2009年4月30日木曜日

自由が苦手な/悲しい人間

いままでずっとイリイチの脱学校論について考えてきた。そのイリイチは本来的な学びの復権を訴えている。

 けれど、学校という「装置」はなかなかに優れたものである。まったくやる気のない生徒でも、何かしらかを学ばせ、読み書きやコミュニケーション能力についてを修得できる場所である。また、黙って席に座る能力や、上司の言に従順にしたがう態度を身につけることができる。
イリイチは学校によって「学び」ができなくなるという、「価値の制度化」を主張した。
けれども。私は学校が無くなった社会で、教育クーポンを〈ぽん〉と渡されて「自由に学んでいいよ」といわれたとき、途方に暮れそうな気がしてならない。自由はしんどい。誰かに「何を学ぶのか」決めてもらうほうが簡単だ。イリイチなどの教育学者は「子どもは学びたがっている」という説をよくとるが、私は疑いの目を持っている。強制されない限り、学ぼうとしない子どももいるはずである。
カトリックとプロテスタントの違いを自殺から考えたのがデュルケームであった。カトリックは教会を通じて神とつながるが、プロテスタントは聖書を通じて各個人が直に神とつながる。プロテスタントはどこまでも個人の問題になる分、しんどくなり、自殺するものがカトリックよりも多くなる、と。学びという側面に応用してみよう。学校のある社会がカトリック、ない社会(イリイチのいう脱学校の社会)がプロテスタントだ。自発的に学ぼうとする人間にとってプロテスタントのほうが気楽でいい。けれど自発性の少ない人間(たとえば私など)にとってはカトリックこそ気楽でいい。確かに教えられる内容に不満はあっても、制度に対し不満をぶつけ、愚痴ることができる。プロテスタントではそうはいかない。学ぶ内容全てが自己決定。「自分が悪かった」という後悔をし、自分を責める方向のみに進んでいく。
 私は自分で自分のことを決めるのがしんどくて仕方ない。進学するかどうか、就職先をどこにするか…。いずれも、中世のように「始めから決まっている」方が悩まなくていいから楽である。

 ラーメンズのネタに「プーチンとマーチン」というものがある。You tubeにもアップされている。これは小林と片桐が腕人形をもって掛け合い漫才や歌を演じるコントである。「♫命令されたい/決められたい/自由が苦手な/切ない人間〜」。軽快に2人が歌う。私はこの歌詞を全面的に肯定する。

文献カード 脱学校論、あるいは学校化社会

『教育思想辞典』の「学校化」(87頁)の参考文献(森重雄)より。

●イリイチ『脱学校の社会』所有。
●イリイチ『脱学校化の可能性』
●イリイチ/フレイレ『対話』(野草社、1980)
●イリイチ『シャドウ・ワーク』所有。
●イリイチ『オルターナティヴズ』(新評論、1985)
●ホルト『なんで学校へやるの』(一光社、1984)
●ライマー『学校は死んでいる』
●森重雄「『学校は死んでいる』ライマー」/金子茂ほか編『教育名著の愉しみ』(時事通信社、1991)
●森重雄「近代・人間・教育」/田中智志編『〈教育〉の解読』(世織書房、1999)
●山本哲士『教育の分水嶺』(せんだん社・三交社、1984)

遠藤克弥監修『新教育事典』(勉誠出版、2002)の「学校化する社会」(190頁)より。
●イリイチ『脱学校の社会』
●門眞一郎ほか『不登校を解く』ミネルヴァ書房、1998年
●桜井哲夫『「近代」の意味』日本放送出版協会、1984年
●山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』ちくま学芸文庫、ちくま書房、1996年
●刈谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』中公新書、1995年


追記
●私のような一人暮らしの学生にとって、ゴールデンウィークは「時間との闘い」。つまり、いかにして有り余る時間と戦うか、ということである。
 上野千鶴子のいわく、「学問は愉しみのための消費材」(『サヨナラ、学校化社会』太郎次郎社、2002年、109頁)である、と。私が教育学、なかんずく脱学校やフリースクールについて研究(ブログを書いたり、本を読んだり)するとき、ものすごく大量の時間を費やすことができる。暇もつぶれるし、知らぬ間に長時間勉強することができる。こんなにいいことはない。
 学生の皆さん、暇なときは好きな学問をしましょうよ。

『脱学校の社会』を読む④ 58〜70

第二章(58〜70頁)

〈教育において学校に代わるものを捜すためには、われわれが「学校」という場合、それはどういう意味であるかをわれわれの間で一致させることから始めなければならない〉(58頁)
→「やり方」の提示。
→「公立学校の現象学」によって、論を進めることを示す。

1、年齢

●「学校は人々を年齢に応じて、集団に分類する」(59頁)。その分類の〈前提とは、子供は学校に所属する、子供は学校で学習する、子供は学校でのみ教えられることができるというものである。私は、この未検討の前提をまじめに疑ってみる必要があると思う〉(59頁)
●我々は子どもが、「自分の分を知り、子供らしく行動することを期待する」(60頁)
●けれどそもそもは「子供時代」の概念は近代になってから登場したものであり、普遍性はない(アリエスの著作より)。
●「学校制度は、それがつくり出す子供時代と同じように、近代に出現した現象なのである」(61頁)
●子供時代:「重荷」「やむをえずその時代を通過」「子供の役割を果たすことが全然楽しくない」(62頁)ものである。

2、教師と生徒

●「学校は、学習は教授の結果であるという公理に基づいて設けられた制度である」(64頁)
●「われわれが知っていることの大部分は、われわれが学校の外で学習したものである。生徒は、教師がいなくても、否、しばしば教師がいるときでさえも、大部分の学習を独力で行うのである」(同)
●「誰もが、学校の外で、いかに生きるべきかを学習する。われわれは、教師の介入なしに、話すこと、考えること、愛すること、感じること、遊ぶこと、呪うこと、政治にかかわること、および働くことを学習するのである」(同)
●「大人は、自分が受けた学校教育をロマン化して回想する傾向がある」(66頁)
●「生徒が教師から何を学習しようとも、学校は教師のために仕事をつくり出してくれるのである」(同)

3、フルタイムの通学

●〈学校はまさにその性質から、参加者の時間とエネルギーに対して、全面的な要求をする傾向がある。こうして次に、教師は保護者、道徳家、および治療者となるのである〉(67頁)
「保護者としての教師」:「いくつかの基礎的な日常的仕事の訓練をさせる」(67頁)
「道徳家としての教師」:「学校のなかだけでなく、社会全体の中で、何が正しいか、何が誤っているかについて、生徒を教化する」(同)
「治療者としての教師」:「生徒の個人的な生活にまで立ち入って穿鑿(せんさく)する権威を与えられていると感じるのである」(68頁)
→この「治療者」は原典ではセラピストと書かれている。therapyとは「薬や外科手術を用いない治療」(『ジーニアス英和辞典』)を意味する。「治療者」といっても、医者と言うよりはカウンセラーなどのイメージ。
※穿鑿:ほじくりかえすこと。原典ではdelve(ほりさげること)。
●「三つの権限をあわせもつ教師は、法律よりもはるかによけい子供を自由でなくしてしまうのである」

●「学校の教師と教会の牧師は、逃げ出す心配のない聴衆に説教するだけでなく、彼らに相談をしにきた人々の私事にまで立ち入って穿鑿する資格があると考える唯一の専門職業者なのである」(68頁)

●「子供をフルタイムの生徒と定義することにより、教師は学校以外の社会的に隔離された他の制度の監督者が持っている権力よりもはるかに憲法上および慣例上の制限を受けない権力を、生徒に対して行使することを許される」(69頁)
学校へ行くことは、人権の保護のない空間に入れられることである。
→「フルタイム」がポイントか?
●潜在的カリキュラム:「学校教育の儀礼的または儀礼的なものそれ自体」。差別と偏見をもたらす。

「話せば分かる」のか?

話せば話すほど、生じる誤解。

「話せば分かる」とはよくいわれるが、話せば話すほど誤解の深まる時もある。

友人はいう。「本音を言ってくれ」。
けれど本音や本心なんて、本当に人間にはあるものであろうか? 話す時々の「思い」はあっても、本音というものは存在し得ないのではないだろうか。

先ほどまで、拙宅で種々の話を友人2人と行った。「本音を」というから、思ったことや感じてきたことを話した。どうやら、多大な失望を与えてしまったようだ。話さなかったほうが良かった気がする。

ただ、「ここから関係を良くしていく」というM君の最後のセリフは一筋の希望ではある。
ところで。ただでさえ頭の回転の鈍る深夜に深刻な話をしても、「建設的な」話ができるわけない。

追記
●よく文の読み方として「批判的に読む」とある。著者の意見に同調しすぎず、「どこかに批判すべき点があるのではないか」と考えながら読む手法のことだ。クリティカル・リーディングともいう。この方法には欠点があるように思う。批判的に読むとき、主体である「私」が成長/変化することが制限されることがあるという点だ。
 批判をするとき、人は批判される対象よりも高い位置にいるという前提がある。対象と同じかそれより低い位置にいる時、批判をすることはできない。その姿勢はものを学ぶ姿勢ではない。授業中、教師の揚げ足をとることに似ている。批判をするときには「学ばせていただこう」という謙虚さがなくなってしまう。その結果、批判者は批判する対象によって変化させられることがなくなる。
 本日の友人との諍い。はじめ私は「批判者」として対面していた。けれどそれでは相手の揚げ足を取り続けるだけとなり、何のために友人たちが家にまで話にやってきたのか分からなくなった。相手が「思い」を伝えにやってきたのなら、その思いを批判的に聞くだけでは相手に失礼であるし、自分の成長のチャンスも摘んでしまうこととなる。
 学問の世界では「批判的」であることは重要なようだ。けれどこの態度を貫きすぎると、小説や偉大な研究によって「私」が根本的に変化させれた、ということが無くなってしまう。そもそもの研究する意味すら分からなくなる(私は灰谷健次郎がいうように、研究という「仕事」によって〈人間的成長ができればいいな〉と考えているのだ)。
●友は「お前は自己顕示欲が強い」と言っていた。おそらく、そうなのだろう。このブログを書きながら実感している。
●「いま思っていることをいってほしい」といわれたとき、雑念で考えていたことを思わず言ってしまった。相手は不機嫌となった。不注意であった。

2009年4月28日火曜日

森毅『気まぐれのすすめ』ちくま文庫、1993

著者は数学者。数学の専門書とは別に、軽妙なエッセイを多数書いている。氏の文章は高校時代にハマった(無論、エッセイの方)。〈受験当日はマンガを読んで余裕をアピールしろ〉、〈受験とはごまかしの技術。全く勉強していなくても、さも勉強してきたかのように解答すればいい〉。受験についての考え方がラクになった。曲がりなりにも現役で早稲田に合格できた理由の一つに、森氏の本を読んでいたから、という点がある。

森は京大教授。けれどイバる感じが全くない。少なくとも文章には現れない。

どうも、教育界で「問題解決」と聞くと、ソッポを向きたくなる習性が、ぼくにはある。人生の問題が解決されるなら、それはけっこうに違いないが、たかが教育ごときで、そんなことのできるわけがない。しかし、なにかしら、そうした幻想を与えようとする癖が、学校にはある。「生きる力」とか「生活のために」などと聞かされるときの、イカガワシサに似ている。(31頁)


「たかが教育ごとき」。いい言葉だ。教育学者はあまり口にしない。
 
 私が森に注目する理由に、脱学校論的発想をよく口に出しているという点が上げられる。次の文は「価値の制度化」を語っているところと読むことができる。

一般的にいって、管理主義というもののおそろしいのは、管理者が管理主義的になること以上に、被管理者が管理主義的になるところだ。実際に京都大学でも、さまざまの手続きが管理主義的になるにしたがって、手続きにだけ熱中する学生が増えはじめた。大学でなにかを学ぶことよりも、教室に出席しているという手続きが重視される傾向については、京都大学はまだマシなほうなのだそうだ。もっと「民主主義的」な大学になると、出席やなにかの手続きだけ勤勉にオツトメすると、だれでも「民主主義的」に単位のとれる仕組みになっているらしい。
「みんな平等に抑圧されましょう」「みんな民主的に管理されましょう」というのが、民主管理主義教育のスローガンで、このごろ少し目にあまるものがあるのだが、ぼくはそれほど心配していない。こんなアホラシイ状態が続くはずがないと、人間の英知にいくらか期待しているのだ。(114頁)
以下は、いろんな抜粋。
本来の自由というものは、だれかれなしにウロチョロするから、当然にイヤな奴ともつきあうことになるものだ。ケージのなかで安心しているのは、自由ではなくて自閉である。(121)


人間が成長するというのは、なにかの殻をまとうことではなくて、裸のありのままの自分であることによって、さまざまの人間と影響しあい、結果的に成長してしまうのだと思う。それを恐れて殻をまとったところで成長なんかするまい。(…)教師のほうが成長することなしに、生徒を成長させようと思うなんて、あつかましい。それも、成長した結果ではなくて、成長する過程を見ることによってだけ、生徒に影響しうるのだ。(139頁)
考えてみれば、教育にとって、塾の歴史は二千年以上あるが、学校の歴史は二百年ほどなのだ。むしろ、学校というものも、塾の一つの形態にすぎない。
そして、こうした塾について、学校との連係が強くないかぎり、年齢的な制限はない。べつに「子ども」でなくても、お茶や生花の稽古に行く。(143頁)


なんでも説明したがり、そして説明さえすれば相手は納得するはず、と思いこみがちなのも教師の悪癖だろう。それでたいてい、ふだんでも教師は説明癖にとらえられている。
本当のところは、納得というものは、自分の心のなかでなにかがなじんでいく過程であって、教師なりなんなりの説明がたすけになることはあるものの、説明されたから納得するというものでもあるまい。(146頁)

→〈学んだことは教えたことの結果ではない〉という脱学校論に近い。

現在の塾は、まだ学校に従属し、学校に寄生している。それが将来に、学校とは別個のカリキュラムで、学校と同じ時間帯に、学校と競合しあうことを期待しているのだ。現在は過渡期であって、無力な学校の強力な支配があるために、学校の成績を上げるための塾や、学校へ進学するための塾が繁昌している。そのうちには、学校の成績など問題にせず、学校へ進学などしなくてもよいという、独自の文化的価値を主張する塾が多くなるのではなかろうか。(151頁)

→フリースクールというものを見越しての発言であるようだ。いまのフリースクールは「独自の文化的価値」を主張するようになっている。
 この文には印象に残るパーツが幾つもある。手元の文庫本には「無力な学校の強力な支配」というところに、赤丸が何重にも書かれている。
 ちなみに本文章は1984年のもの。奥地圭子が東京シューレを始める前年だ。

人間は異界なしには薄っぺらな存在になってしまうし、まるごと異界に魅せられっぱなしでは仕方ない。(266頁)


人間が人間にものを教えて、教える側がかしこくなれないようなら、教育なんてしんどいことをしなければよいのだ。自分が数学をよくわかるようになるために、数学を教えるのであって、自分がかしこくなれないような教え方は、相手のためにもならない。(242頁)

→森の『ひとりで渡ればあぶなくない』(ちくま文庫)にも遠山啓のことばとして「子どもという、こんなおもしろい動物をタダで貸してくれるんだから、教師というのはいい商売だ、というのが彼の口癖だった」(176頁)とある。

医師とか教師とかを、一種の芸人であるとぼくは考えている。芸の巧拙を問題にしているのではない。その芸にどんなつらいことがあっても、お客の前では笑顔であらねばならぬから、芸人なのだ。芸の苦労は表に出さずに、さりげなく舞う。苦労がにじみでたりするのは、芸人の恥だ。(243頁)



追記
●森の関西弁あふれる文章を読んでいたら、懐かしくなる。京都や大阪の大学に行けばよかったかな? まあそのときは、教育学者を目指さなかったろうけど。
 ちなみに2時間後に早稲田大学教育学研究科(つまり教育学の大学院です。わかりにくいですね)の推薦試験面接に行ってきます。森氏のいうように、余裕を示しとかないと、ね。

2009年4月26日日曜日

キャッチコピー

●マナーの悪いお年寄りにも、席を譲ろう。

●勝利の美酒、敗北の養命酒。

●眠れぬ夜のコーヒー牛乳。

『学校では絶対教えてくれない「どうして勉強しなくちゃいけないの?』藤田徳人、2004、PHP

著者は医者。独特の「勉強をする理由」が描かれている。

男子には「モテるために勉強する」ことを説き、女子には「女性が勉強して、社会に進出することは、男性選びの選択範囲を大きくすることにつながるわけです。これは子孫繁栄という意味において、重要なことです。モテるために勉強をするのではなく、配偶者の選択範囲を広げて、よりよい遺伝子を構成に残すために勉強にはげむという理屈が、現代社会では筋道が通るのです」(205頁)と説く。

個人的に「なるほど」とは思うのだが…。確かに人類が動物である以上、動物の生殖と同様の要素があることは事実だろう。けれどそれが無条件で人間社会に適応されるわけではない。

2009年4月24日金曜日

エヴァレット・ライマー『学校は死んでいる』抜粋①

あらゆる国の、あらゆる種類の、あらゆる水準の学校が、四つの違った機能を同時に果たすという傾向が次第に一般的になってきている。四つの機能とは、保護監督、社会的役割の選択、インドクトリネーション(特定の思想や教義の吹き込み)、そして普通、技能と知識の発達を図ることという風に定義されている。(35頁)
社会学者は学校を託児所として認識する。ライマーはこれを発展させ、四つの機能を持たせている。「保護監督」にあたるのが託児所である。学校の選別機能は「社会的役割の選択」、にあたるようである。我々が考える「学校」は「技能と知識の発達を図る」にあたるものだが、それ以外にも学校は機能を持っている。その認識を外さないようにしたい。

2009年4月21日火曜日

東郷雄二『新版 文科系必修研究生活術』(ちくま学芸文庫 2009)

 卒論など各種論文は苦労して泥臭く書くものであると思っていた。研究には王道などないのだと思っていた。けれど、この本を読み、研究にもやり方があるということがよくわかった。
 印象的だったのは、研究カードや文献カードを作るという点だ。論文や文献の重要な箇所や要約をカードに書く(PCなら打ち込む)。梅棹忠男以来の方法ながら、これによって論文を書くのが容易になる。この本を読み、「こうすれば論文が書ける」と安心をした。この本を座右に置いて、卒論を書いていきたい。人間、何をどのようにやっていいか分からないと、不安になる。焦ってくる。本書はすっきりと論文執筆に書かれるための「小道具」を教えてくれるのだ。
 

2009年4月20日月曜日

佐伯『「学ぶ」ということの意味』(1995 岩波書店)

●「他者との学び」が教育である、ということを教育心理学の知見の元にまとめている。
●「人はつねに、他者とともに学ぶ存在である」(44頁)
●66頁からの「学びのドーナッツ論」は未だに理解できていない。再び読む。

2009年4月19日日曜日

映画『レッドクリフpart2』

 ツタヤの広告や電車の中吊りなどで、レッドクリフの宣伝を積極的にやっていた。それにつられて、本日K君と新宿バルト9へ行ってきた。会場内、一杯。昨夜寝る前に予約を取っていて本当によかった。そうでないと「あれ、観れないの?」「……。」と萎えてしまう。

 昨年、チベットの問題などで結構日中関係は冷え込んでいた。その年も、本年も『レッドクリフ』のような中国伝統の物語映画が作られるのは意義深いことである。

 前作ラストの鳩のシーンから始まる。実はあの鳩は伝書鳩の働きをしているのだと明かされる。
 知略を周瑜や孔明が尽くしていても、多くの兵が空しく死んでいく。曹操軍へ正面突破。雨のような弓に襲われ、倒れゆく兵士たち(空しさレベルでは前作の方が上だけどね)。どんなに優秀な軍の司令官がいたとしても、戦争とはこのように多くの兵がいたずらに死んでいくものなのだとの認識を新たにした。
 本作の登場人物は人物が大きい。負けていても堂々としている。敵方・曹操にしても最後まで命乞いをせず、絶体絶命のピンチでも笑う余裕がある(本当のラストはさすがに悲しげ)。最大のピンチで笑える人間こそ、大事を成し遂げられるのではないか、と感じた。
 それにしても。ラストシーンは原作同様、曹操にとどめを刺すことはしなかった。直前に曹操は孫権に「お前は青二才だ」と語り、孫権がものの敵ではないことをアピールする。曹操ならば軍師が殺されるのを見ても、平気で敵方のトップへ弓を放っていただろう。

『脱学校の社会』を読む③ 第一章後半(P31~)

この部分は小中さんの担当なのだが、自分で印象的だったところをまとめてみようと思う。

●学校教育の基礎にあるもう一つの重要な幻想は、学習のほとんどが教えられたことの結果だとすることである。たしかに、教えること(teaching)はある環境のもとで、ある種類の学習には役立つかもしれない。しかしたいていの人々は、知識の大部分を学校の外で身につけるのである。人々が学校の中で知識を得るというのは、少数の裕福な国々において、人々の一生のうち学校の中に閉じ込められている期間がますます長くなったという限りでそう言えるにすぎない。
 ほとんどの学習は偶然に起こるのであり、意図的学習でさえ、その多くは計画的に教授されたことの結果ではない。普通の子供は彼らの国語を偶然に学ぶのである(…)(pp32~33)
●脱学校化された社会(deschooled society)は、偶発的な教育あるいは被形式的な教育への新しいアプローチでもある。(p49)

→子どもたちは偶然によって学ぶ。イリイチはそれを元にした上で脱学校論を述べている。

●学校は現在この種の反復練習による教授方法(drill teaching)をほとんど用いず、また評判の悪いものとしてしまっている。しかし普通の適性と学習意欲をもっている学生なら、もしもこの伝統的な方法で教えられれば、二、三ヶ月で修得できる技能がたくさんあるのである。(pp33~34)
●現在、学校は教育のための資金の大部分を独占している。学校教育よりも費用のかからない反復練習による教授(drill teaching)は、今では裕福なために学校に通わないですませることのできる者や、軍隊や大企業に勤める者で現職教育を受けに出された者たちだけの特権となっている。(p35)
●ほとんどの技能は、反復的練習(drill)によって修得し向上させることができる。なぜならば技能というのは、定義をし、かつ予測することのできる行動を修得することを意味するからである。(p41)

→イリイチは学校の効率性が低いということを、この部分を元に伝える。たしかに分かりやすい説明ではあるが、いささか論が甘いのではないだろうか。

●免許状を持っている人でなければだめだというように免許状の価値が信頼されているために、技能を教える人が不足するのである。(…)工芸や職業科の教師の大部分は、最も優れた職人や熟練工に比べれば彼らほど熟練していないし、彼らほど発明の才もなく、また彼らほど話好きでもない。(p37)

→教師というシステムの効率の悪さ。

●学校は技能を教授すること(skill instruction)において効率が悪いが、その特別な理由は、学校がすべての教科をカリキュラムとして結びつけることにある。ほとんどの学校で、一つの技能を向上させようとする計画は、いつも関連のない他の課業と連鎖的に結びつけられている。たとえば数学をもっと先に進むためには歴史の勉強をしてからとか、校庭を使用する権利は出席の回数によって左右されるとかいうように。

→東京シューレなどのフリースクールが、学校を批判しているポイントである。
→このようなシステムだからこそ、学校ではイリイチが進める「反復練習」が行えないのだ。教育の効率が低下するゆえんだ。
 こう「効率」というと、教育関係者が「教育に効率を持ち込むのは間違っている」と批判することがあるだろう。この批判は子どもの成長と学校での学習を混同した意見である。私は人生の生き方/子どもの育ち方を「効率性」で判断することには無論反対である。子ども独自のリズムによって、子どもは「勝手に」育っていくからだ。けれど、勉強や学習に関してはなるべく早く・愉しく・簡単に進められる方がよい。勉強や学習が子どもの人生において本質的な部分ではないので、苦労して学ぶ必要性が存在しないからだ。忍耐力を付けるのは学習の場でなくとも構わない。苦労や忍耐力を学習の中で修得させようとすることは、勉強嫌いな子どもを生み出すことにつながってしまう。

●私は修得した技能の開放的かつ探求的使用を奨励するような環境の整備を「自由教育」(liberal education)と呼ぶことにする。学校はこの自由教育に関してはさらに効率が悪いのである。その主な理由は学校が義務制であり、学校教育のための学校教育となることである。(…)ちょうど技能を教授することがカリキュラムの束縛から解放されなければならないように、自由教育は学校に通う義務から解放されなければならない。

→イリイチは「自由教育」を目指している。

●最も根本的に学校にとって代わるものは、一人一人に、現在自分が関心をもっている事柄について、同じ関心からそれについての学習意欲をもっている他の人々と共同で考えるための機会を、平等に与えるようなサービス網といったものであろう。(p44)

→ブログがイリイチのいう「ラーニングウェッブ」になりうるのかを、前に私はブログに書いた。参照いただきたい。リンクはこちら

●すべての人に教育を与えるというのは、すべての人による教育をも意味するということである。人々を教育を専門とする制度に強制的に収容することではなく、すべての人を教育的に活動させることのみが国民文化の形成に通じることができる。学習能力だけでなく他人に教える能力をも行使すると言う各人に平等な権利は、現在では免状をもった教師に専有されている。(p49)
→江口達也の処女作『BE FREE!』。ラストに描かれたのは〈教えたい者が教え、学びたい者が学ぶ学校〉である。文化祭とカルチャーセンターが一体化したような学校。この時、卒業という資格に意味は無くなる。
 イリイチの文章を読んで、ふと思いだした。

●今日学校の中で消滅させられつつあるのは、教育そのものなのである。(p53)
→私が『教育名言辞典』(東京書籍)を新たに編纂できる立場にあるならば、絶対に入れたい名言である。ちなみに『教育名言辞典』にはイリイチの言葉は2つ収録されている。「学校教育の基礎にあるもう一つの重要な幻想は、学習のほとんどが教えられたことの結果であるとすることである」(p45)と「言語は、そのすべてが教えられたものであるなら、まったく非人間的なものとなるだろう」(p455)。前者は本稿上部に示したものと同じだ。無論、『脱学校の社会』からの引用。後者は『シャドウ・ワーク』からの引用である。

●教育の脱学校化が成功するか否かは、学校の中で育てられた人々がそのためのリーダーシップを発揮するかどうかにかかっている。彼らが学校化されたカリキュラムでの教育を受けてきたということは、その仕事を逃れるための口実とはなりえない。われわれの一人一人は、たとえこの責任を引き受けるのが精一杯で、他人に対しての警告として役立つことしかできないとしても、自分を現在の自分にしたことに対しては依然として責任があるのである。(p53)
→私がフリースクールに関わることを正当化して頂いたようである。
→自身が「学校化された」と自覚している者が脱学校化に関わることが重要なのだ。

コメント
●O先生であればイリイチの本書からの抜粋をパワーポイントで映しつつ、コメントを入れながら授業をされることだろう。このやり方は、学生に『脱学校の社会』のダイジェストと現代的意味を総覧的に説明する際に適している。私も学者になったら、このようなやり方で授業をしていきたい。

内田樹の『街場の現代思想』(文集文庫)抜粋など

 ゼミのメンバーで奥多摩バーベキューをした後、ボランティア先の寮へ。寮生に挨拶と寮の掃除をした後、S君に会いに電車に乗る。その後に帰宅。ふー、結構移動した一日だった。スイカの金額が恐ろしく減っていた。

 電車旅行の醍醐味は車内での読書であろう。バスでは酔い、飛行機では読む間もなく到着してしまう(搭乗も厄介だ)。そんなこんなで内田樹の『街場の現代思想』(文集文庫)を読了できた。

 勘違いしている人が多いので、ここできっちり申し上げておきたいが、知性というのは「自分の愚かしさ」に他人に指摘されるより先に気づく能力のことであって、自分の正しさをいついかなる場合でも言い立てる能力のことではない。
 学者が学者でいられるのは、自分の理論を否定するデータを他の研究者より早く発見しようと努力する限りにおいてである。(126頁)

 内田の文章に多く出てくる種類の言説だ。内田はソクラテスの「無知の知」と同様の理論を現代において展開する。常識から見ると逆に見えることが実は真理だ、という言い回しの仕方だ。ソクラテスは次のように考察する。〈自分は何も知っていないということ、つまり自分が無知であることを知っている。けれどアテネの神託は私こそ最高の智者であるという。ということは、自分が無知であると知っているものは自分が智者であると思っている者よりも智者であるのだろう〉、と。内田は引用内のように「自分の愚かさ」を自分で気づける能力こそ「知性」である、と語るのである。

 次に進む。夢や目標を実現するためにはどうすればいいか、という箇所だ。
 目的地にたどりつくまでの道順を繰り返し想像し、その道を当たり前のように進んでゆく自分の姿をはっきりと想像できる人間は、かなり高い確率でその目的地にたどりつくことができる。「夢を実現する」というのは、そういうことなのである。(175頁)
 既視感(要はデジャヴュですね)が感じられるくらいまで、自分が夢を達成した姿を想像し、強く願っていく。これにより、その夢を達成できる可能性が増すのだ、と内田は続ける。
 興味深いのはこのくだりは「離婚について」という文章内にあるということだ。熟年離婚が成功しやすいのは、妻が延々と「いきなり離婚を切り出されたら、あのバカ亭主はどんな顔をして仰天するだろう…」(176頁)という妄想をし続ける。「細部に至るまで想像できるような未来は、そうでない未来よりも明らかに実現される可能性が高いのである」(同)がゆえに、熟年離婚は成功しやすい。たとえ否定的な夢であっても、細かく想像していると本当に実現してしまう。

 最後の引用。

 倫理的でない人間というのは、「全員が自分みたいな人間ばかりになった社会」の風景を想像できない人間のことである。
 村上龍の自省が彼に拍手する読者の自省よりも深いのは、彼が「社会全体が自分みたいな人間になったら、どうなるだろう?」という問いを自分に向けることを怠っていないからだ。(226頁)
 この箇所も印象的だった。「全員が自分みたいな」社会。これ、結構恐ろしい想像だ。一席のみ車内が空いていて、自分とご老人が同時に座ろうとする。その際に席を譲らなかったとしよう。「全員が自分みたいな」社会では私は老人になっても席を譲ってもらえない。内田がここでいっている倫理意識は適用範囲が広いように思う。

追記
●春休み中、新書にはまりいろんなテーマで読みあさった。〈けっこう物知りになったんではないか〉と思っていたが、授業に出て〈まだまだ自分の知らない考え方/知識があるのだなあ〉と痛感した。授業は何かを教わるだけでなく、〈自分がいかに物を知らないか〉を実感する場所であることに気づいた。
●よく「早稲田はバカだ」と言われる。『マイルストーン』や『早稲田魂』(いずれも早稲田のサークルの出している雑誌です)の底流にも早稲田=バカとのテーゼが流れている(大体は「明治はもっとバカ」と続くのであるが)。この内容も、本稿で引用した内田の一つ目の引用文と照らしてみると、プラスの内容とも取ることができる。自分のことをバカであると認識していること自体が、知性のある証しである、と。
 私はいま教育社会学を学びはじめているが、知らないことが多すぎる。〈構造主義を知ってて当然〉スタンスの入門書。あれもこれも、知らない横文字。これらを知ったかぶるのでなく素直に〈知らない〉と認めてしまおう、と思っている。そして他人から「お前は馬鹿だ」と言われるより先に学んでしまう。これこそ、理想の「早稲田=バカ」像と言えるのではないか。つまり、「バカ」を認識するのはあくまで自分。真の早稲田生は他人から「バカ」と言われてはならない。
 …けれど、〈知らない〉内容が実は「バカの壁」の向こうの内容だったら悲劇である。「早稲田=バカ」像でいう「バカ」が「バカの壁」の「バカ」でないことを祈るのみだ。

2009年4月18日土曜日

フリースクールの定義②

小中さん同様、私も手持ち文献から「フリースクール」の定義を探ることにする。

『教職基本用語辞典』より。
フリースクールとは、従来の学校にあるような管理と強制から開放されて子どもの自由と自治が尊重される中で教育活動が展開される「自由学校」のことを意味する。1960年代後半、ヴェトナム反戦運動と結びついてアメリカで活発化した人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否等に対抗する学校改革として広がったオルタナティブ・スクール運動の一つとしてフリー・スク―ルが位置づけられた。その際、モデルとされたのは、1925年にニールが開設したイギリスの「サマーヒル学園」とかフランスのフレネ学校、ドイツのシュタイナー学校などである。
 わが国では、1985年(昭和60年)に奥地圭子により不登校の生徒を集めて開かれた「東京シューレ」や1992年(平成4年)に和歌山県に堀慎一郎によって設立された「きのくに子どもの村学園」などがある。 (柴田義松ほか編『教職基本用語辞典』2004年、学文社、73頁)
つづいて、『教育学用語辞典』から。

適応指導教室との決定的な違いは、その運営(経営)母体が民間の個人や団体であることにあろう。また、各フリースクールにほぼ共通しているのは、いわゆる「学校」という枠組みにとらわれることなく、民間の特色を生かした自由な生活空間を学齢児に提供することにあろう。フリースクールと一口で言っても、その運営の理念も特徴も形態も規模もスタイルも歴史も立地も活動内容も、ありとあらゆるものがバラバラであり多様化している。そのため、一方では経済的な競争原理によって開設して数年のうちに淘汰されていく活動体も少なくない。現在は、文部科学省も「民間施設」という名称でフリースクールを一般化し、その役割に一定の評価を与えている。(明石要一ほか編『教育学用語辞典 第4版』2006年、学文社、211頁)

はじめてフリースクールを研究していた頃は『教育学用語辞典』の「バラバラであり多様」という定義が結構好きだった。まさしく「自由」という思いが感じられるからだ。
けれど、いろいろな文献/フリースクールを見るにつれ、いくらなんでもこの定義は適当すぎると思うようになった。自称「フリースクール」でも中身は普通の塾であるケースや、「丹波ナチュラルスクール」のように全く自由がないケースでも、「バラバラであり多様」だからいいじゃないか、となってしまいそうであるからだ。
前に書いたフリースクールの説明でも書いたが、まだまだ制度が新しいためフリースクールの名称を〈言ったもの勝ち〉という状況になっている。はやく統一的なフリースクールの基準が必要であることを痛感している。もし基準を作る際は東京シューレのいう〈子ども中心主義〉の学びをフリースクールとするとよいであろうと思う(公立校/私立校が〈子ども中心主義〉を打ち出した場合、どうなるかとの疑問はあるが)。

2009年4月17日金曜日

早稲田の終わり

早稲田生協のレジ横にサンデーやジャンプを置くようになった。

早稲田も終わりだと思った。

選ぶ人々

学校選択制に選択科目・オルタナティブスクールなど、自己決定が時代のキーワード。ペンの中身も自分が決める。

決めるのが苦手な私は隣にあった既製の3色ペンを買った。

選ぶ自由も必要なら、選ばない自由も必要だ。

2009年4月16日木曜日

東京シューレ版「フリースクール」の定義

フリースクールの定義は、はっきりいって様々である。
http://nak-koharubi.blogspot.com/2009/04/blog-post_11.htmlの小中さんのブログには、フリースクールについて次の定義を紹介していた。
今回は「フリースクール」について社会学事典をもとに、みていきたいとおもう。

フリースクール(藤田悟)
標 準規格があるわけではないが、ニール(Alexander Sutherland Neil1883~1973)が1920年代に創設した英国のサマーヒル校がフリースクールの代表的存在といえよう。サマヒルの特徴は、授業の出席が生徒 の自由にまかされていること、学校運営が教員と生徒の自治によること、の二点。ニールは学習指導の方法に関しては個々の教員にまかせ、「サマヒルの授業形 態」といったものを開発することに関心を示さなかった。生徒の成長し学習しようとする内発性と、生徒と生徒、生徒と教師の人間関係が優先すると考えたので ある。サマヒルは、米国の進歩主義教育やわが国の大正自由教育と同じく、第一次世界大戦後の自由な気運のなかで、またフロイト心理学の影響を色濃く受けつ つ生まれたものであるが、ニールのSummerhillの出版(1960)が英米を中心に大きな反響を呼び、公民権運動、反戦平和の動き、エコロジー運動 などの流れと結びついて、さまざまなタイプの私立のフリースクールが1960年代末から70年代の初めにかけて何千とつくられた。これらは財政難や内部的 不一致などのため多くは短命に終わったが、一部は現在も存続しており、また、公立の学校のなかにフリースクール的な要素が取り入れられてもいる。わが国で も教育の荒廃が叫ばれるなか、1983年、フリースクール研究会が発足、教育に自由を求めて活動しているが、オープンシステム、シュタイナー学校、フレネ 教育、インディビジュアル・エデュケーション、学習交換、さらにはホームスクーリングまで、幅広い関心がゆるやかにつながるネットワークとして機能してい る。子どもの登校拒否などから親が単独ないしは共同で無認可のフリースクールをつくる例も現れている。そうしたなかから、子どもを大人の思うとおりの鋳型 にはめ込み選別しようとする上からの教育ではなく、大人も子どもとの関係のなかで活性化され豊かになってゆく「共育」こそが求められているのではないかと いう、教育の止揚へと向かう論点も出はじめている。(見田・栗原ほか編『社会学事典』弘文堂、1988年、771頁。)



  フリースクールはサマーヒル学園に端を発し、公教育との差別化をはかりながら、社会の変化に応じて増減を繰り返した。その流れの中で現在は、フリースクー ル以外にも教育を多様化する機会や場が少なからずもできてきている。この事実に対して、藤田はこうした多様化による「教育」自体の相対化を達成し、そこか らアウフヘーベンすることの論点を模索する段階に現在は至っていると分析している。
 
 しかし、私は学校化社会という公教育に対する絶対 的な信仰があるかぎり、人びとの教育観に大きな変化は起きないであろうと感じている。なぜなら近代からはじまる学校は、その建築、間取りなどからみるよう に画一的であり、100年以上も大きな変化を遂げなかった。そして、私たちはそのことに疑問をもつこともないのだ。
 それほど、私たちの内面は学校化されているのだ。
さてさて、続いて日本のフリースクールの基本モデルとして東京シューレをみていこう。東京シューレの人たちはどのような定義を使っているのであろうか。「東京シューレ総合ホームページ」から見てみよう。
 

フリースクールって何ですか?

 一般に、子ども主体・子ども中心の教育を行い、教育内容を自由に創り出す学校を指して言うことが多いです。政府・行政が設置した学校(レギュラースクー ル)に対して、民間の手でつくった学校を指して言う場合もあります。イギリスのニイルによるサマーヒルスクールが有名ですが、欧米を中心に数多くありま す。

  日本でも「フリースクール」を掲げるところが多くありますが、「不登校の子どもの行くところ(学校、施設、塾)」というイメージで語られることも多くあり ます。もとは、日本の不登校(登校拒否)の増加を背景に、シューレのように子ども中心に創った居場所を「フリースクール」と呼ぶようになりました(フリー スペースと称しているところもあります)。ここから、「不登校の子どもの行く所=フリースクール」という発想も生まれてきました。「不登校の子どもがいる から」という理由のみで、フリースクールを掲げているところもあります。概念が混乱している状況がみられます。
 このため、「不登校の子どもの通う場所」という意味で学校復帰や生活矯正などを目的とする場所を「フリースクール」と呼ばれてしまう傾向もあります。

  現在、日本の子ども中心の考え方でやっているフリースクール・フリースペースがつながって「フリースクール全国ネットワーク」を結成しています。また、世 界的にも毎年「世界フリースクール大会(IDEC)」が開催され、東京シューレも参加しています。2000年には、東京シューレが中心となり日本大会を開 きました。

 フリースクールとしての東京シューレの活動について、くわしくはフリースクール東京シューレのページ をごらん下さい。

 2007年には、フリースクールのやり方を生かして、日本でも公教育の枠組みの中で「東京シューレ葛飾中学校」をスタートしました。
いかがだっただろうか。東京シューレは「子ども主体・子ども中心の教育を行い、教育内容を自由に創り出す学校」との定義を使っている。逆に言えば、いくら〈自由な学び〉を標榜していたり、〈フリースクール〉という言葉を使っていたとしても、「子ども主体・子ども中心の教育を行い、教育内容を自由に創り出す」要素がなければ〈フリースクール〉ではない、ということだ。丹波ナチュラルスクールの事件がそうであった。なお、その提言のページ(リンクはこちら)から興味深い点を引用する。まあ、さっきの東京シューレのいう定義の文章にも同様のものがありますが。
90年代様々な不登校の受け皿が増えるにつれ、不登校の子どもが行くところがフリースクールと呼ばれるようになり概念の混乱が生じています
社会学事典の引用にも、また東京シューレの出した定義にも、単に「不登校の子どもがいくところ」がフリースクール、という定義は書いていなかった。けれど、世間一般では軽々しくフリースクールの語を使っている。まさに概念の混乱が引き起こされている。

東京シューレは学校を否定するのか?

東京シューレのwebはなかなかに面白い。その中に「ドキッ」とした内容があったので引用させていただく。引用元はこちらです。

東京シューレは学校を否定しているのですか?

 東京シューレは学校以外の場をつくったからといって、学校を否定しているわけではありません。

 学校に行っている子は、学校に行くことによって成長への道を歩んでいます。それと同じように、不登校をしている子、学校に行っていない子にとって、成長の道はどうあったらよいのでしょうか。

 私たちは、学校に行かない子、行く気になれない子を無理に学校に行かせることで、その子にとってマイナスの影響の方が大きいことを、多くの経験から学んできました。

 そして、学校に行っていない期間に学校以外の場で学び、成長するのも一つのあり方として認めることが、子ども本人にとってプラスになることも多くの子どもたちから学んできました。

 実際に、東京シューレで安心してスタッフや同年代の子どもと関わることができるようになって、元の学校に戻ったり、進路として学校を選択する子が数多くいます。
 こうした実績を踏まえて、多くの小・中学校で、シューレへ通った日数が出席扱いとして認めらています。さらに文部科学省から専門家会議のヒアリングに招かれる機会もありました。

 私たち自身も、フリースクールを公教育に位置付けるべく、2007年に「東京シューレ葛飾中学校」を開校しました。

 私たちは、学校に行っている子も、学校へ行っていない子も、学ぶ権利、成長する権利が等しく保障されなければならない、と考えます。

 そして、不登校の子どもたちにとって「子どもの成長は、学校だけではない」という理解を広げ、不登校をしている自分はダメだ、と否定的に考える考え方を変えたいと思っています。


 この姿勢を見ると、脱学校とフリースクールは別物だ、ということが理解できる。重要なのは子どもが幸福に過ごせる(これは「どちらが子どもの権利を保障できるか」ということである)ことであって、安易に学校を廃止すればいいということではない。大部分の子どもにとって学校が役立つならそれでいい。けれど、その学校があわないなら、子どもの権利が保障されていないんだからフリースクールに来ればいい。そういうゆるやかな態度/開かれた態度を東京シューレはとっているのだ。


追記

●奥地圭子は『不登校という生き方』(NHKブックス、2005)のなかで不登校の子どもを「ポストモダンな子ども」と定義している部分がある。

 非常に面白い定義だ。

シューレとは何ぞや?

 私は何の気なしに東京シューレの話を何度もしてきた。本ブログにおいて、典型的フリースクールとして「東京シューレ」を用いる。子どもの自由な学びをまったく保証していないのに「フリースクール」の語を使うところがたくさんあるので、区別のためにつかうのだ。

 ところで、東京シューレの「シューレ」とはどういう意味であるのか? 『大辞泉』によると、
  1. シューレ【(ドイツ)Schule】別ウィンドウで表示
    学校。 学派。流派。
とのこと。なるほど、ドイツ語では「学校」との意になる。そうか、学校的なところだから「シューレ」の語を使うのか。

 …と思ったら、違う可能性が見えてきた。東京シューレのwebサイトには次の説明がある(引用元はこちら)。

「シューレ」って、どんな意味ですか?

 ギリシャ語で「精神を自由に使う」という意味の言葉です。
 ドイツ語の「シューレ(学校)」から取った、というわけではありません。(ドイツ語のシューレや英語のスクールの語源になった言葉、といわれています)

 これを見る限り「シューレ」とは「精神を自由に使う」との意味である。だから《東京シューレ》の名には〈東京にある、精神を自由に使うところ〉との意義が込められていたようだ。確かにフリースクールでは子どもの自由が重視され、「精神を自由に使」っているようだ。うーん、ためになる定義だ。

 …でも、よーく見るとこの解説はトートロジーじゃないか? 「精神を自由に使うところ」とのギリシャ語名が「school」(英)や「shule」(独)の語源になったのなら、「シューレ」を使う限り結局は「学校」を意味するのと代わらなくなるのではないか。
 それでは、何故「トートロジーだ」との批判を受けることを重々承知の上で、東京シューレの人たちは「シューレ」の語を使おうと考えたのだろうか? 私なりの結論が次からの文章にまとめてある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 先ほどの解説内で「学校」と軽く使っていたが、「学校」とは元々「精神を自由に使うところ」との意味であった。これは、脱学校論を学ぶものとして、放っておくことができない。
 何故なら、学校が自由な学びを疎外しているという状況をこそ、イリイチやライマーは批判し続けたからだ。学校では「学ぶ」ということが「学校へ通うこと」の意味にすり替えられている。価値の制度化が起きている。
 整理するとこういうことになる。もともと、「学校」は「精神を自由に使う」ところであった。この輝かしい時代は近代学校制度とともに崩れ去り、自由な学 びや自由な発想が疎外される状況に陥った。だからこそ、脱学校化を成し遂げることで本来の「学校」が持っていた「精神を自由に使う」要素の復権を成し遂げるのだ、と。
 内田樹(本当に登場回数が多いなあ)の『街場の教育論』にはこうある。
教師が言うべきことは一つだけです。それは、孔子の場合と同じく、遠い目をして、「かつて学校というところが素晴らしく機能していた時代があった」という ことです。教師が深く敬され、子どもたちが目を輝かせて知的な興奮に身を震わせていた時代がかつてはあった、と。それが今は失われた。だから、それを再構築しなければならない。学校という制度が仮に今きちんと機能していなくても、そのことは教師の権威を少しも損なうものではありません。というより、今まさ に機能していないという当の事実が、「かつては学校が学ぶことの喜びに満ちていた『黄金時代』が存在したのだ」という言葉をいっそう切実なものとして響かせるのです。
 はっきり言いますけれど、実は、学校というのはどの時代であれ一度として正しく機能したことなんかないのです。(…)「嘘」とは言わぬまでも、半分がた「誇張」です。そんなわけないじゃありませんか。(…)
 必要なのは「あるべき社会」についての「正しい情報」ではありません(あるべき社会についてのほんとうに「正しい情報」というのは、「そんなものはかつて存在してことがないし、これからも存在しない」です)。そうではなくて、「あるべき社会」を構築「する気」に私たちがなるかどうか、です。「正しい情報」を提供することが、人間が世の中を少しでも住みよくする努力に「水を差す」ことになるならば、「正しい情報」なんか豚に食わせろ。少なくとも、私はそう考えます。(pp148~151)
 内田は、〈学校がうまく機能していた『黄金時代』が過去に存在した〉と説明することで、人々が〈過去の栄光よ、再び!〉と努力することを目指し、この文を書いた。
 フリースクール関係者も「かつて精神が自由に扱われた学びの場《シューレ》があった。だからそれを再構築しなければならない」との思いから、「シューレ」の名を使っているのじゃないか。これが私の結論である。
 
 …まあ、全て仮説ですよ。本当のところは奥地圭子さん(東京シューレ開設者)に聞くしかないですね。
 

鳥山敏子『居場所のない子どもたち』抜粋

東京賢治の学校というフリースクールがある。正式名称を「東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ」という。

「東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ」はその命名からもわかるように、日本の優れた思想家である、宮澤賢治の世界観・精神を拠りどころとして設立されました。

「せかいがぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」

宮沢賢治は、生き物はみな兄弟であり、生き物全ての幸せを求めなければ、個人の本当の幸福はありえないと考え、生き物、鉱石、風、虹、星、といった森羅万象との交感から多くのエネルギーを体得していました。

宮 澤賢治の精神とは、「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。」(宮沢賢治 1926年)というものです。これは、宇宙・自然・他者とつながる「共生の精神」ということができます。この精神は、ドイツのルドルフ・シュタイナーが提 唱した精神ともみごとに繋がっています。

「東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ」でもこの思想を第一義として、自らの身体と心の内なる声を聞き、人、生き物、地球、宇宙との深いかかわりを意識することに重点をおき、その中で自分らしく生きていくことを学びのなかで実践しています。

ドイツの教育思想家(オカルト的なところはあるんだけどね…)シュタイナーの理念と、シュタイナーの精神と比較的似ている宮澤賢治の精神を元にしたフリースクールである。

前書きが長くなった。ではここの創設者 鳥山敏子さんの本の抜粋を行う。
もともと、学校は子どもたちのことを本気に考えてつくられている期間ではありません。このことは、学校が富国強兵政策の一環としてつくられた歴史をちょっと思いおこしてみてもわかるでしょう。時の政権をもったものは、学校を自分たちの立場を守るための人材を要請する機関として考えます。(6頁)
まだまだ読みはじめたばかり。しっかり研鑽しよう。

小中さんのブログより。

小中さんの「小春日ダイアリー」の内容がすばらしかったので、今回はそれを貼らせていただいて、自分の考察を述べようと思う。アドレスはこちら



ライマーとイリッチの学校の定義

こんばんは、本日は以前ふれたエヴェレット・ライマーとイリッチ、二者の脱学校論者の学校観を彼らの著書からみていこうと思います。
ライマー
「段階づけられたカリキュラムの学習のために、教師が監督する教室に特定の年齢群の者が常時出席することを要求する機関[1]
イリッチ
「特定の年齢層を対象として、履修を義務づけられたカリキュラムへのフルタイムの出席を要求する、教師に関連のある過程[2]

二人の学校の定義から共通項を書き出すと以下のようになる。
  • フルタイムの出席、義務制
  • 特定の年齢群の生徒
  • 教師
  • カリキュラムの学習
  • こ の要素からわかることは、子どもは子ども時代を学校にささげなければならず、その多くの時間を同学年の者だけと共有し、国家のような権威のあるシステムが 定めたカリキュラムを教師を仲介し、学習するということだ。そしてその場は「学校」であるということだ。さすがにライマーとイリッチは二人で研究してきた こともあって、このような定義に差異はないだろう。
    またこのことからも導き出せるが、彼らの研究の主な対象はこの定義にもとづく「学校」であり、この定義に基づかないものは、議論から外れることになる。

    公教育の成立でポイントとなったのは①機会均等②義務制③宗教的中立であったが、脱学校論で彼らが指摘したのは、②義務制であった、というのが上記より見出せる。

    ま た、話は変わるが、近代から現代の流れ(第三の波の到来)をみるなかで、その新たな社会の創造がなされるなかで、近代(モダン)の制度象徴としての「学 校」が現代(ポストモダン)では適当な仕組みであるのか。そのことへの疑問から生まれた問題提起から新たな学校に変わる仕組みの提案、つまり、これが脱学 校論なのではないだろうか。

    何を話してるのかわからなくなった。眠い。

    また編集します。ではまた。。


    [1] エヴェレット・ライマー著、松居弘道訳『学校は死んでいる』晶文社、1985年、60頁。

    [2] イヴァン・イリッチ著、東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』(現代社会科学叢書)、東京創元社、1977年、59頁。

    1 コメント:

    いしだ・はじめ さんのコメント...

    おつかれさまです。

    「義務制」がポイントだったんですね。

    フリースクール(といってもいっぱいあるので、東京シューレ)は、


    ①来ても来なくてもいいし、いつ帰ってもいい(「フルタイムの出席」は当てはまらない)
    ②無理していくところでなく「もしあわないならホームエジュケーションなんてのもありますよ」という(「義務制」ではない)
    ③下は6歳、上は20歳まで異なる年齢層の人たちがいる(「特定の年齢群の生徒」はいない)
    ④何かを教えようとしない「大人」と過ごす場所である(教員免許を持つ者はいるが、教えようとする「教師」はいない)
    ⑤学ぶこと、過ごす内容が自由(「カリキュラムの学習」はない)

    こうしてみると、フリースクールはライマーやイリッチの言う「学校」定義から全て外れていることが分かる(「サポート校」や塾形式のフリースクールは無論外しますよ)。

    いやー、小中さんがまとめてくれたお陰でフリースクールの定義が分かりやすくなりました。ありがとう。

    2009年4月15日水曜日

    マラソン

     その昔、人は「勝った」という一言のために命を賭けて走った(マラトンの丘)。

     けれど、今はメール1本で済む。

     言葉がどんどん軽くなっている気がする。

    O先生のおはなし。

    O先生に今後の研究の方針についてのご意見を伺う。以下はその聞き書きだ。自分の考察もついでに書いてあるので、見にくければごめんなさい。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ●下の文献は読んだ方がいい。
    『学校をなくせばどうなるか?』:イリッチの『脱学校の社会』に対して出された批判をまとめたもの。私はこの本のイリッチの書いた部分しか読んでいないので、全編を読もうと思う。
    『教育と学校を考える』:O先生が編者をつとめて本。「けっこう売れた」とのこと。この中のオルタナティブスクールの箇所を読むことにする。
    『アメリカ資本主義と学校教育』:ギンテスとボウルズが書いた本。岩波から翻訳が出ている。『学校をなくせばどうなるか?』の影響を受けている本。
    『学校は死んでいる』:ライマーの書いた本。英語名はSchool is dead。イリッチと共同研究をしたことがある人物。けれど小学校の教員をやった経験があるため、理論はイリッチよりも分かりやすくなっている。
    ●イリッチは脱学校化をいおうとしたが、それは主たる目的ではない。本来は脱制度化と「資本主義と官僚制の批判」を言おうとした。
     イリッチは物心崇拝との言葉で現状の社会を批判した。それは全てが金で換算される社会への批判である(内田樹もフェミニズム批判の文脈の中で同様の発現をしている)。「癒し」ブームも、これが金というモノサシで測られた資本主義社会ゆえのブームである。
    ●大学院では学部以上に、自らのテーマがないと何の意味もなくなる。受け身になると、何も学べないのだ。教えてくれるのを待つ姿勢であってはならない。自分で集中して研究する姿勢が大切だ。
    ●研究者になるならば、①自分のやりたいテーマを育て、②語学を1つ極めると、幅が広くなる。
    →私は①はフリースクール、②は英語をやっていきたい。①は毎日ブログに書く形で研究している。しかし②はどうやって勉強しようか? i podに英語教材を入れてそれを聞くくらいしかできていないのだ。
    ●中世から続く「青年団」も、ある意味フリースクールであった。寺子屋もそうであった。自発的に人々が学ぶというサークル活動でもあった。こういう団体ならば世界中にある。
     このような草の根的フリースクール活動は昔からあるが、学校へのカウンターパートとしてのフリースクールは比較的新しい。
    ●フリースクールの起こりは東京シューレにしてもどこにしても、「自分の子どもをあんな学校に入れたくない」という思いから始まっている。
    ●現在、学校への不適応はそのまま「社会への不適応」も意味する。
    ●「学校でなければならない」という思いから外れる人にあわせて創られたのがフリースクールである。
    ●学校を絶対視してはならない。日本の学校はせいぜい130年くらい。それよりも圧倒的に長い期間(「青年団」などを入れると、ということである)、フリースクール的な学びがあった。
    ●商人が自分の職業や礼儀を学ぶために創ったのが実学思考の寺子屋である。これはフリースクールであった(本年1月11日のフリースクール全国ネットワークでの汐見先生の講演も、テーマはここにあった)。
    ●いま、いろんな形でフリースクールはある。それらは何故作られたのであろうか? その背景には受験戦争などの学校の荒廃がある(アメリカではスプートニクショック後の理数重視の教育への反発や公民権運動などで生まれたマイノリティー救済の発想が背景にある)。
     では、何故これらがあったのだろうか? 学校内だけでなく、社会的背景がある。これを踏まえた上でフリースクールを研究するといい。
     その中では、イギリスのサマーヒル、フランスのフレネ、ドイツのシュタイナーについてなど、個々の思想家が考えたフリースクールについても視野に入れていく必要がある。
    ●デモクラシーには2つの側面がある。①草の根のデモクラシーと、②輸入思想としてのデモクラシーである。
     ①は人々の中でじわじわ育っていった発想である。共同体の中でのルールであるなど、デモクラシーという語が使われないことすらある。②は大正デモクラシー期や戦後民主主義導入期など、外からもたらされた思想である。
     よく②のみがデモクラシーと考えられているが、人々の生活の中にも①的なデモクラシーの発現があった。
     ①と②、両方が必要なのである。
     明治の近代化は②のみで達成されたのでなく、①があったからこそ実現できたところがある。
     識字率の低いところで学校は作れない。日本は①的な価値を実現する寺子屋などにより、識字率が高かった。また知識のある人もそれなりにいた。そのため、近代学校を始める際も人的インフラは整備されていたのだ。
     フリースクールもそうだ。「草の根」的発想も「海外思想」を生かした発想も、両方があいまってフリースクールができている。
    ●教育は政治そのものである。中教審も政治の問題に基づき、教育の中身を決めている。教育に政治的中立性はない。そして政治は経済(つまり資本主義)につながっている。
    ●デューイは学校の中だけで教育を考えていた。その点をボウルズやギンテスらが批判している。本来は学校だけでなく、社会全体の変革が必要なのである。
    ●フリースクールの 歴史についてをまとめた研究はまだない。フリースクールの実践は各自細切れなものしかないからだ。年表をつくるだけでも意味がある。

    2009年4月14日火曜日

    少年法と、中学時代の私。

     一昔前。少年犯罪の凶悪化が叫ばれたことがあった。私がまだ「少年」の定義に入るころである。周りの大人が〈最近の子どもはキレると何をするか分からない〉と子どもを見つめている時、私は子どもであった。
     少年犯罪の厳罰化も、まさにリアルタイムで経験した。「ひとごと」だと思ってはいたが、それでも気にはなった。
     さてさて。もし仮に私が中学時代、新聞に報道されるほどの悪事を働いたとしよう(仮に、ですよ、ほんとに)。周囲の大人たちが「あんな真面目そうな子が…」というコメントがつく(当時は今よりはるかに真面目でした)。家族に多大な迷惑をかけ、家のガラスは投石で割られてしまう。親戚付き合いはなくなる(当然ながらお年玉もない)。
     時間が経過する。
     どんな重大事件でも、〈ほとぼりが冷める〉時は必ず来る。現にいまの高校生に「サカキバラ事件って、知ってるよね?」と聞いても「どんな事件ですか?」と逆に聞かれる。宮崎勤氏の死刑執行があったニュースを聞いても、今の大学生は「それって、何をやった人ですか?」と聞き返す。
     ほとぼりの冷めた後、私は色々あったけれども21歳の誕生日を迎えた。私は「昔は色々あったな…」と遠い目をしてワイングラスを傾ける。回想される記憶。その中にあの少年犯罪が蘇る。けれど私は疑問に思う。「ああ、昔はあんなことがあったな…。ところで、あの事件って、本当に俺がやったのか? 全然覚えていないんだけど」。
     そうなのだ。意識して思い返さないと中学時代の記憶は戻ってこない。忘れ去られた記憶はたくさんある。少年非行/少年犯罪をしていたとしても、忘却している可能性はある。親から「あなたの中学時代はこんなことがあったわね」という話を聞くとき、その話はほぼ100%私の知らない物語である(それだけ私は記憶力が悪い)。中学時代の私は今の私と本当に同じ人物なのだろうか? 
     2003年7月。長崎県で中学一年生の少年(12歳)が4歳の男の子を立体駐車場(7階建て)の屋上から突き落とす、との事件があった。現在、この子は18歳になっているはずだ。さらに2年経ち、20歳になった時、この少年は事件のことを本当に覚えているだろうか? きっと覚えていないんじゃないかな。
     私は大学に入って、ようやく人を呼び捨てで呼べるようになった(遅いけど)。それまでずっと〈ためらい〉があったのだ。人との接し方という面で、現在の私と中学時代の私は違っている。身長・体格だけでなく、発想の仕方もまったく違っている。中学時代の私と現在の私に連続性・一体性は本当にあるのだろうか?
     内田樹がレヴィナスを引いて語るように、過去の「私」は「他者」である。現在の私にとって、中学時代の私はやはり「他者」である。
     少年法が加害者保護の側面が強いのは何故だろう。サカキバラ事件を例にすると、犯行時の14歳の少年Aと現在26歳の少年Aとは全く同じ人物といえるのだろうか、ということである。現在26歳になった少年Aにとって14歳の時の少年Aは「他者」ともいうべき感覚を抱く対象なのではないだろうか。そのため「この犯罪は昔、お前がやったんだ」と言われても、もう一つピンとこない感覚を、加害者が持つことになる。少年期は人の考え方・性格が大きく変わる時期だ。だからこそ少年法は加害者保護の立場が大きいのかもしれない。

    追記
    ●世の「正論」をいう方々は、人間が常に完璧な形で過去の記憶を保っていると確信をしているようである。けれど、事件の被害者も加害者も案外忘れてしまえるところがあると思う(フラッシュバックやPTSD、トラウマとかはもちろんあるが)。少年犯罪ならばなおさらだ。「そんな昔のことは覚えていない」とカサブランカのリックのように答えることはできないのであろうか? 
    ●少年院は《刑の執行を受ける者を収容し、矯正教育を授ける法務省の施設》(明石ほか『教育学用語辞典』131頁)である。ここにある矯正教育は《少年院が在院者を社会生活に適応させるために、その自覚に訴え規律ある生活のもとにおこなう、計画的、組織的な教育活動》(同76頁)である。
     昨年春に榛名女子学園という少年院を訪問した。そこでは自らの犯した罪についてを自覚し、「これからどうしていくのか」を問いかける教育がおこなわれていた(無論、それ以外の学習―例えば通信教育で高校卒業資格などを取る―もなされている)。これは下手をすると忘却してしまう自分の犯罪を記憶に叩き込むためにおこなうものではないだろうか。

    習慣づけ

     腹が立ったとき、あるいは「キレそう」なとき、その場から逃れるのも一つの道徳である。
     自分の癖を見て、〈不注意〉を起こさないための習慣づけ(腹が立ったらその場から離れるなど)を身につけることが必要だ。

     前にO先生の話として道徳について書いた(http://zaggas379.blogspot.com/2009/04/blog-post_2696.html)。ここにある〈偽物の不幸〉にあわないように自分の癖を見ながら改めていくべきである。
     重要なのは「正義」を正すことでなく、また「納得する」ことではない(時と場合によるけどね)。それよりも次の行動にプラスになることが大切であるはずだ。
     

    なつかしのHG

    日本フリースクール協会とフリースクール全国ネットワーク

    ●フリースクールに関しての全国団体には2つがある。日本フリースクール協会とフリースクール全国ネットワークの2つである。

    ●両者は何が違うのかを比較してみる。

    はじめに日本フリースクール協会(JFSA)。こちらは「日本初のフリースクールのネットワーク団体」と謳っている。自団体についての説明を見る。http://www.t-net.ne.jp/~eisei/jfsa/jigyou/jigyou.htmlより。

    1998年5月に発足したNPO法人日本フリースクール協会は「不登校」・「引きこもり」等に対して、学校教育の枠にとらわれない「学びの場・居場所作り」を目指して活動している教育機関です。活動は年間数回のセミナー・相談会を実施しております。
     続いてフリースクール全国ネットワーク(通称 フリネット)。こちらは私がボランティアをさせていただいている場所だ。http://www.freeschoolnetwork.jp/#%E3%81%8A%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%9B
    NPO法人フリースクール全国ネットワークは、日本全国の、子どもの立場に立ち活動するフリースクールをつなぐネットワーク団体として2001年2月3日に誕生しました。各地のフリースクール・居場所、または世界中のフリースクールとの架け橋として活動しています。
    発足年では日本フリースクール協会の方が3年ほど早い。

    ●正規団体数はどうか?

    日本フリースクール協会は41団体。
    フリースクール全国ネットワークは45団体。

    若干、フリースクール全国ネットワークの方が多い。

    ●続いて、役員についてみていく。
    日本フリースクール協会の役員。http://www.t-net.ne.jp/~eisei/jfsa/bosyu/itiran.htmlより。

    理事長
    武藤 [NPO法人 楠木の学園]
    副理事長

    中島 [ K&K ]
    副理事長 難波 [カナディアンアカデミー]
    理事 月岡 [相模湖フリースクール]
    理事 荒井 [東京国際学園高等部]
    理事 高橋 [登校拒否文化医学研究所]
    理事 木谷 [日本アウトワードバウンド協会]
    理事(事務局長) 田中 [フリースクール ゆうがく]
    理事 須藤 [須藤教育研究所]
    理事 高栁 [茶屋町総合学習センター]
    理事 川合 [フリースクール英明塾]
    監事 雨宮 [フリースクールあおば]
    理事 吉田 [学舎直夢]
    理事 長森 [渋谷高等学院]
    理事 平井 [W・S・Oセンター]
    理事 梅津 [特定非営利活動法人フリースクール ゆうゆう]
    理事

    馬場 [フリースクール ぱいでぃあ]

    理事 幸田 [ウォーム・アップ・スクール]
    理事 坂詰 [NPO法人 和泉自由学校]
    理事 後藤 [Xing(クロッシング)]
    理事 丸山 [フリースクール育心塾]
    理事 矢吹 [マインドヘルスパーソナリティセンター付属健康学園]
    理事 山本 [YGS高等部]


    フリースクール全国ネットワークの役員についてはhttp://www.freeschoolnetwork.jp/history/history.htmから引用する。
    各地のフリースクールの代表者が理事を務めています。
     <特定非営利活動法人フリースクール全国ネットワーク役員>
    代表理事 奥地圭子(NPO法人東京シューレ理事長)
           増田良枝(NPO法人越谷らるご理事長)
       理事 江川和弥(NPO法人寺子屋方丈舎常務理事・事務局長)
           木村清美(フリースクールヒューマンハーバー主宰)
           高橋徹(フリースクール僕んち代表理事)
           田辺克之(神戸フリースクール代表)
       監事 児玉勇二(弁護士)       
    ●加盟団体で見ると、日本フリースクール協会にはサポート校などの「学習」寄りの者が多い。「対人関係の回復」など、ある意味の学校復帰色が強い。また「このフリースクールではこういうことが学べます」ということを謳っているフリースクールがおおい(あくまでネットで見た限りです)。 けれど、フリースクール全国ネットワークは「過ごす」ことを重視したフリースクールが多いのだ。子どもが自由に過ごし、学びたいときに学び、遊びたいときに遊び、帰りたいときに帰る。こういう色が強い。

    なりますというフリースクールは両団体に加盟。ポケットフリースクールも両団体加盟である。両者の壁は意外に薄いのかもしれない。


    追記
    ●ネットで調べていると、日本オルタナティブスクール協会というものもあった。こちらはサポート校の集まりという色がハッキリ出ている。8「校」が加盟。こっちははっきりと「加盟校」という。学校扱いなのだ。学校色の薄いフリースクールならば「団体」という言い方をよく使う。
     下は団体の説明をしているページ。協会のウェブサイトよりもってきた。
    これまでの学校教育における、「いじめ」「不登校」「校内暴力」などの様々な歪みや弊害を改革するための教育活動を行い、全国に広がっている通信制サポート校。
    その通信制サポート校が、厳しいガイドラインを設け、自主規制を行いながら、行政や社会に対して認知活動を行うことを目的に、1996年、全国通信制サ ポート校協議会を発足させました。そしてこの協会が、より幅広い活動をするために、またより明確に会のあり方を示すために、2000年3月1日付をもって 名称を変更し「日本オルタナティブスクール協会」とし、現在に至っております。
    ●「学習」寄りか、「過ごす」寄りか。日本フリースクール協会とフリースクール全国ネットワーク、日本オルタナティブスクール協会の3者を立て分けると次のようになるだろう。
    「学習」寄りの順には、
    日本オルタナティブスクール協会・日本フリースクール協会・フリースクール全国ネットワーク、となる。

    食事をするように本を読む。

    1回1回の食事に、意味はほとんどない。けれど、これが自分を作る。

    同様に、次に読む1冊の本にはそんなに意味はない。けれど排泄するように読んでは忘れ、読んでは書きを繰り返すうちに、体は育ち・頭も育つ。

    本1冊の力は大きいが小さい。次に読む1冊にそんなに期待せず、淡々と本を読み続け、考え続け、忘れ続けることが大事なのだと思う。

    教育社会学学習のために。〜読まないで書いた書評つき〜

    私は教育社会学の視座からフリースクールを研究していきたいと考えている。

    今月28日は早稲田大学教育学部の教育学研究科面接試験の日。いよいよ研究者に仲間入りするための一つ目のハードルが見えてきた。

    益々の勉強が必要なのだが、ここで「この本を絶対に読む!」というものを列挙してみる。

    「この本も必要だぜ!」というものがある方は、ぜひコメントでお教えください。お願いします。

    『教育の社会学』(有斐閣アルマ):教育社会学の入門として。現在二読目。
    『教育社会学』(有斐閣ブックス、竹内洋ほか編):入門の次に読む。未読。
    『エスノメソドロジー』(新曜社):私はフリースクールについてをエスノメソドロジーの手法で研究していきたく思っている。けれど「エスノメソドロジーって、何?」という状態だ。何となくは分かる。いや、分かってないのかもしれないが、ともかく一度本腰を入れてこの研究法を学んでいこうと思い、読んでみようと思う。未読。
    『キーワード現代の教育学』(東京大学出版会):「メディア」など、現代教育学を考える上で欠かせないキーワードを学ぶため。未読。
    『社会学がわかる事典』(日本実業出版社):教職でとった鈴木先生が絶賛していた社会学の入門書。一読。二読目に入りたい。教育社会学は「社会学」でもある。まずは親学問を学ばねば。
    『教育学がわかる事典』(日本実業出版社):上の教育版。一読。けれどよんだからといって分かるようにはならない。かえって混乱するだけだ。下手に知識のある分野は学べば学ぶほど自身の無知に気づく。
    『フィールドワーク』(新曜社):『エスノメソドロジー』と姉妹本。フリースクール研究のために読む。未読。
    『思考のフロンティア 教育』(岩波新書):一年生の頃、わけもわからず一読。教育学の枠組みを学ぶために読む。

    『脱学校の社会』を読む②(はじめ〜30頁まで)、あるいは「価値の制度化」論。

    昨日に引き続き、ディスプレイに向かって独り酒。〈クリアアサヒ〉がセブンイレブンに無かったので、〈のどごし生〉を飲んでいる。まあ旨い。常にビールの飲める境涯になりたいものだ。

    閑話休題。

    イリイチの『脱学校の社会』を見ていく。なお、議論の定本は東京創元社発行、東洋・小沢周三訳のものである。

    1 なぜ学校を廃止しなければならないのか

    ●「多くの生徒たち、とくに貧困な生徒たちは、学校が彼らに対してどういう働きをするかを直感的に見ぬいている。彼らを学校に入れるのは、彼らに目的を実現する過程と目的とを混同させるためである」(13頁)
       ↓
    「『学校化』されると、生徒は教授されることと学習することとを混同するようになり、同じように、進級することはそれだけ教育を受けたこと、免状をもらえばそれだけ能力があること、よどみなく話せれば何か新しいことを言う能力があることだと取り違えるようになる。彼の想像力も「学校化」されて、価値の代わりに制度によるサービスを受け入れるようになる」(13頁)
    →いわゆる「価値の制度化」の話である。「制度化」について脚注では、「共通の価値観が内面化される一方、価値を実現するための制度づくりがなされ、その制度に対する人々の期待が高められていくことかと思われる」(54頁)とある。
     本来目指すべき価値を仮にAとする。本来はAをまっすぐに目指していくべきだが、手短な目標である価値Bを目標とする。このBは「価値A実現のための学校の卒業」とでもしておこうか。学校に通い続け卒業すれば(つまり価値Bを目標としていけば)、自然に価値Aに達することができるというタテマエである。ここにある少年に登場してもらおう。価値A実現のために学校Bに通っているのがこの少年である。通っていればいつか卒業できる時が来る。少年はBを出ることのみが重要だとずっと考えていた。卒業して、「学校を卒業したことを認める(価値Bの実現)」という証書をもらった。少年は「このために勉強してきて良かった!」と大歓喜している。帰り道、少年はふと気づく。「あれ、価値Aを僕は修得できたのだろうか?」と。価値Aを普通自動車運転免許取得、価値Bが自動車教習学校卒業であるとき、少年は不幸である(ときどきいますけどね)。
     これが価値の制度化といえるのではないだろうか。本来、学校は教育をすること/子どもが学ぶことが主たる価値である(価値A)。けれど子どもは放っておいて勝手に学ぶかというと、必ずしもそうではない。そして学校というのは価値Aを実現するための装置、つまり制度にすぎない(価値B)。けれど現代は学校という制度に通うことのみが重視されて、そこで教育が行われるということが忘れ去られている。本来なら学校に行くこと(価値B)が重要なのではなく、子どもが学ぶこと(価値A)が重要なのだ。けれど知らぬ間に価値Bの方が重要と考えられ、価値Aがおざなりにされてしまう。〈子どもが学ぶこと〉という価値A実現のためなら、別に学校(価値B)を用いなくとも、たとえば自宅での学習を行うとか、フリースクールにいくとかする選択肢も存在するべきだ。けれど制度/装置にすぎない「学校」へいくことのみが重視されるようになる。この価値の転倒をイリイチは「価値の制度化」と呼んだのであろう。

    ●「私は以下の拙論において、人々が価値の制度化をおし進めていけば必ず、物質的な環境汚染、社会の分極化、および人々の心理的不能化をもたらすことを示そうと思う。この三つの現象は、地球の破壊と現代的な意味での不幸をもたらす過程の三本柱なのである」(14頁)
    →先の話の通り、価値の制度化についての考察である。
    →イリッチは価値の制度化について言いたいのであって、学校は一つの例にすぎない。
       ↓
    価値の制度化は、あらゆる分野に起ころうとしている。
       ↓
    「必要な研究は、人々の人間的、創造的かつ自律的な相互作用を助ける制度で、かつ価値が生み出されるのに役立ち、しかも肝心なところを専門技術者にコントロールされてしまわないような価値を生じさせる制度を創りあげることに、科学技術を利用するにはどうしたらよいかという研究なのである」(14頁)
       ↓
    「私は、われわれの世界観や言語を特徴づけている人間の本質と近代的制度の本質とを、相互に関連づけてはっきりさせるためにはどうしたらよいかという一般的な課題を提起したい。そのための理論モデル(パラダイム)をつくる素材として私は学校を選んだ」(15頁)
    →つまり、イリイチ自身は「価値の制度化」が起きている近代文明への批判を行うために本書を書いたのであって、〈社会の脱学校を断じてなしとげなければならない〉という主張をするために本書を書いたわけではない(あくまで2次的な目標であり、イリッチ自身が「書きやすいじゃん!」と感じた好例だったからだろう)。
    →先の比喩を使えば、価値Aが「価値の制度化」論、価値Bが「脱学校論」である。
    →例としてイリイチは「家庭生活、政治、国家の安全、信仰およびコミュニケーション」(15頁)も価値の制度化を排することで利益を得られると指摘する。価値の制度化を排す手法は「脱学校か」と同じプロセスなのである。
       ↓
    「その分析のために、この最初の論文では、学校化されてしまった社会を脱学校化するということはどういうことかを説明しておこう」(15頁)
    →ここから、「学校化」された社会の特徴の記述が始まる。
    →「学校化」の現代的事例は上野千鶴子の『サヨナラ、学校化社会』に詳しい。最近文庫化して、読みやすくなった(イラストは単行本版のほうが面白かった)。
       ↓
    「教育ばかりでなく現実の社会全体が学校化されてしまっている」(同)
       ↓
    「学校と病院のどちらも、自分自身で自分の治療を行うのは無責任なことだとか、独学で学習するのは信用できないことだとみなすのであり、また行政当局から費用の出ていない住民組織は一種の攻撃的ないし破壊的活動にほかならないとみなすのである」(pp15~16)
    →岡村先生の言う〈自分たちが賢くなる〉実践が「信用できない」といわれているのが近代社会だ。フリースクールは、いわば〈自分たちが(制度に頼らないで)賢くなる〉実践である。
       ↓
    「どこでも、教育だけでなく社会全体の「脱学校化」が必要になっている」(16頁)

    ●価値の制度化の福祉での事例が登場する。
       ↓
    「自分の家で人生を始め、かつ終るというのは、貧困かあるいは特別な特権かのどちらかのしるしである。臨終と死は、医師と葬儀屋の制度的な管理のもとに置かれるようになった」(同)
       ↓
    「貧困者はいつの時代にも社会的に無力だったのであるが、制度的な世話に依存する度合いがしだいに高まってくると、彼らの無力さに新しい要素が加わった。それは、心理的な不能とか、独力でなんとかやりぬく能力を欠くといかいうことである」(17頁)
    →制度ができるとそれに依存するようになる。そのため、制度に頼らない者はますます強く、制度に頼らざるを得ない者はますます弱くなる。
    →オリで飼われたライオンと、サバンナのライオンの違いである。オリの中で毎食上げ膳・据え膳(ライオンに対しこの言葉を使うのは適切かは分からない)されていると、補食能力を失いライオンとしての能力は弱くなる。人間社会でもそれは同じであろう。一人でなんとか食っていかねばならない戦災孤児(これも死後かな?)はちょっとやそっとじゃへこたれない。進駐軍相手の靴磨きから、窃盗・強盗までなんでもやって生き延びる。けれどひ弱な現代っ子(むろん、この定義に私も入っている)は保護されることになれているため、戦災孤児そのままの状況に追い込まれた時(楳図かずおの『漂流教室』の世界や大三次世界大戦が急に起こったときなど)、はたして生きていけるのだろうか。
       ↓
    種々の制度によって、貧しい者は制度に頼り切り、ますます弱い立場になる
       ↓
    そのため、次のような逆説がいえてしまう。
    「現在、健康、教育、および福祉を取り扱っている制度への財政支出を止めさえすれば、その制度のもつ副作用―人々を無能にする副作用―から生じる一層の貧困化をくいとめることができるのである」(pp18~19)
       ↓
    学校では次のような事例となって問題化する。
    「一般的に言って、より貧しい生徒は、進級や学習を学校に頼っている限り、より裕福な生徒よりも遅れてしまう。貧民に必要なのは、彼らの学習を可能にする資金であって、彼らに大いに不足していると称される制度的世話を受けるための証明をしてもらうことではない」(22頁)
    →制度に頼っていると、人間が弱くなる。制度自体を自らの資本や能力によって用意できる人間は、ますます強くなる。公費により黒人子弟に早期教育をしたことがあった。ヘッドスタート計画だ。けれど、金持ちは就学前児童を私塾に通わせることができてしまうのだ。
       ↓
    「古典的貧困」のために悩んでいる国はほとんど無くなった。近代の制度(生活保護など)が新たな貧困をもたらす。
       ↓
    「アメリカにおいても、就学を義務化することによって貧民が平等性を獲得することはない。それどころか、どちらの国においても、学校があるというだけで、貧民は彼ら自身の学習を自らコントロールする勇気をくじかれ、またそれを不能にさせる。というのは、学校は教育を専門に行なう制度と認められているので、学校が教育に失敗すれば、それは、教育が非常に費用のかかるもので、複雑であり、いつでも素人にはわからないもので、しばしば不可能に近い仕事であることの証拠だとたいていの人々に受けとられるのである。
     学校は教育に利用できる資金、人および善意を専有するだけでなく、学校以外の他の社会制度に対しては教育の仕事に手を出すことを思いとどまらせてしまう。労働、余暇活動、政治活動、都市生活、そして家庭生活までもが教育の手段となることをやめ、それらに必要な習慣や知識を教えることを学校にまかせてしまう。そうして学校も学校に依存する他の制度も、ともに非常に費用のかかるものとなるのである」(25頁)
    →よく学校には理不尽な要求が突きつけられる。親がやると「モンスターペアレント」だが、地域が「お宅の生徒さんにはどんな教育をしているのか」と学校に苦情の電話を入れることもある。この地域の人は自分で「家の前でうるさくするな」と言わないで、わざわざ学校に電話をしてくるのだ。
     内田樹は〈制度が整備されすぎていると、個人の努力や善性がなくても済むようになる〉と主張する。たとえば警察のシステムが究極的に発展すると、目の前で人が暴行されているのを見ても「ああ、警察が完璧に対処してくれるから俺には関係ないや」と軽く見逃してしまう(ここでいう話は「価値の制度化」の話でもある)。 
     現在の学校は内田のいうような環境に近づきつつあるのではないか。とりあえず、教育のことは学校に任せよう、という思いが学校への理不尽なほど
    の要求へとつながる。イリイチのいう通りの社会に日本はなっているのだ。
       ↓
    「学校への支出を増やすことは一つの国においても世界的にみても、学校のもつ破壊性を強化する」(27頁)
    「学校の拡充は軍備の拡張と同じく破壊的であるが、軍備のそれほどには目立たないのである」(28頁)
    →高校のクラスの友人で東京医科歯科大学にいった者がいた。彼に「学費はいくらぐらい?」と聞くと、「年に63万くらい」と答えがかえってきた。私立大の医学部は1000万を軽く超す。早稲田の教育学部は年93万くらい。国立医学部は圧倒的に安いのだ。
     けれど、国立大学の医学部に入るのは長期の受験勉強に耐えられ(医学部は2浪がザラ)、幼少期からのエリート教育が必要であったりする。これを可能にするには自宅に相当な資産がなければならない(昔書いたブログを参照)。
     国立大医学部に入るのは、元から金のある人だ。国立大はそういう「元から金のある人」に公費を用いて安く教育する。医者は相当に儲かる。医療の充実という社会への貢献よりも、個人の利益になるところが大きい。「わざわざ公費を払ってまで、個人の利益につながるところ大である医者を育成することにいかほどの意味があるのか」という疑問がくることがある。
     医者ほどではないだろうが、教育へ費用を多くまわしすぎると、その費用は生徒/学生個人の利益にしかつながらなくなるのだ。
       ↓
    「教育機会を平等にすることは、たしかに望ましいことでもあり、実現可能な目標でもある。しかしこれを義務教育と同じことだと考えることは、魂の救済と教会とを混同することにも等しいのである」(29頁)
    →ここに、フリースクールの出番があるのだ。
    →イリッチは革新的なカトリックの司祭である。通常、下のような枠組みになる。
        カトリック プロテスタント
    価値A 魂の救済  魂の救済
    価値B 教会にいく 聖書
     カトリックの司祭が「魂の救済が大切なのであって、教会に行くことは2次的な意味しかない」というのは非常にプロテスタント的な発言になってしまう。
    →さきの価値の制度化の例では、最終目標の価値Aは「教育機会の平等」、価値Aのための手段である価値Bは「義務教育」にあたる。
       ↓
    「今日われわれは学校による教育の独占を廃止し、またそのことによって偏見と差別を合法的に結びつける制度を廃止しなければならない」(30頁)
    「学習も正義も、学校教育によって増進されることはない。なぜならば教育者は、教える内容を一つの証明書の中に詰め込むことを主張するからである。
    →学校教育は知のパッケージ化を目指す。

    追記
    ●卒論で「価値の制度化」をテーマにしても面白いかもしれない、と思った。
    ●私の本稿での比喩は、適切なのかを誰かに教えていただきたいものだ。
    ●〈学校化と教育化を分離することが大切〉と山本哲士はいう。教育は学校以外でもできる方がいい。2つのありかたがあるだろう。
    ①塾やフリースクールで学ぶ。②社会の中での教育力を増やす。
     ②について、イリッチは本書でこう語っている。
    「労働、余暇活動、政治活動、都市生活、そして家庭生活までもが教育の手段となることをやめ、それらに必要な習慣や知識を教えることを学校にまかせてしまう」(25頁)。
     本来は学校以外の場所に教育があった。それこそ「労働、余暇活動、政治活動、都市生活、そして家庭生活」の中で教育はあった。その幅広い教育は、学校ができてから忘れ去られていった。特に共同体が消滅しかけている現代ではなおさらである。内田樹が〈完璧な警察があったら、誰も暴力を止めようとしない〉と語っていた、との話を本ブログに書いた。教育もしかりで、「学校があるから、教育は全て学校に任せよう」という思いが人々の中にある。
     再び、社会の中に教育力を取り戻していけば、脱学校化を成し遂げても教育が継続して行われるようになるだろう。
     それついて親友のOと話す中で、「高校のバイト禁止の意義」について話が及んだ。高校生がバイトをするとき、社会のなかで学ぶことになる。ろくに敬語を使えなかった高校生が、マニュアルがあるとはいえ敬語で話せるようになる。時間を守るというエートスも学ぶことができる。労働をする「喜び」を知れるので、ニート対策にもなるかもしれない。けれど、基本的にはバイトを禁止する高校は数多い。バイトを「社会での学び」とするならば、バイト禁止は「社会での学び」に制限をかけることを意味する。
     牧口常三郎という教育学者は半日学校制度を提唱した。学校での学びを効果的に進め、現在の半分の時間(つまり半日で)で学校教育を行い、残りの半日を「社会での学び」に使う、という発想である。単に「社会で学ぼう」「学校外で学ぼう」といっても実現可能性は低い。何故なら時間が考慮されていないからだ。牧口の慧眼は「時間を確保し、自然のうちに社会での学びがもたらされるようにした」という点にある(ちなみに学校のスリム化については上野千鶴子も語っている)。
     Oは感銘を受けていたようであった。

    まとめ
    ●イリッチは価値の制度化を批判するために『脱学校の社会』を書いた。脱学校化はあくまで価値の制度化を説明するための題材にすぎない。

    2009年4月13日月曜日

    エリーズ・ボールディング『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』

     本書の概要は次の文で示すことができる。

     大人同様、子どもにも孤独でいる時間が必要。

     この本は、事実、このことをいうためだけの本とも言える。また孤独に価値を見いだすことを提唱する本でもある。「孤独力」を推進する本である(1988年発行だから、本書の方が圧倒的に先にいってるんだけど)。

     子どもに孤独な時間を与えるべきだ、との主張は人々の〈教育し過ぎ〉の状況を批判する意味がある。

    もし人間が、そのための時間をとり、孤独の中に身を置いて、自分の内側で何かが起こることをゆるさなければ、人間は、必ずや精神的に行き詰まってしまうだろう、と。子どもでも、おとなでも、たえまなく刺激に身をさらし、外側の世界に反応することに多大のエネルギーを費やしていると、人間は刺激に溺れ、内面生活や、そこから生じる想像力、あるいは創造性の成長を阻止し、萎縮させることになるだろう、と。(15頁)

     著者のクエーカー信仰の真摯さが伝わる。クエーカーは「沈黙」による神との対話を重視する。この神との対話は孤独でなければ行えない。神からのかすかな声を聞き取るために、あえて孤独になるのだ。

     北杜夫は『どくとるマンボウ青春期』で〈真に成熟した人間には孤独こそ望ましい〉と書いた。齋藤孝も『そんな友だちなら、いなくたっていいじゃないか!』という本を書いている。人間は社会的動物だが、だからといって常に誰かといることは人間には却ってデメリットをもたらす。
     孤独はつらい。けれど内田樹のいうように〈そばにいてくれるありがたさに気づける分、孤独な人間の方が人のありがたさを知ることができる〉のである。孤独に否定的価値ばかり置かずに、孤独に意味を与えていくべきなのだ。
     ここにかいた北杜夫などの作家とボールディングが違う点は、孤独は大人だけでなく、子どもにも必要なのだと言い切ったところだ。子どもに孤独が必要、とは親や教師や友人の目の届かないところでこそ子どもが育つのだということを意味している。
    子どもからひとりでいる機会を奪い取ってしまったら子どもたちは、内に秘めている宝や、外で得る経験をどうやって生かすことができるでしょう? また、わたしたちおとなは、どうやってそれを生かせるでしょう?(27頁)

    陸上とは精神論なり。

    中学時代、私には運命的な教員に出会った。永田先生である。

    所属した陸上部(私は部長)の顧問であったのみならず、1年生から3年生までずっと担任であったという奇跡。それだけでなく、永田先生の厳しくも優しい姿勢に私は多くを教わった。今年教育実習を母校の中学で行う。まだ残ってくださっていることを祈る。

    その永田先生は「走る」ということについて印象深いことを述べておられた。

    「走るのは、一人になるためだ」

    陸上部の伝統・練習日誌への毎日のコメント、クラスと部活での直接の会話など、私の中で「永田語録」は多数あるのだが、この一言がやたらと印象的であった。

    走っているとき、人は自己と向き合わざるを得ない。試合の時は自らを追い込むため、「まだ闘うか」、それとも「もうあきらめるか」を自分自身で決定せねばならない。走るとき、走ることに体が集中するため、五感の機能が一時的に低くなる。回りと話す余裕も無ければ、よそ見をするゆとりも無い。

    徹底的に自分を追い込むのだ。レースでは、〈どこまで自分を虐めることができたか〉で勝負は決まる。

    陸上競技はギリシャの昔から存在していた。陸上ほどシンプルかつ歴史の長いスポーツは存在しない。

    陸上とは精神論なり。シンプルゆえに人類にとっての永遠の課題を抱え続けている。その課題とは「自己とどう向き合うか」である。

    自己と向き合う、とは「孤独になる」ことを意味するかもしれない。走るとき、「私」は絶対的に孤立する。他のスポーツに付き物の〈チームワーク〉なんて存在しないのだ。あるのは「自己」のみ。自らの身体の発する「もう、走るのやめようよ。限界だよ」との声に「否!」をどれだけ叫べるかである。

    岡本太郎『今日の芸術』(光文社 知恵の森文庫)

     今回は、岡本太郎に成り代わる形で文を書く。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     現在に生きるわれわれは、「全体性」を喪失している。仕事にしても何にしても、細切れのものばかりが割り当てられ、人間がロボットのようになっている。
    社会の発達とともに、人間一人一人の働きが部品化され、目的、全体性を見失ってくる、人間の本来的な生活から、自分が遠ざけられ、自覚さえ失っている。それが、自己疎外です。(pp17~18)
     この状態を打破するために、我々には芸術が必要だ。単に鑑賞すればいいのでない。全ての人が自分で芸術を作り出すことが必要なのだ。全体性の回復こそが芸術なのだ。

    失われた自分を回復するためのもっとも純粋で、猛烈な営み。自分は全人間である、ということを、象徴的に自分の姿のうえにあらわす。そこに今日の芸術の役割があるのです。(21頁)

     芸術に技巧的な上手さ(職人芸、ともいう)を求める時代は終わったのである(いまならパソコンもあるし)。下は岡本の芸術へのテーゼである。技巧的な上手さや「きれいさ」「ここちよさ」ではなく、まったく新しい芸術を作りだしていくのだ、という息吹が現れている。
    今日の芸術は、
    うまくあってはいけない。
    きれいであってはいけない。
    ここちよくあってはいけない。(98頁)
     一見、醜悪に見えるもののなかに、人間の全体性を思考する芸術があるのだ。
     すべての者がこれを作り出さねばならない。芸術の価値が「技巧」「上手さ」で測ることのできない時代なのだから。

    他の印象的な部分の抜粋。
     
    まことに芸術はいつでもゆきづまっている。ゆきづまっているからこそ、ひらける。そして逆に、ひらけたと思うときにまたゆきづまっているのです。そういう危機に芸術の表情がある。
     人生だって同じです。まともに生きることを考えたら、いつでもお先まっくら。いつでもなにかにぶつかり、絶望し、そしてそれをのりこえる。そういう意思のあるものだけに、人生が価値をもってくるのです。つまり、むずかしい言い方をすれば、人生も芸術も、つねに無と対決しているのです。だからこそおそろしい。(97頁)

    内田樹『こんな日本でよかったね』抜粋

     人間が語るときにその中で語っているのは他者であり、人間が何かをしているときその行動を律しているのは主体性ではなく構造である、というのが本書の主な主張であります。(5頁)

     あまり知られていないことだが、「言論の自由」の条件の中には、適否の判断を「一定期間留保する」という時間的ファクターが入っている。
     正解を急がないこと。
     これが実は「言論の自由」の核となることなのだと私は思っている。(106頁)

    「格差社会」というのは、格差が拡大し、固定化した社会というよりはむしろ、金の全能性が過大評価されたせいで人間を序列化する基準として金以外のものさしがなくなった社会のことではないか。(111頁)

    →男は「生産性」が無い分、権力や貨幣という抽象的なものを作り出し、それらを得ようとした。一方の女は男と違い子孫という生産物を残し、次世代に遺伝子をつなげることができる。男が一人いれば、子孫を残すという再生産の上では何の問題も起こらない。100人男がいても、究極的には一人だけにしか存在する価値はない。存在意義の無いことを焦った男たちが貨幣などの抽象物を作った。女と男とでは求めるものの質が違ってくるようにしたのだ。それにより世界にある限られたリソースを同一の欲求によって奪い合うことの無いようにしたのだ(以上、内田の説明より)。
    本来の教育の目的は勉強すること自体が快楽であること、知識や技能を身に付けること自体が快楽であること、心身の潜在能力が開花すること自体が快楽であることを子どもたちに実感させることである。(151頁)

    頂いた本と、内田樹。

    恩師よりいただいた『居場所のない子どもたち』を読んでいる。著者の鳥山敏子は〈居場所のない子どもたち〉のためにシュタイナー学校・東京賢治の学校を作った。なかなか読み進まないが、必ず次回のゼミまでに読了しよう。ちなみに東京賢治の学校の5月30日の見学日には是非行きたいと考えている。

    今日、もう一人の師匠より天文学の本をいただいた。これもありがたいことだ。天文学は門外漢だが、教養をつけるため読ませていただく。

    本日、内田樹の『下流思考』読了。「教室は不快と教育サービスの等価交換の場となる」(48頁)という発想にウロコが落ちる。
    この感動をお伝えするために、内田の議論をまとめる。

    旧来、子どもは「労働主体」であった。
          ↓
    そのため家事手伝いを通じ、家計に貢献をし、家族の一員であるとの実感を得た。
          ↓
    家電の発展などにより、家事労働の負担は軽減される。
          ↓
    子どもはおとなしくすることが要請される。なぜなら邪魔になるからだ。
          ↓
    けれど、一方的に家庭内でサービスを受けたままでは居場所が無い(反対給付が必要となる)。
          ↓
    自分の父を見ると、帰宅後「不快感」をあらわにする。
          ↓
    不快感を示すことが、父の労働の証しになっていると、子どもは考える。つらいお勤めをしてきた、ということを示しているのだ。なぜなら、近代社会では父が労働する姿を子どもが目にすることはほとんどないから。必然的に父の疲れ果て、「不快感」を示している姿から「不快感と引き換えに収入を得ているのだ」との実感を持つ。
          ↓
    父と同様に、母も不快感をあらわにしているのを目にする。父の存在に耐えるという形で(つまり「不快感」を示すことで)、母は家庭における自らの存在を位置づけている。
          ↓
    子どもも父母の姿をみて、「不快感」を示すことで家庭内における自分の位置をしめそうとする。そのための「努力」をしている。先に書いたように、現代社会では子どもには母のじゃまをしないことが重要であるから。
          ↓
    子どもが家庭内では家事の手伝いをするという「労働主体」になれなくなった。
          ↓
    けれど、子どもは店にいくと立派なお客として扱われる。「消費主体」として扱われる。
          ↓
    現代の子どもは「労働主体」として扱われる前に「消費主体」として扱われるようになった。
          ↓
    「消費主体」といっても常に貨幣で等価交換するのでなく、学校において(先の説明では家庭においても)「不快感」を貨幣として教師の講義と等価交換することを無自覚のうちにおこなっている。
          ↓
    「消費主体」としての精神性で、子どもは行動するようになる。学校においても「消費主体」として行動する。「不快感」を貨幣として。
          ↓
    そのために授業中に意図的にだらだら「起立」をし、私語をし、授業を無視する。「不快感」を示すことの代償として、教育サービスを受けているのだ。

    うーむ、どうも内田のいいたいことをきれいにはまとめられない。原文を読んでいただくしか無いのだろうか。

    他にも示したい箇所がいくつか。
    子どもは学習の主権的で自由な主体であるのではありません。(…)
     まず、学びがあり、その運動に巻き込まれているうちに、「学びの運動に巻き込まれつつあるものとしての主体」という仕方で事後的に学びの主体は成立してくる。私たちは自らの意思で、自己決定によって学びのうちに進むわけではありません。私たちはそのつどすでに学びに対して遅れています。私たちは「すでに学び始めている」という微妙なタイムラグを感じることなしに、学び始めることができないのです。(64頁)
    この文章により、無時間モデルをとる「消費」モデルが教育にはあてはまらないことを説明する。生まれたこどもは「日本語を学ぼう」という「自己決定」によって日本語を学ぶわけではないのだ。だから子どもたちの「それを学ぶのは一体何の役に立つんですか?」との疑問は答えることができないし、そもそもそのような問いかけをすべきものではない、と答えている。「教育権」は「社会権」と同様に〈なぜ必要か〉説明のできないものなのだ。「社会権って、何で必要なんですか?」と聞かれたら、「必要だから、必要なんだ!」としか答えられない。「人を殺しては何故いけないか」同様、問うてはいけない問いなのだと内田は綴る。

    また、内田は刈谷剛彦を引いて〈学びから逃走することで、あえて自分の自己肯定感を高めようとする子ども〉の存在を私に教えてくれた。学びの否定は将来でなく現在を充実させようと意図的に働きかけるため、他と違う自分のかけがえの無さを示すことに使われてしまっている、と内田は語る。

    もう一つ引用して論を終える。
    「多文化共生」といいますけれど、おっしゃる通り、そういうところだって、要するに均質性の高いエスニック・グループが混在しているだけで、グループ内部の均質性は場合によっては(筆者注 アメリカは)日本社会より強かったりするんじゃないかと思うんです。


    2009年4月12日日曜日

    『小論文を学ぶ』を学ぶ。

    私のバイブル『小論文を学ぶ』。長尾達也氏が書いた高校生用の小論文対策本ながら、大学生が知の枠組みを学ぶ際にも絶大な力を発揮する。

    このなかの「教育問題」の箇所(188〜202頁)の内容を、自分なりにまとめておきたい。そうすることによって、哲学的視野から教育というものを認識し直すことができるからだ。

    内田樹『狼少年のパラドクス』より

     研究者に必要な資質とは何か、ということをときどき進学志望の学生さんに訊ねられる。
     お答えしよう。それは「非人情」である。それについてちょっとお話ししたい。
     大学院に在籍していたり、オーバードクターであったり、任期制の助手であったり、非常勤のかけもちで暮らしていたりする「不安定さ」を「まるで気にしないで笑って暮らせる」能力である。(…)
     あえてこの道を選ぶ以上、それは「生涯定職なし、四畳半暮らし、主食はカップ麺」というようなライフスタイルであっても「ま、いいすよ。おれ、勉強好きだし。好きなだけ本読んで、原稿書いていられるなら」と笑えるような精神の持ち主であることが必要である。(…)
    「非人情」の人間の場合、「私はこうしたい、これが知りたい、これを語りたい」という強烈な欲望だけがあって、他の人が自分に何を期待しているか、その結果を他人がどう評価するか、自分の言動が他の人にどういう影響を与えるか、というようなことはほとんど念頭にのぼらない。(…)
     で、私が思うに、研究者に限らず、独りで何かをやろうとする人に必要な資質はこの「非人情」である。(…)
     非人情でなければ「不条理」に耐えてなおかつハッピーに生きて行くことはできない。四畳半でカップ麺を啜りながら、自分の原稿を読み返して「おいおい、おれって天才か。勘弁してくれよ。そういえば、心なしかおいらを祝福するように空がやけに青いぜ」と温かい笑みを浮かべることができるようなタイプの人間だけが、いまの時代に幸福に生きることができる研究者だろうと私は思う。
     大学院進学を予定している学生さんたちは自制して、自分がどれほど「非人情」であるかをよくよくチェックすることをお薦めしたい。(pp178~181)
    →「生涯定職なし、四畳半暮らし、主食はカップ麺」とあった。梅田望夫の『ウェブ時代をゆく』にも〈ジャンクフードしか食えないけれど、プログラムを組んでて幸福〉という若者像が描かれる。
    →私も結構「非人情」かも。下の投稿みたいに〈誰にも頼まれていない原稿〉を書いて読み返すのが好きだし。

    頼まれていない原稿を書く。

    ブログを書く。定期的に。

    このことで私はいろんな発想(それこそブログを書く行為をしなかったら決して出てこなかった発想)を得ることができる。

    不思議なことだが、「話さなければならない」「書かなければならない」状況に追い込まれた時、人は何かを語り、何かを書くことができる。平常時なら思いつかなかったことも、何故か出てくる。

    古来、知識人はよく手紙を書いた。ベートーヴェンの書いた手紙も、ネルーが娘に書き送った手紙も、〈名著〉として今も残っている(ちなみに『ベートーヴェンの手紙』と『娘に語る世界史』である)。手紙を書くとき、無意味なことを書けない。ひょっとすると、あえて手紙を書くことで何らかの発想を得ようとしたのではないか。

    私は〈知識人とは、出版社の原稿依頼を受け、それから発想する人〉だとイメージしていた。子どもの考える漫画家像そのままである(これに編集者から如何に逃れるかという展開がついてくると、完全に手塚マンガの世界だ)。けれど、おそらくは原稿依頼がなくても何がしかの原稿を書いているのが真の知識人なのではないか。

    日々、誰に言われなくてもブログを書くとき、〈頼まれていない原稿〉を書いていることになる。人間は自由すぎると何もしない。だからこそ「毎日、何かをブログに書かないといけない」状況に意図的に自分を追い込んでいれば、日々何かを発想できるのではないだろうか。

    追記
     思えば私はこうした〈頼まれていない原稿〉を結構書いてきた気がする。小三のときの係決め。黒板に書かれた〈係リスト〉には無かった壁新聞係を発案した。結果、初代新聞係に就任。題字・アンケート企画・記事・四コマ漫画、全て自分一人で書く。好評ではあったが、マンネリのため一学期のみの発行に終った。
     高校。寮の中で清掃委員長になる。頼まれてもいない〈清掃委員マニュアル〉を勝手に作り、清掃委員に代々伝わるようにしようと努力。最近寮生に聞いたらまだ私の文章が残っているらしい。赤面。学校で生徒会長をしていた時も、やたら議論を書き残そうと一人パソコンに向かい文章化。「議論の見える生徒会」がテーマだったが、結局パソコンの小さな字を誰も読まなかった(それよりも、生徒会の活動に誰も興味を示さず、読む気もしなかったというのが事実かもしれない)。
     大学。サークルの集まりの際、『めもらんだむ』というミニ新聞を作って配っていた。書評や自分のエッセイなどが書かれていた。
     別のサークルでは年に2回、講演会を企画。その際に配る言論誌には毎回必ず原稿を書いた(たぶん今年も書く。めざせコンプリート)。昨秋の言論誌作成ではちょっとした波紋を起こす。「書いてくれ」と言われていないけれど、私は原稿を8本書いた。他の人は1本がやっと。とうとう原稿を書かなかった人もいた。結果、採用されたのが3本。クオリティはけっこう良かったのに。それだけで終らず、「お前が原稿を書けるのは分かった。けれど、その分の努力を1年生が書けるよう手助けしてあげるべきではなかったのか」と怒られてしまう始末。「確かにそうなんですけど…」と不満が残った。批判は〈原稿も書かず、1年生の手助けもしなかった上級生〉にこそしてほしかった(それに私は1年生が原稿を書けるようにネタを教えてあげたり、レポートで1年生が書いたものを原稿化できるようアドバイスもしたんですよ)。
     O先生のゼミでは毎回書評を書いて持っていった(ほとんどの人は持ってこないのに。私はKYな奴である)。
     概観すると、私は書くことが大好きな人間なんだと思う。それも〈誰にも頼まれていない原稿〉を書くことが。結果的に他人に悪く言われることも多い。おお、不運。
     教訓。〈誰にも頼まれていない原稿〉は需要がない分、無駄に終るか、他人に評価されないで終るか、キレられてしまうかというマイナスの結果をもたらすことが多い(ますます不運)。
     でも、書いてしまうのが俺なんだよな…。ブログがあって、本当に良かった。ブログを書いても、誰からもキレられないで済むからだ。

    再記
     頼まれない原稿を書くと、なぜマイナス要素が発生するのだろうか? それはまさに〈頼まれていない〉からだ。
     需要の無いところに供給をしても反発をされるだけだ。
     ブログは将来の需要を見越して先に供給されている(だってGoogleで検索すればすぐ出るからね)。
     
    さらに追記。
    ●ルターやホセ=リサールが迫害を受けたのも〈頼まれていない原稿〉を書いたからではないか。往々において、〈頼まれていない原稿〉は現体制に批判的であったりする(だって誰も依頼しないからね)。

    大学生なら授業は潜れ。

    授業は潜った方がいい。たとえ正式な学び方でなくても。

    単位のために勉強するなんて、バカらしくないですか?

    重要なのは大学で何を学んだかであって、何を教えてもらったかではない。それはイリイチが口を酸っぱくして人びとに伝えてきたことである。教えられるのを待っていると、そのうち〈教えてもらう〉ことだけに価値があると考えるようになる。
    「学校化」(schooled)されると、生徒は教授されることと学習することを混同するようになり、同じように、進級することはそれだけ教育を受けたこと、免状をもらえばそれだけ能力があること、よどみなく話せれば何か新しいことを言う能力があることだと取り違えるようになる。彼の想像力も「学校化」されて、価値の代わりに制度によるサービスを受け入れるようになる。(『脱学校の社会』13頁)
    大学生って、何かを学んでいる人のことだと思う。単位のためとか就職のためとかを気にせず、自分が「学びたい!」という熱意に突き動かされてしまう人。それも自分と同年代の若者が週に40時間労働しているなら、「同じくらいは学んでやろうじゃないか!」という人。現代では少数になった「変人」。それこそ大学生だろう。

    私はここに書いたような大学生ではない(念のため)。まあ、目指してはいるんだけどね。単位申請していない授業に出る際(つまり潜るということです)、ちょっとかもしれないけれど理想の「大学生」気分に浸ることができるのだ。

    ちなみに今年は潜り率50%です。

    2009年4月11日土曜日

    悩みましょう

    悩みましょう。

    アメリカと日本のフリースクール設立の背景についての研究。

    テーマ:フリースクール設立の背景である、教育課題について、事例を元に比較する。比較を行うのは、日本とアメリカである。

    本稿の構成:下記のとおりとする。

    A,フリースクールの定義
    B,アメリカにおけるフリースクール設立の背景

    参考文献
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    A,フリースクールの定義

     本稿では、『教職基本用語辞典』でのフリースクールの定義を用いるものとする。

    フリースクールとは、従来の学校にあるような管理と強制から開放されて子どもの自由と自治が尊重される中で教育活動が展開される「自由学校」のことを意味する。(中略)我が国では、1985年(昭和60年)に奥地圭子により不登校の生徒を集めて開かれた「東京シューレ」や1992年(平成4年)に和歌山県に堀慎一郎によって設立された「きのくに子どもの村学園」などがある。

     日米のフリースクールを比較するにあたり、事例を元に見ていく。アメリカはクロンララスクールの事例を参考にし、日本は東京シューレの事例を参考にしていく。両者は、日米それぞれでフリースクール運動で中心的存在であったからだ。
     クロンララスクールは後述するように、アメリカでフリースクール設立が相次いだ1960年代後半に成立したフリースクールである。そして「1978年にクロンララスクールを中心に全米のフリースクールのネットワークを立ち上げ、年に1回、子どもとスタッフ、親が集まる大会の開催、経験の共有、スタッフ養成をはじめとする様々な連携活動をおこなってきている」 。このことから、アメリカのフリースクールのうちで、中心的存在であると考える。
     NPO法人東京シューレを日本のフリースクールの事例として提示するのは、2つの理由からである。1つは、先の『教職基本用語辞典』の「フリースクール」の欄に名前の挙がるほど、知名度の高いフリースクールであるからである。2つ目は、特定非営利活動法人フリースクール全国ネットワークの代表理事を、NPO法人東京シューレ代表の奥地圭子が兼任していることからである。特定非営利活動法人フリースクール全国ネットワークとは、2001年に「日本全国の、子どもの立場に立ち活動するフリースクールをつなぐネットワーク団体」 として設立されたものである。この2点の理由から、東京シューレを日本のフリースクールの中心的存在であると考える。

     参考として、次に両者の基本情報を示す。

     クロンララスクール(Clonlara School)
    所在地:アメリカ合衆国
    対象年齢:5歳から18歳
    学校種:幼稚園~高校
    設立:1967年
    子どもの人数:50人

     NPO法人東京シューレ
    設立:1985年6月24日(1999年11月NPO法人認証)
    代表:奥地圭子
    フリースクール東京シューレ
    会員数:150名
    子ども担当スタッフ数(常勤):9名

     東京シューレは、王子スペース、新宿スペース、柏の葉スペースの3つに分かれている。このフリースクールとしての東京シューレとは別に、ホームシューレ事業、シューレ大学事業なども行っている。

    B,アメリカにおけるフリースクール設立の背景

     アメリカにおいては、主として第二次世界大戦後の1960年代後半からフリースクールが作られるようになった。

    戦後の先進諸国における義務教育年限の延長、発展途上国における義務教育制度の導入等により、公教育制度の整備が一段落した一九五〇年代末から六〇年年代にかけては、科学技術の革新に伴うカリキュラム改革が各国で盛んに行われた。しかし、六〇年代の後半になると、社会制度としての学校のあり方そのものを、根底から考えなおすような動きが現れてきた。

     この一連の流れの中で誕生したのが、公教育の枠外におかれるフリースクールである。「A,フリースクールの定義」で引用した『教職基本用語辞典』の中略箇所を見てみる。

    1960年代後半、ヴェトナム反戦運動と結びついてアメリカで活発化した人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否などに対応する学校改革として広がったオルタナティブ・スクール運動の一つとしてフリー・スクールが位置づけられた。その際、モデルとされたのは、1925年にニールが創設した「サマーヒル学園」、フランスのフレネ学校、ドイツのシュタイナー学校などである。

     アメリカにおいては、主として1960年代後半にフリースクールが作られてきた、といえる。この時期にフリースクールの設立は、『教職基本用語辞典』の「人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否などに対応する学校改革」以外の理由がある。1957年のスプートニクショックを受けてのアメリカ連邦政府の政策も理由の一つである。「科学技術の教育振興法」たる「国家防衛教育法(National Defense Education Act of 1958)の制定」は「アメリカにおける人的資源培養のための法律であ」り、「連邦政府の教育に関する関与が一層強まることとなった」 。この流れも汲んでいる。クロンララスクール設立にあたっての記述を元に、見てみる。

     設立者のパット・モンゴメリーさんは小学校で教師をしていたが、米ソ冷戦下の60年代のアメリカでスプートニクショック以降子どもを締め付けていく教育の流れが強くなり、そのような学校に自分の子どもを通わせられない、との思いから自ら設立したのがクロンララスクールである。子どもの気持ちを尊重した教育とはどのようなものなのかを改めて考え、自らの教師時代に考えたことのみならず、イギリスのサマーヒル学園を訪ね、設立者のA.S.ニイルの話も聞いて構想した。

    Bのまとめ…アメリカのフリースクールは、主として60年代後半、「人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否などに対応する学校改革」として、設立された。他に「スプートニクショック以降子どもを締め付けていく教育の流れ」に対抗するものとして、設立されたという背景もある。

    C,日本のフリースクール設立の背景

     ここでは、NPO法人東京シューレのケースを元に見ていく。なお、文章中の奥地とは、東京シューレ設立者であり、代表の奥地圭子のことである。

    代表者の奥地は、1978年ごろ、わが子の登校拒否を経験したが、それは教育の在り方や、当然と思われている社会通念、親の意識などを問い直される貴重な学びとなった。わが国の不登校は1975年より激増し続けるが、当時、教員であった奥地は、早朝から夜中まで、現在よりはるかに悲惨で苦しい状況にあった親や子どもの相談にのりながら、何ができるかと悩んだ。最も大事なのは、子どもにとっては親の理解だと考え、84年より「登校拒否を考える会」という親の会を始めた。

     東京シューレの設立者・奥地圭子は、東京シューレの設立時の様子を次のように書いている。

     一九八五年三月、私は、二二年間の教員生活に終止符を打ち、東京都北区東十条の駅近くに小さい雑居ビルの一室を借り、六月にやりたいことに踏み出しました。
     やりたいこととは、子ども達が自由に通ってくる学校外の学びと交流の場づくりでした。
     よくある、学校がひけてから行く学習塾ではなく、学校のある時間帯に並行して開室していて、学校に行っていない子が居場所・成長の場として活用できるところ、というイメージです。それを、子どもと共に作り出したい、と思って踏み出したのでした。
     それが「東京シューレ」、今でいうフリースクールです。
     今でこそ、フリースクールは珍しくありませんが、コロンブスの卵であって、当時、学校のある時間に、学校ではないところに勝手に通うなど常識外でした。

     東京シューレ設立当時、日本社会では「教育荒廃」が叫ばれていた。そして現場の学校では様々な問題が起こっていた。

    1970年代以降大きな社会問題となっている「教育荒廃」とは何か(中略)。「教育荒廃」という言葉は、1961(昭和36)年の文部省「全国一斉学力テスト」による点数競争主義の広がりの中で使われだしたものである。主に、教育機関としての学校現場に停滞や退廃が生じていると考えられる。(中略)今日の教育の危機は、子どもたちの発達の危機として、不登校・いじめ・自殺・学級崩壊・閉じこもり・高校中退・校内暴力等の非行・少年事件などに顕れている。これは、高度経済成長を通じて進められた大量生産・大量消費・大量放棄を伴う工業化による社会変貌がもたらした「負の遺産」と言いうる。学校は、経済成長を支える機構として、「有能な人材」を競争的に選び出すという側面を強くもたされ、このため、学校は「能力主義の徹底」(1963年経済審議会答申)の名のもとに学力・学歴競争の場となり、多く矛盾を生み出した。

     高度経済成長終焉後、高度成長の招いた問題である「教育荒廃」が教育現場に起こっていた。「不登校・いじめ」、「学級崩壊・閉じこもり・高校中退」という教育問題が発生した。これらの犠牲となった子どもたちはどこへ行けばいいのか。主としては不登校の子どもが対象ではあるが、東京シューレをはじめとするフリースクールはそういった子どもたちを受け入れる場となった。

    Cのまとめ…日本のフリースクールは、高度経済成長の負の側面である「教育荒廃」が叫ばれるころ、設立された。「教育荒廃」の犠牲者である「不登校」の子どもなどがを、受け入れる場所として設立された。


    D,日米のフリースクールの設立の背景にある、教育課題の比較

     アメリカのフリースクールは、主として60年代後半、「人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否などに対応する学校改革」として、設立された。他に「スプートニクショック以降子どもを締め付けていく教育の流れ」に対抗するものとして、設立されたという背景もある。
     対して日本のフリースクールは、高度経済成長の負の側面である「教育荒廃」が叫ばれるころ、設立された。「教育荒廃」の犠牲者である「不登校」の子どもなどがを、受け入れる場所として設立された。
     両者はともに、社会のあり方の変化に対応する形で、設立されている。アメリカは1つ目に、スプートニクショック後の、詰め込み教育の強化への対応として設立された、という側面を持っている。2つ目に、60年代のベトナム反戦運動や黒人の公民権運動など、民衆の側の自由を求める動きに呼応して、起こってきている。
     日本の場合は、1970年を境に、再び不登校の数が増えるなどの「教育荒廃」が主要な理由となっている。

    E,考察ならびに終わりに

     フリースクールの設立は、社会の変動期に起こっている。社会のあり方が変化すれば、教育のあり方も変えざるをえない、ということであろうか。本稿のフリースクールのような新たな教育運動が起こるときは、社会システムの変動期である、といえるかもしれない。
     今回、フリースクールの事例からの検討が2例のみとなってしまった。また、深く入り込んだ内容でなく、設立に当たっての背景のみの研究となった。次回は、フリースクールの具体的な実践まで、踏み込んだ研究を行いたいと思う。
     なお、筆者は2007年3月に東京シューレの新宿スペースを訪問している。次回、さらに踏み込んだ内容を研究する際、参考になると思われる文章を引用して、本稿を終える。
     これは筆者が東京シューレ見学の印象を書き残したものである。

    フリースクールという言葉を、初めて聞いた人もいるかもしれない。フリースクールは一般の「学校」と違い、自由な教育が行われている。好きなときにやって来て、好きなときに帰ることができる。本やマンガが多く置いてあり、自由に読むことができる。フリースクールに来ている、いろんな年齢の子どもと関わることができる。学びたいときは言えば教えてもらえる、などなど。おそらく、一般の「学校」のイメージとは大きく異なる場所である。筆者も、何度か見学に行ったことがある。東京シューレという団体の行っている、新宿シューレである。都営大江戸線・若松河田駅下車後、徒歩10分弱。早稲田大学からなら、早稲田駅前の夏目坂を延々登ると20分で到着する。道路裏にある、閑静な住宅地にそれはある。
    入ってみると、そこは「学校」とはまったく違っていた。いろんな年齢の子(スタッフの大人も含む)が混じって会話を楽しんでいる、料理を作っている。TVゲームに興じている。外でもボール遊びをしている。「学校」や塾といった教育機関というよりも、子どもの居場所といったほうがいい場所であった。ふんわりした感覚のある、ゆるやかな空間だ。
    慣れてみれば、「学校」というものをまた違った視点で見ることができるようになった。「学校」のもつ気持ち悪さも見えるようになってきた。狙ったように、同級生のみで構成される友人関係、いやでも毎日行かなければならない教室、はじめから決まっている座席。別にこのような学校文化が不要であるというわけではない。子どもの社会化に、必要なルールとの言もうなずける。しかし、それでも「学校」というものには特有の気持ち悪さがある。


    F,参考文献

    ・柴田義松ほか編『教職基本用語辞典』2004年、学文社、73項
    ・『子ども中心の教育最前線』作成委員会『子ども中心の教育 最前線』2008年、特定非営利活動法人 東京シューレ
    ・小澤周三ほか『新版・現代教育学入門』1997年、勁草書房
    ・大淀昇一「国家防衛教育法」、岩内亮一ほか編『教育学用語辞典』第四版、2006年、学文社
    ・奥地圭子『不登校という生き方』2005年、日本放送出版協会
    ・仲田陽一「問題56」、柴田義松・斉藤利彦編『教育学のポイントシリーズ 教育史』2005年、学文社
    ・クロンララスクール公式WEBサイトhttp://www.clonlara.org/vision
    ・フリースクール全国ネットワークWEBサイトhttp://www.freeschoolnetwork.jp/history/history.htm
    ・『p’age』第24号、2007年

    イリッチのラーニング・ウェッブの研究 ~ブログ空間はラーニング・ウェッブたりうるか~

    1、本稿の狙い
     
    梅田望夫・齋藤孝著『私塾のすすめ』を読んでいた。この本のテーマは《ブログは、適塾・松下村塾のような私塾になる可能性がある》ということである。非常に興味深い本であったので、書評も書いた。別紙を参照していただきたい。
    さて、『私塾のすすめ』を読み進むうち、一冊の書名が私の脳裏に浮かんできた。イヴァン・イリッチ(1926—2002)の著書『脱学校の社会』である。 
    『脱学校の社会』は、脱学校論を説いた点で有名な著書である。「就学義務が大多数の人々の学習する権利をかえって制約している」(『脱学校の社会』1項)点から、学校を廃止し、新たな教育空間の樹立を提唱している。
    この書の第六章に、「学習のためのネットワーク」という箇所がある。イリッチの〈ラーニング・ウェッブ〉というものを端的に説明したところだ。ここで説明している〈ラーニング・ウェッブ〉は、ブログを活用することで実現可能なのではないか。この仮説を検討することが本稿の狙いである。
    本稿での私の主張は、あくまで既存の教育制度を維持し、平行する形でのラーニング・ウェッブの成立の可能性を探るものであり、学校制度廃止までを考察したものでないことを付言しておく。
    なお、「学習のためのネットワーク」は、原文では「learning webs」と書かれている。本稿では「学習のためのネットワーク」でなく、ラーニング・ウェッブと表記する。それはlearning websを「学習のためのネットワーク」と表記すると、特定の意味が付与されてしまうことを恐れるためである。 

    2、仮説の提示

    仮説
    《イリッチのいう「ラーニング・ウェッブ」は、ブログで実現可能である》

    3、『脱学校の社会』の検討

    (a)ラーニング・ウェッブの仕組み

     イリッチのラーニング・ウェッブとは、下のような仕組みで行う。

    (1)教えたいことがある人が、コンピュータなどに「これを教えたい」と登録する。どうように、学びたいことのある人が「これを学びたい」と登録する。
    (2)登録している人どおしを引き合わせる。
    (3)教えた分だけ、「教育クーポン」をもらうことができる。また学ぶにあたっては一定量支給されている教育クーポンを使用する。
    (4)学校教育にあたる段階においては、この教育クーポンを消費していくことで、教育課程の達成を目指す。
    (『脱学校の社会』より)

     本文中において、イリッチは次のように指摘している。

    仲間を選び出すネットワークの運営は、簡単であろう。このネットワークの使用者は、氏名と住所および自分が仲間を見つけたいと思っている活動について記述することである。コンピュータは、彼と同じ記述を打ち込んだあらゆる人々の氏名と住所を彼に知らせるであろう。そのように簡単に役立つものが公的に価値があるとされていた活動(藤本注 公立学校制度のこと)のために大規模に用いられていなかったことは、驚くべきことである。(170項)

     イリッチは、要するに学びたい人と教えたい人とを引き合わせ、その小集団で教育を行うことを提唱している。これがラーニング・ウェッブの発想の根底である。

    (b)『私塾のすすめ』において、ラーニング・ウェッブと共通点の多い箇所

     梅田望夫(コンサルティング会社「ミューズ・アソシエイツ社長。パシフィカファンド共同代表。(株)はてな取締役。」http://www.mochioumeda.com/より)は『私塾のすすめ』において、次の指摘をしている。ここで語っている「志向性の共同体」は私塾を指し、〈ブログも私塾のようなものにできる可能性がある〉と示している。

    梅田:志をもった良き大人、ある志向性を持った大人が、自分はこういう関心をもった人間なんだよ、ということをウェブ上に立ち上げて示していく。科学でも、数学でも、文学でも。そういう「志向性の共同体」がネット上にたくさんできたら、子どもでも、本当に自分の関心のあることをやっている大人たちの集まりに参加することができる。ネットでまずつながり、そしてリアル(藤本注 現実社会のこと)に発展していく。誰もがネット上で、志向性を同じくする若い人を集めて私塾を開くことができるイメージです。それはウェブ時代たる現代ならではのすばらしい可能性だと思うんです。(中略)多くの心ある人が、自分がもっとも大事だと思っている関心事項について、志向性の共同体たる私塾のようなものをネットの上でつくっていくと、さまざまな可能性がひらかれる。
     身近な世界の閉塞感のようなものがあって、時間の使い方もそこで縛られている場合に、良き私塾がもっともっとネットの上にできれば、そこで時間をすごすことができる。ところが、そういうビジョンをネットに関して提示している人が日本にはいない。「ネットというものは怪しげで危ないから子どもを遠ざけよう」という人が圧倒的に多い。今の日本のネットをみて、「怪しげで危ない」と思いたくなるということは僕も否定しないけれど、ネットの可能性を十年、二十年というレンジでみたときに、そうとだけ考えることはマイナスだと思います。
     現実社会でうまくいっている子は別として、そうでない子どもたちは、家に帰っても親との関係だけ、学校に行ってもせいぜい五十人という範囲のなかで、自分とぴったりあった世界をつくれない。今の日本の教育は、そこでうまくいかないとすべて駄目と言われてしまう感じですが、ネットにはそこをひっくり返せる可能性があると思っています。(44〜46項)

     この梅田の指摘は、ラーニング・ウェッブと親和性を持っている。梅田のいっていることは、イリッチが『脱学校の社会』で語っていることに共通点をもっているのだ。(c)以降において、それを詳しくみていく。

    (c)ラーニング・ウェッブとブログの共通点について

     ここでは3点に分けて、イリッチの主張するラーニング・ウェッブと、梅田の言う〈ブログによる私塾〉との共通点をみていく。

    (共通点1)自主的に学習が進む点

     イリッチが『脱学校の社会』において批判したことの一つに、〈学校制度がある限り、生徒が受動的になってしまうこと〉がある。イリッチは自主的な学びが成立する場としてラーニング・ウェッブを考察したのである。

    本章で、私は学校についての考え方をひっくり返すことが可能であることを示すつもりである。つまり、次のことを示したいのである。第一には、学生に学ぶための時間や意志をもたせようとして彼らを懐柔したり強制したりする教師を雇う代わりに、学生たちの学習への自主性をあてにすることができることであり、(藤本注 この文の続きは次の引用である)(136項)

     自らの興味がある分野であれば、自主的に学んでいくことができる。ブログにおいても強制されない分、子どもたちは自主的に興味のあるブログを探し出し、学んでいくはずだ。
     
    (共通点2)関心の共有が可能である点

     イリッチのラーニング・ウェッブ構想においては、(a)で示したように教えたい者と学びたい者とが小集団で集まることで学習を行っている。この発想を実現させるためには〈何に興味があるか〉という関心事項の共有が行われる必要がある。イリッチは情報センターのようなものを設置することで、実現させようとした。ブログにおいては検索を行うことで可能である。

     さきほどのイリッチの言葉の続きを引用する。

    第二は、あらゆる教育の内容を教師を通して学生の頭の中に注入する代わりに、学習者をとりまく世界との新しい結びつきを彼らに与えることができるということである。(136項)

     このイリッチの言葉にあるように、ブログを活用することで「新しい結びつき」を作ることができる。この「新しい結びつき」はブログによって可能である。

    (共通点3)比較的、利用が容易である点

     学習するにあたって、教育設備が容易に利用可能であるか否かという点が大きな問題となる。いくらいい教育を行える場所であっても、費用がかさんだり、移動が大変であったりしては、教育を行えないからである。次のイリッチの言葉が示す通りだ。

    必要なのは、公衆が容易に利用でき、学習をしたり、教えたりする平等な機会を広げるように考案された新しいネットワークである。(143項)

     イリッチのラーニング・ウェッブ構想では、国立の情報センターのようなものを利用することで学習者と被学習者を引き合わせる。ブログにおいてはインターネットを利用できる環境さえあれば学びを行うことができる。検索し、関心のあるブログにアクセスし、そこにある情報を学んでいくのだ。コメントの記入や直接的にブログ関係者と対面することもあるだろうが、基本はパソコンで出会う形をとる。
     イリッチの構想ではあちこちに情報センターを設ける必要があるが、ブログを活用する場合、設備の準備は特に必要でなく、インターネット利用環境さえあれば事足りる。よって、比較的利用が容易である点は解決されている。


    (d)ラーニング・ウェッブの悪用についての、イリッチの指摘

     コンピュータを使用し、人を引き合わせる。その弊害は出会い系サイトのような問題が起きる可能性がある。イリッチはそのことにも気づき、以下のように語っている。

    もちろんわれわれは、そのような公的な仲間選びの方法が、電話や郵便がそうであったように、搾取的あるいは不道徳な目的のために乱用される可能性のあることを認めなければならない。それらのネットワークの場合と同様に、何らかの防御策が必要である。私は、他の箇所で、尋ねてくる者の氏名と住所のほかには、適切な、印刷された情報だけが利用されるのを認める仲間選びの制度を提案した。そのような制度は、濫用に対して実質的に完全に守られている。他に別の調整をすれば、さらに本、映画、テレビの番組、あるいは特殊なカタログから引用されたほかの項目などを追加することもできよう。そのような制度のもつ危険性に関心をもつあまり、はるかに大きな利益を見失うようであってはならない。(173項)

     着目すべきは、危険性を意識しつつも「危険性に関心をもつあまり、遥かに大きな利益を見失うようであってはならない」との指摘である。先に引用した梅田の言にも、同様のものがある。「今の日本のネットをみて、『怪しげで危ない』と思いたくなるということは僕も否定しないけれど、ネットの可能性を十年、二十年というレンジでみたときに、そうとだけ考えることはマイナスだと思います」。
     そのため、私は単にラーニング・ウェッブの危険性を指摘するだけでなく、その可能性に目を向けていくことが重要であると考える。

    4、結論

     イリッチは理想主義者である、ともよく聞く。しかしイリッチに実現可能性がないとされたのは一昔前の話だ。いまはネット空間が存在する。ブログによって個人が情報発信をしていくことができる時代だ。

    私がこれから提案しようとしている教育制度は、今日まだ存在していない社会のものである。(137項)

     イリッチが主張した教育社会は、当時の教育制度を超えたところにあった。しかし、ウェブ空間が発達した今、イリッチのラーニング・ウェッブ構想はやり方次第ですでに実現可能であるといえる。
     『私塾のすすめ』は端的に言えば《ブログが私塾となる可能性を秘めている》ことを示した本である。ここでいう私塾とは〈教えたい者のもとに、学びたい者がやってくる〉場所である。ラーニング・ウェッブとはまさしく私塾のような存在だ。ラーニング・ウェッブという形でイリッチが提唱した教育は、ある程度までブログの活用により実現可能である。ラーニング・ウェッブよりむしろ、イリッチの思想を反映できている、ともいえる。
     ブログによる教育の可能性について、本稿では探ることができた。私自身がさらにブログを活用できるようになりたい、と考えている次第である。

    5、参考文献
    イヴァン・イリッチ著 東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』(1977年、東京創元社)
    齋藤孝・梅田望夫著『私塾のすすめ ここから創造が生まれる』(2008年、ちくま新書)

    『脱学校の社会』を読む①〈序〉

    友人のO君と昼飯を食う。相変わらず彼と話すといろいろ触発を受ける。『脱学校の社会』勉強会を毎週火曜2限の時間にやることを決定する。

    さっそく来週からやることとなった。善は急げ、だ。とりあえずレジュメをつくろう。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    『脱学校の社会』序を見てみる。

    ●「ライマーと私は、就学義務が大多数の人々の学習する権利をかえって制約していることを認識するに至った」(1頁)
    →全員が学校に行くことに対し、イリッチは懐疑的である(追記を参照)。
    「学習する権利」について、憲法には次のようにある。
    【日本国憲法】
    第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
    2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
    ●「学校に就学させることによってすべての人に等しい教育を受けさせるということは、できない相談なのである。学校の代わりになる制度をもって試みても、それが現在の学校の様式に基づく限りは、やはりできないであろう」(2頁)
    →注解では「学校の代わりになる制度」について「フリー・スクール、オープン・スクールその他の新しい学校作りの試みがなされるようになってきた。しかしその多くは組織形態こそ従来の学校と異なっていても、あくまで学校の論理で考えられている」(6頁)と書かれている。どうやらイリッチはフリースクールに対しても懐疑的なようである。
     「現在の学校の様式に基づく限り」という留保がついている。とすればフリースクールやオープンスクールともまったく違う、ラーニングウェッブ(本文では「学習のためのネットワーク」と訳される)による学び以外でイリッチの理想を実現することはできない、ということか。
    →「社会の中での学び」である。イリッチは学校を廃止し、その後にラーニングウェッブを作ることを提唱している。なお、ここでいう「学校」とは〈フルタイムの出席を義務づける学校〉ということである。佐藤学を含め、いろんな学者が誤解している点なのでここで確認しておきたい。
     なお、本定義の仕方はイリッチとライマーとで同じであるようだ(親友のOからの受け売り)。

    ●「つまり個々人にとって人生の各瞬間を、学習し、知識・技能・経験をわかち合い、世話し合う瞬間に変える可能性を高めるような教育の「ネットワーク」をこそ求めるべきなのである。本書は、教育に関してそのようにものの考え方を逆転させてみるような研究をしている人々―および教育以外においても、確立されたサービス産業の諸制度にとって代わるもの(オルターナティヴズ)を捜し求めている人々―が必要とする概念を提供したいと思う」(2頁)
    →「個々人にとって人生の各瞬間を、学習し、知識・技能・経験をわかち合い、世話し合う瞬間に変える可能性を高めるような教育」とは、現在のネット空間をイメージさせる。以前ゼミで書いた(おそらく本投稿の次に張られる予定)〈ブログはラーニングウェッブたりうるか〉を参照。
    →この部分のポイントは「概念」という言葉である。〈イリッチは夢物語しか語らない〉という批判をする人が多いが「概念」についてを提供するために本書が書かれたのだからこの批判は当たらない。
    ●「私は、もしも社会の脱学校化が可能だという仮説を受け入れたならそのときに生じるいくつかの複雑な問題について論じようと思う。たとえば、学校を廃止してしまった後の環境の中で学習に役立つ制度を発展させなければならないが、その制度を見わける際の助けになる基準を捜し求めることとか、「余暇時代」—これはサービス産業によって支配されている経済機構のもとにある時代に対比される―の到来を促進すると思われる一人一人にとっての目標を明確にすることなどである」(pp3~4)
    →はじめ私は【「余暇時代」の学びとは生涯学習を指すようだ】と書いていた。けれど原文を見るとこの「余暇時代」はAge of Leisure(schole)と書かれている。schole(スコレ)に着目したい。これは「暇」を意味する言葉であり、だからこそ翻訳者は「余暇」と訳したのだ。学校schoolの語源となった言葉である。
     ギリシャの昔、学問は暇な自由人の「暇つぶし」の対象であった。暇で仕方ないからこそ学問に明け暮れたのだ。
     現在の学校は語源の逆である。「暇つぶし」でなく「いくことに意味がある」場所となっている(価値の制度化だ)。だからこそ、イリッチは学校を排してラーニングウェッブに基づく学び(それは社会の中での教育を意味する)を主張したのだ。本来の学校(スコレとしての)の復権を目指しているのである。
     だから日本語訳の「余暇時代」を見て〈あ、これは生涯学習のことだ〉と早合点してはならないのである(それにしても親友が原典をもってきてくれていて本当によかった)。

    全体を見てのコメント
    ●この「序」では、本書『脱学校の社会』の方向性についてをまとめている。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    帰り道で国際教養学部生の留学生がやたら薄着なのに目を奪われる。
    ひょっとすると、海外は日本以上に薄着がスタンダードなのだろうか?

    追記
    前にOも言っていたが、教育学者は『脱学校の社会』を意図的にか知らぬが誤解している。佐藤学でさえも『脱学校の社会』が〈学校の廃止〉を訴えた本である、と解説しているほどだ。けれど実際には〈全員が学校に行かなければならない〉ことを批判しているのだ。
    「解説」の欄を見よう。
    イリッチが「脱学校」という場合、すべての学校を廃止したり、あるいは学習のための制度のない社会をめざしているのではなく、むしろ学習や教育を回復するために制度の根本的な再編成を求めているのである。そこでは学校以外に選択の余地がなかったり、全員が就学を義務づけられることがなくなるのである。しかしそれは単に学校をめぐる形式のみの変化にとどまるものではない。もっと深く社会のエートスの変革にかかわることなのである。(221頁)

    2009年4月10日金曜日

    内田樹『狼少年のパラドクス』抜粋

    人間は(少なくとも主観的には)利益のないことはしない。これがすべての社会問題を考えるときの前提である。(18頁)

    古来、胆力のある人間は、危機に臨んだとき、まず「ふだん通りのこと」ができるかどうかを自己点検した。(中略)状況がじたばたしてきたときに、「ふだん通りのこと」をするためには、状況と一緒にじたばたするよりもはるかに多くの配慮と節度と感受性が必要だからである。人間は、そのような能力を点検し、磨き上げるために「危機的な状況」をむしろ積極的に「利用」してきたのである。「きゃー、たいへんよー!」と言ってじたばたしていると人間の能力はどんどん低下する。(84頁)


    追記
    ひらがなとカタカナ外来語多用が、内田樹の文章の特徴である気がする。

    週刊誌不買と教育社会学

    バイト先で『SAPIO』2009年3月11日号を目にする。特集は「渡る世間は偽善ばかり」。表紙を見て教育に関しての記述があることを知り、読んでみた。

    久々の週刊誌。何と言うか、ずっと学術系の文章(内田樹くらいしか読んでないが…)しか触れていなかったので「雑だな」と感じた。文章だけでなく、書かせるライターもベスト・セレクションであるとは思えない。教育問題は政治評論家ではなく、教育学者や現役教師に書かせるべきだ。自称〈評論家〉の勝手な文章を雑誌に載せるのなら、それなりの覚悟が必要である。

    「もっと学歴差別を推進すべきである」とは評論家・呉智英の記事。首相が漢字を読めない。このことの原因について「そんなの、学歴に決まってるじゃないの」と説明(注 麻生首相の出身は学習院である、念のため)。マスコミ関係者が高学歴であることに触れて、「彼らは皆内心では私と同じことを思っているのに、なんではっきりと言わないんだろう。『学歴差別』と言われるのを避けているんです。偽善的だねえ」と続けている。

    この呉氏の文章、非常に面白い。フランスでは政治家になろうとした場合、エリート教育機関であるグランゼコールを出なければならない。麻生首相を「学歴が低いからだめなのだ」と言い切るセンス。思わずニヤッとしてしまう。

    けれど、記事の後半部がいけない。呉氏はタイトルにあるように「もっと学歴差別を推進すべきである」との主張を展開する。

    学歴は実力を反映していないという批判もあります。しかしそれは学歴主義の不徹底を批判しているのです。だって、実力を正確に反映した学歴社会になればいいわけですから。(中略)学歴差別の歴史的意義、社会的意義を理解せず、因習的な身分差別と同類だとしてしまう。学歴差別はイカンと言えば、良識に合致すると思われているのです。
     この記述はいただけない。少々教育社会学を学んでいればこんな記事は書けるはずがないのだ。
    本文の「実力を正確に反映した学歴社会」という言葉。これを社会学者はメリトクラシーと呼ぶ。刈谷剛彦などが編集した『教育の社会学』(有斐閣アルマ)には「より高いメリットを持った人々が、より高い地位につく社会のしくみ」(211頁)と説明されている。なおメリットとはここでは「職業に貢献できるだけの能力や実力」(271頁)を指す。高い能力を持つ者は当然高学歴を持つのだから、学歴をもとに人間の能力を判断すべきだ、という考え方である。

    『教育の社会学』の記述を引く。

    どれだけがんばろうとするかという意欲や動機づけは、個人がどのような社会環境におかれるかによって違ってくるのではないか。努力し続けようとする性向や、がんばってみようとする動機づけが、どのような家庭環境で育つのかによって違ってくる可能性があるのだ。さらに、努力の習慣ということも、家庭のしつけの問題だとみることができるかもしれない。そうだとすれば、学力の差異には、能力の差異だけではなく、努力の差異を通した出身階層の影響が表れる可能性も否定できない。(pp243~244)
    呉氏のいう「実力を正確に反映した学歴社会」メリトクラシーは、東大にいけそうな環境にいる人しか東大には行かないという事実を見過ごしてしまう。前にブログで書いたが(http://zaggas379.blogspot.com/2009/03/blog-post_2338.html)、〈①大学に行くのが当然視される環境で、②周囲にも大学にいくことの賛同を受けていて、③塾や予備校・参考書代を捻出する経済的余裕があり、④勉強しやすい環境が整備されている、という条件に適う者のみがいわゆる一流大学に合格する〉のである。いくら実力があっても、大学に行かないのが当然とされるような家庭ではまず大学にいくことはない(野口英世は希有な例外だ)。

    教育社会学者なら絶対に書かないような文章が載っている週刊誌。今日あらためて週刊誌不買を決意した。


    追記
    ●先の『教育の社会学』には次の記述もある。
    学歴社会というと学歴の影響が圧倒的に大きい社会を想像するが、実際には、どのような家庭に生まれるのかも依然として強い影響を残しており、しかも、どのような家庭に生まれるのかが本人の学歴に影響し、それが本人の到達階層に影響するという関係も強化されているのである。(259頁)

    やはり学歴は本人の努力のみで決まるものでないことが分かる(その「努力」自体も生まれた環境によってやる/やらないがきまることも本文で述べた)。

    あとづけ抜弁天

    抜弁天の交差点。あのラーメン屋『なんちゃって志村軒』がある交差点であるといえば近所の人にはわかるだろう。

    はじめは【ぬき】だったのを【ぬけ】に切り替えた。

    作ったひとも【抜け】ていたのであった。

    アランとO先生

    先週の日曜の夜からずっと、ボランティア先の高校寮に泊まりっぱなし。今週の水曜まで。入寮式の準備、入学式の準備、入学式着任などなど。盛りだくさんな内容で非常に価値的であった。新入寮生の息吹にも触れられたし。けれど、いささか疲れた。昨日も今日も、体が重い。

    疲れたときに、人生の大問題を考えてはならない(自分は誰を人生の師匠とするか、など)。「自分がいかに不幸か」考えてもいけない。それよりもアラン流に伸びをしたり、あくびをしたりしたほうが価値的である(あれ、こんな記述、前にも書いたぞ。ちなみこれです)。今くらい疲れているなら、いっそのこと寝てしまうほうがいい。


    昨日のO先生の道徳教育論に、非常な感銘を受けた。先生はアランを基にして、道徳教育は一体何のために行うのか、を力説された。

    「本物の不幸ではなく、偽物の不幸から開放されるための方法が道徳であり教育である」(補足 偽物の不幸とは、不注意や突発的な感情の結果もたらされる失敗のこと。カッとなって人を殺してしまった、など、不注意による不幸は数多い)
    「道徳は不注意をしないためのものである」
    「自分が不幸を感じる原因を自分で解決できるのが大事である」

    冒頭に書いた内容と、昨日の授業とがリンクしている。疲れたときには人は冷静な判断はできない。また生命力も落ちているので、マイナスにしか物事を考えられない。そんな状況では何も考えず、別の仕事をするか、寝てしまうかしたほうがいい。疲れたときに「自分は不幸だ」と考え始めると、〈偽物の不幸〉にとらわれてしまう。O先生も引用されたアランの『幸福論』には〈幸福になると決意することが大切だ。不幸になる考えはすべて誤った考え方だ〉という内容も書かれている。さっさと今日は寝よう。

    それにしても「授業に出ると触発を受けるものだなあ」、と感じる。
    同じ内容を本で読んだとしても、教員の話す「いきいきさ」「息吹」は伝わらない。書籍では知識しか身につかないのだ。

    追記
    ●内田樹はこういっている。
    人間は他人の言うことはそんなに軽々には信じないくせに、「自分がいったん口にした話」はどれほど不合理でも信じようと努力する不思議な生き物だからです。ほんとですよ。(『狼少年のパラドクス』81頁)
    うーむ、アランやO先生につながる考え方だ。


    フリースクールの定義

    フリー・スクールの定義について、調べてみよう。原点に返って。

    古典的なフリー・スクール(自由学校)としては、イギリスのニールが1925年に設立したサマーヒル学園が代表的であるが、1960年代から70年代にかけて数多く設立されたフリー・スクールは、様々な理念をかかげていた。白人中流階級の子弟を中心として、教育の自由、児童の要求を尊重するサマーヒル学園の系統のほかに、ヒッピー的な対抗文化や反戦運動・公民権運動などの政治的色彩を帯びた学校、労働者階級の自覚を求める学校、黒人生徒に学習経験を与える目的で設立されたもの(例えばニューヨーク市のハーレム・プレップ)、黒人に黒人固有の文化と意識を自覚させ、尊重させようとして設立されたもの(例えばミシシッピー・フリーダム・スクール)など多様なものがあり、1970年代半ばには、約2000校に及んでいた。いずれも生徒や父兄を学校運営に大幅に参加させる点で共通していた。しかしその多くは小規模な私立学校であり、父兄や篤志家からの寄付や薄給で働く教師によって支えられている面が強く、経済的に行き詰まるところが多い。平均して一年半しか持続できないといわれるが、既存の学校のあり方を、その原点に立ち帰って考え直させる存在となっている。(小沢周三ほか『新版・現代教育学入門』初版1982、新版1997、pp78~79)


    …歴史的文脈の中でのフリースクールはこんな感じです。公民権運動や反戦運動等、アメリカの激動の時代に生まれたのがフリースクールなんですね。ちなみに日本のフリースクールの草分けである東京シューレは1985年にオープンしました。

    〈よろしくお願いします〉禁止令

    「よろしくお願いします」

    今日、私は30回以上はこのセリフを聞いた(気がする)。東京にいる現代人は「よろしくお願いします」を頻発する(気がする。「東京にいる現代人」限定なのは、私が東京に住み・東京の大学に通っているためであり、私が基本的には日本語しか聞いて理解できないからだ)。
    ゼミのO先生に「〈よろしくお願いします〉と言わないようにしよう。そうすると自分で考えるようになる」と今日教えていただいた。その際に改めて「あ、俺、けっこうこのフレーズを使っていたな」と実感した。それにしてもO先生は常に〈自分で考える〉ための素材を提供してくださる。ありがたいことだ。

    では現代人は〈よろしくお願いします〉にどのような意味を与えているのか。検証してみよう。

    ⑴「今後、ぜひお付き合いをしていってください」というポーズを示すときに使う。自己紹介の時などに使用される。実際には〈よろしくお願いします〉と言われても(言っても)、まったく付き合いが無いことがある。
    例:「新入社員の石田です。よろしくお願いします」

    ⑵相手に何かを頼む。特に本来ならば依頼できない以上のことを頼むときに使う。選挙時によく聞くフレーズ。
    例:「いしだ、いしだはじめに、皆様の清き一票をよろしく、よろしくお願いします」

    ⑶間を持たせるときに言う一言。
    例:「えっと、まあ(セリフを考える)、よろしくお願いします」

    ⑷仕事を忘れていた相手・ミスをした相手に、「こっちは怒っているんだ」と伝えるときにいう。注意を促す際に使用する。
    例:「えっ、あの仕事、まだできてないの? よろしくお願いしますよ」

    うーむ、何とも偽善臭いぞ。振り返ってみると、私もよく「よろしくお願いします」を使っている。正の字でカウントすると、正が一日で9つは書けるかもしれない。偽善臭い言葉をしょっちゅう使っている自分に反省。

    …この一見、非生産的なことがらをブログに書いているのは何のためか。無論、暇つぶしではない(たとえそう見えたとしても)。小笠原喜康(おがさわら・ひろやす)は卒論執筆のテクニックとして【「九」勉強して「一」考えるのではなく、「一」勉強して「九」考えよ】(『大学生のためのレポート・論文術』講談社現代新書、2002、p147)と語る。自分の頭/手/足で考えるために時間を捻出して書いているのである(希望も含めて)。

    2009年4月9日木曜日

    『フリースクールからの政策提言』を読む ゼミ発表版 今後の方針について

    本日のゼミで、次の内容のレジュメを元に、話をした。議論に出たことは最後尾を見てほしい。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    1、はじめに

     フリースクールは近代教育制度に対して懐疑的まなざしを持つ。「画一的・均一・規律的」な近代教育制度に対し、フリースクールは「多様性・自由」を重視する。目指すものが違うため、フリースクールについて調べるうちに、近代教育の〈気持ち悪さ〉が見えてくる。自分が自明視していた近代教育の短所が現れるのだ。
     近代教育制度とフリースクール。両者は違う価値観で動いている。従来、近代教育に慣れ親しんだ人びとがフリースクールについて何かを語ることはあっても、フリースクール関係者が近代教育制度に対して何かを語ることはあまりなかった。あったとしても、それが政策提言としてまとめられることは皆無であった。
     本年1月11日から12日にかけて、第1回日本フリースクール大会が国立オリンピックセンターで開催された。略称をJDEC(ジェイデック)という。この中で『フリースクールからの政策提言』(以下『提言』)が採択された。偶然ではあるが、私もこの場に参加していた(といっても、採択された12日ではなく、一般公開していた11日のみであった)。
     私はこの『提言』がいかなる理由で採択され、そしてどのような内容を持ち、どのように活用されていくのかについて調べてみようと考え、この研究を行うことにした。

    2、提言の目的と背景

    A 提言の目的

     まずこの提言は何の為に書かれたものであるのか。「はじめに」を見てみる。

    言うまでもなく、子どもの存在は多様である。その多様な子どもたちを受け入れる教育の場が必要であることは論を待たない。子どもは多様であるということを踏まえ、世界的にも、多様な教育の場を社会が認め支えていく流れがある。それでは、私たちの社会ではどのように多様な子どもたちを受入れる場を持っていくべきであるのかを真剣に問わなければならない。また、そのような場を親・市民の努力に頼るだけでなく、社会が支える仕組みを整える必要がある。

     この部分には⑴子どもは多様であるということ、⑵⑴ゆえに多様な教育の場を社会が認めるべきこと、⑶親・市民の努力だけでなく、社会が⑵の多様な教育を支える仕組みを作るべきこと、という3点が書かれている。

    B『提言』の出された背景

     『提言』より引用する。

    フリースクール等の活動が日本でさらに広がり、 深まるよう、2009 年 1 月、 JDEC( 日本フリースクール大会 ) をはじめて開催することになった。これにあわせて、私たちのフリースクール等での活動から見た教育や子どもの状況を改善すべく、すぐに実現にむけて取り組むべきことをまとめ採択したものが、この提言である。

     フリースクール等の活動の拡大のために書かれたものである。朝日新聞朝刊2009年1月19日付けには「多様な学びの場を学校と並んで教育制度に位置づけ、公的に支援することを求める政策提言」と書かれている。

    3、提言に示された精神性

     続いて、『提言』内に示された精神性についてを見ていく。
     『提言』は〈子どもの意思の尊重〉を重視している。学校があわなければ休むことを選択できるようにする・学校とは違う学びの場である「フリースクール等」(『提言』では「フリースクール、フリースペース、居場所、ホームエジュケーションのネットワークや訪問支援等の活動を含めて、『フリースクール等』と表示しています」とある)にいけるようにする等、さまざまな形態での「学び」重視を行っている。この背景には『子どもの権利条約』等の法規に示された、〈子どもの権利保障〉の実現、という考え方がある。不登校の子どもの意見を反映することなど、『提言』で示した政策提言の根拠を〈子どもの権利保障〉に置いているのである(このケースでは「意見を聞いてもらう権利」)。
     学校教育は教育基本法や学校教育法、文科省の学習指導要領や学校設置基準などに縛られて行われている。これらの法規はいずれも「教育はこうあるべきだ」「教育はこう行わなければならない」というスタンスで書かれたものである。学校教育はともすれば「あるべき教育像」を重視し現実の子どもたちを無視したものになる可能性がある。対して、『子どもの権利条約』等の〈子どもの権利保障〉を謳った法規は「あるべき教育像」より先に「子どもの権利を保障しよう」という立場から始まる。
     全体を重視するか、個を重視するか。学校教育と「フリースクール等」とでは教育に対する立ち位置が違う。日本国の教育の体制を定めているのが学校教育に関する法規である。フリースクールは子どもの人権保障の観点から語られるべきものである。

    4、提言の中身

    『提言』に挙げられた「すぐにでも実現すべき9つの提言」について列記する。

    ①フリースクール等の教育環境整備と運営安定化を図るための公的支援の実施
    ②教育行政・関係機関とフリースクール等との連携体制の促進
    ③フリースクール的な学校設立の促進
    ④学校復帰を前提とする政策の見直し
    ⑤教育行政や学校等の現場の対応改善
    ⑥在宅不登校に対する公的支援の実施
    ⑦子どもが相談しやすい環境づくり
    ⑧当事者の立場に立った医療への転換
    ⑨国や自治体等で取り組むべき課題

    5、まとめ

     フリースクールを始めとしたオルタナティブな教育は、今後の社会において重要な価値をもっている。けれど、今まではあまりフリースクールの視点から教育界への具体的な提言はほとんど出ていなかったように思う。その点で、今回の提言には重要な意義があると考えられる。
     
    6、参考文献

    フリースクール全国ネットワークWEB(http://www.freeschoolnetwork.jp/)
    中野光・小笠毅編著『ハンドブック子どもの権利条約』(岩波ジュニア新書、1996)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ゼミでのコメント
    ●この提言では、公的な支援を受けることを説明しているが、公的支援を受ける為には「基礎学力」の担保をフリースクールが行っている必要があるのではないか。確かにフリースクールは「自由」を重視しているが、このフリースクールで過ごすことが、社会に出たときに役立つのかどうか、疑問である。そうであれば、学習指導要領をひとまず守っている学校の方がいいのではないか。
     つまり、社会へ出る橋渡しの役割をフリースクールが果たしているのか、という点を考えていくべきだ。
    →次回はここを意識して研究していきたい。そのために進路先の状況等を個人に着目して(『学校に行かなかった私たちのハローワーク』などで)「顔の見える」研究にしていきたい。大体、「子どもの存在は多様」といってる割に、「多様な子ども」という抽象的な存在でしか話をしていなかった。もっとある個人の子どもの生活に着目した研究にしていきたい。
    →オランダはフリースクールを公的な支援の上で行っている。そのなかでは監査制度を持っていて、教育の質が確保されているかを確認している。
    ●フリースクールの研究を通し、いまの日本の教育に光を充てていくと面白いのではないか、とのご指摘。O先生よりいただく。話が壮大で、研究していくやりがいを感じた。

    山のあなたの空遠く 「幸(さいわい)」住むと人のいう (カール=ブッセ)

    どこか遠くに幸せがある。どこか遠くに自分のことを本当に理解してくれる親友がいる。

    そんなわけはない。密かに期待している自分に対し、戒めの為にここに書いておく。

    今いる場所でないところに幸福があるか、どうか。実際にあちこちに行ってみなければ分からない。手間も暇もお金もかかる。そんなカンタンに移動できないからこそ、人は夢を見てしまう。そして現状の慰めとして、〈遠くにある/いる幸せ〉ユートピアを設けるのだろう。もし仮にユートピアがあったとしても、そこに行き着かない可能性も考えなければならない(砂漠ではオアシスの幻が見えます。ユートピア=オアシスに向かっていても、それが蜃気楼だったら悲しすぎますね)。ユートピアの存在を信じるのはリスクが大きい。

    どこか遠くに幸せはない。どこか遠くに親友がいるわけではない。だからこそ、今いる人間関係をよくしていくしかない。

    幸せの青い鳥は、あんがい身近にしかいない。今までの自分は近くにいた「青っぽい鳥」をカゴからわざわざ逃がしていたのではないか。洗ってあげていれば青くなったのかもしれないのに。

    どこか遠くに幸せがあると考えることにリスクがある以上、今いる現実で満足するしかない。つまり、いまの現実を楽しむしかないのだ。現実を否定して「俺は不幸だ」と考えるのは、頭のいいやり方ではない(オアシスの蜃気楼をみることになる)。

    アランは「悲観主義は感情によるものだが、楽観主義は意思によるものである」と語る。意識的に楽観主義で現状を楽しむことが大切なのだ。

    内田樹は‘幸せになるには開放系をとるしかない’と書いた(『疲れすぎて眠れない夜のために』)。現状の人間関係を否定せず、楽しめる方法を考えていくことが、現代の「幸せになる方法」なのかもしれない。

    自分の言葉

    自分の中で哲学を発見しながら、生きている。他者の本を読んで得たものも、自分の中で熟し、自分の言葉で表現できるようにならなければ本当に自分のものになったとは言えないのではないだろうか。

    ショーペンハウアーも〈本を読みすぎると、自分で考えなくなる〉危険性を語る。

    自分の言葉で表せなければ、借り物の知識にすぎない。

    このブログの中に、こうした自分なりの哲学が多少なりとも入っている。雑文ではなく、こうした哲学的考察の記述を多くしていきたい。

    まあ、内田樹にいわせてしまえば〈100%オリジナルな言葉など存在しない〉ことになってしまうのであるが。

    石田一とは誰だ?

    石田一というペンネームを用いて、私はずっとブログを書いてきた。私が「石田一」を名乗るわけであるから、「石田一」イコール「私」であるはず。けれど、読み直すとブログにいるのは「私」ではなく「過去の私」しかいないことに気づく。「あれ、俺こんなこと書いたっけ?」。ずっと昔の記述とほぼ同様のものが書かれていることがあるのはそのためだ。「過去の私」の別名が石田一である。

    内田樹(本当によくこのブログに最近登場するなあ)はこう言う。自身のブログ〈内田樹の研究室〉の著者は「ヴァーチャル内田」である、と。「ヴァ―チャル内田」はホンモノの内田樹よりも人間性の高い人物である、という。

    このブログを書いている瞬間の「私」はまぎれもなく「私」である。この時において石田一は「私」をさすのだ。けれど、ブログに投稿後、ネット画面を確認して読んでいるとき、もはやその文章は「石田一」の文責となる。一瞬間後の「私」は「石田一」にほかならず、「私」ではないのだ。

    私がこのブログを読むとき(特に2年ほど前の記述を)、石田一という人物と対話をしている感覚になる。

    今日は、やけにややこしいことを書いてしまった。今から明日のゼミのレジュメを作らないといけないため、気晴らしに書いていた。これも「石田一」が書いたのであって、現実世界の「私」が書いたわけではない(責任逃れ)。



    追記
    調べてみれば、さっそく見つかりました。「俺オリジナル」と思っていた発想が、実は誰かの発想をそのまま口にしていた、というケースが。http://zaggas379.blogspot.com/2009/04/blog-post_03.html

    4月2日の投稿より。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     本日読了。相変わらず内田は面白い。 
    レヴィナス老師は「時間とは私の他者との関係そのものである」と書いた。
     時間 のうちで、私は絶えず私自身ではなくなり、他者も別のものとなってゆく。私は他者といつか出会えるかもしれないし、出会えないかも知らない。私は他者に 会ったことがあるのかも知れないけれど、今のところそれを思い出すことができない。時間とは、端的に言えば、この過去と未来に拡がる未決性のことである。 私の現在の無能がそのまま底知れない可能性に転じる開放性のことである。(pp25~26)
    問題は「意味」なのである。
    「意味がわからないことは、やらない」
     これが私たちの時代の「合理的に思考する人」の病像である。
     ニートというのは、多くの人が考えているのとは逆に「合理的に(あまりに合理的に)思考する人たち」なのである。(p31)
     

     

    2009年4月8日水曜日

    WBC

    うちの近くの専門学校。

    2009年4月5日日曜日

    そうだったら、いいだろうな

    歴史には裏話がつきものである。
    フランス革命。バスチーユ牢獄には政治犯は一人も入っていなかった。〈にもかかわらず〉、「政治犯を解放する為にバスチーユ牢獄を襲撃した」と説明される。「そうだったら、かっこいいだろうな」という願望が嘘を事実に見せかける。

    「そうだったら、かっこいいだろうな」という思いが、義経をチンギス=ハーンに成し上げる。

    一匹狼に憧れて。

    ジェームス=ボンドやゴルゴ13等、名だたるプロは常に一匹狼。ポアロもホームズも、基本的には日常は孤独である。その方が逆にプラスになっている。情報が漏れることもなければ、仲間割れもない。情報を共有する必要がないのでスピーディである。

    彼らの姿がフィクションであることはわかっている。けれど、〈孤独でいる方が多くを成し遂げられるのではないか〉と思ってしまう。現実に幾つかの団体・集まりで〈集団のしがらみ〉を実感している分、よけいにそう感じる。

    大学に行く前から「将来、必ず独立したい」という思いがあった。仕事が何であるかを決める前から、すでに感じていた。そのためか、〈集団のしがらみ〉を感じるたびに一匹狼に憧れてしまう。

    〈孤独でいる方が多くを成し遂げられるのではないか〉との仮説。これは私が、「もしそうだったらいいな」と思っているだけなのか。もしそうなら、〈人間は見たいものだけを見る〉という構造主義の知見の正しさが証明されることとなる。

    追記。
    そういえば北杜夫の『どくとるマンボウ青春期』では〈成熟した人間には孤独こそが望ましい〉とあった。

    さらに追記(09年7月26日未明)。
     いまの私はやたら「相棒」や「パートナー」を無意識的に探すことが多くなった。一人では何も成せない、けれど支えあえる「仲間」がいれば大事業を成すことも不可能ではないのではないか。こう考えるようになった。
     一匹狼を貫くことはキツい。精神的に強い者でなければ挫折を被る。けれど、「相棒」がいた場合は話は別だ。支えあえる。またアイデアを共有できる。それで成功したのが藤子不二雄だ。漫才師も結局は「二人」だからこそ笑いを生み出すことができる。
     一匹狼に憧れる自分ではあるが、それを「承認」してくれる「仲間」がなければ戦い続けることは困難であると自覚するようになった。
     自分一人に自己完結せず、自らの思いを他者に語ることが重要なのだ(傷つくことを恐れずに)。

    そんな先のことはわからない。

    B:今晩はどうするの?
    A:そんな先のことはわからない。

    映画『カサブランカ』内の言葉である。

    私の場合も、その日がどうなるのかよくわからない。妙に親近感を覚える言葉である。

    映画『オリエント急行殺人事件』

    いくつかの映画評論などから、「皆が犯人」というパターンの推理ドラマであるということは知っていた。けれどこの結末は予想外であった。

    映画『容疑者Xの献身』は昨年見た。
    〈事実が明らかになっても、誰のためにもならない〉という後味の悪い映画であった。それに比べ、『オリエント急行殺人事件』は〈事実よりも大切なものがある〉というスタンスをとっている。

    事実や真理は必要な物である。けれど常にそれだけに価値があるのではない。イデア論は現在の私たちが読むと、うさん臭さを感じる理論である。同様に、〈神託〉がどうのこうの、という理論も「非科学的だ」と感じる。けれど、それを理由にプラトンが迷信にとらわれていた/真理を捉え損ねていたとは誰も言わない。

    社会のため/人びとのために、真理が犠牲にされるときもあるべきではないのか。それを感じた。

    2009年4月3日金曜日

    就活生

    このところ、私の周りの友人の就職活動が少しづつ決まり始めている。不景気なだけに、すばらしいことである。
    ただ、夢を妥協させる形で内定を得ている人が多い気がするのは杞憂だろうか。

    内田樹は‘仕事は「やりたいもの」ではなく、「やりたくないもの」を除外して、それでも残ったものをすべきだ’と書いていた。この考えを多くの人が実践しているのだろうか。


    昨夜、後輩一人・先輩2名と早稲田のOutsiderで飲む。その時飲んだラスティ・ネイル(ちょうど店内で『オーシャンズ12』をやっていたので、ブラピにあやかった)が未だに残っていて、頭が痛い。

    就職について何も対策していない私が、こんなお気楽な生活を続けていいのだろうか。この私が、他人に揶揄することはできないのではないか。反省しつつ、筆をおくこととする。

    『フリースクールからの政策提言』を読む③

     続いて、『提言』内に示された精神性についてを見ていく。
     『提言』は〈子どもの意思の尊重〉を重視している。学校があわなければ休むことを選択できるようにする・学校とは違う学びの場である「フリースクール等」(『提言』では「フリースクール、フリースペース、居場所、ホームエジュケーションのネットワークや訪問支援等の活動を含めて、『フリースクール等』と表示しています」とある)にいけるようにする等、さまざまな形態での「学び」重視を行っている。この背景には『子どもの権利条約』等の法規に示された、〈子どもの権利保障〉の実現、という考え方がある。不登校の子どもの意見を反映することなど、『提言』で示した政策提言の根拠を〈子どもの権利保障〉に置いているのである(このケースでは「意見を聞いてもらう権利」)。
     学校教育は教育基本法や学校教育法、文科省の学習指導要領や学校設置基準などに縛られて行われている。これらの法規はいずれも「教育はこうあるべきだ」「教育はこう行わなければならない」というスタンスで書かれたものである。学校教育はともすれば「あるべき教育像」を重視し現実の子どもたちを無視したものになる可能性がある。対して、『子どもの権利条約』等の〈子どもの権利保障〉を謳った法規は「あるべき教育像」より先に「子どもの権利を保障しよう」という立場から始まる。
     全体を重視するか、個を重視するか。学校教育と「フリースクール等」とでは教育に対する立ち位置が違う。日本国の教育の体制を定めているのが学校教育に関する法規である。フリースクールは子どもの人権保障の観点から語られるべきものである。

    追記
    方向性として、『提言』と『子どもの権利条約』との関係性についてを考察していこうと思う。そのため、『子どもの権利条約』に関連する法規(例えば『世界児童憲章』など)に一通り目を通しておこう。

    内田樹『知に働けば蔵が建つ』

     本日読了。相変わらず内田は面白い。 
    レヴィナス老師は「時間とは私の他者との関係そのものである」と書いた。
     時間のうちで、私は絶えず私自身ではなくなり、他者も別のものとなってゆく。私は他者といつか出会えるかもしれないし、出会えないかも知らない。私は他者に会ったことがあるのかも知れないけれど、今のところそれを思い出すことができない。時間とは、端的に言えば、この過去と未来に拡がる未決性のことである。私の現在の無能がそのまま底知れない可能性に転じる開放性のことである。(pp25~26)
    問題は「意味」なのである。
    「意味がわからないことは、やらない」
     これが私たちの時代の「合理的に思考する人」の病像である。
     ニートというのは、多くの人が考えているのとは逆に「合理的に(あまりに合理的に)思考する人たち」なのである。(p31)
     

     

    2009年4月2日木曜日

    『フリースクールからの政策提言』を読む②

    『提言』に挙げられた「すぐにでも実現すべき9つの提言」について列記する。

    ①フリースクール等の教育環境整備と運営安定化を図るための公的支援の実施
    ②教育行政・関係機関とフリースクール等との連携体制の促進
    ③フリースクール的な学校設立の促進
    ④学校復帰を前提とする政策の見直し
    ⑤教育行政や学校等の現場の対応改善
    ⑥在宅不登校に対する公的支援の実施
    ⑦子どもが相談しやすい環境づくり
    ⑧当事者の立場に立った医療への転換
    ⑨国や自治体等で取り組むべき課題

    『フリースクールからの政策提言』を読む①

    1、はじめに

     フリースクールは近代教育制度に対して懐疑的まなざしを持つ。「画一的・均一・規律的」な近代教育制度に対し、フリースクールは「多様性・自由」を重視する。目指すものが違うため、フリースクールについて調べるうちに、近代教育の〈気持ち悪さ〉が見えてくる。自分が自明視していた近代教育の短所が現れるのだ。
     近代教育制度とフリースクール。両者は違う価値観で動いている。従来、近代教育に慣れ親しんだ人びとがフリースクールについて何かを語ることはあっても、フリースクール関係者が近代教育制度に対して何かを語ることはあまりなかった。あったとしても、それが政策提言としてまとめられることは皆無であった。
     本年1月11日から12日にかけて、第1回 日本フリースクール大会が国立オリンピックセンターで開催された。略称をJDEC(ジェイデック)という。この中で『フリースクールからの政策提言』(以下『提言』)が採択された。偶然ではあるが、私もこの場に参加していた(といっても、採択された12日ではなく、一般公開していた11日のみであった)。
     私はこの『提言』がいかなる理由で採択され、そしてどのような内容を持ち、どのように活用されていくのかについて調べてみようと考え、この研究を行うことにした。

    2、提言の目的と背景

    A 提言の目的

     まずこの提言は何の為に書かれたものであるのか。「はじめに」を見てみる。
    言うまでもなく、子どもの存在は多様である。その多様な子どもたちを受け入れる教育の場が必要であることは論を待たない。子どもは多様であるということを踏まえ、世界的にも、多様な教育の場を社会が認め支えていく流れがある。それでは、私たちの社会ではどのように多様な子どもたちを受入れる場を持っていくべきであるのかを真剣に問わなければならない。また、そのような場を親・市民の努力に頼るだけでなく、社会が支える仕組みを整える必要がある。
     この部分には⑴子どもは多様であるということ、⑵⑴ゆえに多様な教育の場を社会が認めるべきこと、⑶親・市民の努力だけでなく、社会が⑵の多様な教育を支える仕組みを作るべきこと、という3点が書かれている。

    B『提言』の出された背景

     『提言』より引用する。
    フリースクール等の活動が日本でさらに広がり、 深まるよう、2009 年 1 月、 JDEC( 日本フリースクール大会 ) をはじめて開催することになった。これにあわせて、私たちのフリースクール等での活動から見た教育や子どもの状況を改善すべく、すぐに実現にむけて 取り組むべきことをまとめ採択したものが、この提言である。
     フリースクール等の活動の拡大のために書かれたものである。朝日新聞朝刊2009年1月19日付けには「多様な学びの場を学校と並んで教育制度に位置づけ、公的に支援することを求める政策提言」と書かれている。

    我慢しないこと。内田樹とフリースクール。

    内田樹は「ぼく自身はぜんぜん『我慢』というものをしない人間です」(角川文庫『疲れすぎて眠れぬ夜のために』p31)という。そのため高校を中退して家を飛び出し、受験失敗後には再び家で大検の勉強をし、そのまま大学の寮に移り住んだ。

    内田同様、フリースクール関係者も「我慢をしないこと」を重視する。
    どのような不登校の始まりでも、
    「ゆっくり休む」「学校は行こうとしない」
    これがあなたを一番楽にします。
    これは東京シューレのwebにある言葉である。ちなみにアドレスは、http://www.shure.or.jp/futoko/iroiro/page4.htm

    現代人は「我慢をすること」「忍耐すること」を重視する。
    内田はそれに対し批判的だ。先の本から引用する。

    今の自分の状態が分からなくなって、身体が悲鳴をあげていても、それに耳を傾けずに、わずかばかりの欲望の実現のためには耐えきれないほどの負荷を自分の身体にかけることのできる人間は、「私」が極端に縮んでいるという意味では「むかつく若者」のお仲間です。(p18)
    続けて内田は、最近の家庭での教育の仕方が「ある条件をクリアーできたら(きちんと排便ができたら、言葉が話せたら、勉強ができたら、**大学に受かったら・・・)、お前を子どもとして承認する、その条件を満たせないようなものは私の子どもとしては承認しない」(p18)ものになっていないか、と問題提起をする。結果的に、無条件に自己を肯定するということが置きづらくなる。

    引用を続ける。

    繰り返し言うように、人間が使える心身の資源は「有限」です。限度を超えて使用すると、必ずシステム全体に影響が出て、一番弱いところから切れてきます。
    「不愉快な人間関係に耐える」というのは、人間が受ける精神的ダメージの中でももっとも破壊的なものの一つです。できるだけすみやかにそのような関係からは逃れることが必須です。(p24)


    よく考えると、いじめられるのが分かっていながら〈がんばって〉登校してしまう小中学生もそうだ。不登校を〈悪いことだ〉と思ってしまい、「不愉快な人間関係に耐え」てしまう。結果、心身の限界が来て引きこもったり、鬱になってしまう。

    内田の文章からの2つの引用をした。ここで述べられていることは、不登校の子どものメンタリティーとも符合するのではないか。

    追記。
    …それにしても、日々思うことや考えたこと・発見したこと・学んでいたことをテーマに分けてブログに書いていく。そうするだけで自然と卒論が完成していくような気がしてきた(そうだといいな、という願望とともに)。

    さらに追記(09年7月26日未明)。
     内田樹にハマったころのこの文章。いま私は宮台に夢中である。宮台の著書『14歳からの社会学』にも、本稿にある「承認」論が描かれている。
     内田の文章から「ある条件をクリアーできたら(きちんと排便ができたら、言葉が話せたら、勉強ができたら、**大学に受かったら・・・)、お前を子どもとして承認する、その条件を満たせないようなものは私の子どもとしては承認しない」という部分を本稿で引用していた。内田のいう無条件の承認が行われていた時代は過去のものとなった。それを受ける形で、宮台は〈どうすれば承認されるようになるか〉を示している。
     宮台は『14歳からの〜』中で「試行錯誤」を行うことが必要、と語る。
    《他者たちを前にした「試行錯誤」で少しずつ得た「承認」が、「尊厳」つまり「自分はOK」の感覚をあたえてくれる》(32頁)
     これは面倒くさいことだ。けれどこれをせずに歳をとってしまうと、「死んだときに誰も悲しんでくれる人がいない」という悲劇を味わうこととなる。「承認」され「尊厳」を得る努力を怠ると、不幸になってしまうのだ。
     それゆえ宮台は〈幸せになりたいなら、勉強だけしていればいいわけじゃない〉と本書で伝えているのだ。もはや勉強だけ出来れば幸せになれる時代は終わったのだ。
     『14歳からの〜』を読み、私の物の見方が180度変わった。パラダイム転換とでも呼ぶべきか。大学でろくに勉強をしない人間を無意識下でバカにしていた自分の方が、実はバカであったことに気づいたのだ。勉強をしていると、いまの社会では褒められ、評価される。けれど、その評価は未来に渡ってのものではない。現体制で褒められる言動が、これからの社会でも同じ評価を受けるわけではないのだ。いまの社会では勉強だけすることに評価が与えられる。けれど宮台のいう新たな社会では、勉強よりも他者から「承認」される能力・技術が必要となる。「大学でろくに勉強をしない人間」は、実は来るべき社会の「勝者」となる可能性を秘めているかもしれないのだ。「パラダイム転換」と私が言ったのはこの点だ。
     勉強だけやるのはもうやめよう。寺山修司ではないが、『書を捨てよ町へ出よう』だ。

    フリースクール全国ネットワークの提言。

    本年1月12日。フリースクール全国ネットワークが提言を出した。

    朝日新聞の記事にはこうある。

    各地のフリースクールやフリースペースなど67団体からなるNPO法人「フリースクール全国ネットワーク」は、多様な学びの場を学校と並んで教育制度に位置づけ、公的に支援することを求める政策提言を採択した。
    詳しくは下を参照。
    http://www.asahi.com/edu/news/TKY200901180174.html
    ここも参考になる。http://blogs.yahoo.co.jp/mytown_8/24887111.html

    重要なのは、フリースクールの側が「公的に支援を受けること」を要望した、という点だろう。フリースクールの独自性を守るため体制から離れる、というよりも〈支援を受けるが、魂はとられない〉方法をとろうとしている。

    なお提言はこちらのフリースクール全国ネットワークwebサイトからpdf版をダウンロードできる。


    ところで、来週発表のゼミで何をしたらいいか考えあぐねている。

    そのため、この『フリースクールからの政策提言』を検討して見たいと思う。
    提言の考察と要約を発表し、「フリースクールの立場から、現存の教育制度への提言を出す意味」を調べるのだ。

    歴史的な提言である(と思う)ので、意味のないことはないだろう。