された集団》(119頁)
《落第したり、低いランクのコースへ追いやられた者たちが排除されることを年ごとに祝う進級[という儀式]》(同)
《これまでのどんな僧院の典礼にもないほど細分化され入念に選択された学習項目》(119〜120頁)
 
生徒の数は一般に十二人から四十八人、教師は、数年間は、生徒以上にこうした儀式に骨の髄までひたった者でなければなりません。生徒は、一般になんらかの「教育」を受けたとみなされ、また学校だけが、独占的にそうした「教育」を授けることができるとみなされています。(120頁)
そういうことから、わたしは、教育を、必要な財と考えるような社会的現実を、学校という典礼が、どのようにして作り出してきたのかを知ることになりました。二十世紀の最後の二十年のあいだに、このような[教育の必要という]神話を作り出す働きをするものとして、包括的な生涯教育が、学校にとって代わるだろうということについては、当時でも気がついていました。(120頁)

 けれど、イリイチはこう語る。《『脱学校の社会』を書いたとき、わたしの関心の核にあったのは、依然として、教育の社会的影響であり、教育がそもそも歴史のなかでどのようなものとして形成されてきたかということではありませんでした》(121頁)と。このようにイリイチは自己批判をする。
 この文章の後、イリイチは人間を「ホモ・エージュカンドゥス」(教育を要するヒト)の「種に属している」とみる自身の仮説を疑い始める。「稀少性」というキーワードから文明を読み解くイリイチの姿勢が《実は、歴史的につくられたものだということに、カール・ポランニーの本によって気づかされ》(122頁)る。

こうして、「教育」とはなんであるかということを私は理解するようになりました。つまり、「教育」とは、学習を生産する手段が稀少であるという仮定のもとでとり行われる学習のことなのです。この点から考えると、「教育」への[依存]欲求とは、いわゆる「社会化」のための手段は稀少である[かぎられている]、とする社会的な信念や合意から生まれる結果であるように思われます。そして、同じ点から考えて気づきはじめたのは、教育という儀式が反映し、強化し、現実に作り出してもいるのは、稀少性という条件のもとで追求される学習への価値への信仰だということです。(122頁)


※なお、カール・ポランニーについてYahoo!百科事典で調べた結果も引用しておく。

ポランニー Karl Polanyi

(1886―1964)

ハンガリー生まれの経済学者。主としてアメリカで活躍。ブダペスト大学その他で哲学法学を学び、第一次世界大戦後ウィーンで雑誌の編集に従事。ナチスに追われてイギリスに移り、オックスフォード大学の課外活動常任委員会の講師その他を経てコロンビア大学客員教授となり、経済史を講義。物資の交換形態として、互酬性、再分配、(市場)交換の3様式を摘出し、交換形態の分析により、近代の市場経済社会と、その他の非市場社会とを同時に扱うのを可能にした。近代西欧の市場経済が人類史上、特殊であることを示し、経済人類学の発展に多大の貢献をした。主著として『大転換』(1944)、『ダホメと奴隷貿易』(1966/邦訳名『経済と文明』)などがある。なお、物理化学者、社会科学者のミヒャエル・ポランニーは弟、化学者のジョン・ポランニー(1986年ノーベル化学賞受賞)は甥(おい)である。

[ 執筆者:豊田由貴夫 ]


2010年2月13日土曜日

イリイチVSフレイレ『対話 教育を超えて』からのアフォリズム その3

イリイチVSフレイレ『対話 教育を超えて』のアフォリズム・シリーズも堂々の完結編。

ラストはウィリアム・B・ケネディーが語った「教育の巡礼者 フレイレとイリイチ」より。

イリイチは、抑圧された人間を消費者とみなしている。消費者は、自分から行動したり生きていこうとはせずに、受動的にやりとりするばかりで、地球の資源を使いつくしてしまうように仕込まれているのである。資本主義諸国も社会主義諸国も、そういったことを人類の目標として永続化させるという点で変わりがないため、かれは双方を批判する。絶えざる成長をその目的とする限り、「発展」はつねに害をもたらすのである。(128頁)

 イリイチは「サービス」というところで権力論を構築する。それがフーコーとの違いのようだ。
 「消費者」は、企業や国家の「サービス」をただ受け止めるだけ。「遊びに行きたいな」「はい、ぜひディズニーランドへお越し下さい」。自分から「何をして遊ぶか」を主体的に選択するのではなく、企業や国家の示す選択肢から選ぶにすぎない存在となってしまう。

 最後に、両者についての説明を引用する。

フレイレがその国情に通じているラテン・アメリカ諸国では、教育にたずさわる人間は、自分たちが行動できる「自由な場」を問題にしている。自由を制限する巨大な力に対抗する上での助けとなる、民衆の生活に根ざした戦略を追求するという点で、フレイレの活動はイリイチと結びつく。その線にそって、かれは、慎重に行動し反省していくことを勧め、現実の中で、ペシミズムや冷笑的な態度におちいったり、オプティミズムや単純な行動主義におちいったりしないようにと忠告している。(140頁)

大大学 その傾向と対策





吉本隆明は山本哲士との対談の中で「大大学」を話す。学歴社会の進行が、「大学」ではなくその上の「大大学」を要求するようになる、と。いま、大学院生の数は10年前の2倍。「大学院大学」と「専門職大学院」も普及した。吉本の「大大学」が大学院の形で広まってきている。もはや人は大学に行くだけでは差がつかなくなり、「大大学」である「大学院」にいくことが普及するであろう。学歴社会は「大学全入時代」で幕を閉ざすわけでない。今以上に進行するであろうと思う。このことが本当に「輝かしい」ことか、教育学者は考えなければならない。





 この引用はTwitterの中で、私がIshidaHajime名義で書いた文章だ。吉本隆明と山本哲士の対談『教育 学校 思想』(日本エディタースクール出版、1983)から、元の文章を見てみよう。


(石田注 吉本の発言)一般的に学問とか知識とか芸術とかいわれているものが、もう少し時代が進んで大きな観念の空間を占めるようになるとするでしょう。そうしたら、いまは小学校から大学まであって、中学まで義務教育になっていますが、やがて大学まで行ってもまだ間に合わない。そこで、大大学というものまでできるという発想になりますか。(91〜92頁)



 私の記憶違いで、どうやら必要とされる知識が増大するために「大大学」が要請されるようになる、という文脈であった。学歴社会が進行すると本来学歴が必要なかった職種に高学歴をもった人物が入って来、パイを奪い合うようになる(R・P・ドーアの『学歴社会 新しい文明病』冒頭には「学士タクシー」の話があった。これはもともと高卒程度の学歴があれば良かったタクシー運転手に、大卒の人間が入ってくるようになる、という話である)。いま、「大卒」で仕事にあぶれる人が多くいる時代である。この本が出てから27年が経ち、当時より遥かに多くの大学と大学院が作られた。吉本が危惧する「大大学」化は次第に現実化しつつあるように思える。
 そうなった場合、人間がさらに幼稚化すると吉本と山本は続ける。中卒で働くのが普通だった時代と、高卒で就職が普通であった時代、大卒就職が普通となる時代とでは、同年齢の人間でも「幼稚さ」が高まってくる。もっとさかのぼると、「学校」がなかった遥か昔、子どもたちは「小さな大人」として遇されていたことを考えれば、「学校」が人類の幼稚化をもたらしているように思える。
『対話 教育を超えて』の中で、イリイチは言う。


ぼくは、教育なんてものは、西洋の中身のないからっぽの機構、つまりもっとも異端的な教会でしかないと思っている。ぼくが子供について話すのを避けてきたのは、全世界の民衆が幼児化されるという危険がつきまとっているからなんだ。今この瞬間にも、あらゆる政府や国際組織、さらには教会でさえ、教育的な治療を広めようという政策でのぞんでいるわけだ。ぼくが、ここにやって来たのは、ただ、子供時代を社会的に拡張することに対して警告を発し、それに反対の態度を示そうと思ったからなんだ。(122頁)
 さきほど私は「幼稚化」をあげたが、イリイチも「幼児化」ということで説明をする。学校が人間を成熟させるのではなく、逆に「幼稚化」(「幼児化」)させるのであれば、そんな学校にいかほどの意味があるのか。


追記
●「過剰教育」という言葉がある。竹内洋らの『教育社会学』では次のように説明されている。「労働者の教育水準が職業の資格要件を上回っている状態。たとえば、雇用市場の不況から大卒者が専門的な仕事につけずに不熟練職に回る場合など」(252頁)。いま大卒の価値は急激に低下している。過剰教育の結果として、「大大学」が普及する可能性は十分にあるのだ。

イリイチVSフレイレ『対話 教育を超えて』からのアフォリズム その2

ここからは、「解説」以外の部分、つまり「本文」から抜粋を行っていく。


フレイレ わたしたちは、何よりもまず、どのような教育を人々が本当に必要としているのかを知る必要があると思います。わたしたちは往々にして、人々の真の要求には無頓着なまま、教育内容を云々しがちです。わたしたちが与えようとしているような体系的な教育は、必要とされないことが多いものです。(40頁)

(石田注 イリイチの発言から)
価値の学び方はふた通りあると思うんだ。ひとつは、本質的に親密な個人的な交わり、つまり、互いに顔をつきあわせているふたりの人間の責任にもとづいて行われるもの。もうひとつは、価値の他律的な生産であって、一般の人々は、その価値を必要とするように、管理する側から期待されているんだ。その中には、車の右側通行の仕方を教えてもらうことが必要だといったことから、何がしかの「代理人」をして、かれらに、民衆は意識を必要としている。(42頁)

(フレイレの発言から)
すなわち、教育が社会を形づくるわけではなく、社会が、権力を持つ者の利益にかなうように教育を形づくるのです。この過程が機械的ではないからこそ、そのように申し上げたのです。つまり、教育はある時点で社会によって形づくられながら、社会のために特別な条件を築きあげるのです。(44頁)

(イリイチに対してのフレイレの発言。両者の違いについて)
あなたは教育が人間の現象であることは認めていらっしゃる。別なことばで言えば、いろいろな理由から人間が教育を生み出したことは認めていらっしゃるようです。しかし、ある地点を超えると、教育は人間性を失ない、もはや人間のコントロールの及ばない悪魔の手先になってしまうと言うことです。ここが、わたしの考え方とは違うのです。わたしは、何よりもまず、教育が永久的な過程であると考えてきました。この点で意見が異なるのです。教育は、人間が未完成であり、歴史的な存在であり、永久に探求を続ける存在であるからこそ、永久的な過程なんです。さらに、人間はこの探求の中で、自らの現実を知り、また自分が知るということを知る能力を獲得しました。したがって、わたしは、教育の重要な一面は、いつの時代にも、知識を実行に移すための理論というところにあったし、現実もそうであると考えています。(95頁)

(ダウバーという人物が、イリイチとフレイレの議論を聞いて)
ふたつの概念の相違は、はっきりしました。イバン(石田注 イリイチのこと)は、「発展を制限する上での基準」という否定的なものを問題にし、パウロ(石田注 フレイレのこと)は、メチャクチャにならない教育の過程、つまり意識化という肯定的なものを問題にしています。(101頁)

(イリイチのことば)
ぼくは限界閾と限界設定とを、はっきり区別しているということだ。(112頁)

(ダウバーの発言)
非学校化は、集権化や制度化や専門化を排除しようということです。制度のもつ力に対して限界を設定すれば、社会における政治的・経済的な矛盾が自覚されてくるはずです。制度を変革する行動に立ちあがれば、必然的に政治闘争に足を踏み入れるようになります。そしてこれが、わたしの理解している限り、パウロがいく度となく繰り返している意識化の過程なのです。(119頁)

(イリイチの発言)
ぼくは、教育なんてものは、西洋の中身のないからっぽの機構、つまりもっとも異端的な教会でしかないと思っている。ぼくが子供について話すのを避けてきたのは、全世界の民衆が幼児化されるという危険がつきまとっているからなんだ。今この瞬間にも、あらゆる政府や国際組織、さらには教会でさえ、教育的な治療を広めようという政策でのぞんでいるわけだ。ぼくが、ここにやって来たのは、ただ、子供時代を社会的に拡張することに対して警告を発し、それに反対の態度を示そうと思ったからなんだ。(122頁)

この対談の中では、deschoolingを「脱学校」ではなく「非学校」と訳している。これ、山本哲士の影響であろう。

イリイチVSフレイレ『対話 教育を超えて』からのアフォリズム。

イリイチVSフレイレ『対話 教育を超えて』(野草社、1980、島田裕巳ほか訳)は非常に興味深い本だ。


「解説」を山本哲司が書いているのもいい。


山本の「解説」から、抜粋をしていく。


イリイチは、読み書きは意図的な学習であるとして、歩くことや話すことを学ぶ学習とは区別している。三つの大きな問題が明示されているのだ。ひとつは、教育は象徴的な暴力であるということ、もうひとつは、字の読み書きが人類にとって基本的に必要であるのかどうかということ、さらに、前二者をふまえて、もし、字の読み書きを教えるなら、それは子どもに対してはたすべきものなのかどうか、青年期でよいのではないか。この三つの問題に明確な解答を与えることーそれが、われわれの教育学的な任務である、といえよう。(188頁)


学校を正当化する考えは、それを使用する人たちが、学校制度が自らの必要や利益に奉仕しているのだと信じていなければ維持されない。たんに支配の側からのおしつけがあるのではなく,必要であると自らがおしつけていく制度的な特徴があるのだ。

「制度としての学校」を把むことによって「教育が学校化=制度化された」という教育の仕組みをとりげることができる。教育の仕組みは、教育制度を、相対的に自立したサブシステムと捉えたり、学校内での教育実践と捉える表層的な分析からは決して明らかにされない。教育という事実性を、文化の象徴的な生産様式という視座からとらえかえさねばならないのである。(163頁)


宗教制度から学校が世俗化されたことによって、学校の聖化が、〈教育〉を宗教として再構成されていると認知し、学校から「学ぶ」行為を世俗化させるべきだ、とイリイチはいう。教育を蘇生させるのでも復権させるのでもない。学ぶ様式の多次元的な世界を蘇生させることである、というのだ。(165頁)


他者への働きかけの質を主体において問うフレイレに較べ、イリイチは「主体」をいっさい問わない。正確にいえば「主体の志向性」を問題にしない。ただ、個の自律性の相互交流関係(様式)を、自律共働性の価値からとらえるだけである。痛みを感じ、苦悩し、受苦し、病や死に直面する自分、自らの足で歩き、自ら学ぶ、そうした「自律性」が確かなものであって、「政治力」であるのだと考える。他者からの働きかけによって運ばれ、教えられ、治療される様式が支配的なところに「政治」はない、人間的なものはない、というのだ。(179〜180頁)


(石田注 フレイレの話から)学校は社会を変えない、社会が学校を変えるのだ、と主張する。(181頁)


「教える」というこうとは、他者に働きかける様式、つまり概念的には他律的様式としておさえられる。それに対して「学ぶ」ということは、自律的な様式なのだ。現代の教育という商品、あるいは基本的必要を中心に構成されている〈学校〉あるいは〈学校化社会〉というのは、その自律的な「学ぶ」ということに「教える」という対立的なものが働きかけた結果なのだ、といえる。だから「教えないと学べない」とか「教えてやらなければならない」とかいう論理が生じるのだ。そういう形で「教える」という他律的なものが勝利したとき、教育という商品がそこに完成する。他律的なものが働きかけていくと、働きかけた結果、現実的にある価値が作られてしまう。ある種の〈資格〉を象徴とする競争原理に基づく序列化社会はまさしく〈教育の商品化〉の結果である。イリイチにとってはそのことが問題なのである。つまり、フレイレとイリイチにとっては、「教育」を位置づける「場」が異なっているのである。フレイレは歴史構造の現段階におけるトピックにとどまり、その限界状況下での歴史的性格と変革可能性を実践的に考察するのであるが、イリイチは、文明史的な視座から「教育=商品」を時代の本質的な構造として相対化してとらえる。(176〜177頁)


フレイレは‘教育はいかなる時代にも普遍的にあった。現在、それが抑圧の教育となっている歴史的・イデオロギー的性格を把握する’という。しかし、イリイチは‘教育そのものが近代の構造的な産物であって、その本性からして商品である’とみなす。(177頁)



「わたし」を如何に作るか。

 失恋は苦い。けれど、それにより「わたし」という存在がより深いものになる。アーレント風に言うなら、「振る」異性の存在(=他者)が私を豊かにする、ということか。
 「わたし」という「主体」を形作るには、「苦しみ」が必要である。高岡健は、人間は年上と年下の異性から別れを告げられない限り自分と向き合うこと・「わたし」を深めることは出来ないと語る(『16歳からの〈こころ〉学』)。
 教育という制度の欠点は、本来自分でやるべき「主体(=わたし)」の構築を、教育制度が行えると思ってしまうところにある。過ち・失望・絶望・孤独から子どもが学ぶのを「危険だ」と考え、そうならないように何かを教える。例えば性教育、例えば消費者教育。それが別の種類の絶望(=学歴信仰など)を生んでもいるのであるが。
 究極的には、教育で ひと(=わたし)を作ることは出来ない。教育に出来ることは ひとをその人の内面に向き合うことを手助けすることである。決して、「教える」ことで代替はできない。

2010年2月12日金曜日

レーウェンフックの顕微鏡

大学経営や学問の研究の場から、「高卒」や「中卒」の人間が排斥されている。ゆえに「大卒」の人の立場からしか、発想がなされない。

レーウェンフックが顕微鏡を作ったとき、まだ一般民衆が学者と論争し合うことができた。いま、それはない。

大学に関する立場に、「大卒」でない人間もいれていく必要があるように最近の私には思われる。「大卒」という記号にはそれほど意味はない。レーウェンフックのように正規の教育を受けていない人間でしか考えられない視点があるはずだ。
そこを見逃すことがないようにしたい。

「小説 母の弁当箱」へのコメント。

 「母の弁当箱」という小説を、本ブログで書いた。これを現役高校生であるK君に読んでもらった。
「中学生にもなって、ポケモンの話を友人としないし、弁当を捨てて何か買って食べるなら、弁当以外もの、たとえばお菓子を買いますよ」
 おっしゃる通りのコメント。
「中学生は、小学校の〈あのね帳〉みたいな文章を書きませんよ」
 これまたおっしゃる通り。

 大人は自分が子どもだった時のことを忘れる。この言い回しを時々聞くが、まさにそれを実感した。私が中学生だった時のことを、いまの私はすっかり忘れてしまっているのだ。というより、中学生だった時の私と今の私は連続する存在ではないのではないか、という思いすらしてくる。

 何かの漫画にあった。ある日小学生の「私」が野良犬のようなものを拾ってくる。実は大人になった「私」はその野良犬のようなものが変化した存在で、小学生のときの「私」はどこかへ消えたのではないか。そのことに気づいた時点で漫画は終る(永井均『マンガは哲学する』に紹介されていた物語である)。
 この寓話は、「大人は大人は自分が子どもだった時のことを忘れる」ことを身にしみて実感させてくれる物語であるように思われる。

グラウンドの芝生化

高田馬場駅そばの小学校で芝生化の作業が行われている。なんでも老朽化したゴムチップのグラウンドを剥がして芝生にするらしい。

どうせ剥がすなら、はじめから芝生でよかったのではないか、と思う。無駄な公共事業。

芝生にすると除草剤や肥料をけっこう使う必要が出てくる。「学校環境の緑化」というと聞こえがいいが、芝生化が本当に環境にいいことか、検討してみる必要がある。

2010年2月11日木曜日

子どもの保護は、絶対の真理か?

『まんが能百景』(渡辺睦子 作画・増田正造 解説、平凡社、2009)を読み終える。能の物語を見開き2ページで分かりやすく漫画で説明してくれる、便利な本。面白く読んだ。

 僧が道を歩いていると、近くにいる人が案内をする。実はその案内人は幽霊で、「弔ってくれ」と言って消える。僧が弔うと幽霊が成仏を喜んで舞う。大体の能が、こういう型に基づいて描かれていた。何事にも、「構造」があるものだ。

 「構造」と言っていいかは分からないが、子どもを人買人(ひとかいびと)にさらわれ、母親が狂乱しつつ探しまわるというシナリオも『まんが能百景色』に多く登場した。
 
 「人の命は地球より重い」という言葉をよくきく。けれど、「生命の重さ」はどの時代でも一定であるわけでない。昔、子どもは勝手にいなくなったり、勝手に死んだり、誰かに殺されたりするものだった。大体、親が子どもの数を正確に覚えていないことも多い。モラリストと評価されるモンテーニュも、自分の子どもの数を覚えていなかったほどである(以上、アリエス『「教育」の誕生』より)。「人買人」に買われたり、さらわれたり。そういうことが日常的にあった(『千と千尋の神隠し』という映画のタイトルにあるように、「神隠し」も頻繁にあった)。でなければ、日本の伝統芸能である「能」に「人買人」の話が出てくるわけがない。

 現在の社会では、「子どもを守る」ことが重視されている。いま私鉄の改札を通るたびに親にメールが送られたり、「ココセコム」や携帯で居場所を親が探せるようにしたり、塾に監視カメラがあったりするなど、種々の技術を活用しつつ子どもを保護する(『学校身体の管理技術』より)。私も保護されて育ったゆえに私が何か言える権利はないかもしれないが、本来子どもはこれほど保護されなければならない存在だったのだろうか? 能を見る限り、そうではなかったことがよくわかる。
 
 本稿で私は何も「子どもを保護するな」と言っているのではない。時代に応じて、何が正しいかは移り変わる。「子どもを保護しない」のが当然の時代もあれば、現在のように「保護しまくる」時代もあるのだ。

2010年2月9日火曜日

東野高校に見学に行く。 

 東野高校(埼玉県・入間市)へYさんと行ってきた。Yさんは3年ほど前にこちらに見学にきたらしい。
 東野高校は1985年に設立された「自由」を重視した学校。制服も校則もない。生徒は喫煙もすれば授業中も外でふざけている。教員もヒッピー的な服装。Yさんによると「バンダナを巻いている人がいた」という。けれど荒れて人気も下がってきたため、制服や校則が制定された。wikiを見る限り、2007年から改革がはじまったらしい。ついでにいうと、今日見た時、教員もきちんとスーツを付けていた。「自由」を重視して蹉跌を踏んだ点では「自由の森学園」と近い。

 自由を重視する教育。それを「学校」体系で行うと挫折することを知る。
 逆に言えば、現在の校則も制服もある東野高校は、現体制内で「自由」に基づく教育を行うとどういう形になるかを示している。

 「自由な教育」なんて、「学校」形態では無理なのだ。本当に実現しようとするなら、画一的・一斉授業の「学校」では不可能で、フリースクールの形態をとるしかない。
 そう思った。

2010年2月8日月曜日

小説 母の弁当箱

 早稲田駅前。ぼくは大学生たちと逆行する形で、夕方にこの駅から地上に出てくる。気楽な大学生たち。背中に背負った大きなバックには、なにが入っているのだろう。全部本だとするなら、ぼくは大学生になった時、ちゃんとやっていけるんだろうか。 
 そんなことを考えながら駅を出て数秒歩き、100円ショップ・キャンドゥの横を曲がったぼくは、大きな「W」の文字を目にする。ぼくの第二の学校・早稲田アカデミーだ。
 「おはよう」 。友人のIがぼくに声をかける。ぼくも「おはよう」と答える。ここの中学生の間では、夕方に出会っても「おはよう」なのだ。中1のときは不思議だったけど、いまでは慣れてしまった。
 授業のあいまに、ぼくは弁当箱を広げる。お母さんがいつも作るヤツじゃない。そばのファミマで買ってくるお弁当だ。チンしてもらうと、おいしそうな香りが湯気と一緒に立ち上ってくる。IとかNたちといつも食べている。話の内容はだいたいポケモン。
 青い早稲田アカデミーの看板の前でサヨナラをいったあと、ぼくはいつも講師室のそばの給湯室にひとり行き、母のお弁当の中身を生ごみ袋に入れて帰る。箱はもう一度きんちゃく袋に入れて、カバンにしまう。
 それがぼくの一日の終わりです。




 レポートで使う資料を探すため、僕は押入れの段ボールをあさっていた。偶然見つけたのが汚らしい原稿用紙。中学生の時に学校の宿題のために提出した文章だ。なぜこんな文章を書き、しかも学校に提出したのか、さっぱりわからない。何かに怒っていたのかもしれない。作文を出した後、担任が悲しそうな顔をしながら「もっと別のテーマで書けないのかな?」と話したことが思い返される。結局、そのときは宿題の再提出をしなかったのだった。
 作文に出てくる大学生が背負っていたバックには、テニスセット一式とジャージが入っていたことを僕は知っている。大学はあんまり勉強しなくてもやっていけることも学んでしまった。けれど、母の弁当を「まずい」と言ってすべて捨てて帰るほど、僕の人間性は悪くはなくなった。 それにしてもひどい子どもだったものだ。

 しかし。
 あの頃の僕よりも、母のほうがもっとひどい人間だった。今でも覚えているが、中三の冬(あ、受験直前だったんだ)、いつもより早起きした僕は台所で母の姿を見てしまったのだ。セブンイレブンのビニール袋から出したコンビニ弁当を、僕の弁当箱に詰め替えている姿。僕はそっと後ろに下がり、ゆっくりと布団の間に戻った。
 いつも「まずい」と捨てていた母の弁当。代わりに食べていたファミマの弁当。けれど、母の弁当も所詮はコンビニ弁当だったのだ。レンジで温めなかったために、まずくなっていた。
 それだけだったのだ。

「学校にまにあわない」の恐怖。

 前にも書いたが、私はいまひたすら「たま」というアーティストの音楽を聴き続けている。脱学校論者である私(「素人が、簡単に自分のことを『〜〜論者』と名乗るな」、と言われそうだが、自分で言わないと誰もそう認識してくれないので初めからそのように言う)に、有益なヒントをもたらしてくれる。そのうち、「たま」の音楽を評論することで脱学校論について整理する論文も書けるのでないか、と思う。
 「たま」の音楽をi-podに入れて、どこでも聴く。イヤな場所に行くのも、少し気が楽になる。「引き出しの中に広がった/三千世界の彼方まで/翼をゆらゆらバタつかせ/いますぐ着陸態勢に入るよ」(「はこにわ」)という歌を「たま」は歌うが、i-podの中にも「三千世界」が広まっているように感じるのだ。

 さて。今回は「学校にまにあわない」を例に取り上げよう。前半部には幻想的風景が、後半には「学校にまにあわない!」と叫ぶ主人公の恐怖が描かれる。冒頭は、次の詩で始まる。

百万階建ての
ビルディングの建設
階段だけしかない
それだけの為の建物

 「百万階建て」なのに「階段だけ」しかないビル。上に行くことが目的だが、それには有益性が何もない。このビルを学歴と捉えればまさにその通り。
 イリッチは「学校化」ということを述べた。学歴自体には何の意味もないのに、「能力がある」ことにされる。私の周りに「早稲田大学卒」という学歴を持つ人が多くいるが、皆すごく能力があるかというと決してそうではない。でも世間は「早大卒」という学歴には「高能力」という意味があると勘違いをする。

ある日足場踏み外して
そのままの姿勢で堕ちて行く

 学歴ビルの階段を、すべての人が上に登れるわけでない。ほとんどの人は途中で「足場踏み外して/そのままの姿勢で堕ちて行く」のである。学校秀才とされる人も、いつ「足場踏み外して」しまうかもしれないという恐怖を持っている。その恐怖が「頑張らないと!」という思いになり、さらに階段を上って行くことにつながる。そのことにより鬱になり、結局「足場踏み外」すこともあるのだが。
 学校のもつ恐ろしさ/恐怖を示すこの歌。けれど、直後に「脱学校」的希望が描かれている。「足場踏み外」す恐怖のあと、このように歌詞は続く。

でも下には網が張ってあって
僕はうまいことフィニッシュを決めるのさ
満場のお客様が
いっせいに拍手 拍手

 「足場踏み外」しても、あんがい「下には網が張ってあ」るものなのだ。大事なのはその際に「フィニッシュを決める」ことができるか、どうか。学校的価値観から脱落しても(脱落する道を選択しても)、それだけで人生に失敗することにはならない。学歴ビルの階段を上る時は「堕ちていく」ことは恐怖だが、堕ちてみると「下には網が張ってあ」ることに気付けるものだ。脱学校的価値観で生きて行く道を選択することが、「フィニッシュを決める」ことだろう。
 けれど。この歌の作者は「網が張ってあ」るだけで安心をさせてはくれない。「フィニッシュを決め」た後の、続きの歌詞を見よう。

でもひとりだけ
後ろをむいている男がいるぞ
こいつ前にまわってのぞきこんでやれ
あ なんだ僕のお父さんじゃないか

 脱学校的価値観で生きることを決めた私。周りも、けっこう肯定してくれる。「満場のお客様が/いっせいに拍手 拍手」なのだ。けれど、保護者は最後まで肯定してくれないことがある。親と子どもの価値観は、常に一致するわけではない。
 『学校の悲しみ』というエッセイがある。著者ダニエル・ペナックはものすごい「劣等生」だった。母親は子どもの将来に絶望をした。こんなに成績の悪い息子は、ろくな大人にならないのじゃないか。不安、心配。ペナックが教員になり、また作家として新聞に名が出るようになっても、母の不安は無くならなかった。

どんな「成功の証明」を見せても、母の心配がなくなることはなかった。ぼくがどんなに電話をかけても、どんなに手紙を書いても、母に何度会いに行っても、ぼくの本が出版されても、書評を見せても、ポヴォーの番組(石田注 脚注を見ると、フランスの書評テレビ番組であると出ている)に出ても、だめだった。(……)もちろん、母はぼくの成功を喜び、友人たちとそれを話題にし、息子の成功を知ることなく亡くなった父が生きていたらどれほど喜んだことかと言ってはいた。しかし、心の奥のどこかに不安が残っていた。そしてそれは、もともとの劣等生によって生み出された永久に消えることのない不安だった。(6〜7頁)
 親にとって、学校的価値を外れた存在に一度でも子どもがなってしまうと、子どもの将来を悲観してしまう。あるがままの存在として、子どもと向き合うことができなくなってしまう。「後ろをむいて」しまうのだ。

 おまけに皆がみな、「網が張ってあ」る上に堕ちるわけではない。

倒れたラクダの
目玉だけが生きててギョロリと僕を見ている
みないようにみないようにしているのだけど
どうしても見てしまう
 「ラクダ」君は、ビルから堕ちてそのまま地面に叩き付けられてしまったのだろう。学歴ビルから堕ちて、「網」にも乗ることができなかった人間は、「目玉だけが生きててギョロリ」と社会を見つめる。けれど、もの言えぬ「ラクダ」ゆえ、彼ら(彼女ら)の声は社会に響かない。私の周りにもいる。「学校的価値」のもとに生きてきたが、結局そんなものに意味がなかったことに絶望をする人。「就活が決まらないなんて、何のために早稲田に入ったんだ、俺は!」と嘆く人。残念ながら学歴ビルはそこから堕ちて「倒れたラクダ」になる人の存在を見越して設計してあるのだよ。どこかでそのことに気づき、「網」の上に乗り、「フィニッシュを決め」ないと、制度設計者の思うままになってしまう。


 「学校にまにあわない」のラストは、あえて(か分からないが、おそらく)カタカナで書かれている。読みにくいので、原文の下に漢字仮名まじり文でも示す。

ミタナ ボクノ オモイデ
キミハ キョウ カワニ ドブント オチルヨ
ボクハ クサノシゲミデ キョウカショヲ サガシテ
キョウカショガ ミツカラナイ
ガッコウニ マニアワナイ
ノートモ ドッカ イッチャッタ
センセ ニ オコラレル

見たな 僕の 思い出
君は 今日 川に どぶんと 堕ちるよ
僕は 草の茂みで 教科書を 探して
教科書が 見つからない 
学校に まにあわない
ノートも どっか いっちゃった
先生に 怒られる…
 学校に行きたくないから、河原で道草。そのままお昼寝でもしたのだろうか。天高く太陽が昇っている。やばい、学校に行かなきゃ! でも、カバンを置いていたら中の荷物が散乱しちゃっている。どうでもいい教材はすぐ見つかった。でも重要科目の教科書がない。ノートも見つからない。行ったところで、「なんで教科書を忘れたんだ」と先生に怒られてしまう。

 「学校にまにあわない」。それは学校に行きたくないのに、無理して行かなければならない子どもの悲しみを描いた歌なのだ。私にも、こんな感覚があった(でも、何故か皆勤賞だった)。学校が持つ「恐ろしさ」を次第に忘れてしまっていたが、「たま」のお陰で思い出してきたのである。
 この、学校への原初的恐怖感が描かれたラストシーン。忘れることの出来ない風景である。
 

※なお、歌詞は『たま セレクション』の歌詞カードから引用した。歌詞カードには載っていない、ボーカルの石川さんのモノローグがこのラストシーンのあとに延々と続く。こちらも「学校への恐怖」が力強く表現されたものなのだが、別の機会に書くことにしよう。
 たまの歌は少し明るい。ゆえに歌詞のもつ暗さが見えにくくなる。そこに注意すべきだ。明るく楽しい歌の中で、人間のもつ本源的孤独を示していることがある。


参考文献
ダニエル・ペナック著/水林章 訳『学校の悲しみ』みすず書房、2009



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2010年2月7日日曜日

教職大学院の真の狙い?

 よくこんな意見を聞く。「昔と違い、教員よりも親の学歴の方が高学歴になった。そのため、親が教員をバカにし、モンスターペアレントとなるのだ」など。この文脈でなくとも、保護者が教員より高学歴になったために学校の権威が下がった、と言われることが多い。

 でも、この言い方って、親を思いっきりバカにした言い方じゃないか? 保護者というのは教員の学歴を調べてまで自らの優位性を示そうとするのだろうか。そもそも、教員の学歴を親が知る機会はそんなにあるものなのだろうか。そんなことはあんまりないだろう。
 「教員よりも親の学歴の方が高くなった」ことを問題視する意見に、私は作為性を感じる。本来的な問題でないのに、「大問題だ!」と騒ごうとしているかのようだ。ではこのような意見が出されるのは、一体何故か。
 思うに、教職大学院の普及を文科省がはかりたいためであろうと思う。なぜ、そうやりたいか? 私は文科省が教員の分断をはかろうとしているためであると考える。
 教職大学院出の教員の待遇を極端に良くする。すると、教員集団の中で同質性が失われる。ただでさえ力の落ちた教員組合の力がさらに低下する。教職大学院を出た教員は待遇を良くしてくれる国家に対し、忠誠心を持つようになる。簡単に国家のエージェントとして動く教員を文科省は入手することができるのだ。
 
 「教員は高学歴であるべきだ」。言うのは簡単だ。けれど、この意見自体が国家に益するものである可能性を私たちは疑うべきであろう。

…。今回は(今回も?)、けっこう質の悪い評論になりました。ごめんなさい。
 
 

イリッチ『生きる思想』から、『レイ・リテラシー』前半部。

 読む技術を、私たちは自明のものと考えている。しかし、実はそうではなかったことをイリッチの本を読んで知った。『レイ・リテラシー』という文章自体、私は黙読で読んだが、これって実は高度なテクニックであったのだ。あのアウグスティヌスが「発見」と、わざわざ『告白』で書いていることなのだ(『生きる思想』131頁)。まあ、このことについてイリッチは結構あちこちで書いている。前に読んだ『シャドウ・ワーク』にも書かれていた。

 この『生きる思想』にはページ番号も振ってあり、章ごとに見出しもあり、章と節にも番号が振られている。おまけに段落分けもしてあれば各章のはじめに軽い要約すら施されている(133頁)。現在の私たちは「本って、こんなものだ」という認識でいるが、実はそうではなく数多くの技術(イリッチは「二ダースもの技法」と言っている)の発見によってかろうじて成立しているのが、現在書店に並ぶ「本」なのである。小学校の教科書以来、ページ番号や章ごとに見出しのある文章に私たちは馴染んでいるが、「本」を成立させているこれらの技術は、決してはじめからあったものではない。


 『レイ・リテラシー』では「テクスト」成立までの物語が説明されている。〈参照、引用の照合、黙読が一般化〉(134頁)することにより、〈ひとつひとつの手書き本から独立した「テクスト」という観念がすがたを現し〉(135頁)た。〈印刷機がもたらした社会的影響としてしばしば考えられてきたことの多くは、じつは、見て調べるlook upことのできる「テクスト」[という観念の成立]によってすでにもたらされていた結果だったのです〉(135頁)。

 日本で言えば『源氏物語』が例になるだろうか。平安の時代、源氏物語を多くの人が読みたがり、積極的に写本が行われた。その写本も写本がなされる。「伝言ゲーム」はどこかで創作が入るもの、写本にはいろんなバリエーションが出来てしまう。古代の人にとっては自分の読んだ本がすべて。けれど、研究者(や現在の私たち)は無数の写本の背後に一つの「テクスト」という真理を見る。

 イリッチの説明により、「テクスト」成立の歴史が分かった。その後、このテクストの神聖性・真理性は「構造主義」により否定されてしまう。

 レヴィ=ストロースは神話の「構造」を研究するとき、神聖不可侵だった聖書にメスを入れ、バラバラにしてしまった。そのとき、テクスト論が始まったと橋本大三郎『はじめての構造主義』(講談社現代新書)に書いてあった。イリッチは言及していないが、「テクスト」あるいは「テキスト」という言葉には構造主義の匂いがしてくる。

〈いちど神話分析の方法になじんでしまうと、そういうことはそっちのけで、勝手にテキストを組み換え、ついには、最高のテキスト(聖書)の権威を否定してしまうことになる。それとともに、「言いたいこと」を伝えていたはずの‘神’も、かき消えてしまう。〉(『はじめての構造主義』123頁)

 いま私はイリッチの『レイ・リテラシー』というテクストをバラバラに分けて論じているが、こんなことを庶民レベルの人間が行えるようになったのは最近のことなのだ。引用や参照という技法も、もともとは高度なテクニック。



 さて、私には少し関係の薄い就職活動の話。いま就職しようとしたら、インターネットでマイナビにリクナビ、人によっては「みんしゅう」に入るところからシュウカツは始まる。PC上でエントリーもセミナーの予約も行い、エントリーシートもやっぱりPCで作成する。いまの世の中、就職するためには①ネットが使える環境にいて、②PCで少なくとも文章を作成するくらいの能力があって、③こうしたシュウカツ情報を入手する能力もある、という三つの要素をクリアしないといけない。簡単に行ってしまえばパソコンもネットもつかえない人間は始めから就職戦線から離脱せざるを得ないのだ。『レイ・リテラシー』は私の担当した前半部を見るとコンピュータ・リテラシーについてを考える手助けとしてレイ・リテラシーについて指摘したようだ。現在、学校の教育(中学では「技術」、高校では「情報」の科目名のもとで)でもコンピュータ・リテラシーの授業がある(学校では「情報リテラシー」と言われることが多い)。いまの社会はすっかりコンピュータ・リテラシーの必要な世の中となってしまったのだ。

 

 本文の中でイリッチは文字の普及(つまりレイ・リテラシー)以来、それ以前の「声の文化」のなかで消滅してしまったものがあることを指摘する。

〈かれ(注 パリー)によれば、文字によってものを考える精神にとって、文字を知る以前の口承詩人がかれの歌をつむぎだすしかたを追体験することは、ほとんど不可能なのです。文字によってものを考える精神に根づいている不可疑の前提certaintiesの側からさしかけられたどんなかけはしも、われわれを口承叙事詩のマグマのなかに連れ戻してはくれません〉(126頁)

 いま、コンピュータ・リテラシーがないと就職活動が出来ない時代だ。レイ・リテラシーの普及によって消滅してしまった文化がある以上、コンピュータ・リテラシーの普及によって消えてしまう文化もあることだろう。



2010年2月5日金曜日

パッケージ化

講習会等の際、必要な文房具の「たすかる」セット。


知のパッケージ化が起きているような気がする。