2010年12月13日月曜日

2010年12月6日月曜日

『失われた場を探して ロストジェネレーションの社会学』読書メモ

Brinton, Mary C.(2008):池村千秋訳『失われた場を探して ロストジェネレーションの社会学』、NTT出版、2008。

・日本の若者の中で最も就職状況が厳しいのは普通高校低偏差値校であることを実証した本。アメリカでは職探しの際「ウィークタイズ」(グラノベッター)が強いが、日本では「ストロングタイズ」によって探すことが多い。
・高校の就職先あっせんのシステムが動かなくなり(普通高校。工業高校や商業高校はまだ口が見つかりやすい)、自ら高校生が動く必要が出て来る。

・かつては「場」が物をいった日本社会だが、だんだん場が衰退しており、アメリカ同様「資格」中心に動くようになってきた(95)。かつては学校や会社が「場」(男性の場合。女性は家庭であるという)の働きを持ち、なんらかの安定した場の一員であることが決定的に重要な意味を持っていた。「しかし今日の若者にとって、そうした「場」は減りはじめている。社会におけるアイデンティティーを学校と職場から得られない若者が増えているのだ」(99)。
 「正社員にならない若者が増えていることに関して日本の政府とマスコミは若者の姿勢を批判するが、重要なことを見落としがちだ。その重要な側面とは、この章で指摘してきたように、高校の序列がはっきりわかれていて、求人の数に高校によって大きな格差があるという現実である」(143)。
 「かつて日本人にとって、幸福や安心の源泉であった、企業や学校という場に所属する機会は、ロスジェネにとって、大きく失われてしまった。なかでも、偏差値レベルのそう高くない高校を卒業した後、大学に進学しなかった男性ほど、「場」を失って彷徨い続けているのだ」(240頁の玄田有史の解説)。

2010年12月5日日曜日

統計局のキャッチコピー

白々しいコピー。お役所の宣伝文の軽薄さがたまらなく好きである。

2010年12月4日土曜日

フレイレ『伝達か対話か』読書メモ

「人間として生きることは、他者および世界とかかわって生きることである。それは、世界をそれ自体で独立した、認識可能な客観的現実として経験することである」(15)


「存在するということは、人間と人間、人間と世界、人間と創造者のあいだの永遠の対話を包摂するダイナミックな概念である。人間を歴史的存在にかえるのは、この対話である」(44)

「もし教育にたずさわるものが、新しい社会の生誕になにか特別に寄与しうるものがあるとすれば、それはほかでもなく、批判的態度の形成をたすける批判的な教育を生みだすことであったと思われる」(71)

「われわれの状況が求めている教育とは、自分たちが生活の場で直面している諸問題をだいたんに議論し、それにとりくむことのできる人間を育てるということである。こうした教育は、現代の危険がどこにあるかを人びとに気づかせ、ともすれば他人の決定に服従することによって自分というものを放棄してきた人びとに、それらの危険にたちむかう自信と力を与えるものとなるのである」(74-75)

民主主義の学習は「実践」をもって学ばれる。
「じっさい民衆は、民主主義の実践をへてこそ、それを習得することができるのだ。民主主義の知識は、他のすべての知識とおなじように、経験をくぐらせてこそ血となり肉となるものなのだから」(80)
→だからこそ「ことばだけで民衆に伝えよう」(同)とすることは無意味なのだ。そういう意味では、学校を民主主義育成の土台にしようとしたデューイに連なるものがある。「真の交流をつくりだすのは、対話だけである」(99)というフレイレの言葉をかみしめる必要がある。

識字について。
「識字というのは、日常の生活世界とは切れている生命のない対象物である文章、単語、音節を記憶することではない。むしろそれは、創造と再創造の態度を身につけ、各自が現実にかかわる姿勢を生みだす自己変革の力を獲得することなのである。/かくして教育者の役割は、具体的現実に関する非識字者との対話にひたすら身を投じ、かれが自分で読み書きを自学自習できるための道具を、完全にかれに与えることである。」(105)
→「自学自習できるための道具」とは、イリイチの「コンヴィヴィアリティのための道具」を思い起こす。

 他者との対話による教育を想定したフレイレ。この対話は「学校」でなくとも成立する(むしろ学校が「言葉」を教えこんで「沈黙の文化」に民衆を陥れている)。フレイレの「脱学校」思想はそういった意味でのものなのだ。

フレイレ1967=1982『伝達か対話か』亜紀書房、里見実ほか訳

2010年12月1日水曜日

早稲田キャンパス

早稲田大学の広場が、小学生の遊び場になっていた。

2010年11月28日日曜日

ウォーラーステインとイリイチ。

 ウォーラーステイン(19883)の『史的システムとしての資本主義』(岩波現代選書)を読んだが、イリイチのシャドウ・ワーク論に通じる指摘が多かった。

「資本蓄積者が政治的救命ネットとしてあてにしてきたのが、労働のうち金銭で測られてきた部分はほんの一握りにすぎないという事実である」(131)

 イリイチの『脱学校の社会』のハイライトにつながる「プロメテウス」的人間への批判も、本書103頁で述べられている。
 
 なぜ、ウォーラーステインの本書とイリイチの発想は繋がり合う点が多いのか? それはいずれもマルクス思想を土台にするという、米ソ冷戦下の思想体系の元に出てきた思想であるためである。この部分の理解が自分には甘いので、マルクス思想を再び学び直そうと思う。

2010年11月22日月曜日

イリイチの論理性が弱いことをどうとらえるか?

 ある学会発表にあったが(あとで追記する)、イリイチは「あえて」論文的でないエッセイ調で、彼の主著を書きあげた、という。『脱学校の社会』も『シャドウ・ワーク』も『ジェンダー』も、論文というよりはアジテーションあふれるエッセイの寄せ集めという感を呈している。
 イリイチは「あえて」エッセイ調で記述をしたとすれば、なぜこのような書き方をしたのかという疑問が付きまとう。実際、イリイチは論理の飛躍・論理破綻が多く指摘される論者である。特徴的なのは『ジェンダー』である。男女の性差に規定した「分業」が中世社会にあったことを指摘した本書は、上野千鶴子らによって徹底的に批判された。私から見てもイリイチは上野らに批判されて仕方のない論理展開をしている。どこか話に無理があるのだ。しかし、これをイリイチの論理力のなさとして批判することはできないと私は考えている。
 イリイチはCIDOCという研究センターにおいて60~70年代は研究活動に励んでいた。研究者同士のセミナーのなかでの議論が、イリイチの諸著作のアイデアの源になっている。萩原(1988)の『解放への迷路』にも、イリイチの著作がイリイチ以外の人びとによっても構成された点を指摘している。ここから考察すると、イリイチの論理性の無さというよりは、研究者どうしの種々の言説の寄せ集めであるがゆえの論理不一貫が起きていると言えるのではないか。
 あるいは教育詩学のように、教育の本来持つ豊かな可能性を様々な表現技法で示すという営みに近いものであるのかもしれない。「今の社会についてこうも言うことができる」と述べるためにイリイチは「エッセイ」を書いたのではないか。

2010年11月19日金曜日

子どもを子ども扱いする社会への批判。

 私は既存の教育学が子どもを「他者」として認識していない点に疑問を感じている。メーハンのIREではないが、教育的眼差しは子どもに「評価」の眼差しをおく。しかし、我々は友人に対して時間を聞いて「ありがとう」と言わず評価のみをすることは全くないはずだ。教育的関係においてのみ、子どもたちは「よくできました」と教育的眼差しで見られる。
 共同体社会の時代から共同体維持の成員育成が「教育」で行われてきたわけであるが、その教育自体の持つ「社会維持」の機能についてはあまり批判がなされていない。「子どものため」の「よい」教育であっても、子どもをまさに「子ども」扱いする。幼児段階はそれでいいが、小・中学生や高校生、はては大学生を同じ眼差しでみてもいいものなのであろうか。当然、「教える」エートスが求められるのは現在の社会(後期近代の社会である)そういった姿勢を要求するためである。
 その辺りを考察すると、教育的な眼差しをもって子どもを見ることが「気持ち悪い」と思ってくる。教育行為をどんなに奇麗な言葉で飾ったとしても、要は現在の社会の構成員になってもらいたい、あるいは構成員にさせる行為にすぎない。人々がそれに自覚的でないだけである。そのため、子どもに敬語を使ったり、逆に偉そうに振る舞う親や教員・大人たちをみると、その人々が「子どものため」と信じて行っていればあるほど、教育の共同体維持機能を無視しているように見えてしまい、「気持ち悪さ」を感じてしまうのだ。
 だからあえて私は考える。思いっきり、「大人げない」態度を子どもに行ってはどうか。無論、ピアジェ的には発達段階論で「大人げない」眼差しへの批判がアルであろう。しかし考えるべきは、我々大人は親しい関係にはまさに「大人げない」態度で関わっているのではないか。嘘をつけば、ネタとして友人を「いじる」。それはまさに汝−我関係という対等の立場に存在しているからである。しかし、子どもに対してはどんなに親しくなっても汝―我関係を成立させることはまれである。
 そんな理由から私は既存の教育学を根本から批判する脱学校論(非学校論)や半教育学が好きなのだが、あまり共感がなされないのが現状である。

2010年11月18日木曜日

「私」のいない世界

 私が死んでも、この社会は残る。しかしそれを私は認識できない。おそらく、私がいなくなっても人類は存続するであろう。しかし「私」のいない世界を私が認識できない以上、そんなものに何の意味があろう?
 このような実存的問題を人間にもたらさないために、「子ども」という足枷を人間は持たされる。自分の死後に残るであろう「社会」の象徴が「子ども」である。
 

2010年11月15日月曜日

シャドウ・ワーク概念の教育への適用についての一考察

シャドウ・ワーク概念の教育への適用についての一考察

0、目次

 本稿は以下のように構成されている。

1、はじめに
2、シャドウ・ワークとは何か 
(1)教育におけるシャドウ・ワーク性
(2)学習行為のシャドウ・ワーク性
(3)大学生のシャドウ・ワークとそれ以外のシャドウ・ワークの違い
(4)専門家依存としてのシャドウ・ワーク
3、シャドウ・ワーク概念への批判
(1)近代否定・中世回帰志向のイリイチ
(2)教育の否定
4、教育への展望
(1) 「コンヴィヴィアリティのための道具」としての教育
(2) CIDOCの実践に見る、イリイチの学習観
(3) CIDOCでの実践の評価
5、終わりに
6、今後の課題
7、参考文献

1、はじめに

 オーストリアの思想家イバン・イリイチ(Ivan Illich 1926-2002)は「シャドウ・ワーク 」(shadow-work)という概念を提唱している。これは当初ジェンダー 論の文脈で用いられたものであり、今まで自明視されていた主婦業を影の経済・苦界の経済として概念化したという意義がある。現在では一般用語として使用される機会も増えている(例えば関 2002、大西2002)。
 イリイチは著作の中において、教育に対してもシャドウ・ワーク概念が適合されると示唆する。「賃労働を補完するこの労働を、私は〈シャドウ・ワーク〉と呼ぶ。これには、女性が家やアパートで行う大部分の家事、買い物に関係する諸活動、家で学生たちがやたらにつめこむ試験勉強、通勤に費やされる骨折りなどが含まれる」(Illich 1981:207-208)。学校の試験が生徒の自宅での勉強という労働によって補完されていることが示されているわけだ。
 イリイチはシャドウ・ワーク概念が教育に関しても当てはまるということを指摘している。しかし、具体的に教育のどの側面がシャドウ・ワークに当たるかを提示してはいない。シャドウ・ワーク概念の教育への適用については山本(1983、2009a)の研究があるが、山本は適用について語るのみであり、そもそもなぜシャドウ・ワーク概念をイリイチが教育に対し当てはめようとしたのかの検討はなされていない。そのため、本稿の狙いはこの解決にある。
 近年に入り、『生きる意味』や『生きる希望』といったイリイチ最晩年の著書が刊行・翻訳された。それにより、イリイチ思想を彼の著作全体から探ることが可能になった。そのため、本稿では、晩年のイリイチの著作も参照しつつ、教育におけるシャドウ・ワーク概念の教育への適用可能性について考察する。
 なおイリイチの著作の邦訳名は、研究者によって多様なものが使用されている。例えば山本(2009b)はイリイチの“Dischooling Society”を『脱学校の社会』でなく「学校のない社会」と訳す。同様に山本は『脱病院化社会』も「医療ネメシス」と訳している。本稿では混乱を避けるため邦訳の表題をそのまま使用している。

2、シャドウ・ワークとは何か

 ここではイリイチのシャドウ・ワーク概念の整理と、その教育への適用可能性を見ていく。

(1)教育におけるシャドウ・ワーク性

 まず、シャドウ・ワーク についてのイリイチの定義からみていく。本概念はイリイチ自身が様々に意味を拡大/拡散させながら使用しているので、『ジェンダー』でのシャドウ・ワーク概念の整理から論をすすめていく。
 シャドウ・ワークとは「財やサーヴィスの生産とちがって、商品の消費者によって、とくに消費的な世帯でなされるもの」(Illich 1982:94)であり、「消費者が、買い入れた商品を使用可能な財に転換する労働」(同)を意味する。「買い入れた商品に、それが使用に適するようになる価値を付加するために支出されねばならぬ時間、煩労、努力を、シャドウ・ワークと名づけるのである」(同)。つまり「シャドウ・ワークとは、人々が商品を媒介に自分たちのニーズをみたそうとすればするほど従事しなければならぬ活動」(同)なのである。それは「ますます孤独で、ますます生気のない、ますます非人格的な、ますます時間濫費的なものとなってきている」(同:95)。
 イリイチは論を教育にも広げて行う。前近代社会において、子どもはヴァナキュラー(土着、あるいは場所ごとに異なった、との意味)な言語と文化を学習していた。みな方言を話し、将来的には自分のいる共同体の一員になることが期待されていたのだ。近代社会になり、その共同体に学校「教育」が入り込む。近代学校制度はヴァナキュラーな言語でなく、標準語化された「国語」が習得されるシステムである。また近代社会の構成員を作り出すプロセスでもある。近代社会が産業社会である以上、近代国民化される子どもたちは、「労働力が資本化されるプロセス」(同:100)に巻き込まれ、近代社会を構成する国民に社会化されていく。
 この近代教育の結果、保護者も学校教育に協力的であることが要請されるようになる。イリイチの言う、「教育制度の枠内で教師の助手となっている」(同)状況が現出するのだ。早く子どもが「国民」や労働主体・消費主体たる「ホモ・エコノミクス(経済人間)」に社会化されるよう、家庭にも学校的あり方が要請されるのである 。
 つまり、教育におけるシャドウ・ワークとは、国家の要請する「国民」と、労働主体・消費主体たる「ホモ・エコノミクス」とに子どもを形成するプロセスそれ自体を意味する。後に労働主体・消費主体になるよう、また「国民」になるよう、子どもたちが働きかけられる営みをシャドウ・ワークというのである。『脱学校の社会』を書いたイリイチの問題意識は本概念にもつながっており、近代教育の否定ないし教育行為の否定を訴えたのがシャドウ・ワークなのである。
 イリイチはコンピュータ技術が進んだ社会ではシャドウ・ワークという「新型経済活動」(同:96)が「生産的労働よりも経済的にもっと根本的なもの」になると指摘をしている。教育は近代社会の構成員を作り出す故に、教育におけるシャドウ・ワーク性が社会を支えることになる。まして、後期近代と言われる現代は、前期近代に比べ情報化・再帰性が飛躍的に高まった。前期近代の学校には要請されることのなかった「キャリア教育」や「総合学習」などが学校に求められるようになったことはその表れである。

(2)学習行為のシャドウ・ワーク性

(1)で見てきた内容が基本的な教育へのシャドウ・ワーク概念の適用だが、イリイチはそれを拡大させて使用していると述べた。(2)においてその具体例として学習行為のシャドウ・ワーク性を見ていく。
シャドウ・ワークは他律の行為だが、自ら進んで行う従属の行為であるという特徴がある。賃労働には給料が発生する。しかし、シャドウ・ワークは無償の行為である。その上、シャドウ・ワークの担い手が逆に金を出すことで経済社会を支えることになる。具体的な例でいえば、消費者は企業の新製品を受動的に受け取るという意味のシャドウ・ワークを行っているといえる。これを学校において言えば、教員の一方的な授業を黙って受け取るという行為がシャドウ・ワークとなる((4)で見ていく「専門家支配」でもある)。

賃労働にとって人は選択されるが、一方〈シャドウ・ワーク〉の場合は、人はそのなかに置かれる。時間、労苦、さらに尊厳の喪失が、支払われることなく強要される。けれども、よりいっそう経済成長をすすめるためには、〈シャドウ・ワーク〉の支払われることのない自己開発が、ますます賃労働よりも重要なものになってくる。(Illich 1981:209)

教員によってなされる教育サービスは、生徒のシャドウ・ワークによって支えられているのだ。山本(2009a)は、次のようにシャドウ・ワークを解説する。

隠れた支払われない労働がある、それはサービス労働の裏側に構成されている、たとえば教師のサービス労働にたいして生徒の消費ワークがある、(中略)これらは「させられている」行為、他律行為の働きかけによってなされている受け身的な消費行動になっている。このインダストリアルなサービス商品を消費していると考えられてきたものを、隠れたシャドウのワークであると切り替えたのだ。つまり、産業的な価値を産み出しているワークである、消費ではなく生産であるという切り替えである。(山本 2009:238頁)

学校での授業は、傍目から見れば教育の受け手である生徒がサービスを受動的に消費しているように見える。本当はそうではなく、教育サービスを受けることはシャドウ・ワークという「生産」を行っていることなのだ。生徒たちは後に「ホモ・エコノミクス」や「国民」になるよう、自らを生産しているのである。他律行為であるシャドウ・ワークは教育によって個人に内面化されるため、この従属は自発的に行われることになる。

(3)大学生のシャドウ・ワークとそれ以外のシャドウ・ワークの違い

 イリイチは大学生のシャドウ・ワークとそれ以外のシャドウ・ワークとを立て分けている。「現代社会での労働のいくつかの形は、最初は支払われないもののようにみえても、最終的には金銭的評価で高い報酬となる。大学の学習は往々にしてよい例である。(中略)一般には、大学卒業の人間の生涯所得のほうが、卒業しなかった彼の兄弟、姉妹たちの所得よりもはるかに高いだろう」(Illich 1981a:265)。
 この人的資本論的認識のために、大学生は「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者といった本物の〈シャドウ・ワーカーズ〉にあてはまるものではない」(1981a:266)シャドウ・ワーカーとなる。つまり、大学生はいま自分たちが大学で単位獲得のために行うシャドウ・ワークこそが将来「大卒」として得られる所得につながると認識している。その点が、例として挙がった「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者」たちと違う点である。大学生が単位獲得のために行うシャドウ・ワーク(=授業への参加や卒業するための学習)は、将来において給与が支払われることを見越した行為なのである。山本(1983)も大学生たちを指して「彼らは支払われないが、特定の時間拘束され相当のコストがその教育にかけられている。大学生はそれによって社会的な特権ないし収入の価値を自ら高めている」(山本 1983:214)と指摘する。山本の指摘は、現在の大学では就職活動のために各種資格取得を目指す大学生の姿に見て取ることができる。
まとめると、大学生は将来の稼ぎを見越して〈シャドウ・ワーク〉的学習を行う傾向があるというのが、イリイチの述べた「大学生のシャドウ・ワーク」の中身である。

(4)専門家依存としてのシャドウ・ワーク

 では、大学生と違う「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者」たちのシャドウ・ワークにはどのような意味が込められているのか。先の引用文の後、スウェーデンにおいて主婦の一部に賃金が支払われるようになったことをイリイチは指摘するが、まさにそのことによって「スウェーデンは、社会的なサーヴィスにおける訓練された〈シャドウ・ワーカーズ(奉仕家)〉を雇用する試みに、新しい世界を導いているようだ」(Illich 1981a:267)と皮肉を述べる 。「これは、社会的部門における〈シャドウ・ワーク〉を賃労働より一層早く増加させる計画である」(同)と続けている。
 この部分を理解するには、イリイチ最晩年の著書『生きる希望』に登場する新約聖書「ルカによる福音書」10章25節にある「善きサマリア人」の寓話とイリイチの解説文を持ってくる必要がある。この寓話はイエスが律法学者の悪意ある質問に対し語った物語である。強盗に襲われ、傷ついたユダヤ人が道に倒れている。ユダヤのラビはそれを目にしつつも素通りをしていった。その後に通りかかったのがサマリア人である。ユダヤと敵対関係にあるにも関わらず、そのサマリア人は傷ついたユダヤ人に施しの手を差し伸べた、という内容だ。
 イリイチはこの物語が‘傷つき倒れた人間にはこのように手助けをすべきだ’という画一的な救済のやり方を示すものであると、一般的に解釈されるようになったことを批判する。「寝る場所を必要とする人々に対して、なにがしかの制度、豪勢なホテルでないにしても、特殊な簡易宿泊所があるべきだとするのは栄光に満ちたキリスト教西欧の観念です。こうして、困っている人々すべてに対して開かれた試みが、客人に厚誼を与える気持ちの低下とケアを与える制度によって置き換えられることに帰結するのです」(Illich 2005:108)。 
初期のキリスト教において、困窮者の救済は「我と汝」の関係で行われていた。個々の他者に応じた対応の仕方であり、吉本隆明のいう「対幻想 」の段階である。共同幻想的に画一的な発想で他者に対するのでなく、対幻想的に個々の他者に応じた対応の仕方をこそ、イリイチは主張したのであった。「人間の関係は、二人の人間の間でなされる自由な創造としてしかありえません」(Illich 2005:102頁)。それが「困っている人々すべて」という抽象化および制度化をした結果、他者性が薄れ、個々人への救済という意味合いが弱まってしまう。結果的に、「共同幻想」として他者への画一的救済を目指すようになったのだ。画一的という意味合いで、山本哲士はサービス批判を行う(山本 2008)が、個々の他者に応じた関係、つまり「我と汝」関係に当てはまるものが山本のいうホスピタリティにあたるのである。
まとめると、「善きサマリア人」の寓話からイリイチが述べたのは個別性が失われ、画一的サービスが行われるようになることへの指摘であった。専業主婦の家事労働に政府が賃金を出す。これは社会サービスの一部に専業主婦が吸収されたことでもある。行政の社会サービスの代理人として「訓練された〈シャドウ・ワーカーズ(奉仕家)〉」が要求されるゆえんなのだ。専門家たちが作った制度に人々が従わされる「価値の制度化」の状態において、人々は専門家のいうがままに行為を行うようになる。「素人、言い換えると客を自分たち(藤本注 ここでは専門家のこと)の監視のもとに無報酬で働く助手として引き入れようと躍起になっている」(同:12)のだ。
 山本(1983)はここでいったような「家事に支払いをする」ことや「通勤時間を労働力の拘束において定義し、交通費のほかに賃金をうけとっている」(山本 1983:214)ことを指摘したのち、賃労働体制が転換してきたことを「労働組合や社会革命がすでに忘れてしまっているのも、この「シャドウ・ワーク」が編制してきた生活世界のためである」(同:215)と述べている。
 先に大学生のシャドウ・ワークを見てきたが、大学生でない人びとのシャドウ・ワークは専門家の作り出す制度につき従わされるということも意味している。つまり、「専門家支配」(Illich 1978)が行われ、自助としてのシャドウ・ワークを行わされるのである。
イリイチの『専門家時代の幻想』において、専門家と呼ばれる存在への批判が行われた。本来、人々が自分たちで行っていた領域に「専門家」が入り込み、専門家支配に従属してしまうことを批判するのである。『脱病院化社会』においては医者が健康・不健康を定める権力を手に入れたことをイリイチは指摘する(Illich 1975)。同様に、『脱学校の社会』でも「学校化」とは「学習のほとんどは教えられたことの結果だ」と認識することだ、と指摘している(Illich 1971)。教育専門家による教授/教育活動の独占(「根元的独占」あるいはラディカル独占)を否定し、自主・自律的な学びを志向するのがイリイチである。教育専門家への依存も、教育のシャドウ・ワーク性である。この専門家の存在があるからこそ、学校制度に頼らず自分たちで学ぶということが危険なことであると非難されることになる。フリースクールの実践も、学校制度という専門家支配の構造を揺るがす存在であるため批判され続けてきた経緯がある。奥地(2005)も、フリースクールを東京で作った際、教育委員会やマスコミなどによる批判が集まったことを述べている。
 まとめると、シャドウ・ワークを成立させる背景には専門家依存が挙げられる。この専門家依存は近代社会・産業社会が要請するものである。シャドウ・ワーク概念は近代社会批判につながると述べたが、専門家依存への批判という点からも近代社会への批判を行っているということができる。
 イリイチは大学生のシャドウ・ワークのみを他と区別したが、大学教育がユニバーサル化した現在の状況を見ると、大学生のシャドウ・ワークとその他を分ける必要性は下がってきているように考えられる。大学生に対しても「それ以外のシャドウ・ワーク」と同じ専門家支配が当てはまっているのである。例えば、現代社会では一コンピュータ企業の作り出す「ワード」や「エクセル」・「パワーポイント」等のソフトの操作法を学校でもパソコン教室でも学習させられる状況がある。人々は「ワード」・「エクセル」・「パワーポイント」を自在に活用できるようになることを期待されるのだ。企業にとっては顧客を会社の活動を支える助手であるかのように動かすことができる。その意味で「自助」としてのシャドウ・ワークを行っていると認識することができる。また「専門家支配」を行うことも可能になる。
 
3、シャドウ・ワーク概念への批判

 イリイチのシャドウ・ワーク概念を見てきたが、疑問も生じる。本節では2点にわけてイリイチのシャドウ・ワーク概念への批判を行っていく。

(1)近代否定・中世回帰志向のイリイチ

イリイチはシャドウ・ワークの対概念には「生活の自立・自存の仕事」(Illich 1981:51)、すなわちコンヴィヴィアリティ (conviviality)があると述べる。このコンヴィヴィアリティは「自立共生」ないし「相互親和」と訳され、主として共同体内での助け合いを描いた概念である。コンヴィヴィアリティのある社会こそ、イリイチが思い描いた理想社会である。このコンヴィヴィアリティが成立していた時期・成立する時期の「助け合い」を、イリイチはシャドウ・ワークであるとは述べていない。確かにここまで見てきたように、シャドウ・ワーク概念は近代社会・産業社会批判のための概念であった。しかし、シャドウ・ワーク概念の中身を検討すると、共同体社会・中世社会にもシャドウ・ワークが存在するのではないかと述べることができる。近代の社会におけるホモ・エコノミクス化が「シャドウ・ワーク」ならば、共同体のための教育もまた「シャドウ・ワーク」となるのではないかと考えられるのである。
コンヴィヴィアリティ概念では、他者性を担保し他者とともに生きる姿勢が述べられている。そうであれば、必然的に他者同士の協力関係を想定においていることになる。これら無償による共同体内の「助け合い」行為は、確かにイリイチのいうような産業社会の手段にはなっていない。しかし、この助け合いを共同体維持のためのシャドウ・ワークであると言うことも可能なはずである。この部分の詳細は次の「教育の否定」で見ていく。

(2)教育の否定

 第2の批判点として、ジェンダー役割的に母親が子育てをおこなう家庭教育の無給性とシャドウ・ワークの関係を取り上げる。イリイチは「現在ある部分の婦人運動者が、母親たちを無給の教育業務に携わらせることに批判を向けていますが、これは、工業化社会体制に対する今日可能な最も根本的批判の好例でありましょう」(Illich 1980:176)と述べている。理由は「今日、無給労働力が(男も女も)、せっせと教育を受けており、それはますます多くの人間を彼らの自立自存から引き離し、僅かばかりの賃労働と、広範囲のシャドウ・ワークをするための教育なのです」を挙げている。彼が「無給の教育」を批判するのは、子どもが産業社会システムに取り入れられること、すなわち消費主体化・労働者化することを進めてしまうからである。
 イリイチは次のようなアジテーションを雑誌上で行っている。「教育への対案は、このような意味で、共同体の側からのフォーラム(集会)要求です。断乎として、消費欲求とともに教育を解消して、自立自存を築き上げることを求め続けましょう」(Illich 1980:176)。この主張に対し、まずは自立自存(=コンヴィヴィアル)を成立させるのは一人ひとりの構成員であることを考える必要がある。この共同体の構成員の育成は、まさに教育によるのではないのか。パーソンズのAGIL図式でいう「統合機能」や「パターン維持・緊張緩和」作用たる教育行為がなければ社会システムは維持されない。確かに、言葉上で「教える」・「教育」という概念のない社会は存在する。原(1979)がヘアー・インディアンの社会に「教える」を意味する単語がない点を指摘しているからだ。しかし、そのことは教育作用が当該社会に存在しないことを意味するわけではない。部族内の人間が「教える」行為や「教育」行為だと認識しないだけであり、部外者である原はヘアー・インディアン社会に「教える」や「教育」に当てはまる行為を見いだしているからだ。言葉としての「教育」を無くすことは可能であっても、社会システム維持にかならず構成員の再生産機能が必要である以上、イリイチの主張をそのまま認めるわけにはいかない。つまり、学校「教育」を行う必然性はないが、教育なしで構成員の育成が可能であるわけではないのである。少なくとも、残存する社会システムには何らかの教育機能があったゆえに存在し続けていることを考える必要がある。
イリイチが理想とする、共同体の構成員となるための教育活動は中世においてもおこなわれてきた。まさに個人の意志など関係なく、その「場所」の構成員になるための教育活動が「学校」制度を使わなくとも成立していたのだ。そうでなければ後継者を欠き、当該社会は消滅している。この構成員になるために行われる教育行為はシャドウ・ワークではないのか。シャドウ・ワーク自体が産業社会のみを批判するのであるならば成立するが、イリイチの著書群を見通すと近代社会・産業社会におけるシャドウ・ワークの状況へ批判と、コンヴィヴィアルな共同体での人々の暮らしについてのイリイチの説明はほぼ同様の内容となっている側面がある。
 イリイチは、ソーシャル なものを排し、場所のパブリックに生きる姿勢の提唱をした。つまりイリイチにとって国家や近代社会(=ソーシャル)の体制維持は想定にないのである。それゆえに“Anarchist Studies”(『アナーキスト研究』)にイリイチの名前が載ることになったのだ。近代社会が必要とする人材にならないこと/なるのを拒否することが、究極のところでのシャドウ・ワーク性を排した教育の実現と言うことになる。しかし、これでは現状の社会体制の中では何も言ったことにならない。近代国家というソーシャルなものをなくしたあり方は、前近代、つまり中世の復興を意図しているということである。イリイチの想定にそもそも近代社会の維持はない。また、イリイチの教育批判の文脈を見ると、仮に中世社会への回帰を図ることができたとしても、当該社会の維持を行うことは不可能だと言わざるを得なくなる。つまり、イリイチの主張を検討すると社会の破壊を意図していると言わざるをえない。なお、イリイチは『脱学校の社会』以後、教育へ否定的まなざしを持つようになり、『対話・教育を超えて』において教育を否定するようになった(Illich/Freire 1980)。
 要するに、共同体内に教育作用が存在したことをイリイチは見落としているのである。中世回帰がイリイチ思想の特徴である以上、イリイチの主張をそのまま受け入れることは近代社会の破壊を意味する。必要に応じてイリイチの主張を整理して受け入れていく必要がある所以である。
 イリイチの発想にはコンヴィヴィアルな社会(convivial society)という理想の共同体社会が描かれているが、ユートピアは実現不可能な故にユートピアであることを思い返さねばならない。教育を否定してユートピアに生きるよう人を煽動するイリイチには、ユートピアを成立させる構成員の教育には無頓着なのである。

4、教育への展望 

 ここまで、シャドウ・ワーク概念の整理とその批判を見てきた。シャドウ・ワーク概念は近代社会だけでなく、そもそも人が共同体をつくっていた頃の「教育」行為すら批判する働きがある。しかし、その射程を近代教育への批判のみに向けて使用した際、現在の教育実践へのパースペクティブとして使用できる箇所が見いだせると考えられる。
 そのため、ここでは近代教育批判として、自由な学びを志向する立場からイリイチを読み返していく。

(1)「コンヴィヴィアリティのための道具」としての教育

 イリイチは、シャドウ・ワークから「開発を逆転させること、消費財をその人自身の行動におきかえること、産業的な道具を生き生きとした共生の道具に変えること」(Illich 1981a:51)によってコンヴィヴィアリティが達成され、「賃労働と〈シャドウ・ワーク〉はそれこそ影をひそめるだろう」(同)と述べている。何故なら「従順な消費として評価されるよりも、むしろ主として、創意に富んだ活動のための手段として評価されるからである」(同:52)。象徴的な例として「レコードよりもギターが、教室よりも図書館が、スーパーマーケットで選んだものよりは裏庭でとれたもののほうが、価値があるものとされる」(同)ようになるとまとめている。
 イリイチはこの状態に達するための条件として「労働者が道具および資源の自由な消費者となる場合に限る」(同)と指摘している。「道具 」(tool)というのはイリイチ思想において独自の位置を持つ。「道具とは、ある目的を達成するために設計された装置」(Illich 1992:161)を意味する言葉である。「一定の強度を超えて発達する場合、道具というものはいかに不可避的に集団から目的へと転じてしまい、目的達成の可能性を阻むことになってしまう」(同)という「逆生産性」(couterproductivity)が発生することとなる。この状態をもたらす制度を「操作的制度」(manipulative institution)と呼ぶ。「一定の強度を上回って生長するとき、不可避的に、その利点を享受しうる人びとよりも多数の人びとを、その道具がつくられた目的から遠ざけてしまうという事実をあらわすのが、この概念」(Illich 1992:163-164)である。
結論的には、人間の自立・自存的な生き方をもたらすために必要だと指摘するのが「コンヴィヴィアリティのための道具」(tools for conviviality)である。人間が機械や制度に使われるのでなく、「創意に富んだ活動」を主体的に行う教育のあり方が、シャドウ・ワークではない教育を行うための条件となるであろう。注目すべきは「道具」を用意することである。これは学びを誘発させる環境であると言ってもよい。『脱学校の社会』での「脱学校」(deschool)の実現例として、町のなかに例えば工場の仕組みを解説するコーナーを設置するといったプランや、「学習のためのネットワーク」(learning webs)として教えたい人間と学びたい人間を引き合わせる条件整備を挙げている。

(2)CIDOCの実践に見る、イリイチの学習観

次に、イリイチ自身の実践から、この条件整備としての学習を見ていく。彼はメキシコ・クエルナバカにおいて異文化間資料センター(Center for International Documentation: CIDOC)という「オルターナティブな大学」(Illich 1992:119)の設立に携わった 。協力者には他にパウロ・フレイレ、ジョン・ホルト、ポール・グッドマン、ジョエル・スプリングらがいる。CIDOCは1967年から1976年まで開設していた。「一日に五時間、四ヶ月間続ける」(同:304)スペイン語の集中レッスンの講座 を開き、そこから得られた費用を「元手に、図書館を設立したり」「毎年四、五十人の人びとを、あらゆる社会階層から、そしてメキシコ以外の中南米のあらゆる方面から招待した」りした(同:141)。「ヨーロッパ、ラテン・アメリカ、北アメリカ、オーストラリアなどからの神父や研究者、学生たちの交流する一種の知的センター」(Illich 1981b、玉野井芳郎:173)であった。また各種セミナーが行われるなど、通常の大学に近い運営がなされていた。学生も存在しており、山本哲士も学生としてCIDOCに学んでいた(山本 1979)。CIDOC運営の目的についてイリイチはこう述べる。

われわれの目的は、学生を教育することではありませんでした。われわれの招いた客人たちがお互いに、あるいはわたしと、そしてまた、われわれの会話に参加することを希望した学生たちと、話し合うことができるようにすることがわれわれの目的だったのです。(Illich 1992:304)

一方的に教育を行うのではなく、あくまで本人の意思に基づいて学べるよう、学ぶ道具としての条件整備を行うイリイチの姿が見てとれる。客人やイリイチとの会話も、また図書館にある本 も、自発性に基づいて行われる学びのための「道具」であった。
 CIDOCは研究機関でもある。学術誌発行 のほか、『脱学校の社会』等のイリイチの諸著作はCIDOCでの討論が元になって書かれたものである。それゆえCIDOCは「省察の座」と称されることがしばしばあったという(Illich 1981b、玉野井芳郎:173)。
スペイン語の集中レッスンの話は、『脱学校の社会』における「ドリル学習」(drill instruction)の文脈で行われている。イリイチによれば自発的に行うドリル学習の場合、短期間に効率的に学ぶことができる(Illich 1971)。「何年もの長期にわたって厖大な公費を投じてなされる公教育による教育的な結果は、ほんの六週間程度の成人識字教育によって充分はたしうる、とフレイレを実例にしてイリイチは自らの非学校化の考えを主張さえした」(山本 1996:174-175)のである。
イリイチは理想の研究手法として「わたしはまた、真理の探究が、講義室ではなく、食卓を囲んだり、一杯のワインを傾けたりというユニークな方法で追求される様を示したかったのです」(Illich 2005:254-255)と述べている。おそらくCIDOCでの研究作業も同様の狙いの下で行われていたと考察できる。大学のなかだけでなく、自由な雰囲気のなかでの対話に基づく学びが重視されたのだ。これはフレイレの文化サークル内での対話による「問題化型学習」と同一の発想である(Freire 1970)。「わたしの考えでは真理の探究はフィリアの成長を前提としているということです」(Illich 2005:260)との言葉は、フィリアつまり友情の深まりによる真理探究、すなわち友人・仲間との対話の中での研究の重要性を説いている。
CIDOCの実践 から言えるのは、コンビビアリティに基づく学習の重要性である。他者との対話による学び、あるいは自発的に行う学習こそが、「教育」および「学校化」の弊害から逃れた教育活動であり、シャドウ・ワークでない学習の形態なのである。また国家や社会のためでない学習のあり方でもある。
 イリイチにとって、学習はあくまで自発的意志に基づいて行うものであった。その教育観はニイルに近いものである 。イリイチの学習観・教育観を支えるものはまさに「創意に富んだ行為」を誘発するための道具の存在である。人間の自立・自存的活動を支えるものとしての「道具」をいかに多くの人びとにもたらすかが、シャドウ・ワーク性を教育から遠ざけるための条件となる。
教育のシャドウ・ワーク性は、制度スペクトルでいうところの「操作的制度」に学習者が置かれている点にある。そこを抜け出す方法としては、「コンヴィヴィアリティのための道具」(tools for conviviality)を学習者が自発的に用い、学びを(広く、あるいは深く)行っていける条件整備を行う点を指摘することができる。『脱学校の社会』では、「コンヴィヴィアリティのための道具」を意味する「相互親和型社会」という概念が提唱されている。これは、イリイチが「制度」の諸類型を直線上に配置した「制度スペクトル」において左端に置かれる制度である。この「相互親和型社会」の例として、電話や郵便 が出されている。これらは「利用することが自分の利益になるのだと制度的に説得される必要なしに人々が使用する制度」(Illich 1971:107)である。
 「制度スペクトル」もう一方の端には「操作的制度」が置かれている。イリイチは例として高速道路を示す。高速道路は車を所持する人が自動車に乗るときにしか利用されえない。使用する母体が限られるにもかかわらず、全国民の税金を用いて行われる点で「偽りの公共事業」である。一方、電話や郵便はすべての人が使用する時だけ料金を払い、使用した分だけ費用を支払えば済む制度である。イリイチの目指す、シャドウ・ワーク性のない教育というものも、電話・郵便と同じ比喩を用いることができる。必要とする人が、必要とする時だけ利用できる制度としての教育である。条件整備を行い、万人に道を開いた学びのあり方を担保するのが「コンヴィヴィアリティのための道具」としての教育である。
 「最良の場合には、図書館は自立共生的な道具の原型である」(Illich 1973:124)との指摘は示唆的である。「私たちはまず、学びたいと欲するならば何が人々に必要なのかという問を発し、それから人々のためにそういう道具を供給するようにしなければならない」(同)。実際にイリイチはラーニングウェッブという形で、実現可能性を説いている。梅田(2007)はこのような自立共生的な学びの道具としてインターネットの利用を説いている。
ここから考察できることは、条件整備としての学習環境の重要性という結論になる。人と人とが出会い、そこから学びを起こしていき、必要に応じて学びを行っていく環境の重要性である。

(3)CIDOCでの実践の評価

 CIDOC期のイリイチらの教育実践については今後の研究が必要だが、CIDOCでの教育/研究実践が、シャドウ・ワーク性を取り除いた教育実践、すなわちコンヴィヴィアルな学びを実現していた可能性があると言ってよいだろう。この実践が実現した背景にはスペイン語習得講座での収入があったため、国家からの援助を受けなかった点がポイントとして指摘できる。近代国家形成の主体となることを拒否し、自由なエートスのもとに研究できたと言う意味で「シャドウ・ワーク」性を排しているのだ。つまり、近代国家の構成員にならないとの思いのもとに成立した束の間の「ユートピア」がCIDOCであったのである。それゆえ、国家の管理から逃れ、財政的に立ち行く状況のみで成立する概念であるのだ。
 なお、CIDOCが存在したのが60年代から70年代であったことも考察していく必要がある。コミューン的あり方が流行したこの時代だからこそ成立し得た可能性があるからだ。

5、終わりに

 シャドウ・ワーク概念はイリイチが随所で述べる内容でありながら、統一的な見解があまり見られないものである。本稿においては主として『シャドウ・ワーク』と『ジェンダー』での記述をもとにシャドウ・ワーク概念を整理し、その解読や批判の手がかりとしてイリイチの諸著作に当たっていった。その結果、本稿が「専門家支配」・「コンヴィヴィアル」などのイリイチの術語のパッチワークとなってしまった感は否めない。しかし、これらイリイチの述べた諸概念は繋がり合ったものであり、これらを用いなければシャドウ・ワーク概念の理解と批判は困難になる。
本稿の成果としては、1点目にイリイチのシャドウ・ワーク概念が近代社会批判・教育批判を狙ったものであるとの整理ができた点があげられる。2点目に、「シャドウ・ワーク」が行われる状況への批判を徹底すれば、前近代社会の共同体すらも破壊する側面があるとの指摘があげられる。3点目に、シャドウ・ワークが行われる状況への批判を近代教育の改善に絞った場合、今後の教育へのヒントとしてイリイチのCIDOCでの実践を用いることができるのではないか、との示唆を行った点が挙げられる。
しかし、課題とすれば本稿においてシャドウ・ワークに関する記述と教育への展望との内容に乖離を感じられるようになってしまった点があげられる。

6、今後の課題

 本稿においてはシャドウ・ワークの教育への適用可能性について考察してきた。しかし、シャドウ・ワーク概念の成立の背景について論を進めることがほとんどできなかった。思想史上の系譜を見ると、「シャドウ・ワーク」概念はフェミニズム運動の流れの上にある。フェミニズムにより主婦業の自明性が疑われるようになった際、独自の立場から「シャドウ・ワーク」との新語をもとに問題提起をしたのがイリイチであったのだ 。そのため、シャドウ・ワークの理論的下地を構築した各種研究を整理することが必要である。
 また、本稿の鍵となるCIDOCでのイリイチの実践には、山本(2009a)以外にまとまった研究が存在しないのが現状である。たとえばCIDOC開始時にいた研究者名については論者によって記述が大きく異なっており、統一した見解が存在していない。コンヴィヴィアリティに基づく学び・研究実践のヒントがCIDOCの実践から得られるのではないかと考えられるため、CIDOC期のイリイチの活動やCIDOCそれ自体の研究も今後の課題としていきたい。

7、参考文献

Arendt, Hannah(1958):志水速雄訳『人間の条件』、ちくま学芸文庫、1994。
Freire, Paulo(1970):小沢有作ほか訳『被抑圧者の教育学』、亜紀書房、1979。
Holt, John(1976):田中良太訳『21世紀の教育よ こんにちは』、学陽書房、1980。
Illich, Ivan(1971):東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』、東京創元社、1977。
Illich, Ivan(1973):渡辺京二・渡辺梨佐訳『コンヴィヴィアリティのための道具』、日本エディタースクール出版部、1989。
Illich, Ivan(1975):金子嗣郎訳『脱病院化社会』、晶文社、1979。
Illich, Ivan(1978):尾崎浩訳『専門家時代の幻想』、新評論、1984。
Illich, Ivan/Freire, Paulo(1980): 島田裕巳ほか訳『対話・教育を超えて』、野草社。
Illich, Ivan(1981a):玉野井芳郎・栗原涁訳『シャドウ・ワーク』、岩波現代文庫、2006。
Illich, Ivan(1981b):栗原彬・横山紘一・山本哲士監修・フォーラム・人類の希望編『イリイチ日本で語る 人類の希望』、新評論、1981。
Illich, Ivan(1982):玉野井芳郎訳『ジェンダー』、岩波現代選書、1984。
Illich, Ivan/Sanders, Barry(1988):丸山真人訳『ABC 民衆の知性のアルファベット化』、岩波書店、1991。
Illich, Ivan(1992):D=ケイリー編・高島和哉訳『生きる意味』、藤原書店、2005。
Illich, Ivan(2005):D=ケイリー編・臼井隆一郎訳『生きる希望』、藤原書店、2006。
Kahn, Richard, 2009,“Anarchic epimetheanism”, Amster, Randall ed., Anarchist Studies, Routledge, pp. 125-135.
一條和生/徳岡晃一郎(2007):『シャドーワーク』、東洋経済新報社。
梅田望夫(2007):『ウェブ時代をゆく』、ちくま新書。
大西廣(2002):「シャドウ・ワークの風景」、『季刊 本とコンピュータ』、2002年春号、大日本印刷株式会社ICC本部、63-65頁。
奥地恵子(2005):『不登校という生き方』、NHKブックス。
萩原弘子(1988):『解放への迷路 イヴァン・イリッチとはなにものか』、インパクト出版会。
栗林涁(2010):「隠された労働」、井上俊・伊藤公雄編『近代家族とジェンダー』、世界思想社。
関礼子(2002):「佐々木看護婦という存在 『瘋癲老人日記』におけるシャドウワークの領域」、『日本文学』2002年2月号、日本文学協会、72-76頁。
鶴見和子(1980):「工業化社会に警告」、朝日新聞1980年12月23日朝刊。
徳岡晃一郎(2006):「シャドーワークが価値を生み出す」、『人材教育』2006年4月号、日本能率協会、16-22頁。
原ひろ子(1979):『子どもの文化人類学』、晶文社。
宮台真司・藤井誠二(1998):『学校的日常を生き抜け』、教育史料出版会。
山本哲士(1979):「イバン・イリイチの「自律共働性」と「非学校化」に関するノート<自律的学習>の甦生のために : CIDOCからの帰国報告」、『人文学報 教育学』14, 41-65, 1979-03-31 、東京都立大学。
山本哲士(1983):『消費のメタファー』、冬樹社。
山本哲士(2008):『新版 ホスピタリティ原論』、EHESC出版局。
山本哲士(2009a):『イバン・イリイチ』、文化科学高等研究院出版局。
山本哲士(2009b):『新版 教育の政治 子どもの国家』、文化科学高等研究院出版局。
吉本孝明(1968):『共同幻想論』、角川文庫、1982。     (総文字数:17581字)

2010年10月30日土曜日

フレイレ『自由のための文化行動』抜粋ノート

Freire, Paulo(1970):柿沼秀雄・大沢敏郎訳/補論『自由のための文化行動』、1984。


「第三世界の非植民地化によって切り拓かれた道、それは全人類の真の解放へ向かう道か、あるいはもっと巧妙に仕組まれた飼いならしへ向かう道か、ふたつにひとつしかない。したがってそれは、教育の意味と方法の再検討を迫っている状況なのである」(4頁)

「どんな教育も中立ではありえないということである。飼いならしのための教育か、自由のための教育か、このふたつがあるだけである。教育は、常識的には条件づけの過程と考えられているけれども、同時に条件を突破するための道具にもなりうる。教育がそのどちらになるか、最初の選択は教師の手に委ねられている」(6)

「私たちの行う選択が人間のためのものであるならば、教育とは、自由のための文化行動であるがゆえに、記憶行為ではなく、認識行為にほかならない。それを明らかにすることが、成人識字過程を論ずるこの本の根本目的のひとつである」(11)

「それゆえ、(構造の―訳者)内側で生きる存在になるのではなく、自己解放を遂げて人間になること、それこそがかれらの問題を解決することなのだ。なぜならば、その実かれらは、構造に対してマージナルな存在なのではなく、構造内部の被抑圧者だからである。疎外された人間であるかれらは、自分たちを従属させるにいたっている構造そのものに統合されることでは、その従属性を克服することができない」(18)

「根本的には、私が『被抑圧者の教育学』で指摘したように、被支配階級が支配者の生活様式を再生産するわけは、被支配者の内部に支配者が宿っていることにある。被支配者が支配者を放逐できるのは、支配者から距離をとって、みずからを客観化する場合だけである」(31)

「何よりもまず、人間を、世界のなかに、世界とともにある存在として批判的に捉えることから始めなければならない。意識化のための基本条件は、その行為者agentが主体、つまり意識的存在でなければならないということである。したがって意識化とは、教育と同様に、すぐれて人間的な過程なのである」(59)

「真の親交には、当然、世界によって媒介される人間と人間との交流communicationが含まれている。意識化を実現可能なプロジェクトにするのは、唯一親交という脈絡のなかにすえられた実践だけである。意識化は協同の事業である。それは、この協同の事業に取り組む他者のなかにいるひとりの人間の内に、つまり自分たちの行動によって、またその行動と世界に対する省察とによって結ばれた人びとのなかで生きるひとりの人間の内に生起するものである」(105−106)

次はイリイチへの批判とも察せられる内容である。
「人間は、未完成の、そして未完成であることを意識している歴史的存在である。だからこそ革命は、教育がそうであるのと同様に、人間の自然で永続的な次元なのである。教育はある時点に至ればなくなってよいのだとか、革命は権力を握ればそれでおしまいにしてよいのだ、などと考える者がいるとすれば、それは機械的心性の持主だけである。革命は、それが真正であるためには、永続的な出来事でなければならない。そうでない場合、革命は、革命であることを止めて硬直した官僚制に変質するだろう」(117)
→永続革命としての教育である。つねに自身がドクサにとらわれいないかに自明的である必要がある。

(訳者あとがき)「フレイレの方法が日本における生活綴方の教育方法と実によく似ていることに気づかされる。書くということに執着したこの教育方法が、子どもを取り巻く生活現実に取材し、書き、書いたものを読み、討論する主体をあくまで子ども自身にすえた、という点でも、フレイレの認識主体論と共通している」(189)

(訳者あとがき)「識字とはたんなる文字言語の習得ではない。それは、ことばあるいはみずからの表現を奪われて〈沈黙の文化〉の淵におとしめられている人間たちが、他者や物・事との親しい交わりのなかで、みずからのことばと表現を奪い返し、沈黙を強いる抑圧的な現実世界の深層に潜む文法を読み取って、その現実を変革する批判的主体にみずからを形成していく〈意識化〉の文化過程を指すものである」(191)

2010年10月25日月曜日

フレイレ『希望の教育学』

Freire, Paulo(1992):里見実訳『希望の教育学』、太郎次郎社、2001。

 ブラジルの教育学者パウロ・フレイレ(1921-1997)。彼は対話による教育を生涯実践し続けた人物である。代表する著作は『被抑圧者の教育学』であり、晩年の著『希望の教育学』はフレイレ自身が『被抑圧者の教育学』を読み直したものとなっている。読んでいて気付くのは社会変革につながる識字教育と文化サークルでの対話の実践であり、教育と研究が2つに切り分けられることなく営まれることを提唱する内容となっている。マルクスを土台に理論を立てているのにもかかわらず、フレイレがいわゆる「マルクス主義者」から批判を受けていた理由もよくわかる。いわゆる「マルクス主義者」にとって、マルクスやレーニンの発想がアルファでありオメガである。そこには現実に存在する「民衆」の声を聞く必要性はなく、〈自分たちが民衆を引っ張って革命を導くのだ〉という傲慢な思いが表れている。フレイレの行動は人々との対話のなかにあった。それが「マルクス主義者」とフレイレの実践の大きな違いとなっている。
 本書において、フレイレは対話による学び(里見の訳では「問題化型学習」となっている)の重要性を何度も訴える。

「もし他人もまた考えるのでなければ、ほんとうに私が考えているとはいえない。端的にいえば、私は他人をとおしてしか考えることができないし、他人に向かって、そして他人なしには思考することができないのだ」(163-164)

 この対話を成立させるには、条件整備が必要である。

「教師の専横下で対話が成立しないように、自由放任主義の下でもやはり対話は成立しない。対話的な関係は、しばしばそう考えられているように、教える行為を不可能にするものではない。逆だ。それは教える行為を基礎づけ、それをより完全なものにし、また、それと関連するもう一つの行為、学ぶという行為にも刻印されることになるのだ」(164)

 本書ではフレイレとよく比較されるイリイチとの違いが明確になる箇所がある(そもそも本書冒頭の謝辞の欄には多くの人名を挙げて自らの思想形成の感謝を述べているが、そこにイリイチの名は無い。また本書においてイリイチの思想が直接に言及される箇所はなく、ただ文章の流れの中でのみ数か所イリイチの名が挙げられている)。

「どの時間と空間にも立地しない、抽象的で不可侵な観念だけをとりあつかう中立的な教育実践などというものは、かつて存在したことはなかったし、いまも存在しない」(108)

 フレイレは教育を一つの権力であると認めている。どんな教育実践にもイデオロギーが含まれている(例えば、「やる気のない授業をする」と認識される教員は、「学校で一生懸命やるなんて馬鹿げている」というイデオロギーを提示することになる)。フレイレに対して多く寄せられた批判である「教育実践は中立的であるべきだ」との意見に応えたものとなっている。

「基本的にいえば、ぼくにたいしてなされるこの種の批判は、意識化という概念にたいする誤解と、教育実践にたいするあまりにも甘いビジョンに由来するものだ。それは教育実践をあたかも中立たりうるもの、人類の福祉への貢献とみなすばかりで、危険をおかすことなしには実践しえないという点にこそ、教育実践のとりえがあるということが、まるで見えていないのだ」(108)

 イリイチも、教育は権力であると認識する(山本哲士はさらに進んで、教育は政治であると指摘する。『教育の政治 子どもの国家』を参照のこと)。違うのはその認識後のふるまいである。教育は権力だ。そのため教育というものは放棄しなければならない、といったのがイリイチである。一方、フレイレは〈教育は権力性を逃れられない。だからこそその権力性を自覚したうえで人々の解放につながる教育実践をすべきだ〉と主張したのである(この対立が明確に表れているのが『対話 教育を超えて』である)。

2010年10月24日日曜日

異界との出会いとカイヨワ

 異界に出会うことで、生の豊穣さに気づくことができる。映画『となりのトトロ』の面白さは「子どものときにだけ/あなたに訪れる/素敵」な異界(=トトロ、ネコバスetc.)との「出会い」を再度おこなえる点にある。純粋に考えれば、メイ・サツキ姉妹とトトロたちの間に言語的コミュニケーションは成立してはいない(そもそも「トトロ」という名付けはメイによって恣意的になされたものであり、トトロ自体は一度も名乗りをしていない)。言語における相互行為のできない「他者」である。けれど、明らかに人間ではない(=文字通りの「異者」)存在と非言語的コミュニケーションが映画においては成立している様を観客は目にしている(空を飛ぶこと、ネコバスに乗ることを示唆することetc.)。ここから、子どもの自己形成空間(あるいは時間)において異界(あるいは他者との出会い)が重要な意義をもっている点を読み取ることができる。
 異界との出会いは常に日常性を超えた非日常の文脈で語られる。これはハレ―ケ(あるいは聖—俗)の二項図式を超えた、「聖—俗—遊」というR・カイヨワの図式と重なる。子どもが非日常性あふれる異界と出会うのは「遊」の文脈なのである(実際、『となりのトトロ』ではトトロたちと姉妹は何度も遊びを行う)。生産性や効率性を度外視し、遊びたいが故に遊ぶ子どもの姿。ここに神(あるいは仏)を見たのが『梁塵秘抄』の編者や江戸の歌人・良寛であった。「遊」は「聖」に通じるのだ。まさにホモ=ルーデンスたる子どもの面目躍如である。
 カイヨワの図式にある「遊」については、浅田彰などによってスキゾ・キッズ的生を肯定するものとして描かれた。当時、無限に拡散し直線的成長・拡大モデルを拒否するリゾーム構造に基づくスキゾフレニー(元は分裂病との意味)型の生がもてはやされたのだ。これらは80年代の消費社会論やバブルの終焉とともに忘れ去られていった。しかし、現象学的知見にはスキゾ・キッズの生き方を再肯定する可能性が込められているように見える。

2010年10月18日月曜日

大学生のシャドウ・ワークとそれ以外のシャドウ・ワークの違い

 『シャドウ・ワーク』のなかでイリイチは言う。
「現代社会での労働のいくつかの形は、最初は支払われないもののようにみえても、最終的には金銭的評価で高い報酬となる。大学の学習は往々にしてよい例である。(…)一般には、大学卒業の人間の生涯所得のほうが、卒業しなかった彼の兄弟、姉妹たちの所得よりもはるかに高いだろう」(265頁)。
 この人的資本論的認識のために、大学生は「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者といった本物の〈シャドウ・ワーカーズ〉にあてはまるものではない」(266頁)シャドウ・ワーカーなのである。つまり、大学生はいま自分たちが大学で単位獲得のために行うシャドウ・ワークこそが将来「大卒」として得られる所得につながると認識している。例として挙がった「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者」たちと違う点である。大学生が単位獲得のために行うシャドウ・ワークは、将来において給与が支払われることを見越したworkなのである。
 では、大学生と違う「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者」たちのシャドウ・ワークにはどのような意味が込められているのか。スウェーデンにおいて主婦の一部に賃金が支払われるようになったことをイリイチは指摘するが、まさにそのことによって「スウェーデンは、社会的なサーヴィスにおける訓練された〈シャドウ・ワーカーズ(奉仕家)〉を雇用する試みに、新しい世界を導いているようだ」(267)と皮肉を述べる。「これは、社会的部門における〈シャドウ・ワーク〉を賃労働より一層早く増加させる計画である」と続けている。
 この部分を理解するには、『生きる意味』・『生きる希望』に登場する「善きサマリア人」の寓話を持ってくる必要があるだろう。個別性(ホスピタリティ的行為)が失われ、画一的サービスが行われるようになることへの指摘である。専業主婦の家事労働に政府が賃金を出す。これは社会サービスの一部に専業主婦が吸収されたことでもある。行政の社会サービスの代理人として「訓練された〈シャドウ・ワーカーズ(奉仕家)〉」が要求されるゆえんなのだ。このことはイリイチのいう自助(selfhelp)でもある。専門家たちが作った制度に人々が従わされる「価値の制度化」の状態において、人々は専門家のいうがままに行為を行うようになる。「素人、言い換えると客を自分たち(藤本注 ここでは専門家のこと)の監視のもとに無報酬で働く助手として引き入れようと躍起になっている」(12頁)のだ。「こうした自助の術策によって、産業化社会の基本的分岐が家庭の内部に投影されている」(ibid)。
 まとめると、大学生は将来の稼ぎを見越して〈シャドウ・ワーク〉的学習を行う傾向があるのに対し、それ以外の人びとのシャドウ・ワークは専門家の作り出す制度につき従わされ、自助としてのシャドウ・ワークを行わされているということである。現代社会では、一コンピュータ企業の作り出すワードプロフェッサ・ソフトである「MSワード」や「パワーポイント」の操作法を学校でもパソコン教室でも学習させられる状況を例として提示することができる。人々は「MSワード」や「パワーポイント」を自在に活用できるようになることを期待されるのだ。企業にとっては顧客を会社の活動を支える助手であるかのように動かせるのである。その意味で「自助」としてのシャドウ・ワークを行っていると認識することができる。

2010年10月3日日曜日

映画『シングルマン』(2009)〜『こころ』との対比、あるいは死の贈与論〜

 夏目漱石の『こころ』を同性愛小説として読むよみ方がある。まず「私」と「先生」が出会う場面は鎌倉の海水浴場。「私」は「先生」の泳ぐ姿に着目し、「先生」が着替えるところを絶えず見つめている。個人的に私淑する「私」は「先生」の家に行き、恋愛論等を尋ねていく。始めは戸惑っている「先生」も、ついには自分の生き様を手紙の形で克明に描いて「私」に送り、自殺をするところで本作は終る。矢野智司の『贈与と交換の教育学』にもあるが、「先生」を敬愛する「私」は「先生」の死という贈与を、いわば突然受けたわけだ。「私」は残りの半生において反対給付をする義務を負ってしまう。石原千秋『こころ 大人になれなかった先生』にあるように、「私」は《誰にも見せないでください》「先生」が書き残した手紙の内容を、小説の形で表すことで「先生」を超えること―大人になること―を志向した。これが「私」が「先生」に大して為す反対給付としても見ることができるだろう。

 思わず『こころ』論を書いてしまったが、私が昨日見た『シングルマン』(トム・フォード監督)は『こころ』と同じ構成をとっていることが分かる。『シングルマン』の主人公は大学の文学教授。ゲイのパートナーの突然の事故死から立ち直れない(書きそびれたが、本映画ではこの教授自身がパートナーの死という贈与を受け、その反対給付の仕方に戸惑う姿が描かれている)。ピストルに銃弾を詰め、自殺を志すもいろんな邪魔が入って結局死ねずにいる。ラストの場面で、この教授は教え子である男子学生との束の間の相互作用(これがゲイであることのカミングアウトでもあるが、性行為にいたらないのがミソである)の中で生きる意欲を得る。『こころ』の「先生」は親友Kの自死から立ち直れない(文学論によっては「先生」と「K」との間でも同性愛関係があったのでないか、との指摘もある)。そんな折、自分を私淑する「私」という大学生との出会いが、「先生」の日々に明るさを与える。
 両作で違うのは視点である。『こころ』では教え子(=弟子)の視点(ただし、最終章は「先生」からの視点)で描写されるのに対し『シングルマン』は終止「先生」の側からの描写なのである。
 『シングルマン』のラストは実に切ない。「先生が心配だ」という、自分を心配し必要とする他者の存在に気づいた教授は、家の窓を開ける。フクロウが飛び立つ夜空に満月が浮かぶ。教授の感情描写的に爽快な場面だ。ピストルは引き出しにしまい、硬く鍵をかける。人生の有意味性を教え子から学んだのだ。けれど、突然の心臓発作のせいで教授は死んでしまう。

 両作のポイントは、師弟関係にともなう同性愛的気質である。師匠と弟子が親密な関係性を持っているとき、その関係性は容易にプラトニックな愛、あるいは肉体的な愛に転化する可能性がある。そういう「危険性」を意識しても、どうしても師匠から学びたいという切実さが、師弟関係を支える要因なのである。たとえどうなろうとも、この人から学びたいのだ! そんな「熱い」思いを持つ弟子のみが、師匠から多くを学び、師匠から贈与(むろん、師匠の死だけではない)を受けることができる。だいたいにおいて、師匠は弟子より年長であるため、自殺でなくとも弟子は師匠の「死」という贈与をどこかで受けなければならないのだ。その贈与に対し、弟子はかならずその贈与を受けなければならない。その上で、その贈与に対する反対給付を為す必要がある。でなければ師匠の死は無駄な贈与になってしまう(つまり贈与しようとしても誰も贈与を受けてくれなかったわけだ)。
 『シングルマン』の弟子こと男子学生は、映画中では心臓発作で死んだ教授の死の「贈与」をどのように受け止めたか、全く描かれていない。しかし、想像は容易である。ゲイと噂される教授の家で、男子学生が泊まった。その日、教授が心臓発作。タブロイド紙の記者でなくとも、男子学生が教授の新たなパートナーであると噂されるのは必然であろう(もしくは教授は腹上死したのではないかと勝手に思われる)。この際、男子学生は自分の秘密(=ゲイであるということ)を打ち明ける必要性が出てきてしまう。ゲイであることを否定するのか、それともカミングアウトするのか。どうなるかは分からないが、おそらくは後者の選択をするだろう。映画『シングルマン』自体が、監督(トム・フォード)の生き方をさらけ出すと言うカミングアウト映画という側面を持っている。男子学生が教授の死の贈与に反対給付するための第一歩は、ゲイである自分を認め、周囲にもその理解を求める戦いをすることなのだ。教授の授業シーンでも、マイノリティの迫害について教授が「熱く」語るのが印象的だ。

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2010年9月28日火曜日

映画『ナイト・トーキョー・デイズ』〜会話分析の手法から見る〜

 外国人が撮った日本の映画は、だいたいは「フシギな日本」を示している。海女がいる『007は二度死ぬ』、沖縄の寿司職人が実は刀鍛冶という『キルビル』(飛行機には刀ホルダーもついてましたね)はじめ、日本人としてみていて逆に面白くなってくる。さいきん新宿武蔵野館でみた本作も、正直な話、そんな感じの日本を描いていると思っていた。映画のオープニング。なんと寿司の女体盛り。日本人と白人の男性集団が寿司を食いつづけている。ああ、やっぱり「フシギな日本」を描いている…と思ったら日本人がこう言うではないか。

上司:〈なんで体温で温まった寿司を食わなきゃいかんのかね〉
部下:〈外国のお客様が描く日本の姿を示せばいいんですよ。接待なんですから、こうやっていい気分にさせておけば商談も上手くいきますよ〉

 サイードの『オリエンタリズム』にも同様の話があった。東洋の観光地に来た西洋人はオリエンタリズム性を見いださなければ満足しないのだ。映画冒頭ではじめからこのオリエンタリズム性の種明かしをしているのだ。この映画の監督は、メタ的手法で「フシギな日本は描かないですよ」と示して見せてくれた。この技法は素晴らしい。冒頭の戦略が功を奏し、映画は「これって、日本映画じゃないのか」と思うほど、自然な出来だった。

 本作のなかで興味深いのは、狂言回しをする「私」という人物である。ヒロイン・リュウの会話を録音し、家で何度も繰り返し聴く変な性癖を持っている。彼は「音」にこだわりをもち(そんな仕事をしている旨も語っていた)、リュウの会話を録音するようになったのも「ラーメンのスープを啜る音が母親によく似ていた」ということだった。…音フェチ、と言えなくもない。
 「私」はリュウとよく会っており、その度ラーメンや居酒屋・おでん屋などで食事をする。リュウとその「恋人」との密会も、ラーメン屋がよく舞台となっている(そういえば内田樹の村上春樹論に、「村上の小説には飲食するシーンが多い」旨が書かれていた)。プラトンの時代から、高尚な会話もそうでない会話も「饗宴」という飲み食いの場で多く語られていた。「私」がスムーズにリュウの会話を録音するためにも、飲食という条件は必要なのである。

 「私」はリュウの録音を聴き続ける。昼も夜も絶えず。その会話ではプライベートなことは何一つも話していないが、なぜか「私」はリュウの実の仕事(殺し屋)や秘密(依頼を受けた暗殺対象者と恋仲になる)をいつの間にか知るようになっている。どうでもいいことのようだが、その点が気になった。
 社会学を学ぶものとして、「私」が実は社会学者であったのではないか、と推測している。社会学の調査手法にも「会話分析」というものがあり、その手法を使う研究者も「私」のように病的に同一の会話テープ(あるいはレコーダー)を聴き続ける。「私」すらやらなかった会話の文章化もする(こうやって作ったものをトランスクリプトという)。なぜ社会学者はこんなマニアックなことをするのか? それは会話の進め方・間の取り方のなかに隠された社会的関係が存在していることがあるためだ。

 「私」は絶えずリュウの声をテープで聴く。「私」の会話をリュウがどのように受けているか分析している。長くそれを続けると、過去のリュウの会話と現在のリュウの会話の違いも分かってくる。何か大きな出来事があったのか、恋人ができたのか等など。人間は言葉を使い思考し、感情を表現する存在である以上、会話には本人の意思以上のものがあらわれる。

 「私」が実は社会学者だと思うと、「私」という中年男性とリュウという若い女性との関係性も見えてくる。「私」はリュウに好意を抱いてはいるが恋愛感情はもっていない。リュウはリュウで〈会話を録音したがる変な男だが、まあ暇だから食事くらいしてあげようか〉くらいの感情をもっているのだろう。「友情」といえるかも微妙な関係であるが、調査者と被調査者の関係だと思うと自然になる。調査者は親しすぎる人にはズバズバ質問しにくいのだ。その点ではグラノベッターのいう「弱い紐帯の強み」に近い。人間は親しい人よりも「あまり知らない」人からの情報を重視するのだ(親しい人とは元になる情報が同じ場合が多く、真新しい情報がなくなってしまう)。ただ、こんな微妙な関係ではあっても「私」とリュウにとって2人で会う時間はお互いに有意義だったのではないか。双方、ベタベタしない付き合いを求めていたようではあるし。

2010年9月14日火曜日

写真・悪人

境川のサービスエリアにて。

2010年9月13日月曜日

イリイチ『脱病院化社会』読書メモ

「私の論じたいのは、現在の医原的流行病を阻止するためには、医師ではなく素人が可能なかぎり広い視野と有効な力とを持つべきだということである」(13)

「お互いの自己ケアの能力を回復し、その能力を現代の応用技術の活用と結び合わせることに習熟した人々のみが、他の重要な分野においても、工業的様式の生産に制限を加えることができるだろう」(17)

「独占一般は市場を買いしめるが、根底からの独占は人々が自ら行為し、自らつくる能力を奪ってしまう」(39)

「集約的教育の結果、独学者は雇用されず、集約農業は自作農夫を破壊し、警察の発展は地域社会の自己制御を蝕んでしまう」(40)

「自ら学び、自ら癒し、自分で自分の道を見出すよりは、教えられ、動かされ、治療され、導かれることをわれわれは欲するのである」(168)

「話す自由、学ぶ自由、癒す自由を絶滅する一つの確実な方法は、市民の権利を市民の義務に変えることであり、それを制限することである」(191)

「健康であると証明されるまでは市民は病気であるとみなされる」(93)

「どのような価値の主要領域においても、産業生産の拡大がある点を超えると、限界効用は公正に分配されなくなり、同時に全般的な有効性も下降しはじめることは証明されうる」(214)

「人は他人に対して責任をもつと主観的に感じるときだけ、彼の失敗の結果は批判、中傷、罰というものでなく、遺憾、自責、真の後悔となる」(219)

「医療の介入が最低限しか行われない世界が、健康が最もよい状態で広く行きわたっている世界である。健康な人々とは健康な家に住み、健康な食事を食べる人々である」(220)

*Illich,Ivan(1976):金子嗣郎訳『脱病院化社会』、1998年、晶文社。

2010年9月11日土曜日

早稲田教会

いつも通り、早稲田教会の看板を見る。

最近、自虐が増えてきた。

2010年9月9日木曜日

習字

四ッ谷地域センターに、子どもの書いた習字が飾られていた。

見ていて民主党を連想してしまった。

…それにしても「黒い天使」とはなんだろうか?

2010年8月27日金曜日

『学校の悲しみ』としてのイリイチの教育観

 ダニエル・ぺナックの自伝的小説に『学校の悲しみ』がある。落ちこぼれとして過ごし、学校に対し深い「悲しみ」を持って過ごす主人公の姿が印象的である(しかし彼は結局は教員になり、ずっと学校にとどまり続けることになるのだが)。

 「落ちこぼれ」へのまなざしは、しばしば小説や映画のテーマとなる。映画『大人は判ってくれない』の主人公の少年の姿から、学校に「不適応」とされることの「悲しみ」を感じ取ることが出来る。この悲しみはブルデューのいう「象徴的暴力」である。

 この「落ちこぼれ」へのまなざしであるが、イバン・イリイチの発想の原点にも存在している点に気付くようになった。彼は脱学校論deschoolingで有名だが、それを主張した理由の一つに皆が「学校化schooled」されることで「学校の悲しみ」を経験するようになる、という点がある。

「人の受けた教育化の分量が多ければ、それだけ中途脱落の体験は気持ちを打ちひしぐものとなる。第七学年で落ちこぼれたものは、第三学年で落ちこぼれたもの以上に、自分の劣等性を強く感じるものだ。第三世界の学校は、かつての教会がやっていたよりもさらに効果的に、特製の阿片を投与している。社会の気持ちが次第に学校化されるにつれ、それを構成する個人も、何とか他人に劣らずに暮らしてゆけるかもしれないという意識を段々と失っていく」(『オルターナティブズ 制度変革の提唱』220頁)

 他の個所でも、第三世界(いわゆる途上国)に学校を建設することは、今までに人々が経験しなくてもよかった「落ちこぼれ」る体験を多くの人びとに与えることとなる。学校から落ちこぼれ、ドロップアウトしてしまうと、精神的に自己否定されるだけでなく、学校に残り続けることのできる一部の人間がより多くの公費で高度の教育を受け、社会の上層に到達するのを黙って見つめなければならない。

「プエルトリコでは一〇人の生徒のうち三人が、第六学年も終わらぬうちに学校から落ちこぼれる。このことは、平均以下の所得の家庭からくる児童の場合、二人のうちわずか一人しか初等教育を修了しないことを意味する。こうして、プエルトリコの両親のうち半分は、もし彼らの子供が大学に入るチャンスが見せかけだけでなく本当にあるのだと信じているとすれば、悲しい幻想にとらわれていることになる」(ibid,173頁)

 ブルデュー等の再生産論者の言を用いるなら、高い文化水準のもとに育つ人々(高ハビトゥスをもつ人)は学校においても好成績を修められる「遺産相続者」(『遺産相続者たち』)である。そのため他の人々よりも高等教育進学の可能性が圧倒的に開かれている(『再生産』)。

 学校制度がなければ、学校由来の「悲しみ」を経験しなくても済んだのだ。学校への違和感から自殺をした小学生・杉本治の遺書にも「学校がなければみな自由だった」(『小さなテツガクシャたち』)と書かれていた点は示唆的である。
 学校制度を確立させることは、ユネスコや国連が早急に途上国に求める政策である。実際、途上国に学校を作るプロジェクトは数多い。私たちはその取り組みを手放しで礼賛する。どこかで「学校の悲しみ」に出会った経験があるはずなのに。学校制度が出来ることは、「学校の悲しみ」をその国民全体が経験させられることを意味するのである。

2010年8月20日金曜日

終戦記念日は一体いつか?~「最近の若者は終戦記念日を知らない」言説を破す~

 毎年、8月の半ばになると決まって「いまどきの若者は終戦記念日も知らない」という「調査」報告がなされる。

 しかし、一般的に「8月15日」が終戦記念日なのだが、歴史学の世界ではそれは説の一つにすぎない。少し見てみるだけでも、①1945年8月14日説(宮中御前会議でポツダム宣言受諾が決定)、②1945年8月15日説(一般的なもの。この日に玉音放送)、③1945年9月2日説(ミズーリ号上での正式な終戦)があげられる。

 もし調査員が②の説のみを知っていた場合、①や③の回答をした人間は「終戦記念日を知らない」人扱いをされることになる。アンケートの調査員はその分野のプロが行うわけではないので(ましてテレビ局の調査では、下請け会社に丸投げされることになる)往々にしてありうることだ。
 また、何を持って第二次世界大戦の終戦(敗戦)とするかも、歴史学的には難しいことである。①や②の後も、北海道ではソ連軍が侵攻を続けており、少なくとも北海道では戦争が続いていたと見た方が適切であろう。
 
 少し考えるだけでも、「いまどきの若者は終戦記念日も知らない」言説の欺瞞性に気付くことが出来る。若者を嘆く人間は、大体②説しか知らずに語っていることが多いはずだ。
 教育学徒として気がかりなのは、大体「終戦記念日を知らない」言説の後、「もっと歴史教育をちゃんとやるべきだ」という安易な教育政策提言がなされることである。おそらく、「ちゃんとした歴史教育」を想定する人の頭の中には、①説や③説の存在はなく、②説の押しつけをすることしか想定されていないのだ。

2010年8月9日月曜日

2010年8月7日土曜日

明治大学の自販機

明治大学の自販機。

ただ10円安くするくらいで大げさな広告。

120円取り続ける早稲田大学よりはマシだが…。

2010年7月26日月曜日

私が散髪ぎらいであるのは何故か?

 私は散髪が嫌いである。それは散髪の際、自分が理髪師/美容師の客体(=it、つまりモノ)にされてしまうからである。
 フレイレのいう預金型教育(一般には銀行型教育と呼ばれる)は生徒を「客体」としていた。ゆえにそれは『学びからの逃走』をしなければ苦痛なものとなる。人が人として扱われていない疎外空間に、教室が化しているためだ。
 散髪も、もっと自由にゆるやかな、つまり「コンビビアル」なものにするためには、自分で髪を切るというサブシステンス(イバン・イリイチの言った自律性を意味する言葉)の復興が必要かもしれない。
 爪は誰かに切ってもらうものではない。まだかろうじてネイルサロンはそこまで人々の自律自存性を奪ってはいないからだ。爪と同様、髪においてもサブシステンスの復興が必要なのかもしれない。

2010年7月25日日曜日

教科書

なぜか違和感を感じた中吊り広告である。

生徒や学生のいう「教科書」はただの本であることを越え、ひとつの変更不可能な「聖典」と認識されている。

教科書「で」教えるのでなく、教科書「を」教えると未だに認識されていることが多い。教科書「で」教えるとき教科書はテキストとなるが、教科書「を」教えるとき、教科書は変更不可能な聖典となるのである。

2010年7月20日火曜日

CAI機器の発展と、対話型の「問題化型教育」の可能性

 学校が、CAIの発展により個別学習が可能になったとき、「預金型教育」(パウロ・フレイレ)はもはや不要となる。歴史的に、教員の講義をノートテイクするという行為は中世の修道院に発端がある。写本を作り、その写本を辞書として学生たちが学ぶようにするためを想定してか、教員の言う語り(ディスクール)を書き取るという行為が要請された。現在にも続くこの教員のモノローグ→学生のノートテイクの流れは、ノートを取らない児童・生徒・学生の登場という「危機」を迎えながらも存続している。
 個別学習の実施可能性は、この人々の受動的な「預金型」図式(この場合ノートテイク)が不要となり、真に「問題化型教育」を行うことが可能となる。
 そうなったとき、教育は「対話」的可能性を人々に提起させるのである。つまり、「生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師」(Freire 1979:81頁)による、対話形式の授業の可能性である。これはイリイチのいう「相互親和的」制度〈convivial institution〉(Illich 1971:105頁)でもある。自学自習し、決して自身が「客体化」(フレイレ)されえない状態での学習を可能にするためだ。そして、知識習得という純粋に個人的営みはこのCAIで、知識の創造および探求という営みは教員—生徒、あるいは生徒間での対話による学習が可能となる。


Freire, Paulo(1970):小沢有作・楠原彰・柿沼秀雄・伊藤周訳『被抑圧者の教育学』、亜紀書房、1979。
Illich, Ivan(1971):東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』、東京創元社、1977。

ネクロフィリア・バイオフィリア論の教育学的可能性 —エーリッヒ・フロム『悪について』の解釈から—

1、本稿のねらい

 エーリッヒ・フロムは社会心理学の立場から現代文明批評を行う研究者である。フロムはネクロフィリア・バイオフィリアの観点から『悪について』を考察したが、本稿ではこのネクロフィリア・バイオフィリア概念の教育学的可能性についての考察をおこなう。それはネクロフィリア=「悪」という図式をフロムは描いているが、現代教育学において「悪」は考察の対象となっており 、その「悪」を巡る議論に一つの方向性を示すことになるからである。

2、『悪について』の執筆動機

 『悪について』(原題:THE HEART OF MAN: Its Genius for Good and Evil)は「私の前著作のうちに提示されている思想をとりあげて、更に発展させようとするものである」(Fromm 1964:1頁)観点から執筆された。直接的には『自由からの逃走』(1941年)で描いた「自由の問題、サディズム、マゾヒズムおよび破壊性」(同)のうち、破壊性について考察する観点からまとめられている。「破壊性とはネクロフィリア(necrophilia)であり、生を愛好するバイオフィリア(biophilia)とは逆に、実際に死を愛好するものである」(同)ため、「悪の本性と、善悪を選択する本性とを論じる」(同:1−2頁)のが本書のテーマとなっている。なお、フロムにおいて「悪」はネクロフィリアによって生じるとされている。
 『悪について』で描かれたテーマは、『愛するということ』(1956年)と「一対をな」(同:2頁)している。
 
3、『悪について』諸概念の整理 

 ここでは、『悪について』で提示された概念を整理する。

(1)サディズムの実態について

 フロムは次のように述べている。

サディズムの目標は人間を物体に、生物を無生物に変えることであると言えばよい。なぜなら完全絶対の統御によって、生物は生の本質である自由を失うからである」(Fromm 1964:31頁)。

 フロムはネクロフィリアの特徴として「破壊性」(Fromm 1964:1頁)を挙げている。彼はシモーヌ・ウェイユ(本文ママ)の定義をひき、「力とは人間を屍体に変貌させる能力である」(同:41頁)であると述べている。「人間を屍体に変貌させる能力」としての「破壊性」がネクロフィリアの本質なのであるが、先の引用文の「生物を無生物に変える」という「サディズムの目標」はネクロフィリアの衝動なのである。
 ここから考察すると、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育』に出てくる「預金型教育 」は生徒を客体(=モノ)として扱っているためサディズムに基づく行為といえる。生徒はあくまで知識を入れられる器になる。その状態からの解放として、フレイレが目指したのが「問題化型教育 」であった。そこでは教師—生徒は教材を通して対等の立場での「対話」によって教育が行われる。

対話をとおして、生徒の教師、教師の生徒といった関係は存在しなくなり、新しい言葉、すなわち、生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師が登場してくる。教師はもはやたんなる教える者ではなく、生徒と対話を交わしあうなかで教えられる者にもなる。生徒もまた、教えられると同時に教えるのである。かれらは、すべてが成長する過程にたいして共同で責任を負うようになる。(Freire 1979:81頁)

 生徒が「客体」でなく、「主体」として立ち現れる教育において「生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師」による対話がなされることになる。逆に、「対話」の成り立たない教育現場は「預金型教育」の行われる現場であり、生徒をモノとするサディズム(=ネクロフィリア)が横行する空間となっているといえる。
 なお、本稿ではフレイレの文脈から生徒を「主体」として扱うと述べたが、「主体化とは、アルチュセールによれば、個々の具体的個人がイデオロギー(=知)のなかで特定の社会的主体として立ち現れるメカニズムのことである」(山本 2003:136頁)ため、手放しに肯定すべき事柄であるとは言いがたい点を付記しておく。アルチュセールは「呼びかけ」によってイデオロギーは個人の中に主体を構築すると述べたが(Althusser 1970:87頁)、この「呼びかけ」に応答する行為自体が「対話」であり、教育現場では「問題化型教育」となる。この場合のイデオロギーとは「国家のイデオロギー装置」(AIE)である学校がもたらすものであり、「学校化」(Illich 1971)を人々に要求する産業社会のイデオロギーであろうと考察される。
 そのため、「問題化型教育」を行うことが生徒の「主体化」をもたらす以上、フレイレが忌避した「学校化」の文脈(これはつまり「預金型教育」により一方的に詰込まれる教育現場)から生徒は外れるように見えて、より巧妙に「学校化」されるという結果をもたらす物となる。この更なる考察は本稿の範囲を超えるので以上で筆を置く。

(2)ネクロフィリアとバイオフィリア

ネクロフィリアとは「死を愛好する」(同:40頁)との意味である。ネクロフィリアに基づく人間観について、フロムは次の例をあげている。「スポーツ・カー、テレビ、ラジオのセット、宇宙旅行のほうが、女や恋や自然や食物よりも興味があり、生よりも生のない機械的なものを取扱うことに刺激される男性が、実に多いことは明らかである」・「かれは車を見るような眼で女を見る」(68頁)。フロムはネクロフィリアに基づく見方をする人間のことを「機械的人間」とも示している。現在の日本社会に広がるオタク系の恋愛ゲームやアダルトソフトを好む衝動は、まさにネクロフィリアな態度である。ダイナミックな人間的関係を求めるよりも、関係性が規定されている人間関係(=「機械的人間」)を、ヴァーチャル空間において求める動きがそれにあたる。ルアル空間においても、メイド喫茶や妹喫茶というものが見られるように、きまりきった関係を要求する意味でネクロフィリアな場が広まっている。フレイレを借りるなら、ネクロフィリアは人をモノ化し、「客体化」を施すのである。
ネクロフィリアに対立する概念はバイオフィリアである。「生を愛好する」というのが元の意味である。「《バイオフィリアの倫理》は、それ自身善と悪の原理をもつ。善は生に寄与するものすべてであり、悪は死に寄与するものすべてである。善は生を尊ぶことであり、生、生長、展開を促進するすべてのものをいう。悪は生を窒息させ、矮小にし、寸断するすべてである。喜びは美徳であり、悲しみは罪である」(52頁)。イバン・イリイチは各種著書の中で人間性の回復を訴える図式として「コンヴィヴィアル」という発想を提唱した(『生きる思想』)が、この「人間性の回復」という見方は「善」なのである。
 なお、フリースクールの創始者であるA・S・ニイルの著書にも、ネクロフィリア/バイオフィリアを連想できる要素が書かれている。

人間は多くの願望をもっているが、そのなかでも特別に大きな二つの願望がある。つまり生きたいという願望と死にたいという願望である。死にたいという願望は、道徳教育の結果として生まれたものだ。持って生まれた生命力が、生まれたとたんにねじ曲げられたのだ。生命力がフルに表出を許されたことは一度もない。いつでもだれか大人が人差し指を立てて「いけません。行儀が悪い」というのだ。表出を妨げられた愛情は憎しみに変わる。これとまったく同じように、妨げられた生の願望は死の願望へと変容する。私たちは死ぬことに興味をもっている。その証拠は、新聞を見ればいくらでも見つかる。新聞には、殺人、戦争、動物狩り、スキャンダル、そして大事故などにかんする記事であふれている。新聞の発行部数は、その新聞社が死にどれだけ関心をもっているかに比例する。ここでいう死とは、広い意味で否定、破壊、不幸などといった意味を含んでいる。(Neil 1967:26頁)

 ニイルの「生きたいという願望」がバイオフィリアであり、「死にたいという願望」はネクロフィリアを意味すると考察される。バイオフィリアが道徳教育の結果もたらされるというのはニイルの皮肉である。ニイルはフロイトを引き、道徳教育が性的抑圧をもたらすと指摘しているが、この営みが人々にバイオフィリアを習得させる結果となる。

(3)教育における、バイオフィリアの必要性

 フロムは次のように言う。

子供の場合、生の愛好の発達に最も重要な条件は、その子供が生を愛好する人びとと共に在るということである。生を愛好することは、死を愛好することと同じように伝染しやすい。(Fromm 1964:58頁)

ここから、子どもの教育におけるバイオフィリアの必要性が読み取れる。いきいきとした人間的関係の必要性だ。「人々と共にある」とはイリイチの「コンビビアル 」概念に繋がる。教室が「預金型教育」の場になっているのであれば、それはネクロフィリアの環境になっている。「生を愛好する」バイオフィリアな環境を、教育の中で増やしていく必要性を読み取れる。「フレイレのように、バンキング(知識の銀行預金型)の非対話的教育への厳しい批判をもって、人を愛する対的教育を考えることだ」(山本 2009:207頁)との指摘も、「人を愛する」(=バイオフィリア)教育を行うために「非対話的教育」である「預金型教育」を排斥する必要性に繋がる。
現在、ニンテンドーDSやi-pod/i-padを活用する学習教材が開発されるなど、CAIをめぐる環境は発展を続けている。知識習得型の学びであればCAI機器やテキスト・問題集の自学自習で構わないという言説もあるが(OECD教育研究革新センター 2006などはその典型である)、この学習の仕方はネクロフィリアに基づく教育観である。学習する状況のみを客観的に見れば、美少女ゲームをプレイすることと何ら変わりは無い(そしてこの状況はネクロフィリアである)。
学校という場は多様な他者と交流をする場であるとの考え方があるが(例えば佐藤 2007などに描かれた「学びの共同体」の発想)、この発想はバイオフィリアの場所としての学校再考の姿勢である。

(4)ネクロフィリア・バイオフィリア概念を用いる教育学的意義

 ここまで、ネクロフィリア・バイオフィリア概念について考察を行ってきた。ここではこの概念の教育学的意義を考察する。
 教育者は「人間的関係」や「人間性」といった言葉で現状の公教育批判を行う。ニイルもその例外ではなく、彼の著作には「人間性」言説が頻出している。「人間性」という言葉には高尚な響きがある反面、抽象度が高いため何を意味するか不明瞭な議論となってしまう。「人間性」とは何か、具体的にイメージすることができないためである。
 この「人間性」という言葉を、プラス面・マイナス面の二項対立図式から描くのに機能するのが、フロムのいうネクロフィリア・バイオフィリアの図式である。この図式を用いる場合、教育環境について「人間性」という言葉を使わずに同様の議論を行うことが可能になるという意義がある。

(5)フロムへの批判

(5)—① 教育における「悪」の重要性

 『悪について』において、悲しみは悪であるとフロムは語る(Fromm 1964:53頁など)。それはアランの「悲しくなるような考えは、すべて間違った考えである 」(Alain 1928a:198頁)との哲学に通ずる発想である。しかし、この「悲しみ」を悪として排斥することは本当に可能であろうか。また、「悪」自体、教育には不要な側面であるのだろうか。
 人間にはある程度の「悪」が必要な側面がある。絶望や失望、悲しみなどがその例である。否定的な側面をもつこれらの言葉を、人々はなるべく経験したくはない。しかし、これらを体験するからこそ人間性が深まるという働きも存在する。そうであるならば、一方的に「悪」といって済む問題ではなく、もう一歩考察を深め、人間には悪も必要なのだとの結論に持っていくべきであったと言える。
 この考察に当たり、矢野智司は悪を「通常、悪が論じられているように『善』や『正義』の概念の反対の意味ではなく、理性による計算を破壊することそれ自体が目的であるような至高の体験を指す」(矢野 2009:164頁)と述べている。
 矢野は映画『スタンド・バイ・ミー』(1986年、アメリカ。監督:ロブ・ライナー)に描かれた、「死体」を探す旅に出た少年たちの姿について論じている(矢野 2009)。旅の後、少年たちに自己変容が生じるのだが、その理由について「この旅が死に触れる悪の体験」(矢野 2009:171頁)であったためだと説明する。
 この「死体」を求める少年たちの衝動は、文字通り「死体愛好」(=ネクロフィリア)の衝動である。しかし、この矢野がいう構図から見えてくるのは、「悪」(=ネクロフィリア)を子ども集団が共有し、完遂するという行為によってしか得られない教育的価値である。「かつてのイニシエーション(通過儀礼)は、子どもにそのような悪の体験を与える出来事であった」(同)と矢野は語るが、悪を単純にバイオフィリアだとして排斥できない理由はこの点にもある。
 無論、こうした「悪」の教育学的意義の考察の持つ危険性にも意識的である必要がある。

悪の体験をこのように「教育的意義」といった視点から捉えてしまうと、悪の体験は子どもが成長するための「手段」のように見なされ、そのあげく成長のためには悪の体験を周到に用意しなければならないと考え、さらには悪の体験自体を教材化するといった転倒した思考に向かう危険性があるからである。(矢野 2009:170頁)

 あらゆる「教材化」(フレイレ)する欲望や発想から逃れたところに位置すべきなのが「悪」である。そのため「悪」を忌避する側面のあるバイオフィリアの教育を教育現場で行う必要性は認められるが、教育的文脈を超えた位置にある「悪」ないしネクロフィリアの有用性にも自覚的であらねばならない。
 映画『スタンド・バイ・ミー』は、少年の死体を発見し、街に再び戻る所で舞台は現在に切り替わる。少年たちに探し求められる「死体」となった少年(その限りでは「客体」となっている)は、矢野も指摘する通り、「ブルーベリーを摘みに森に出かけて道を迷」(同)い、「死体」となってしまった。この少年も、いわば「悪」を求めた結果、「死体」となってしまったのである。「悪を十分に体験することはそれほど簡単なことではない」(同)、大変リスキーな側面を持っていると言える。逆に危険性を持つからこそ「悪」は自己変容をもたらす経験として子どもに機能するのである。そのため、「悪」を教材化し、安全なものとしてバイオフィリアあふれる学校において教育することは「悪」の悪たる所以(あるいは悪の「悪」性)を失わせる結果となる。
 教育者ないし教員の意図を超えた位相に「悪」は存在する。容易に認識可能であり、対処可能となってしまった「悪」はもはや「悪」ではない。「悪」の教育的可能性について語ることは出来ても、「悪」を子どもに経験させるようしむけることは「悪」のもつダイナミズムを失わせる結果となってしまう。

(5)—② 構造主義の立場から見た、フロムへの批判

 バタイユの『呪われた部分 有用性の限界』には、フロムのネクロフィリア概念を連想させる内容が書かれている。
 古代アステカ文明において、多くの俘虜の犠牲が要求された。俘虜たちは戦争に行った兵士たちが生きて帰ってきた際に捧げられる犠牲であったが、「もしも戦士が勝利して戻るのではなく、戦で倒れたならば、戦の場での死が、俘虜を犠牲にする儀礼と同じ意味をもつことになる」(Bataille 1976:63頁)。それは「戦士は自分の身体で、貪欲な神々に食べ物を奉じることになる」(同:63−64頁)ためである。この戦士の発想を支えるのが生け贄を要求する神官の「祈り」である。「死を望み、死のうちに魅力と甘さをみいだすようにされたまえ。矢も剣も恐れず、むしろこれを花のごとく、甘き糧のごとく心地好いものと感じさせたまえ」(同:65頁)と祈り続ける。また、母親も子どもの臍の緒を切る場面において一連の台詞をわが子に語りかけたが、その中にも「戦の場で死んで、華々しい死を迎えて命を終えるのにふさわしい者とみられることは、お前にとって幸ある定めです」(同:62頁)とのフレーズが存在した。
 ここをみれば、古代アステカの兵士も神官も母親も、ともにネクロフィリアであったことが読みとれる。フロムはネクロフィリアを悪であると言い切るが、これは近代の構造、ないしは近代のエピステーメー(ミシェル・フーコー)の枠組から言えることであったのではないか、との疑問が浮かんでくる。つまり、フロムのいうネクロフィリアを考察する際、〈かつてはバイオフィリア中心であったが、今はネクロフィリアが横行している〉という発想をすることは誤りである。日本においても、例えば与謝野晶子が『君死にたまふことなかれ』において、「末に生れし君なれば/親のなさけはまさりしも、/親は刃(やいば)をにぎらせて/人を殺せとをしへしや、/人を殺して死ねよとて/二十四までをそだてしや。」と歌ったように、「人を殺して死ねよ」というネクロフィリア言説が横行する時期があったのである。
 無論、「人を殺して死ねよ」という言説の位相と、フロムのいう「死体愛好」との位相には質的な違いがあることは確かであろう。前者は他者を直接に殺すという意味合いのネクロフィリアであり、後者は他者を客体物(=モノ)として扱うネクロフィリアである。しかし、どちらも「生の愛好」であるバイオフィリアの正反対に当てはまる概念であるため、この項目において取り上げている。
 総括すると、教育におけるバイオフィリアの重要性というフロムの発想も、現在という構造内でのエピステーメーが要求する価値観であり、普遍性のある発想であるとは言いがたいのである。現在広まるネクロフィリアの発想も、実は時代がそれを要求する、あるいは次世代のエピステーメーが要求する結果であると考えることも出来る。
 フロムのネクロフィリア・バイオフィリア概念は現在の立場、ないしフロムの執筆した時点でのエピステーメーだったのである。

4、終わりに

 本稿では『悪について』に描かれたネクロフィリア・バイオフィリアの発想と、「悪」の教育的意義について考察する内容となった。
 今後の課題としては、フロムが本書と「一対をなすものである」(Fromm 1964:2頁)『愛するということ』との対照関係を描けなかった点である。また、フロムの著作全体の思想性についても踏まえられていない。教育学における「悪」の意義を考察するためにも、今後『愛するということ』をはじめフロム全著作の検討が課題となるであろう。

5、参考文献

Alain(1928a):齋藤慎子訳『アランの幸福論』、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2007。
Alain(1928b):神谷幹夫訳『幸福論』、岩波文庫、1998。
Althusser, Louis(1970):柳内孝訳『アルチュセールの〈イデオロギー〉論』、三交社、1993。
Bataille, Gerorges(1976):中山元訳『呪われた部分 有用性の限界』、ちくま学芸文庫、2003。
Freire, Paulo(1970):小沢有作・楠原彰・柿沼秀雄・伊藤周訳『被抑圧者の教育学』、亜紀書房、1979。
Fromm, Erich(1941):日高六郎訳『自由からの逃走』、東京創元社、1951。
Fromm, Erich(1964):鈴木重吉訳『悪について』、紀伊国屋書店、1965。
Illich, Ivan(1971):東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』、東京創元社、1977。
Illich, Ivan(1973):渡辺京二・渡辺梨佐訳『コンヴィヴィアリティのための道具』日本エディタースクール出版部、1989。
Neil, Alexander・S(1967):堀真一郎訳『問題の子ども』ニイル選集①、黎明書房、1995。
OECD教育研究革新センター(2006):岩崎久美子訳『個別化していく教育』明石書店、2007。
里見実(2010):『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』、太郎次郎社。
佐藤学(2007):「学校再生の哲学:「学びの共同体」のヴィジョンと原理と活動システム」、『現代思想』、青土社、2007年4月号。
山本哲士(2009):『新版 教育の政治 子どもの国家』、文化科学高等研究院出版局。
山本雄二(2003):「テクストと主体生成」、森重雄・田中智志編『〈近代教育〉の社会理論』、勁草書房。
矢野智司(2009):「悪:悪の体験と自己変容」、田中智志・今井康雄編『キーワード現代の教育学』、東京大学出版会。 

2010年7月17日土曜日

心理主義化する就職活動

公務員になるために「エゴグラム」を使おう、という発想。

就職活動における自己分析なるものもそうだが、心理学的知見があまりにも安易に商業主義化されているように感じられる。

恋愛メディア論

 インディ・ジョーンズの映画では、基本的に冒険の結果、ジョーンズはヒロインと恋に落ちることになる。これは冒険がメディアとして機能している。1対1のエロス的関係(=対幻想by吉本隆明)のみで、間に何のメディアも挟まない恋愛は長続きしないことを読み取ることができる。
 
 パウロ・フレイレは問題化型教育において〈教材〉をメディアとすることで他者(=学習者)相互を繋ぐ工夫をした。同様に、恋愛においても両者の間にメディアが必要である。

 かつて結婚は親が決めた。これも二人のエロス的関係では性愛関係を維持させるのが難しいゆえ、「親」や「家」というメディア(=物語)を使ったのだ。文化人類学的知恵の形態である。この「親」や「家」のような男女間の緩衝剤となるもの、つまり間にある物(=メディア)が必要なのである。

 だからカップルは海や遊園地に行き、物語を共有(=メディア)するのである。

映画『真夜中のカーボーイ』(1969)からみる、「死」の贈与論。

 文字通り、真夜中に本作を見て書いている。

 ストーリーなどはネットでいくらでもあがっているので、社会学的(ないし教育学的)考察点を中心に描くことにする。

 親には愛されないが、祖母には愛された主人公・ジョー。職場のレストランでも、ニューヨーク行きのバスでも、ジョーは誰とも会話(=対話)が成立しない。話を振るが、相手は会話に乗らず、モノローグに終ってしまう。他者からのすれ違いをさんざん示す本作は、会話の成立しない「孤独さ」を強烈に表現している。
 回想シーンには子ども時代と前の恋人のシーンばかり。ジョーは過去にすがって生きている。それが嫌で大都会へ行くのだが、やはり上手く行かない。そんなこんなでダスティン・ホフマン演じるリッツォと共同生活を送ることとなる。

 はじめ、誰とも会話が成立しないジョーであるが、リッツォと出会ってから会話が成立するようになる。リッツォはいわば潤滑剤である。本作では2回バスに乗ることで場面が転換するが、1回目とちがい、2回目ではリッツォとジョーは楽しげに談笑をするようになっている。しかし、フロリダ行きのバスから降りた後、ジョーは誰かと会話をすることは本当に可能なのか(後述する「贈与」が働いている、とみるならばジョーはバスに乗る前よりも成長できているため会話が成立する可能性が高い)?

 本作を見て疑問に思うのは、何故ジョーは自分を騙した(=男色の斡旋人のもとに送られる)リッツォに友情を覚えるのかという点だ。宿を提供してもらったとは言え、憎しみすら抱いた相手である(内面のシーンでは首を絞めている)。おそらくではあるが、都市の片隅で自分同様「孤独」を感じる点にシンパシーを覚え(人間は間共振的律動系である以上、波長が同調している、ということである)、リッツォの存在自体から救済を得ていたのではないか。「自分は1人じゃない」という認識を得るためにリッツォに友情を抱いていたのであろう。

 こうなると、リッツォの方が逆に「贈与」(マルセル・モース)を受け続けることになる。病人の自分の世話という「シャドウ・ワーク」の受け手に、ジョーが志願して行ってくれている。ジョーの献身(=文字通りの売血も含む)という「贈与」に対し、リッツォは何も「反対給付」することができない。ラストでのリッツォの死は、ジョーの「贈与」に対する「反対給付」としての「贈与」であったとは考えられないであろうか。

 『贈与と交換の教育学』において矢野智司は、時に人は他者から「死」を贈与され、それを背負って生きていくことを余儀なくされる、と述べている。本作がまさにそれである。リッツォの「死」を贈与されたジョーは、何らかの形でその贈与への反対給付の義務を負う。マルセル・モース『贈与論』以来の構図である。
 本作を通してみると、ジョーはこういった「死」の贈与を2回、精神病院に送られた「恋人」もカウントするなら3回、「贈与」を受けている。その度にジョーは生き方を変える決断をする(リッツォへの反対給付の仕方は本作では明らかではない)。「恋人」の別れ(=死に近い)がニューヨークでカウボーイ(=男娼)として生きる決断につながり、祖母との別れが子ども時代の甘い記憶からの「別れ」に繋がった。ジョーは生きるのが下手な人物ではあるが、「死」の贈与への反対給付を絶えず行いつづけている点では評価できるのである。

 月並みな表現を使えば、他者の死と向きあう分(「死ぬのはいつも他人ばかり」とは寺山修司の名言である)、人間は強くなるというテーゼにまとめられる。他者の「死」という「贈与」を受け止められるとき、人間は成長する。あるいは、受け止めようと努力することが自分を成長させる。この場合、他者の「死」という「贈与」に、個人が自分の一生をかけて「反対給付」する義務を負うためである。この「反対給付」が成長である。
 逆に、この「死」の「贈与」から逃避したとき、人間の成長は止まる。個人の成長という「反対給付」から逃れているためである。
 親しい人物からの「死」の「贈与」は重々しく個人の中にのしかかってくる。この「贈与」の重みから逃れず、「反対給付」としての成長を遂げることが、人間の人間たる所以なのである。
 

2010年7月12日月曜日

盆踊り

盆踊りについて、浄土寺という寺に貼られていたポスター。

盆踊りはもともと、時宗の念仏踊りに起源がある。それが時を経るうちに祖先供養的意味合いが付加されるようになった。

宗教にとって教義は最重要であるはずが、次第しだいに意味合いは変わっていく。

供儀としての「間引き」

 中世(および近代初期)、密やかに「間引き」・「口減らし」は行われてきた。これは、ある種の「供儀」(=捧げ物)として行われたのではないか。
 「7歳までは神の内」の裏側である、神への返還可能性が「間引き」である。この「返還」の「危うさ」・「うしろめたさ」を「供儀」として「聖化」した営みだった。
 あまり言及されることはないが、障害をもつ子ども達の多くも、こうして「供儀」として「間引」かれてきた。それを「聖化」して誤魔化すのが人間の文明である。

 「ハンデ」のある子どもへの「特別」な「支援」といえば聞こえはいい。しかしこれは無理に「聖化」し「キレイに」見せようとする発想から抜け出ていない態度である。「間引き」を「聖化」してきた歴史から全く抜け出てはいない。現在の特別支援教育の課題は、無理にきれいに見せている点にある。。

2010年7月11日日曜日

医療ミス

シルバーパワー

老人が「シルバーパワー」だという看板。

老人の力をもっと評価すべしとの言説のようだが、「役に立たないシルバー層」の存在価値を逆に認めない結果となる。

老人を人間存在として認めるのではなく、有益/無益で判断する危うさがこの看板にはあふれている。

例えば寝たきり老人は社会的に「無益」であると言えてしまうのが、この看板の言説の「危うさ」なのである。

2010年7月3日土曜日

24時間テレビと障害者論

 『五体不満足』、ずいぶん売れましたね。あれが逆に障害者に対するステレオタイプを強調した気がします。今年も、どうせ8月には24時間テレビなるものが放映されます。そこでは「頑張っている」障害者がたくさん出てきて、おそらく障害者とは仕事以外では決して関わらないであろう「アイドル」たちが、障害者と一緒に何かに「挑戦する」さまを見ることができるはずです。
 障害者って、「頑張」らないと、認めてはもらえないようです。「障害を持っているけど頑張っている、じゃあ僕らも!」というノリには「障害者=頑張るもの」という認識がへばりついています。
 僕はいつも、頑張って生きていません。きっと、どの人もそうでしょう。「頑張って」生きている姿を要求すると言うことは、要するに自分とおなじ人間として扱っていないということです。僕の周りで「頑張っている」人なんて、そんなにいないですよ。ただ障害者だけが「頑張る」ことを要求されるのです。そして障害者に理解があると思っている人に限って、「障害者の子の頑張っている姿から元気をもらいました」と平気で発しています。
障害者にはいろんな人がいます。ウソをつく人、人の悪口をいう人、犯罪を犯す人などなど。悪人もいれば嫌な人もたくさんいます。決して「頑張る」人だけではありません。それは健常者にとっても同じでしょう。健常者にも善人・悪人がいるように、障害者にもいろんな人がいます。その現実を忘れて、「障害者ってこんな人」と思ってしまうことは、コミュニケーション以前に偏見で障害者と接していることになります。

2010年6月28日月曜日

フロム『悪について』

フロムの著書『悪について』で提示された概念を整理する。

(1)サディズムの実態について
「サディズムの目標は人間を物体に、生物を無生物に変えることであると言えばよい。なぜなら完全絶対の統御によって、生物は生の本質である自由を失うからである」(Fromm 1964:31頁)。ここから考えると、フレイレの『被抑圧者の教育』に出てくる預金型教育は生徒を客体(つまり、モノ)として扱っているためサディズムに基づく行為といえる。生徒はあくまで知識を入れられる器なのだから。

(2)ネクロフィリアとバイオフィリア
ネクロフィリアとは「死を愛好する」という意味(同:40頁)。ネクロフィリアに基づく人間観について、フロムは次の例をあげる。「スポーツ・カー、テレビ、ラジオのセット、宇宙旅行のほうが、女や恋や自然や食物よりも興味があり、生よりも生のない機械的なものを取扱うことに刺激される男性が、実に多いことは明らかである」・「かれは車を見るような眼で女を見る」(68頁)。オタク系の恋愛ゲームやアダルトソフトを好む衝動は、まさにネクロフィリアな態度である。メイド喫茶や妹喫茶も、きまりきった関係を要求する意味でネクロフィリアな場である。
ネクロフィリアに対立する概念はバイオフィリアである。「生を愛好する」というのが元の意味である。「《バイオフィリアの倫理》は、それ自身善と悪の原理をもつ。善は生に寄与するものすべてであり、悪は死に寄与するものすべてである。善は生を尊ぶことであり、生、生長、展開を促進するすべてのものをいう。悪は生を窒息させ、矮小にし、寸断するすべてである。喜びは美徳であり、悲しみは罪である」(52頁)。イバン・イリイチが人間性の回復を訴えていたととらえているが、この「人間性の回復」という見方は「善」なのである。

(3)教育における、バイオフィリアの必要性
「子供の場合、生の愛好の発達に最も重要な条件は、その子供が生を愛好する人びとと共に在るということである。生を愛好することは、死を愛好することと同じように伝染しやすい」(58頁)
ここから、子どもの教育におけるバイオフィリアの必要性が読み取れる。いきいきとした人間的関係の中での教育こそ必要なのだ。教室が預金型教育の場になっているのであれば、それはネクロフィリアの環境になっている。「生を愛好する」バイオフィリアな環境(ちょうどイリイチのいうconvivialな場でもある)を、教育の中で増やしていく必要がある。
ニンテンドーDSから学習ソフトが出るなど、CAIをめぐる環境は発展を続けている。知識習得型の学びであればCAI機器やテキスト・問題集の自習で構わないという意見もあるが、この学習の仕方はネクロフィリアに基づく教育観である。学校という場は多様な他者と交流をする場であるとの考え方があるが(佐藤学の「学びの共同体」など)、この発想はバイオフィリアの場所としての学校再考の姿勢である。

(4)ネクロフィリア・バイオフィリア概念の意義
 よく教育者は「人間的関係」や「人間性」といった言葉で現状の公教育批判を行う。この場合、抽象度が高い議論となってしまう。「人間性」とは何か、イメージできないからだ。この「人間性」という言葉を、プラス面・マイナス面の二項対立図式から描いてくれるのが、フロムのいうネクロフィリア・バイオフィリアの図式である。この図式を用いれば、教育環境について「人間性」という言葉を使わずに議論をすることが可能になる。

(5)フロムへの疑問
 『悪について』において、悲しみは悪であるとフロムは語るが、人間にはある程度の「悪」が必要な側面がある。絶望や失望、悲しみ。なるべく経験したくはない感情であるが、これらを体験するからこそ人間性が深まるという働きも存在する。であるならば、一方的に「悪」といって済む問題ではなく、もう一歩考察を深め、人間には悪も必要なのだとの結論に持っていくべきであったと言える。


参考文献
Fromm, Erich(1964):鈴木重吉訳『悪について』、紀伊国屋書店、1965。

メディアの重要性

 第三者的メディアによって、人は一対一関係に耐えることが出来る。
 たとえば男女は「性」を媒介にしているからつながっていられるのであり、読書会も家族も、対象とする本や家を媒介にしてつながっているのである。吉本隆明のいう共同幻想である。吉本は一対一関係(特に男女間)は対幻想と説明しているのであるが。
 恋愛が「学校」によってはじまる学園ドラマも、学校空間・学校的時間を媒介(=メディア)としてつながっている。何のメディアもなく、一対一の実存的関わりを持つことは難しい。趣味の話や最近のスポーツをネタに(ワールドカップは格好の会話メディアになる)しなければ、人は一対一の関係に耐えることはできない。齊藤孝は偏愛マップなるものを用意し、各人の好きなものを明らかにしたうえで会話をすると話が盛り上がる、と語っているが(『友だちいないと不安だ症候群につける薬』など)これこそ一対一関係に耐える方法である。
 カー・ドライブを二人で行く時、会話なしで走ることは可能だが、わびしさや居心地の悪さを感じる(映画『レインマン』で、スザンナが恋人チャーリーに「何も話さないなんて、一人で旅行してるみたい」と訴えるシーンがある)。だからドライバーは「地図を読んでもらう」ことやカーステレオをつけて音楽メディアを媒介に助手席にいる人間と空間・時間を共有しようとする。

2010年6月17日木曜日

早稲田教会のポスター

毎度まいどのことながら、早稲田教会のポスターは面白い。

…次回はお休みなのかな?

2010年6月8日火曜日

贈与論とシャドウ・ワーク論から読み解く「内職」現象

●贈与論の観点から「内職」を読み解く

1、内田樹『下流志向』から読み解く内職現象。

 授業の場は、教員と生徒間の相互行為の場である。特に高校において一斉授業を教員がとる場合、生徒に要求されるのは静かに席に着き、話をひたすら聞くという受動的モデルである。静寂モデルでもある。生徒が声を発しても構わないのはわずかに質問するとき/されたときと、「Speak after me」と英語の教師が要求した時のみである。
 が、この古典的生徒モデルの成立するケースはずいぶんと減ってきた。授業を「聴く」姿勢が高校においても消滅し、立ち歩き・私語・「ケータイ」利用・化粧・睡眠が行われる空間となることが多くなった。この場合、生徒と教員間で相互行為は成立していると言えるのであろうか? 教員のモノローグが、生徒に聴かれないまま空しく授業が続くように見えるとき、相互行為はなされているのだろうか。
 内田樹は「成立している」と答える。教員の授業に対し、生徒は「不快貨幣」を用いての「等価交換」を行っているのだと内田は語る。

五十分間の授業を黙って耐えて聴くという作業は子どもたちにとっては「苦役」です。彼らはその苦役がもたらす「不快」を「貨幣」に読み換えて、教師が提供する教育サービスと等価交換しようとする。
 学校において、子どもたちが交換の場に差し出すことのできる貨幣はそれしかないからです。彼らは学校に不快に耐えるためにやってくる。教育サービスは彼らの不快と引き換えに提供されるものとして観念されている」(内田樹『下流志向』講談社、2007年、48頁)

 授業中のだらけた雰囲気、「内職」や「遊び」の溢れる教室。これは生徒が「『不快という貨幣』を最高の交換レートで『教育商品』と交換しようとする」(同)ためにあえて行う行為であると内田は語る。

例えば、五十分間授業を聴くという不快の対価として、そこで差し出される教育サービスが質・量ともに「見合わない」と判断すれば、「値切り」を行うことになります。仮に、その授業の価値が「十分間の集中」と等価であると判断されると、五十分の授業のうち十分程度だけは教師に対して視線を向け、授業内容をノートに書く。そして、残りの四十分間分の「不快」はこの教育サービスに対する対価としては「支払うべきではない」ものですから、その時間は、隣の席の生徒と私語をしたり、ゲームで遊んだり、マンガを読んだり、立ち歩いたり、あるいは居眠りをしたり、消費者である子どもにとって「不快でない」と見なされる行為に充当される。(内田2007:48−49頁)

 つまらない学校の授業を、自分たちは受けなければならない。そんな状況ならば必要最小限だけ教員に「つきあって」、あとは自分のために時間を使う。そんな形で授業の「再構成」を生徒たちは半ば無意識的に行っている。

2、マルセル・モース『贈与論』から読み解く内職現象。

 内田の発想は、『贈与論』の影響を受けているように思える。それは、生徒の側の授業中の「遊び」やだらけ、「内職」を教員の行う「教育サービス」に対する「交換」として行っていると示している点である(正確にいえば「交換」というよりも「反対給付」である)。
 モースは『贈与論』のなかで、「未開社会」における食物の分配や首長への贈り物をする行為について、以下のようにまとめている。

結局、こうした贈与は自由ではないし実際に無私無欲でもないのである。その大部分は反対給付であり、奉仕や物に対する支払いのためだけではなく、利益になる協同関係を維持するためにも行われる。(Mauss1925:274頁)

 贈与の説明としてモースは全体的給付という概念を用いる。

全体的給付は、受け取った贈り物にお返しをする義務を含んでいるだけでなく、一方で贈り物を与える義務と他方で贈り物を受け取る義務という二つの重要な義務を想定しているからである。(Mauss 1925:38頁)

 この全体的給付に代表される贈与行為は、未開部族に見られるだけでなく、先進国社会にも見られる要素であるというのが『贈与論』のテーマであった。授業も、同じ贈与の発想で考察することができる。
 
3、シャドウ・ワーク論から読み解く「内職」

 イリイチは学校の授業が生徒の側のシャドウ・ワークによって成立していることを述べた。「賃労働を補完するこの労働を、私は〈シャドウ・ワーク〉と呼ぶ。これには、女性が家やアパートで行う大部分の家事、買い物に関係する諸活動、家で学生たちがやたらにつめこむ試験勉強、通勤に費やされる骨折りなどが含まれる」(Illich 1981:207-208頁)。賃労働には給料が発生するが、シャドウ・ワークは無償の行為であり、おまけにシャドウ・ワークの担い手が逆にお金を出すことで経済社会を支えることになる。具体的な例でいえば、消費者は企業の新製品を受動的に受け取るという意味のシャドウ・ワークを行っているといえる。これが学校においては教員の一方的な授業を黙って受け取るという行為がシャドウ・ワークとなる。
 「賃労働にとって人は選択されるが、一方〈シャドウ・ワーク〉の場合は、人はそのなかに置かれる。時間、労苦、さらに尊厳の喪失が、支払われることなく強要される。けれども、よりいっそう経済成長をすすめるためには、〈シャドウ・ワーク〉の支払われることのない自己開発が、ますます賃労働よりも重要なものになってくる」(同:209頁)。教員によってなされる教育サービスは、生徒のシャドウ・ワークによって支えられているのだ。イリイチ思想の研究者でもある山本哲士は次のようにシャドウ・ワークを解説する。

隠れた支払われない労働がある、それはサービス労働の裏側に構成されている、たとえば教師のサービス労働にたいして生徒の消費ワークがある、(…)これらは「させられている」行為、他律行為の働きかけによってなされている受け身的な消費行動になっている。このインダストリアルなサービス商品を消費していると考えられてきたものを、隠れたシャドウのワークであると切り替えたのだ。つまり、産業的な価値を産み出しているワークである、消費ではなく生産であるという切り替えである。(山本 2009:238頁)

教育サービスの受け手である生徒の側が、サービスを受動的に消費する。これをシャドウ・ワークとして位置づけたのがイリイチである。
 この生徒の行うシャドウ・ワークは、モースの『贈与論』をもとにして説明することができる。教育サービスの受け手である生徒は何もなさないわけではなく、贈与に対する何らかの反対給付を行っている。そうでなければ生徒は現状以上に教員に従属する地位に追いやられてしまう。「受け取って何のお返しもしないこと、もしくは受け取ったよりも多くのお返しをしないことが示すのは、従属することであり、被保護者や召使いになることであり、地位が低くなること、より下の方に落ちること」(Mauss 1925:276頁)になるのだ。それゆえ生徒は反対給付として「内職」や「遊び」・居眠りを行う。内田のいう「不快貨幣」も、授業という贈与行為に対する反対給付の説明として読み解くことが可能であろう。

4、まとめ 「内職」シャドウ・ワークの存在理由

 退屈な授業を「黙って耐えて聴くという作業」。その際の「『不快』を『貨幣』に読み換えて、教師が提供する教育サービスと等価交換しようとする」行為についてをここまで考察してきた。「内職」など生徒が授業中に行う行為は、シャドウ・ワークであるといえる。授業を聴く以外にシャドウ・ワークが行われることで、教員はかろうじて授業を最後まで行うことができる。それは、聴いてもつまらない授業がおおっぴらに拒否されるわけではないためだ。「内職」も「遊び」も睡眠も、退屈な授業に何とか耐えるための「知恵」であるという側面であることを意識したい。
 教員の教員たる所以は授業を為すことである。これは文科省の学習指導要領に底流するテーゼである。退屈な授業を教員が為してしまうとき、生徒はおおっぴらに拒否をする(授業ボイコットなど)ことが可能ではある。それが大きな形で現れたのが戦後の大学紛争であった。けれど、殆どの場合は生徒の行うシャドウ・ワークによって教員の授業は「耐える」ことが可能なものと再編成される。生徒の「内職」を注意する教員は多いが(アンケート調査においても、教員に注意されるのが嫌だからこそ内職しない、という回答が多い)、その教員の存在基盤を生徒のシャドウ・ワークが支えていることには無自覚である。
 つまり、「内職」など生徒が授業中になすシャドウ・ワークは、教員の行う教育サービスを底支えしていると言えるのである。


参考文献

Illich, Ivan(1971):東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』、東京創元社、1977。
Illich, Ivan(1981):玉野井芳郎・栗原涁訳『シャドウ・ワーク』、岩波現代文庫、2006。
Mauss, Marcel(1925):『贈与論』、吉田禎吾・江川純一訳『贈与論』、ちくま学芸文庫、2009。
内田樹(2007):『下流志向』、講談社。
山本哲士(2009):『イバン・イリイチ』文化科学高等研究院出版局。

2010年6月7日月曜日

深夜バス車内での思索

(この文章は、5月末に富山県に行く際の深夜バスで書いたものである)

 新宿から深夜バスに乗り、桶川サービスエリアについた。ベンチに座り、あたりを見つめつつボーっとする。
 物憂げな時間の過ごし方。これが好きだから私は一人で深夜バスに乗るのだろう。眠れない時間も、一人になるために必要なのだ。たまには「誰でもない自分」である異邦人(マレビト)になるのも楽しい。
 学部時代、週一回のペースで高校の寮の宿直に行っていた関係で、「ふらっと/どこかに泊まりに行く」のには慣れている(荷物も、「何をもっていくか」大体分かるようになった)。
 眠れない時間、人は何かを考える。自分の過去の思い出、将来の希望等など。ひょっとすると、現実の世界に起きている全てのことは、眠れない時間に人々が思い描いた願望によって成立しているのではないか、と考えることもある。思えば、私が初めて書いた「小説」も、深夜バスに揺られながら書いたものであった。
 深夜バスを嫌う人は多い。「仕方なく」「安いから」乗る人ばかりだ。しかし私はそうではない。深夜バスで眠れない時間も楽しめるような人間だけが、深夜バスの醍醐味を知っているのだ。
 周りがすっかり寝静まっている車内で、一人i-podで音楽を聴きつつボーっとする。「誰でもない私」になれる時間だ。都市的生活をしていると、びっくりするほど「ボーっとする」ことが少ないように思う(だって電車でもエレベーターでも僕は文庫本を開いてるし)。

 こう思うと、「私」というものは本当に連続しているものなのか、不安になる。
 院生としての私は、いまバス車中で揺られつつペンを動かす私と同一人物なのだろうか? 近代法体系は「そりゃそうだ」という。そうでないと「借金したのは昔の俺であって、今の俺が借りたわけじゃない」という言い訳が横行することになる。
 おそらく他人も多様なように、「私」という存在も多様なのだろう(私という存在には4つの側面があるらしいことを心理学専修の人に聞いた)。いま存在する私も「私」だが、「未見の我」としての私も必ずある。「私」をめぐる冒険は果てしない。

 眠れない辛さを感じるのも、旅の楽しみの一つである。
 人生は旅だ、というのなら、旅先で感じるような「辛さ」(この場合は眠れないという現象)を知るのも楽しみの一つである。辛さすらも楽しめるのがプロの旅人なら、辛さですら楽しめるのが人生のプロなのだ。
 よく考えると、死に向かう旅も、遠くへと向かう旅の一つである。人が旅に出るのも、死に向かうための練習なのだ。哲学は「よい死」を迎えるために行うものだと言われる。ならば旅に出るのも哲学のひとつなのだ。プラトン自身、数年アカデメイアを抜けて旅に出ていたし。

 …こんな事柄を綴れているのも、400円のA5リングノートがあるからであり、150円のジェットストリームと僅かな日本語リテラシー能力があるためだ。ほんの少し「知的」になるための投資はほんの少しでいいのだ。

2010年5月31日月曜日

H小学校・研究授業の「思い出」。

 一昨日、はるばる北日本まで行き、公立・H小学校の教育研究会に参加した。これは公開授業を全校的に行う実践である。もう20年も前からこのような実践が行われてきたという。
 よくよく考えると、公開授業とは奇妙な現象である。生きた人間たちを、彼らより年長の人間たちが「観察」の対象にする。要は小学生版「動物園」なのだ。よく思想家は「動物園」を近代の特徴のように語る。それは観察される客体と観察する主体とを明確に二分割するからだ。中世的な「見世物小屋」と違い、「真面目」な「研究」の対象と取り扱われる。
 ミシェル・フーコーは〈見る―見られる〉関係性のうちに権力作用を見出した。とすれば、この授業研究会というのは大人の側が小学生たちを「監視」する権力作用以外の何物でもない。小4のクラスを「見学」する中でそれに思い至り、思わず気持ちが悪くなったのを覚えている。
 この小学校の児童たちは、興味深いことにこれだけ多くの大人たち(下手をすると、クラス内の児童と同じくらいの人数。しかも大半は「先生たち」である)に「見られて」いながら、普段通りの姿を見せてくれる。ある子は机に突っ伏し、私語し、鼻に人差し指を突っ込む(そこまで「観察」してしまう私は、すっかりゾウの檻の前に立って見ている動物園の客である)。巧妙に訓練を受け、餌付けされた「動物」たちの姿を思い出す。とすれば教員は調教師なのか。フーコーが「よきディシプリン(しつけ)はよき調教である」と述べた通りだ。
 授業が終わった後の分科会という「反省会」も非常に「面白い」。先ほどの授業中の「~~君」「~~さん」の言動が問題にされ、それに対する教員の今後の「教育」方針が語られる。この場において、生きた人間の処遇が語られる。語られた生徒は、そんな話し合いの存在を知る由もない。おまけにコメントするのはもう二度とこの小学校に来ない人々なのである。そんな人間たちによって、小学生たちは勝手に今後の生き方を決めつけられてしまうのだ。これを権力作用と呼ばずに何と呼ぶべきなのか。 

追記

●教員の語りに耳を傾けなければ、評価されることのない小学校の退屈さ。それこそ鼻でもほじるしかやることはない。対話は成立せず(1対30の営みは「対話」ではない)、教員の語りは児童の耳から抜けていく。
●私は研究授業や公開授業では、児童・生徒を観察する人を「観察」するのが趣味である。観察する側は、意外に無防備なので「素」が出るのだ。これはツタヤにおいてDVDを探す人を見る「楽しさ」と同じである。いかがわしいDVDを真剣に見つめる人を見るのはなかなかに愉快だ。
●教員たちの軽々しい「皆が仲良く過ごしました」という言説に気持ちの悪さを感じる。この一言には恐るべき「圧力」がかかっているのではないか。「仲間」という言葉や「学びの共同体」という言葉。これらの言葉のネガティブな部分に、本当に目がいっているのか? 「仲間」を構成するのはピア・プレッシャーでもある。つまり同調圧力。少しでも異なる「他者」を排斥する働きが裏にはある。その恐ろしさを知らずに軽々しく「皆」とか「仲間」とかいう言葉を使うべきではない。そう思う。
●教室の後ろの置かれた飼育小屋。いくつも並んだその姿が、私には複数の「棺桶」に見えた。飼育される動物たちは、はじめは可愛がってもみくちゃにされ、飽きられれば餌もやり忘れられるようになり、やがては知らないうちに「死んで」しまう。教員は死ぬことを予期した上でその死体を「デス・エデュケーション」の「教材」にする。そう、はじめから飼育動物たちは「死ぬ」ことを想定されているのである。ペットであればそうではない。
 恐るべきは学校である。どんな存在も「教材」にされてしまう。動物も、その辺にいる地域住民も、駅のホームレスも、すべてが「教材化」。この権力性についても、考察をしていきたい。

生徒によって「受けられた授業」とは何か?~『うる星やつら』的論考。~

学校空間は、生徒集団によって自分たちの生活文脈の中に再構成される。学校の各部署の名前は学校側のものと生徒によって命名されたものの間に落差がある。例えば、我が母校の寮では「みどじゅう」という場所が存在した。集会場の前にある、緑色の絨毯のひかれた空間のことをいう。空間と同じく、生徒たちは学校での「時間」も、自分たちの相応しい文脈のもとに「再構成」する。
 退屈な授業時間。一斉授業の名の下、聞いても理解しがたい授業が教授される。アニメ『うる星やつら』では担任の温泉先生(♨マーク)はまさに英語の教師であり、退屈な文法の授業を行う。どんなに授業の仕方が下手であろうと、生徒はそれに従わなければならない(評価権は温泉先生にある)。それゆえ、諸星あたるを始めとするキャラクターたちはいかにも退屈そうに彼の授業に「付き合う」。その付き合い方が、授業の「再構成」である。あたるはテキストを目隠しにして「早弁」(ハヤベン)をする。教員が黒板に向かう間に、こっそりと授業を抜け出す。そこまでしなくても、生徒たちはあるいは寝、あるいは「内職」をし、紙将棋もすれば紙飛行機も飛ばし、私語も行う(初期のアニメではラムがあたるに抱きついたまま授業が受けられる)。 彼らにとって教員の語りはBGM。音が強くなるときだけ聞き耳を立てる。
 それでも授業は苦痛だ。それゆえ退屈な日常(学校的日常)では「祝祭」が求められ、ラムやその関係者により授業がめちゃくちゃにされることが心待ちにされる(そうでなければ、こんなにトラブルやドタバタしかない学校に通い続ける義理はない)。 「祝祭」性を求めるがゆえに、どんな学校にも「七不思議」などの怪談話が創作される。これらは学校という退屈な日常を、楽しくすごすために作られた物語なのである。ストーリーテラーの周りには、学校的日常に退屈した生徒たちが集まり、耳を傾ける。『平家物語』を語った琵琶法師のような現代版・吟遊詩人なのである。
 学校は「学校」として機能しない。それは生徒によって「学校」は再構成され、自分たちに都合のいいものに作り替えられるからである。そのために、教員によって考えられた「学校」観と、生徒によって見られた「学校」観は常に相違するのである。教員にとって「問題」な生徒は、必ずしも問題児ではない。逆もしかりで、教員側からの「優等生」と、生徒にとっての「優等生」は評価観点がずれている。
 教員によってなされる授業・提供される学校空間は、生徒にとって過ごしやすい必然性はない。それゆえ、生徒たちは適当に遊び、「内職」し、「祝祭」性を求める中で学校的日常をやり過ごし、卒業して行くのだ。それが悪いとはいえない。だいたい、中高生にとっての学校の「思い出」の大部分は友人関係や部活動に集約される。そしてこの二つにはあまり教員側の意図が入り込まないのだ(学習指導要領では「友人関係」も「部活動」も規定はない)。

追記

●私語や手紙回し、早弁によって再構成された授業。再構成でもしなければ苦痛で仕方がない時間。生徒にとって授業を受けることは、いわば「労働」なのである。では、ボーッと過ごされた時間・机の上でなんとなくやり過ごした学校での時間は、生徒の生育史のうえにおいて「役立った」と言えるのであろうか? 内田樹も『下流志向』で「不快貨幣」の話を出している。

2010年5月28日金曜日

歌のもつ恐ろしさ

「時の流れに身をまかせ/あなたの色に染められ…」。テレサ=テンの「時の流れに身をまかせ」。昭和の名曲である。
 小さい頃、美空ひばりの「川の流れのように」とごっちゃにして覚えていた。恥をかいた記憶がある。
 さて、小さい頃、引用した箇所の前段の歌詞が印象深く、この歌のテーマのように感じていた。〈時の流れの速さ〉を歌ったものと思っていたが、実際重要なのは後段の「あなたの色に染められ」であったのだ。つまり人生経験の結果、ようやく「恋愛の奥深さ」を歌ったものであったことに気づいたのだ。
 歌は恐ろしい(ゲーテも言っている)。口に出したり文字に書いたりすると生々しいものを気軽に受けとも「消費」してしまうことができる。
 映画『魔女の宅急便』の主題歌「ルージュの伝言」も歌われた状況は18禁の状況であるが、小学生も歌ってしまっている(駆け落ち先の歌なのだ)。
 歌は気軽に性的なものを歌ってしまう。皆それを気軽に消費する。あたりまえの状況のようだが、その恐ろしさに気づくべきである。ゲーテの意識を身につけるべきだ。

2010年5月23日日曜日

努力教、あるいは努力「狂」。

 なかなか生きづらい世の中である。そう感じるのには理由がある。この世の中は常に「努力」を要求するためだ。いわば「努力教」(あるいは努力シンドローム)に形づくられているようである。
 努力しないことも、大事なのではないだろうか。昨年以来の勝間vs香山論争は、結局の所、「頑張る」「努力する」ことへの違和感を人々が潜在的に求めるようになったことの結果ではないだろうか。

 努力やガンバリズムを否定して生きていきたい。学習においてもそうである。「勉強」という言葉は「強いて勉める」と読む。それこそ「努力」シンドロームの現れた言葉だ。

 よく人間の尊厳として過酷な状況を努力して乗り越えた体験が語られる。会社再建の「美談」も、基本的には資金繰りに昼夜走り回った「努力」の結果として語られる。しかし努力とはそれほど美しいものなのだろうか? 「ほどほどに過ごす」のは駄目なのか? 皆が「頑張る」社会は病んでいる社会である。

 現在の状態で誰も満足してくれない。これは文明を進める要素ではあるのだろうが、『成長の限界』(ローマ・クラブ)以降の社会ではそろそろ「努力の終焉」を語ってもいいのではなかろうか。
 苅谷剛彦はインセンティブ・デバイドの存在を「嘆いた」。所得下位層に生まれた子どもは学ぶ「意欲」や努力する「意欲」が少ないという「格差」があると主張したのだ。けれど、考えてみれば努力するという「意欲」に格差が出るということは、「努力」の終焉に一部の人間が気づき始めた良い「兆候」とも言えるのではないか。
 ほどほどのところで、ほどほどの人生を送る。これでいいんじゃないだろうか。確かに「階層の固定」と言って批判する人もいるだろうが、本田由紀のいう「ハイパー・メリトクラシー」下で要求されるスキルについて考えてほしい。常に自らの向上を目指し、「さわやかに」努力し続けるスキル。本田はハイパーメリトクラシーが「努力し続ける」姿勢を要求することを描くことで社会批判をする。そうである以上、「ほどほど」(昔の宮台真司は「まったり」と言った)の生き方は、社会改革の一つのファクターであるように思われる。
 ニートでも、フリーターでも人は生きていける。何も努力するだけが人生ではない。

努力シンドロームの彼方に。

 久々に落ち込んだ。もう1週間になる。私は自分が不要だ、と感じるときガクッと落ち込むことが分かった。サークルにしても、ボランティアにしても、「あ、俺いなくても大丈夫かもしれない」と感じたとたんに落ち込む。今回もそんな文脈の中で落ち込んだ。
 宮台真司は『14歳からの社会学』において「代替可能性」というキーワードを提示した。自分の存在の代替不可能性を感じられない限り、生きている実感を失ってしまう、という文脈で語られていた。要は、「自分でなく、他の誰かでも構わないのではないか」という思いのことである。いまの私にも当てはまる。「俺なんて、いなくてもいいんじゃないか」と感じるとき、私・藤本研一という人間の「代替可能性」を感じてしまう。
 この現象は再帰性(ギデンズ)に特徴づけられた近代社会特有のものである。再帰性を英語で書くとreflexivity。絶えず自分自身を「振り返り」(=reflective)、自分の行為の結果について考察をしていく態度のこと。
 「自分とは何者か?」を、近代社会では誰も教えてくれない。前近代の共同体社会では「〜〜さん宅の息子さん」というアイデンティティがあった。生き方にしても、「まあ、親父と同じことをして一生を過ごすのだろう」という自明性があった。いまはそれが無い。だからこそ、絶えず自らを「振り返」り、自らを作り替えていくことが必要となった。
 この「振り返り」は、非常に面倒なプロセスである。中学生時代、何か行事の度に「反省会」が行われたことを思い出す。「もっと早く準備をしていればもっとよい企画になったと思います」という意見表明が連発される会議室。子どもながらに生産性のなさを感じていた。再帰性とは、要はこういうことではないか。面白くもなく単調な「反省会」を自らのうちで何度も何度も行う作業。そのうち「自分は何者か」判明する時もあるが、基本的にはただ「振り返る」だけで終ってしまうのではないだろうか。それこそ「反省会」を「努力して」行うことが必要なのだ。
 自分に必要なスキルを、自分で計画して身につける。それだけでなく、「自分は何者か?」「自分は何をしたいのか?」常に考える必要のある近代社会。「努力」し続けないと生きれないように巧妙にプログラミングされた社会である。まして都市に生活していると、日常的に「努力しない」存在の比喩としてホームレスの存在が目に入る。いやでも「努力」が要求される。けれど「努力」は楽ではない。にもかかわらず努力しないと地位やアイデンティティの獲得が手に入れられない。
 本当に生きにくい社会である。
 考えてみれば、「俺はもうダメだ」という状態を「振り返り」の結果として受け止めるのも、ある意味で自分のアイデンティティを形づくったこととなる。自ら「ダメ人間」を名乗るのだ。「ダメ人間」を名乗るとき、とりあえず「自分は何者か?」という問いにはきちんと答えがである。けれど私の自尊心はその状態で満足させてくれはしない。
 「ダメ人間」で満足できないのなら、結局自分自身で「努力」して自分を「向上」させる必要が出てくる。…ああ、努力しないと自分のアイデンティティを獲得できないのか。努力しないと「代替不可能性」に気づくこともできず、この「落ち込んだ」状態からの離脱も図れない。
 いまの状態からの解決方法は見えている。なのにその方法である「努力」をしたくはない。…この「救われない」状態から、どのように抜け出すか? 「努力」して方法を探し出すことにしよう(トートロジーである)。

星に願いを。

 「星に願いを」とはいうが、星は無生物である。願いをかけても叶えてくれるわけはない。にもかかわらず、人は星に願いをかけ続けてきた。このメカニズムは一体何なのだろうか?
 何かに「願い」をかけるとき、人は自らの願望を再確認する。潜在意識の中に「これをやりたい」という思いを上書きしていく。「これをやりたい」思いが潜在意識にあるならば、無意識のうちにそれに関する情報収集や行動を行い始める。「家を安く買いたい」人には、山のようにあるコンビニの雑誌棚の中から「1000万円台で買えるマンション特集」というキーフレーズが無意識的に眼の中に飛び込んでくる。
 神社の賽銭箱の向こうの空間、チベット仏教のマンダラ、キリスト教におけるマリア像。これらに願いをかけ、実際に叶うとしよう。このメカニズムは、人間が自らの願望を再確認する結果として「願いを叶える」という実践が起きてしまうだけなのではないだろうか。

 自己成就的予言というものがある。「社会状況についてのある思い込みが、人びとがそれを信じそれに基づいて行動することで、結果として実現し、当初の予想を正当化するような社会的プロセスのこと」である(『岩波小辞典 社会学』92頁)。予言されたことを無意識的に成就する方向に人が動いてしまうという状態のことだ。落ちこぼれというレッテルを貼られた子どもは「実際に落ちこぼれらしいふるまいを実現してしまう」のである。「星に願いを」かけることは、自己成就的予言とも言える。自分で自分の「予言」として「願い」をかけ、それに自分で応えようとしているのだ。
 こう考えるとき、「星に願いを」かける行為は自分自身に「願い」をかける行為であると言える。結局、願いをかけても叶えるのは自分でしかないということを表しているだけなのである。

2010年5月17日月曜日

たかが受験ごときで…

 修論で書く関係上、受験勉強法の本を本屋であさっている。
 勉強法の本のタイトルや中身は色々と面白い。たかが受験ごときで「科学的勉強法」や「脳科学に基づいた」学習法が語られる。「孤独に打ち勝つ力をつけよ」とアドバイスされ、「死ぬ気でやれ」と訴えかけられる。

 受験生当時、私はこれらの本を購入し、読み込み、そして必死に勉強をした。けれど大学を卒業した今から思えば、「たかが受験に、なぜここまで熱心にやる必要があったのだろうか」と疑問を感じる。

 「東大脳を作る」という言葉や、受験合格のための「食育」本。どっかの塾や予備校のヨイショ本(宣伝本)に怪しげな記憶法の本。これらを見て、受験生が踊らされているように感じられてしまう。

 勉強の仕方くらい、自分で決めさせてほしい。自分でやらせてほしい。山本哲士の名言「ほっといてくれ!」はこの状況でも有効である。

 そんな風に今の私なら思うが、これは受験を終えた立場だからこそ言えることなのだろうか。学習参考書や受験勉強の「仕方」について書かれた本を目にするたび、受験生がものすごく気の毒に感じられるのである。

「制度化」される読書行為。

 池袋のジュンク堂書店に行った。小学生向けの学習参考書の棚の隣に、児童書の棚があった。小学生の男の子が一人、立ち読みをしていた。あとは保護者のみが本を探している。横から見ていた私は、小学生の読書が「教育」に取り囲まれているように感じた。
 古来、読書が悪であった時代がある。それゆえに、読書が娯楽であった。
 現在「子どもに読ませたい本」一覧のように、読書が教育に入り込み「制度化」されている。
 
 もっとも、この傾向は明治末期から起きていた。夏目漱石の小説が良家の子女に「読ませたい本」になった時からだ。読ませても、「大人」や「親」たちに無害だ、と感じるがゆえに「読ませたい本」になったのだ。

 現在の子どもの悲劇の一つは、そんな制度化された無害な本しか与えられないところにあるだろう。
 『ズッコケ三人組』や『ハリー・ポッター』で夏休みの読書感想文を書く小学生は排斥をされる。それは「読ませたい」本ではないからだ。

マイノリティ論。

 昨夜、明治通り沿いのマクドナルドで(珍しく)勉強していた。席に座り、延々と本に向かい続ける。斜め前の席に、「日本語」と書かれたテキストを勉強する一団がいた。左横の席にも、「日本語検定」の教科書をもった若者が座っている。アジア出身の、おそらくはニューカマーの人々だろう。文化現象として見て、興味深いことだった。
 彼らは何故ここで勉強するのだろう? それもラフな格好で。おそらくは日本国内での「マイノリティ」を自認するがゆえに、相互扶助し合うことをお互いに要求するからであろうか。
 マイノリティは孤立すると、おそろしく弱い。「社会」から切り離され、絶望した感覚(アノミー、とデュルケムは言った)に陥れられている。それに対処するには「かたまる」(団結とはあえて言わない)ことである。
 
 社会的弱者であるマイノリティが「かたまる」のを見ると、マジョリティは恐怖を感じる。「朝鮮学校」という存在への「無償化」に日本人が反対したのも、マイノリティが「かたまっている」状態への恐れであるからだろう。
 マイノリティは「かたまる」が故にマジョリティからは脅威であるのだ。それゆえ、先の朝鮮学校の「無償化」論争のとき同様に、露骨な差別意識をなんだかんだ理屈をつけて合理化する。けれどマジョリティはマイノリティが何故「かたまる」のかを考えようとしない。もとはといえば自分たちマジョリティがマイノリティたちに「かたま」らないと生きていけないようにしていることに気付かないのだ。

2010年5月16日日曜日

「教育化」される社会。



 現在は教育が産業になる時代。あらゆることが教育に結びつけられる。例えば中学受験。昨年のプリジデント・ファミリーでは「父親力」なるものが要求されている。父親として子どもを適切に褒めたり叱ったりする力のことを言うらしい。

 現在、個人のあらゆるエネルギーが教育的価値の実現のために使役させられる時代になっているように思われる。

 カントは確かに〈人間は人間に教育されなければ、人間になれない〉と言った。それゆえ、親は子どものために/教師は生徒のためにひたすら自己犠牲的に教育に徹することが美談とされている。

 城山三郎の小説『素直な戦士たち』を思い出す。子どもを東大に入れることを夢見る女性が、そのためだけに結婚・出産し、徹底的に「東大に入れる」ために教育を行う。そのために徹して自己犠牲。「願掛け」として化粧を絶ち、子どもの教材には金を惜しまない母親像。これ、子どもからすると相当な負担である。親がそこまで「自分のため」にしてくれるのを見ていると、押しつぶされるほどのプレッシャーを感じる。


 昨年話題となった『東大合格生のノートはかならず美しい』(太田あや)には、「家族力」で合格した受験生の姿がドキュメントされている。タイトルもズバリ「『家族力』があったから東大に合格できました」。「合格へ向け家族一丸となる」という言葉が紙面に踊る。車いすに載った祖父も両親も、子どもの東大合格をあらゆる点でサポートする。家族全員の記念写真に写った笑顔。それを見て、急に怖くなった。もしこの受験生が不合格だった場合、家族ははたして成立しているのか、と感じたのだ。現在の『素直な戦士』であるように感じた。


 子どもの教育のために一生懸命働く親の存在。これは美談である。教育熱心な人は賞賛されるばかりで非難されることはない。しかし、この姿は同時に、教育のために人々が犠牲にされている姿の表れでもある。よく考えると悲しい光景だ。子どもの教育を行うために、人々から「自分」がなくなっていく。シングルマザーの出てくるドラマにも「あなたが居なければ再婚できるのに」と子どもにつぶやくシーンが印象深い。

 『子どもからの自立』(伊藤雅子)という本にも、この考えがあらわれている。子どもの教育に熱心な母親という「母性賛美」。社会は「母性賛美」をすることで、母親たちに子どもの教育のために自己犠牲をすることを強制している。そのため「母性賛美に陥れられることなく、追い込まれた道を自分の選択だとたぶらかされることなく、女の向上心や生真面目が巧妙に搦(から)めとられる危険を見ぬいて、自分の人生を生きる」(ⅷ頁)ことが必要なのだと筆者は語る。


 魯迅の言葉にこのようなものがある。〈若者の育成のために血を垂らすことは、我が身を削ることになったとしても楽しいものだ〉。「教育の持つ輝き」を信じていた頃、この言葉を感動して私は受け止めていた。しかし、今の私にはマゾ的行動のように思ってしまう。


 教員も親も、一般的に優しい。ゆえに軽々しく他人(子ども)の犠牲/他人の手段になってしまう。この傾向は正しいのだろうか?

 M・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、プロテスタンティズムの教義が人々に働くことを「人生の目的」と規定するようになった、と説明する。人々のあらゆるエネルギーや時間が「労働」にかけられていく。「世俗内禁欲」を訴え、人々が欲望の充足をすることなくひたすら労働に意識をかけるようになる。いまの社会はすべてが教育に結び付けられ、教育的価値の実現のため簡単に自己犠牲が説かれる。皆が「美談」と感じる。…冷静に考えると、おかしなことではなかろうか。


 教育が重要だと言えば言うほど、あらゆるエネルギーが教育に一本化される。エネルギーの提供側はいつまでたっても自由になれず、教育される側はあらゆる教育者の「期待」に応える必要がある。私も言われてきた。「いまの日本社会の問題の解決は君たちにかかっている」。今まで教育されてきたのはそのためかよ。いささかの苛立ちを感じてしまう。

 こんな私もやがては学校教員になるだろうし(院生が生活していく一番手っ取り早い方法)、結婚したら子どもを持つことにもなるだろう。そのときに、「子どもの教育が大切だ」と考え過ぎると、「自分」の生活が無くなってしまうような気がしてならない。けれど、誰もそれを真面目に考えようとしない。私のような発言は「クレイジー」として片付けられてしまうのが、いまの日本の悲しい点である。


2010年5月9日日曜日

私は旅に出るんです、
だからおねがい、カバンを買って。
四角く硬いトランクで
上に座って良いものを。
夢と期待を閉じ込めて
列車に乗って出かけたい。
片道キップをポケットに
陽の出るほうへと一人旅。

小3の結婚

副都心・池袋駅の看板広告。興味深いので撮影。

小説のテーマに恋愛や結婚は何度となく取り上げられる。
現在(というかしばらく前から)はゲームで結婚は擬似経験される。

2010年5月8日土曜日

隣家の窓。

 ヒッチコックの『裏窓』(原題 Rear Window)を見ている。カメラマンの住む家の窓から見える殺人(のような)劇。カメラマンは窓から絶えず「容疑者」を観察し続け、犯行の内容を推理し続ける。自分の行動が実は誰かに観察されているかもしれないということがこの映画のテーマである。自分のプライベートが他者に見られていることを意識すると、何も出来なくなる。近代社会は「儀礼的無関心」(アーヴィング・ゴッフマン)を行うのがルール。「相互行為の同じ物理的場面に居合わす人たちが、互いに相手の存在に気づいていることを、相手に脅したり過度になれなれしい態度をとらずに相手に明示する過程」(ギデンズ『社会学』用語解説)。それが「儀礼的無関心」。他者に過剰に干渉せず「見て見ぬ振り」をすることである。誰かに見張られていると感じると、我々は何も行うことが出来ない。ましてプライベートなことを。

 寺山修司の映画『田園に死す』を見ると、前近代社会において覗きが日常的であったことがよくわかる。障子の穴から他人を見つめる隣人たち。同質性を要求される中世的共同体では、相互に監視しあい、目立ったことができないようになっている。

 近代の都市的生活では、「隣は何を/する人ぞ」。隣人と一切会わないまま生活することができる。

 もし隣人がこちらの行動を覗き見たり盗聴したりしていると想像するならば、もはや生活することはできない。それゆえ窓にはカーテンを閉め、鍵は二重にし、防音性を考慮した家作りをするのだろう。

 私のアパートは窓が一つしかない上に、暑さがこもるため、夏にはとても過ごせない場所である。自然と下着に近い格好で家の中を暮らすことになる。この姿が他者に覗かれていると想像するととても生活できない。

 近代社会では意外なことに、「人は覗きをしないものだ」という性善説に基づいて人々は暮らしているのである。前近代社会では障子の隙間・板戸の間から人々の生活(特に夜の生活)が日常的に覗かれている恐れがあった。

 そういえばフーコーは「見るー見られる」関係に権力構造を見いだした。この映画での絶対的な権力者は一方的に覗きを行うカメラマンの男である。あとの者は彼に「見られる」客体にすぎない。

 映画のクライマックス。覗いていた相手であるセールスマンが覗き主の家にやってくる。目撃者である彼を殺そうとして。これは「見るー見られる」関係が存在することに怒る近代人の比喩であろう。

学校で文章の書き方は教えられているのか?


 「学校」が作られたのは何のためか? 『子どもはもういない』の著者ニール・ポーストマンは〈読み書き能力が人々に要求されるようになったためだ〉、と説明する。それまで、子どもは「小さな大人」として扱われており、子どもと大人を分けるものは殆どなかった(アリエス『子供の誕生』)。けれども「印刷技術の発展を経て、書物を読むことが一定の階層や特定の職業従事者のみの問題でなくなった今、すべての民衆が文字の世界に参入することが重要な課題となってくる」(今井康雄編『教育思想史』)。読み書きというスキルの習得には時間がかかる。それゆえに「学校」の中に子どもを囲い込み、文字を習得させる時間と場所を用意したのだ。

 前に大学のあるクラスメイトのレポートを見せてもらったことがある。酷い出来だった。段落わけがなされておらず、引用の書き方もどこからが引用の始まりか、よく分からない。全体を読んでも意味が不明瞭。「悪文」の典型であった。読む気が失せてしまう。

 大学生のレポートが悲惨な出来であるのを見ると、文字を書くことができても「文章を書く」技術は習得されていないようである。しかもそのクラスメイトは早稲田大学生。早稲田合格者ですらそのレベルなら、他の大学生については推して量るべきである。

 読み書き能力を子どもに習得させるための学校であるのに、なぜか「文章」を書くことすらできない生徒を産み出している。それは何故か? 簡単に言ってしまえば、書き方を教えるはずの学校で、文章の書き方が教えられていないのだ。これでは「学校」が何のためにあるのか分からなくなってしまう。何のために子どもを実社会から隔離してまで学校教育を行っているのであろうか。

 大正デモクラシーが華やかなりし頃、日本では「新教育」という運動が起きた。児童中心主義の教育実践を呼びかける行動である。その中心人物・芦田恵之助(あしだえのすけ)が広めたのが生活綴方(せいかつつづりかた)運動だ。これは子どもが自らの「生活についての認識や感情を綴方(作文)に表現させ、そのことを、主として学級集団のなかで検討しあうことによって主体的な行き方を探求させ」る実践のことだ(『教育学用語辞典 第四版』学文社)。芦田から広まった生活綴方運動の最高到達地点が『山びこ学校』(無着成恭)である。無着成恭が自分の受け持つ小学生たちに書かせた作文を本にまとめたもの。有名な「雪」という詩は非常に情感豊かだ(「雪がコンコン降る。/人間は/その下で暮らしているのです」)。他にも村で流行していた「おひかり様」というカルトに対し小学生たちが批判する文章も掲載されている。『山びこ学校』には詩や随筆ばかりか社会に対する批評までも納められているのだ。無着の実践では「文章を書く」ことが小学生に習得されていた。

 翻って今日の学校を見ると、「文章を書く」ことは本当に果たされているのだろうか。書き方を教えるはずの学校で文章の書き方が教えられていないなら、誰が教えると言うのだろうか。いま一度、生活綴方の伝統の復権が必要であるかもしれない。

2010年5月6日木曜日

里見実『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』太郎次郎社エディタス、2010


 この本を私は、長野に向かうバスのなかで読んでいた。高速道路から見える緑の風景。ブラジル生まれの教育学者パウロ・フレイレが活躍したのも、こんな景色の中であろうか。残念ながらブラジルに行ったことがないので詳しくは分からないが。


 本書はフレイレ(1921-1997)の著書『被抑圧者の教育学』の解説書である。フレイレの教育思想は一体何をテーマにしたものであったかを、著者の里見は検討していく。


 フレイレは教員の一方的な教えこみによる教育を「預金型教育」といって批判をする。預金型教育は人を受動的にしていくからだ。タイトルにあるように、「被抑圧者」にさせられるのが「預金型教育」である。

 そうではなく、教員ー生徒、あるいは生徒どうしの対話による「問題化型教育」が必要であるとフレイレは主張した。彼の「識字教育」は「問題化型教育」の実践である。実際にブラジルの農村をまわり、フレイレは「問題化型教育」を行う。それが当局に批判され、ついには亡命を余儀なくされてしまうのであるが。


 フレイレが危険を冒してまで実践したこのねらいは何か? それは抑圧を受けてきたものが、教育を通じ、自分自身の主体者となることである。

「『読み手』として世界に向きあうこと、それをフレイレは『意識化』とも呼んでいます。(…)フレイレにとっては、識字は『意識化』と同義でした」(154頁)。

 つまり、フレイレの識字教育は世界を読み取る主体に人々を変えていく行為であった。これは受動的な存在から、主体的に世界に関わる存在へと転換することを意味する。「被抑圧者」が、教育によって「人間化」するのだ。「人間化、フレイレの教育学の、これが根幹です」(49頁)と里見はまとめる。フレイレにとっては人間化のために教育が重要なのだ。

 興味深いのは、フレイレが書いた次の記述である。「被抑圧者のみが、自分を自由にすることによって、抑圧者をも自由にすることができるのだ。階級としての抑圧者は、他者はもちろん、自分をすら、自由にすることができない」(85頁)。被抑圧者が「人間化」され、自由になるとき、はじめて抑圧者自身も自由になる。人が人を抑圧するということも「非人間化」されているのである。

 フレイレの本を読むと、あらためて教育の意義や「輝き」を感じられる気がする。

2010年5月4日火曜日

子守り学級に学んだ子どもの明治44年(1911)・卒業式答辞(旧開智小学校(長野県・松本市)に置かれていた資料)。

私共は不幸にして学校へもあがらず子守にまいりましたが先生やご主人のおかげ様で文字や子供のしつけ方などおしへていただき今日めんじょうをいただくことになりましてまことにうれしく思ひます。こののちは一そうべんきょうして御恩にむくひたいと思います。

明治四十四年三月二十五日

子守生徒総代

(原文は旧かなづかいが使用されている)


コメント

 当時、生活の都合上、子守りをしつつ学んだ一群の生徒たちがいた。写真を見ると、一つの教室に座机を並べ、赤ん坊を背負った子どもたちが座っていた。そんな状況で授業を行う(読み書きなどについてを)。教育のもつ、輝きを見るようだ。

 不覚にも、泣きそうになった。自分はイリイチ流の脱学校論者であるはずなのに。

2010年5月2日日曜日

もう少し出してほしい

どうせ寄付するならもう少し出してほしい。

2010年5月1日土曜日

2ちゃんねるの「【受かるためには】内職スレッド【手段を選ばぬ】」を読む。~ディスクールをもとにしての「内職」研究~

●内職技法について。


色つきで透明のファイルか下敷きで隠す。


同じ科目なら堂々とできる


これ、和田秀樹の本にも同様の内容があげられていた。


小さめの単語カードを片手で持って見てる。

縦にして左手で持って親指で右から左へめくる。想像付くだろうか。

先生によっては全然バレない。


ある意味、内職には「スリルを味わう」ために行う「遊び」の要素がある。


日本史から倫理に変更したので日本史の授業が要らなくなった俺。

だから、教師に素直に理由を話して内職を公認してもらった。


融通の利く先生はいいね、やっぱり。


 内職の必要性を語り、許可をもらう生徒もいる。興味深いのは、この申し出を許可する教員にとって、自らの授業の必要性のなさを自覚している、という点である。授業を聴いても合格しないということを教員が理解している。これは学校教育の限界を教員自体が示す行為ではないか。



長文授業と日本史意外は内職。席が一番前なんでバレバレだけど。注意してきたりする教師の場合は睡眠してます


 内職において、席の配置は重要な要素である。


体育以外全部内職。

 

 内職できない科目は「体育」である。


体育の時間での内職の仕方なんかを。

1.体操服の下にでも単語帳か何か忍ばせておいて

 合間をぬってこっそりやる。でもクラスメイトに引かれることうけあい。


2.皆と外(or体育館)へ行くフリをしてこっそり引き返して勉強。

 体育以外でも(学校行事とか)使えます。


3.体育の授業が終ってから学校へ。


とかが考えられますかね。ちなみに僕自信は

体育がストレス解消になるので参加してます。

まあ23は内職じゃなくてサボりですね・・・・


 もはや「内職をする」ことが大前提になり、「どうやったらできるか」に意識が移行している段階である。

 この1に似たようなことを合唱の練習の中でやっている私のクラスメイトがいた。それは単語カードを片手に歌詞カードを手にする、というものである。


古典の時間にマドンナ古文or実況中継

さあ、どれだけ教師の自尊心を傷つけるのか?


 授業力の低い教員は、確かに存在する。その教員の語りに耳を傾けるよりも、質のいい参考書で学習をするほうが遥かに容易に学習は進む。「実況中継」シリーズの存在は大きいのである。

 参考書の方が分かりやすい。ならば授業を聴く必要はないではないか。そのような認識のされ方をしている。


パターン別内職の仕方を考えてみました。というか僕がよくやってる奴です。


・アホみたいな授業だが前の方なので注意されてしまう。

関係のない参考書などが見えていたら先生も気分悪いから怒ります。

じゃあどうするか。プリントにしてしまえばよいのです。

あらかじめコンビニとかのコピー機でその日でする分量のページを

コピーしておき、内職したい授業になればそのプリントを持っていって

さも配布されたプリントのように取り扱えばいい。

コピーする時間と結構な金額がかかりますが、確実性は高いです。

ノーととっているフリをすればなお良し。

プリントの紙質はなるだけ学校のプリントと同じ質のやつがいいでしょう。


 内職の「知恵」の共有は多く行われている。

 他には次のようなもの。


内職にオススメの参考書。

・単語帳等ミニサイズ。

基本ですよね。

・暗記系サブノート

内職する暗記科目と授業の科目を合わせるとばれません。

世界史の授業中に詳説世界史ノート等。

・参考書のコピー

プリントがメインの授業にオススメ。


 ほかにも工夫があげられている。


ノートを使って内職したらまずばれない。


 内職を成立させるための他の技。


内職する授業は予習する。

当てられても即答すれば文句はあまり言われない。


英語はテキストを遣って、解説するだけなので内職にもってこい。

しかも、ライティングの狂死、回答解説に書いてあるようなことしか言わない。

あげく「答えを配ると授業の意味がなくなるから、回答解説は学期末まで配らない」だと。


回答解説以上の授業ができねえことを認めてやがる。救いようがない。



 教員が支配する空間に「抵抗する」手段としての内職技法である。「バレない」という側面が非常に重視されている。大部分の内職は「バレない」ということに価値が置かれている。そのため、本当に勉強が進む方法ではなく、「気休め」になることが多い。

 なお、筆者の場合、一番容易に内職ができたのはすでに学習した内容を問題演習することであった。数学の時間にも現代文の時間にも日本史の問題集をやっていたのが高三の二学期である。


・ヤバイ!内職がバレた!場合。

1.信頼できる、ないし嫌われるとマズイ先生。担任。

融通が利く先生なら問題なし。怒られる様なら素直に謝って

しばらくの間はやめときましょう。マークされているでしょうし。


2.どうしようもないゴミ教師、嫌われても平気な教師。

喧嘩しなさい。ド派手に。「お前の授業なんか聞いてられるかカス」

という風にきつく言ってやるともう次から内職ばれても素通りです。

しつこく注意していてもその都度言い返せばしばらくすれば言ってこなくなるでしょう。

まあいい先生にそういうことをするのは良心が痛むのでやめときましょう。

ろくな授業ができないくせに口だけデカイ教師に効果的。

僕は今現在3人にこの手法を用いて内職を堂々としています。

クラスの視線が気になる位の度胸しかないならそもそも内職なんかしない方がいいです。


 ここまで開き直ることができるなら楽である。ただ、ここまでする生徒はどれくらいいるのだろうか。


漏れは一番前の席で堂々と内職してるが注意された事はないなぁ。

でも授業後は職員室まで質問とかに行ってご機嫌とり(?)をします

 

 内職「後」の対応の仕方も存在する。


俺も体育以外は全部内職。

うちの教師陣はなかなか理解があって、内職してても全く注意してこない。

学校には内職しに行ってるようなもんです。


 教員集団内での認識の違い。内職に「理解がある」教員集団も存在する。



授業を難しくしてくれって頼みに行ったら、

君に合わせると他の子はついてこれないから、

内職しなさいってむしろ勧められたよ・・・

今では教科書も開かずに問題集解いてる。

最初は私立なんだからなんとかしてくれよ、って思ったけど、

内職の方が楽でいいな・・・寝てても怒られないし。


 一斉授業ゆえ、授業について来れない生徒・授業が簡単すぎる生徒に対応するためには、内職の許容以外に方法がないのかもしれない。

 なお、この記入者はその後このように記述している。


現国と古典の二人の先生両方だけど、

ほんとに感謝してるよ。

おかげで最近成績また上がり始めた。

普通に授業なんか受けて時とかは、

周りがDQN過ぎてノイローゼになりそうだったしな。

まあ、許可されたのは前から仲良かったからっていうのもあるけどな。


 内職をすることで「成績が上がる」という状況が起きている。


・国語現文・古文・漢文の全部がつまらんから内職or仮眠

・数学基礎理解の部分は分かりやすいので聞くが、生徒に問題を解かせる(黒板で)時は内職。

・地歴地理の先生は理解暗記出来るように説明してくれるので聞く

・理科文転。二教科ともに不要なので内職。地学を独学。

・英語一年坊時代の文法授業はしっかり受ける。今では全部内職。


 教科によって、また授業の進行状況によって、内職をする/しないは自発的に選択される。


漏れの高校の世界史は本格的にカスだよ。なんか要点らしきプリント1枚配って、あとは教師の演説オナニー授業。

例えるとあれだな。英語のリスニングCDみたいな感じ。

速読英単語のCDについてくる英文だけのやつを見ながら、ひたすらCDが流れてるって感じ。

地理の先生は漏れによくしてくれるから好きだな。交通の分野が苦手なんですが。って言ったらプリント作ってきてくれたし


「カス」な教員への当てつけ、としての内職も存在するようである。

 非常に面白い記述もあった。


今日英語の時間にモリモリ世界史の内職をしてたら

見つかって当てられてしまい、

教師「あらー、○○さんひょっとして

今見てるの世界史の図表?」とか言われた。

席後ろから二番目なのに良く分かったな・・・。

さらにその教師は笑みを浮かべながら

「私ね、エリザベス女王に似てるって言われるのよー」

ときたもんだ。思わず

「むしろヴィクトリア女王に似てます」と返して

クラスの失笑を買ってしまった。スレ違いなのでsage


 次の会話が印象的である。


149 名前: 大学への名無しさん 投稿日: 02/11/08 21:29 ID:B7k0nViW

>>143

学校教諭と予備校講師を比べるのはおかしいだろ。

予備校講師の仕事は大学に合格させることだけど、

教諭の本来の仕事はそうではない。


153 名前: 大学への名無しさん 投稿日: 02/11/08 21:40 ID:CG2q7ADw

>>149

最終的にはそのいいわけになるんだよね教師って。

結局何もできないのに勉強の邪魔してるだけじゃん


154 名前: 大学への名無しさん 投稿日: 02/11/08 21:45 ID:Xx08eHy2

>>153 勉強の邪魔してる

内職が正しい勉強のスタイルだ!

ってことか、それは(w


155 名前: 大学への名無しさん 投稿日: 02/11/08 21:47 ID:1zlEjYz8

>>153

学校の授業のやりかたに不満があるのなら辞めればいい。

高校は義務教育じゃない。


 内職が「正しい勉強のスタイル」というのは非常に面白い。実際、筆者もその認識にいたった。「使えない」授業が多い高校。そこから私は「自発的に勉強しないと大学にも受からず、自分の夢を叶えることもできない」ことを知った。内職することが自分の学びを成立させることだ、と気づいたのである。

 さて、次の内容に移ろう。どうも、内職の前提として学校の授業と大学受験とが乖離しているということがあげられそうである。


200 名前: キチガイ凶師断固粉砕! EmJ/22m2oE 投稿日: 02/11/08 23:40 ID:Yl/DWsge

>>194

確かに、凶師に同情する点はあるな。

しかし、生徒にいい大学に言って欲しいと思っているのなら内職くらいさせろよ!


02 名前: 大学への名無しさん 投稿日: 02/11/08 23:43 ID:EVVxkCFo

>>200

それはいえてる。

ウチの化学教師は

「化学選択者以外は各自自習してよい。ただし、他人に迷惑をかけるな」

と言っている。

実際、私語は注意するが、あとは寝てても何してても文句を言われない。

全範囲終わったと言うこともあるだろうが、これぐらい余裕のある教師ってイイ


 柔軟な対応の出来る教員が、生徒の間で喜ばれるようである。では、教員の側からみた「内職像」や、内職を嫌う「学級委員タイプ」の人間にとって、内職はどのように見えているのだろうか? そのあたりの調査が必要だ。


引用元:http://school.2ch.net/kouri/kako/1036/10360/1036062824.html