2009年3月31日火曜日

こいのぼり

落書きしないでね

これは落書きに非ずして何なのだ?

EXILE

交差点で停止中、EXILEのデコトラが騒音を出しつつ新曲を流していた。

間違ってもEXILEのCDだけは買わないことを決意した。

私がしかめ面をしているまわりで、人々は気色満面にEXILEのトラックを見つめていた。

O先生からのコメント。フリースクールのあるべき姿。

国民国家なんか永遠に続くわけありません。でも、だからといって、今すぐ廃絶するわけにもゆかない。いずれ終るけれど、今はまだある。社会制度というのは全部そういうものです。だから、どう手直しして、次の制度ができるまで使い延ばすか、どこまで腐ったら「次」と取り替えるか、というふうに議論は進むべきなのです。(内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』p209)
先日、大学のゼミでO先生にコメントをいただいた。ちなみにその際、私の行った発表はこちら

「フリースクールは制度化された教育からフリーということだ。教育にはいろいろな形態があっていい。日本の学校は水道の数からして全て決まっている」
「日本にはフリースクールといっても、大きく2つの流れがある。東京シューレのようにアメリカ的なフリースクールと、シュタイナーやニイルなどの思想家が考えだしたフリースクールである。多様な選択肢を提示するところに、フリースクールの意義はある」
「いずれ公教育は無くなる。もともと日本の公教育は100年ほどの歴史しかない。国が造ったものは、いずれ壊れる。国家も然りで、200年ももたないのだ。日本はまだだが、アメリカは建国200年以上が過ぎ、だいぶ壊れかかってきている」
「制度を超えるものがないといけない。だから僕はフリースクールは一つの挑戦だと考えている。国や地方公共団体に頼らず、自分たちが賢くなるという動きがフリースクールの発想の中にある」
「選択肢があることが社会の豊かさの証しである。フリースクールもこれを目指していくといい」
「フリースクールが公的支援を使うことよりも、そういったものを一切なしにして、寄付やボランティアでフリースクールが成立することが大切だ。いまフリースクールに関わって社会に出た人がどんどん増えている。そういった人たちが広まったとき、フリースクールへのサポートが大きくなるのではないか」

 やはりO先生は偉大だと実感した。
 最近読んだ内田樹の文章にもあった〈社会制度は永続しない〉という発想。オルタナティブスクールの研究を志すものとしては自覚していかねばならぬ。

内田樹に読んで、読まれて。

「この人しかいない!」
そんな作家に出会ったとき、私はその人の書を貪り読む。自分にとっての「バーチャル師」(内田樹ならこういいますね)を見つけたときである。

見つけたならば、ほぼ毎日のようにその人の本を読みあさる。そのうちに、「同じことを何度も言うのだな」と感じてくる。おそらく、私の脳内に「バーチャル師」が居座り始めるのだろう。

齋藤孝に始まり、野口悠紀夫(以上、大学2年生まで)・灰谷健次郎(大学3年生まで。しかし灰谷の本はかなり読んだものだ)・そして内田樹(現在進行形)に行き着いた。

内田との出会いは『寝ながら学べる構造主義』。あざやかな説明に感銘し、自分も文章を書いた(『高校生と語るポストモダン』)。ほとんど内田の受け売りに終った観もある。

私はさきほど『子どもは判ってくれない』(文集文庫)を読み終えた。いささかの衒学趣味(やたらにカタカナ言葉を使うのは、内田の嫌う石原都知事と同じニオイを感じてしまう)を我慢しながらではあるが。

この本からのメッセージは要言すれば次の二つの命題に帰しうるであろう。
一つは、「話を複雑なままにしておく方が、話を簡単にするより『話が早い』(ことがある)」。
いま一つは、「何かが『分かった』と誤認することによってもたらされる災禍は、何かが『分からない』と正直に申告することによってもたらされる災禍より有害である(ことが多いい)」。(pp329~330)


ちなみに、私の所蔵する内田作品は下の通りである。市場に出てるくらいは全て読んでしまいたいと思う。内田の文章は彼のブログ『内田樹の研究室』に死ぬほど書かれているのだ。市場に出ていない彼の文章すらある。

『寝ながら学べる構造主義』(三読)
『先生はえらい』(二読)
『街場の教育論』(二読)
『大人は愉しい』(一読)
『子どもは判ってくれない』(一読)
『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(一読)
『知に働けば蔵が建つ』(一読)
『私の身体は頭がいい』(挑戦中)
『狼少年のパラドクス』(一読)
『こんな日本でよかったね』(一読)
『下流思考』(一読)


追記
●このブログのようにやたら( )でツッコミを入れるのも、内田樹が書籍でやっていることの受け売りである。
●『街場の教育論』を手に取ったのは『R25』に内田のインタビューが掲載されていたからだ。そこから、次々と内田「先生」の本を読むようになっていたのである。
●そのうち、内田樹論を書こう。「師弟論」の観点から。

2009年3月30日月曜日

2枚の写真(2)

2枚の写真(1)

眼鏡

本日より、メガネに復帰。

よく「タバコを始める」という言葉を聞く。それよりは価値的な行為だろう。

眼鏡をかけて見える世界。裸眼とはまったく違う。看板の見え方、人の見え方。鏡を通しての自分の姿。

眼鏡をかけて見える世界と、裸眼の世界。同じはずなのだが、少し違って見える。余計なものがみえてしまう。

モンゴルの大草原などで育った人の視力は6.0であることもあるようだ。そんな人たちの見る世界はゆたかな世界なのだろうか。少なくとも、東京で視力が「よすぎる」と無駄な看板/人ごみで吐き気を催す。

雑念集

●一日中/学問やって/過ごしたい/家に行けども/お留守のときは

●人間一人の小さな動きが、歴史を作っているのではないか。ちょうど、トインビーの「水底の小さな動き」のように。

●ジョセフ・ナイの言葉「リーダーは天性の資質だけで深まるのではなく、主としてつくられるものであり、リーダー・シップは学習可能である」

●一人で演劇にいくと寂しい。自分が舞台に立ちたくなるからだ。それは一体何故だろう?

●演劇は常に暗闇になるところから始まる。

●劇場の広大な空間に一人座っている小宇宙としての「私」。

●「学校に感じる気持ち悪さは何だろうか」。私がフリースクールを大学院で研究したい理由。

●小林秀雄の『考えるヒント』に、〈書く前に内容を考えるのではなく、書きながら考える〉とあった。ブログを書く身として共感した。

●メガネをつけると、まるで写真のように夜景が見える。

●「どうして〜何だと思う?」と、相手の発言から相手の本当の弱点を気づかせていくという対話法があることをYさんとの会話で実感した。

悪について

他人の真心/思いを感じられないこと。これは悪だ。

今日、後輩のG君の合唱祭にいった。不覚にも泣いてしまった。

G君の合唱祭への意気込みについては、何度も何度も聞いていた。会うたびに彼はそのことを私に語ってくれたのである。

「来てくれた人を、必ず皆元気にします」

彼はそう決意していた。


今回、このG君の思いを私が聞いていたからこそ、このように感動を受けたのであろうと思う。けれど、仮に私が一流の人間であるならば、G君の話を聞かずとも感動できたのかもしれない。

私の考える一流の人間とは、「他者への想像力をもてる人」である。

自分が見ていないところで、他者は何を考えているのか。何をしているのか。これについて想像できるということだ。

追記

私は劇場でアンケートを求められると何故かしら酷評してしまう癖がある。

「こんな歌、人に聞かせるな」とか、「途中で寝てしまいました」とか。

意味なく酷評するのは悪に通ずる。


2009年3月29日日曜日

劇場にて。

劇場においては我々は謙虚になる。黙って席に座り、携帯も切る。

劇場空間の公共性があれば、学校が騒がしくともいいのではないか。

ファウストな夜

昨夜、劇団地上3mmの『ファウスト 第一部』を見に行った。

戯曲を黙読するのと役者が演じるのは全く趣が違っていた。

ファウストの苦悩に学者を目指す自分としては「将来こうなるのだろうか」と感じた。

初めに行為ありき、だ。今日も動こう。

今日は後輩の合唱を聴きに行く。

2009年3月27日金曜日

王子駅にて。雑念集。

駅前の白い服を着た老人が、カーネルサンダースに見えた。

乗り換えるべき駅が、馬込か駒込か、分からなかった。

『がんばらない』の鎌田實が「みかんの皮が剥けるようになったら大人だ」と言っていたが、知らないことが多すぎる自分はまだ「みかんの皮が剥けない」子どもなんだと思った。

スペアキー

早稲田駅前の鍵屋さんで、我が家のスペアキーを作った。

オリジナルを元にして、おじさんが機械で削る。その時間、3分弱。

あっという間にスペアキーができた。

不思議なことに、スペアの方がオリジナルのキーよりも鍵の開閉が楽なのだ。今ではもっぱらコピーを愛用するようになった。オリジナルの方がスペアになったのだ。

 スペア(コピー)の方が、オリジナルよりも価値的。
 考えてみれば不思議だが、現実社会でもオリジナルよりコピーの方が扱いやすいことが多いのではないか。タブローに描かれたモナリザも、印刷され人びとの手元に美術集として掲載された方が多くの人に見てもらえる。多くの人が芸術に親しめる。案外、遠くにあるものよりも手身近なもののほうが価値を感じるようだ。
 昨日、やはり早稲田駅前の あゆみBOOKS で『叶恭子写真集』が売られているのを目にしたが、これも写真で鑑賞する方がオリジナルの叶女史よりも美しいのではないのだろうか。
 モーセがシナイ山にいるあいだ、イスラエルの民衆は「遠くの目に見えない神より、近くの神がいい」といって金の子牛を作った。オリジナルの神よりコピーの方が価値的だと感じたのだ。
 コピーがあるにもかかわらず、「オリジナルの方が価値が高い」とされるのは何故だろう。コピー/オリジナル問題は、オリジナルのもつカリスマ性を認知されるか否かにかかってくる。



 話は変わるが、私の座右の書『小論文を学ぶ』には、コピー/オリジナル論が出ている。そこには「オリジナルとコピーの境界がなくなるとき、それはオリジナルの権威も失墜することを意味する」(p110)とある。
「オリジナル」と「コピー」が融解して何がホンモノで何がニセモノであるかわからないような世界のありかたを、フランスの社会学者のボードリヤールというひとは、「シミュラークル」という概念で言い表そうとしているが、現代はハイパー・リアルな「シミュラークル」化した世界になろうとしているといっていいだろう。(p110)

 作者の長尾氏はオリジナル/コピーが対等であるというシミュラークルを元に議論をしている。
 けれどこの論に【時にはコピーの方が価値が高いことがある】という事実についても含めて、考察をすべきなのかもしれない。
 私の家の鍵のように。

刈谷剛彦『学校って何だろう 教育の社会学入門』

 いい学校に入学できたのは、自分が一生懸命受験勉強をしたせいだけではありません。受験勉強が許される境遇にあったことも、学校での勉強で有利になる家庭に育ったことも、見えないところで貢献しているのです。
 ところが、個人の努力が強調される日本の社会では、どんな家庭に生まれたかではなく、自分がどれだけがんばったのかが、成功のもとだと考えられています。それだけ、自分の成功を自分だけのものだと考えやすいのです。しかし、実際には、どんな家庭に生まれたかが、学校での成功にある程度影響しています。(pp218~219)


 松下幸之助は例外にすぎない。予備校教師で人気の吉野氏も、例外である。ほとんどは①大学に行くのが当然視される環境で、②周囲にも大学にいくことの賛同を受けていて、③塾や予備校・参考書代を捻出する経済的余裕があり、④勉強しやすい環境が整備されている、という条件に適う者のみがいわゆる一流大学に合格するのだ。「自分は実力でいまの立場(一流大学卒の学歴)を手に入れたのだ」と。
 
 「ブスとバカほど東大に行け!」で有名な漫画・『ドラゴン桜』。主人公の高校生男女二人は、いきなり現れた弁護士に「お前を俺が東大に行かせてやる!」と言われその気になった(①の要件)。友人や家族・教員からそれなりに期待されはじめ(②)、「最強」の講師と参考書などは用意され(③)、特進クラスのため少人数授業プラス学習室にもなる教室を整備された(④)。ある意味、「受かりやすい」環境に身を置くところから東大合格の戦いは始まったのである。東大合格を勝ち取ったとき、本人たちの努力もそうだが「環境整備」ということも合格の要因となるであろう。

補足
 ①について。和田秀樹は『受験は要領』のなかで、母校・灘高校の話をする。灘の連中は「ぜったい、無理だろ」というような人も東大を受験する。東大を受けるのが当然の環境にある。だからこそ臆することなく受験し、合格していく、と。

内田樹・鈴木晶『大人は愉しい』

内田
 
インターネットで発信することの余得は、そうでもしなければ誰も聞いてくれないはずのとりとめのない「思い」を受信し、耳を傾けてくれる誰かがいるという期待のせいで、何だか生きている「張りが出て」くるということにある。
 「インターネットは人間を変える」とはこのことである。
 おっしゃる通り、ブログを書きはじめてからこのことを実感している。

2009年3月26日木曜日

パラシュート学習

野口悠紀夫は『超 勉強法』でパラシュート学習について言っていた。
百科事典で分からないものをどんどん調べていくという学習。今やっているところからとりあえず学習し、どんどん先に進んでいく。分からなければ振り返るのではなく、先に行くと分かるようになる、ということだ。

いま、私は東大大学院の過去問をネットで調べつつ解いているところだ。インターネットの活用。現代版のパラシュート学習だ。

今後の卒論の流れの案。

フリースクールの運営に関する、社会学的考察。


1、3年時の研究を振り返って。

 私は3年生の間、フリースクールを専門に研究をしてきた。フリースクール関連のみの流れを示すと、下のようになる。

①発表および見学
●(2年時の研究)東京シューレ理事長・奥地圭子氏へのインタビュー
●(2年時の発表)フリースクールに関する、教育社会学的考察
→フリースクールの定義と東京シューレの実践例の紹介。
●(発表)八王子市立高尾山学園の事例検討
→フリースクール的手法を取り入れた公立学校の事例紹介。
●(見学)東京シューレ葛飾中学校への見学。
→東京シューレが作った学校。
●(発表)フリースクールきのくに子どもの村学園の事例検討
→ニイル思想にもとづく、学校法人をもつフリースクール。
●(見学)フリースクール夢街道子ども園の見学
→未発表。2008年夏に見学に行く。
●(発表)イリッチのラーニング・ウェッブの研究
→イリッチのいう「学習のためのネットワーク」は現代のブログによって実現可能ではないか、という考察。

②書評
●『教育なんていらない』
→教育こそは権力である。教育関係にある限り、人は他者からの支配から逃れることはできない。この点を著者独特のスタンスから追求する本。
●灰谷健次郎の小説・エッセイ(『灰谷健次郎の幼稚園日記』『いのちまんだら』など)
→子どもへのまなざしや現在の教育への批判、あるべき教育像の考察。
●広田照幸『教育には何ができないか』
→人びとは過去に幻想をもっている。「昔はしつけが行き届いていた」など。けれどこれはあくまで幻想でしかない。現代にないものが過去にはあった、と人びとは思い込んでいる。

2、4年時の研究について

 3年時、いくつかのフリースクールへの見学と、そのフリースクールの見学報告としての発表を行った。実際にフリースクール関係者の話を伺うことで、研究の視点も広まってきた。
 けれど教育学の書籍(特に近代教育批判のもの)は読んできたが、オルタナティブスクールやフリースクールに関する書物はまだまだ読めていない。
 4年時では見学に数多く行くのは当然として、オルタナティブスクールに関する書物を中心的に研鑽していきたい。また4年時からNPO法人フリースクール全国ネットワークの運営をボランティアとして手伝わせて(主に雑用だが)いただくことになったので、そこからも学んでいきたい。

3、卒論の方向性

 現在の日本のフリースクールの取り組みに着目した上で、これからのフリースクール運営のあるべき姿を考察する。
 不登校の子どもなど既存の学校教育があわない子どもは多くいる。けれどその人たちが皆フリースクールに通っている訳ではない。その理由には A,情報の不足(フリースクールを知らない、あるいはどこにあるのか分からない)、B,資金の不足(フリースクールに通いたくとも家に費用がない)、C,設備の不足(フリースクールが近くにない)、D,理解の不足(主に心理面。「フリースクールに通うのは恥ずかしい」など)の4点があると考える(注 A~Dの項目は、ヒト・モノ・カネ・情報という四要素に対応している)。
 子どもの教育権を守るためにも、このA~Dの解決を図っていくべきだ。フリースクールの見学で得た知見や書物による学習、NPOやボランティアについての研鑽を踏まえた上で、卒論ではこの方向性を探っていく。
 全体の構成は次のものを想定している。

⑴フリースクールの定義説明
⑵ ⑴の補足説明のために、フリースクールの実例を紹介する(東京シューレを元にする)。
⑵必要とする子どもがフリースクールに通えるようにするための四要素の提示(上のA~D)。
⑶四要素の解決のための方策の提示。
⑷結論

 なお、現時点ではBを解決するための方法として下のものを考えている。

「B,資金の不足」を解決するために。

①フリースクールの学校化。
 いまの学校行政のシステムでは、私立学校には私学助成が行われる。これを活かすことにより、学校の授業料を減らすことができる。東京シューレ葛飾中学校はこれを活用したため、フリースクールの東京シューレよりも毎月の授業料を1万円近く削減することができた。
 奥地圭子は「東京シューレの葛飾中学校を作って、フリースクールだったら絶対にこなかった親や子どもと関われるようになった」と言っていた。「学校」の名であるので、心理的負担なくフリースクールに関わることが可能になる(Dの解決にもつながる)。

②公立学校にフリースクールの手法を取り入れる。
 公立学校にフリースクールの手法を取り入れることで、フリースクールにかかる費用を削減することができる。公立の学校であるためだ。
 八王子市立高尾山学園という公立学校がある。小四から中学生までが通う学校だ。この学校は八王子の公立校で不登校になった子どもを中心的に受け入れている学校だ。

③フリースクールに現在以上の公的支援を行う。
 地方公共団体や政府からの支援を行う。これについて次の2つの視点から考えていく。

a,税金が学校に使われているという視点から。
 これは【学校に通っている子どもには、年間95万円分、税金が入っている】という点から考えることができる。現在、フリースクールに通う子どもは、この95万円を無駄に使っていると言える。奥地圭子は「フリースクールにも利用可能ならば、学校バウチャー制度を導入すべき」といっていた。
 全てとはいわないまでも、フリースクールに通う子どもに税金が使われなければ、何のために税金を納めているのかが分からなくなる。

b,NPOへの支援としての視点から。
 近年、政府や地方公共団体からNPOの事業に支援が入ることが多くなった。NPO法人が制度で決められてから10年が過ぎ、NPOの重要性が意識されるようになってきたのである。フリースクールをNPOとして運営する所も今は多い(東京シューレや夢街道子ども園など)。NPOの活動へ支援が多くなっている今、フリースクールにも支援が増えていくべきであろう。
 けれど、ただ支援を受ければいい訳でない。委託事業という支援形態がある。資金の支援があるが、「この資金はこの事業に使わなければならない」という資金である。フリースクールがこの資金を受けた場合、本来のフリースクールの運営以外の所に資金を使わなければならなくなってしまう。おまけにこの委託事業は一年単位。継続性が難しい。
 政府や地方公共団体からの支援は必要だが、自覚的に支援を活用しなければ、活動がかえって疎外されてしまう危険性がある。

④寄付/会費を増やす。
 ①~③はいずれも公的支援を受けるための方法である。けれどフリースクール本来の働きを行うためには民間/個人からの寄付を多く集められる運営が好ましい。公的支援を受けると、どうしてもフリースクール本来の活動ができなくなる恐れがあるからだ。自由な活動が制約される恐れがある。
 財政面の安定化のために会費を集める/寄付を多く集められる工夫を行っていくことも重要である。

⑤利用者負担を可変勾配化する。
 保育所の中には入所時に親の源泉徴収を提示する必要のある場所がある。額により、保育料金が変化する仕組みだ。これが可変勾配である。無認可保育園でも、親の納税額にもとづいて可変してくれる。フリースクールでもこれを実践すべきではないか。安易に料金を低く一定化することは必ずしもよいことではない。よい教育に金がかかるのは事実である。これを認めた上でなるべく多くの人が利用できるように考えていくべきであろう。

以上。

人生、うまくいかない

 人生、うまくいかないことの方が多い。早稲田大学に入るまでもそうだし(私は早稲田の教育学部は第5志望だ)、早稲田に入ってからもそうだ。弁護士を目指すも予備校で落ちこぼれた。私の今までの経験からも、また私の見てきた幾多の人びとの姿からも、帰納できることである。

 人生、うまくいかないことの方が多い。
 ずっと勝ち続けることができればいいが、それは理想にすぎない。すっきり「全てに勝った」状態を見たことがない。
 現実には勝利を目指していても一日単位・一時間単位で「もう嫌だ!」と投げ出したくなることがある。

「葛藤しているときが人間はいちばん自然で、いちばん安定しているのです」とは内田樹の言葉だ。

 日蓮は「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」と書いている。

 うまくいかない方が自然だ。こう考えた方がよいのではないだろうか。逆に、順調にいく方がレアなのだ。

 人生、うまくいかないことの方が多い。だからこそ、途中の失敗に恐れないことが重要なのではないか。勝つことよりも、負けないことの方が大事なのだ。仮に負けても、自分には負けない。「どうせ俺はこんな奴だ」と腐らずいくことだ。

 人生、うまくいかないことの方が多い。だからこそ、負けないことが大事なのだ。途中の勝ち負けを気にせず、次の勝利を目指すのだ。

2009年3月25日水曜日

電子レンジとオレンジランプ

私の実家にあった電子レンジは、温めているときランプがつかなかった。

ランプがつかないと、温まっている実感がないにも関わらず、やはり温まっている。

人間の感覚では、「ランプがつくから温まる」と思ってしまい、マイクロ波はやはりオレンジ色である気がしている。けれど現実にはマイクロ波は目には見えるわけがないのだ。

2009年3月23日月曜日

内田樹『街場の教育論』抜粋

内田樹
「人間のすべての感情は葛藤を通じて形成される。不思議な話ですけれど、葛藤しているときが人間はいちばん自然で、いちばん安定しているのです。」p255

2009年3月22日日曜日

存在するものを、しないかのように扱う

存在するものを、しないかのように扱う。これらは、悪に通じている。

近くは我が家の空き缶・ペットボトル、遠くはナチスのホロコースト。存在しているのにも関わらず、しないかのように扱うとき、例えばペットボトルは回収する意識にならず、「コンビニ行ったとき、ついでに捨てよう」という安易な考えになる。

また、スケジュール帳に勉強する時間も書かないで「絶対、この資格を取ろう!」と決意しても実現できるわけがない。本来、学習には時間というリソースが必要だ。けれどそれを自覚しない上で決意しても何にもならない。

存在するものを無視しない。これにつきる。

追記
例えば自分が何らかの役職をもっている。その役職には部下や後輩がいる。その際、自身の役職の権限を放棄して担当する部下たちを「存在しないかのように」扱う。これは悪であろう。

再記
この文章を膨らませて、ちょっとしたエッセイを書く予定。

中井孝章『学校身体の管理技術』

管理システムの浸透は、日常の生活環境だけにとどまらない。山田陽子が指摘するように、「現在の精神医療の現場では薬物療法や生物学主義への変調が色濃く、精神的な苦悩や人生における迷いに診断名をつけ、薬物によって解決する傾向が顕著になっている。(pp7~8)

2009年3月21日土曜日

アドレスの分散

aaaaaaから初めていって、zzzzzzzzzzが50個くらい続くアドレスまで全てのアルファベットや数字・記号の組み合わせの表を作る。その後ろに、@gmail.comをつけていく。

実際に使用者のいるアドレスには必ず至る。けれどこの分散の仕方は素数と同じく、まったく読めない展開が待っているはずだ。

パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育』より

 未来とは受け取るべく与えられるものではなく、人間によって創造されるべきものである。
 いずれのタイプのセクト主義者も、同じように歴史を独占的にとりあつかい、けっきょくは民衆不在で終ってしまう。(pp7~8)

 銀行型概念では、暗黙裡に人間と世界の二文法が仮定されている。すなわち、人間は世界や他者とともに存在するのではなく、たんに世界のなかにあるにすぎない。人間は再創造者ではなく、傍観者にすぎないのである。(p73)

 要するに、銀行型の理論と実践は静止させ固定化する力であり、人間を歴史的存在として認めることができない。課題提起型教育の理論と実践は、人間の歴史性を出発の原点とする。課題提起教育は、何ものかになりつつある過程の存在として、すなわち、同様に未完成である現実のなかの、現実とともにある未完成で未完了な存在として、人間を肯定する。実際、未完成であるが歴史をもたない他の動物とは対照的に、人間は自分自身が未完成であることを知っている。かれらは自分の不完全さに気づいている。この不完全さとそのことの自覚にこそ、一人人間だけの表現としての教育の根がある。
 この人間の未完成な性質と変化しうるという現実の性質が、教育がたえず進展する活動でなければならないことを不可避的に要求する。
 教育はかくして、実践のなかでたえずつくりかえられる。(pp88~89)

2009年3月14日土曜日

川柳

返す人
いない幸せ
ホワイトデー

2009年3月12日木曜日

小浜逸郎『先生の現象学』(1995、世織書房)

近代ヒューマニズムの信奉者が自明なことと考えている「教育は子どものためにある」というテーゼは、別に少しも自明なことではないといいたいからである。
 教育は、もともと子どものためを思って意図されたのではない。それは発生的には共同体の維持の必要から生まれたのであって、子どもを共同体のシステムに引き込むのが目的だったのである。
 もちろん、発生期の事情が、複雑な社会構成をもつ現代にもまったくそのまま単純に当てはまるというわけにはいかない。その複雑さを考慮に入れた上で強いていうなら、「教育は、大人(の作っている社会)と子どもとの関係のためにある」ということになるだろうか。ただ、それは、近代社会が生み出した人間の実存の分裂したありかたに対応して、一つに絞り切ることができずに、「国家や社会のため」と、「個人の自由と幸福の追求のため」という二つに分かれて追求されざるを得ないのである。(pp100~101)


→内田樹のいう「既に始まっているゲームに参加させられる」状況に類似している。

神前悠太ほか『学歴ロンダリング』(2008年、光文社ペーパーバックス)

 『ドラゴン桜』では、「バカとブスこそ'東大’へ行け!」と力説いていた。
 本書では、この言葉をパロディにして、「バカ」と「ブス」そして「人生の負け組」こそ、'東大大学院’へ行け! と力説したい!(p11)
 この本は恐ろしい本である。「東大大学院は入りやすい!」を何度もいうことで「大学院で学歴を'東大’という最高のブランドに変えよう」と提言する。東大などの諸大学院が「大学院重点化」という失策を行っていることを逆手にとっての提言である分、ラディカルながら本書は大学院政策のあり方を読者に訴えかけるものとなっている。
 本書の白眉は「どうやればカンタンに東大大学院に行けるか」という箇所ではない。東大の傲慢さを徹底的に批判するChapter 8が肝心なのである。

はっきり言って、大学院の定員数の急激な拡大は、単純に大学の予算拡大を狙って行われたものです。学問の発展や社会の要請、果ては人材の育成云々と言った理由はまったくの建前です。
 少子化に伴って自然減少していくことが明白な学生数を、一時的に増大させるのに最も効果的な方法は、定員の拡大です。
 大学院の定員の拡大は、学部の定員をまったく増やすことなく大学全体の定員を拡大させる魔法でした。なにしろ大学院は大学とは「別」なのですから。
 この戦略を真っ先に実行したのが東大法学部です。
(中略)
 東大は、日本の大学の中では絶対的な存在なのです。そうであるからこそ、東大が改革を行えば、必ず他大学も改革せざるをえない事態になるのです。(p323)
 ところで『新・大学教授になる方法』という本がある。この本には「10年間の無収入時代を耐えることができれば大学教授になれる」ことを謡っている。『新・大学教授になる方法』と『学歴ロンダリング』は同じ事実を肯定的/否定的に評価しているだけなのだ。『新・大学教授になる方法』は「しばらく食えないけれど、耐えれば大丈夫」といい、『学歴ロンダリング』は「食えない期間は非常にキツい」ことを言っている本なのである。厳密には書かれた時期の問題でポスドク問題などの現代特有の問題が起きており、『新・大学教授になる方法』はポスドク問題などには対応していない。その点での問題点はあるようだが、基本的に研究者という生き方は「若いうちは食えない」ものなのであろう。

 私は幸運にも、文系の中では比較的就職率の高い教育学を先行している。これはいざとなったら「教員」というカードを切れるということが大きいようだ。看護学校の必須科目でも「教育学」の授業があるなど、「教育」分野には潜在的需要が存在しているのだ。ありがたいと言ったらありがたい話である。
 
 この本を読み、人生プランについて改めて考えてみた。「修士にいくのはお勧め。でも博士課程はやめといた方がいい」とのメッセージを受け、「本当に俺は博士課程にいくべきなのだろうか?」と思ったからである。
 いろいろあって、最終的な結論として、

①修士課程は行く。できれば東大。
②修士を終えたら、一度社会に出る。それは教員や出版関係である。
③働きながら社会人枠で博士課程に入る。

 こういうルートを考えていないと、研究者として生きていけない。博士課程卒は食えないからだ。
 それにしてもニコニコ動画「創作童話 博士が100人いる村」のラストシーンは印象的だった。

抜粋 パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育』

 信頼のおけない言葉は、構成要素が二分させられるときに生まれる。それは現実を変革することができない。言葉が行動の次元を失うときには、省察も自らその影響をうける。そして言葉は、無駄話、空虚な放言、疎外されかつ疎外するたわ言に変えられる。それは世界を告発することのできないうつろな言葉になる。なぜなら告発は変革への積極的関与なしにはフナこうであり、変革は行動なしにありえないからである。
 逆に行動が極端に強調されて省察が犠牲にされるならば、言葉は行動至上主義に変えられる。行動至上主義、すなわち行動のための行動は、真の実践を否定し、対話を不可能にする。いずれにしても二分化は、偽りの存在形態をつくりだすことによって偽りの思考形態を生み、それが先の二分化をさらに強めるのである。
 人間存在は沈黙していることはできず、偽りの言葉によって豊かにされることもない。それを豊かにしうるのは真の言葉だけであり、人間はそれを用いて世界を変革する。人間らしく存在するということは、世界を命名し、それを変えることである。いったん命名されると、世界は再び課題として命名者の前に表れ、新たな命名をかれらに求める。人間は沈黙のなかでではなく、言葉、労働、そして行動―省察のなかで自己を確立するのである。(p96)

内田樹『街場の教育論』

 まず、師弟についての部分から。内田は師弟関係の重要性を繰り返し説明する特異な学者である。かなりカタカナ言葉を使い、衒学的なところはあるのだが…。

 
不思議な話ですけれど、レヴィナスが「レヴィナス哲学」の語り手になるためには師に出会う必要があった。けれども、レヴィナスがその師から教わったのは、哲学ではなくて、ユダヤ教の経典であるタルムードの、それも「アガダー」と呼ばれる一領域についての解釈の仕方だけだったのです。つまり、レヴィナスの知的可能性を開花させたのは、師から「教わったこと」ではなくて、「師を持ったこと」という事実そのものだったということです。
 「学び」を通じて「学ぶもの」を成熟させるのは、師に教わった知的「コンテンツ」ではありません。「私には師がいる」という事実そのものなのです。私の外部に、私をはるかに超越した知的境位が存在すると信じたことによって、人は自分の知的限界を超える。「学び」とはこのブレークスルーのことです。
 
 ブレークスルーというのは自分で設定した限界を超えるということです。「自分で設定した限界」を超えるのです。「限界」というのは、多くの人が信じているように、自分の外側にあって、自分の自由や潜在的才能の発現を阻んでいるもののことではありません。そうではなくて、「限界」を作っているのは私たち自身なのです。「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価が、私たち自身の「限界」をかたちづくります。「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価は謙遜しているように見えて、実は自分の「自己評価の客観性」をずいぶん高く設定しています。自分の自分を見る眼は、他人が自分を見る眼よりもずっと正確である、と。そう前提している人だけが「私にはそんなことはできません」と言い張ります。でも、いったい何を根拠に「私の自己評価の方があなたからの外部評価よりも厳正である」と言いえるのか。これもまた一種の「うぬぼれ」に他なりません。それが本人には「うぬぼれ」だと自覚されていないだけ、いっそう悪質なものになりかねません。
 ブレークスルーとは、「君ならできる」という師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より上に置くということです。それが自分自身で設定した限界を取り外すということです。「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることです。(pp154~156)



→非常に感銘を受けた箇所である。こんな場所が、『街場の教育論』にはあふれている。
 他にも、こんなものがある。
 最初に、次のことだけをみなさんと合意しておきたいと思います。
(1)教育制度は惰性の強い制度であり、簡単には変えることができない。
(2)それゆえ、教育についての議論は過剰に断定的で、非寛容なものになりがちである(私たちがなす議論も含めて)。
(3)教育制度は一時停止して根本的に補修するということができない。その制度の瑕疵は、「現に瑕疵のある制度」を通じて補正するしかない。
(4)教育改革の主体は教師たちが担うしかない。人間は批判され、査定され、制約されることでそのパフォーマンスを向上するものではなく、支持され、勇気づけられ、自由を保障されることでオーバーアチーブを果たすものである。
 ざっとこれくらいのことを教育論の前提としてご了承いただければ、と思います。(pp21~22)
→不毛な教育論を回避するための前提作り。たしかに重要なことだ。なお、オーバーアチーブについて、は以下の説明を見ていただきたい。東洋経済オンラインマガジンより。
「オーバーアチーブ」とは耳慣れない言葉かもしれませんが、「overachieve」すなわち「期待以上の成果をあげる」という意味です。
 私たちは通常、さまざまな「期待」に囲まれながら働いています。上司の期待、取引先の期待、お客様の期待……。それが「ノルマ」という形をとることもあれば、「希望」止まりの場合もありますが、いずれにせよ仕事をしている限り、周囲の期待と無縁でいることはできません。
  だからもしあなたが、「期待以下」の仕事をしてしまえば、それは問題でしょう。「書類を3日で仕上げるように」と言われたのに、もし締め切りを過ぎてしま えば、それは「期待以下」の仕事です。言われたこと、期待されたこともろくにできない、三流の人材ということになってしまいます。
他に気に入った箇所を引用していく。

「学び」というのは自分には理解できない「高み」にいる人に呼び寄せられて、その人がしている「ゲーム」に巻き込まれるというかたちで進行します。(p59)

教師というのは、生徒をみつめてはいけない。生徒を操作しようとしてはいけない。そうではなくて、教師自身が「学ぶ」とはどういうことかを身を以て示す。それしかないと私は思います。
「学ぶ」仕方は、現に「学んでいる」人からしか学ぶことができない。教える立場にあるもの自信が今この瞬間も学びつつある、学びの当事者であるということがなければ、子どもたちは学ぶ仕方を学ぶことができません。これは「操作する主体」と「操作される対象」という二項関係とはずいぶん趣の違うもののように思います。(p142)

人間は自分が学びたいことしか学びません。自分が学べることしか学びません。自分が学びたいと思ったときにしか学びません。
 ですから、教師の仕事は「学び」を起動させること、それだけです。「外部の知」に対する欲望を起動させること、それだけです。そして、そのためには教師自身が、「外部の知」に対する激しい欲望に灼かれていることが必要である。(p158)

すべての人間的資質は葛藤を通じて成熟する。これは経験的にたしかなことです。あらゆる感情は葛藤を通じて深まる。(p252)
→このために、教員は葛藤を子どもに生じさせる役割をもっている、と内田はまとめている。



この本は、「学校の先生たちが元気になる」ことを目的に書かれた本である。読んでみると、他の教育論とは毛色が違って面白い。

日々の思いの短歌集

天才と/バカとの境/考えて/足元見れば/ガムを踏みけり

くだらない/短歌つくりて/ありしとき/一人あるくは/多摩の道なり

携帯の/電源切れて/手紙書く

クリスマス/今日もどこかで/人が死ぬ

東京の/寒さキツ過ぎ/涙する

コズミック/センター前で/ボードする/人を横目で/通り過ぎけり

2009年3月10日火曜日

村上陽一郎『新しい科学論』(講談社ブルーバックス、1979年)

古い本である。しかし、手元のものを見ると2008年5月に
43版が出ている。驚異的な本だ。

ある時代、ある社会のなかである考え方が有力な底流を形成しているとき、
それは、その社会共同体のメンバーたちに共通の、広い前提になるわけです
し、そうした共通の前提の上にたつ限り、多くの人びとが、その前提と構造
的同型性や意味の連関性をもつような同一の理論に、独立に到達することは、
ある意味では当然のことになりましょう。(195頁)

村上は、科学は「中立性」や「客観性」をもつという考え方を「科学につい
ての常識的な考え方」であるという。
そして「新しい科学観」を提示していく。それは’そもそも科学に中立性や
客観性というものはない’ことを形をかえて主張していくのである。
そもそも近代科学の父であるニュートンもキリスト教に基づいて、
キリスト教の見方(偏見)にしたがって研究を進めたのだから。

要するに、現代の科学は、その長所も欠点も、わたくしども自身のもって
いる価値観やものの考え方の関数として存在していることを自覚すること
から、わたくしどもは出発すべきではないでしょうか。今日の自然科学は、
今日のわたくしども人間存在の様態を映し出す鏡なのです。今日の科学者の
考えていることは、わたくしどもの時代、わたくしどもの社会の考えている
ことの、ある拡大投影にほからないのです。(201頁)

この本、1979年時点では斬新な本であっただろう。けれど、ここに書か
れた「新しい科学観」はある意味の「常識」となってしまっている。
科学の中立性について何かを言うのは高校の教員くらいであろう。
学校での科学教育は今だ村上の言う「常識的な考え方」に縛られている
ようだ。

2009年3月9日月曜日

歌集 暇人の独り言

青インク/白きノートを/埋めていく/意味のあること/意味のないこと

寺山は/何度母親/殺せども/ついに母より/先にいきけり

人の書く/ノート盗み見/学ぶ我/他者の視点は/面白しかな

思い出す/岡本太郎は/言ったのだ/「才能なんて/ない方がいい」。

2009年3月8日日曜日

失敗と、その共有

私は母校の寮でボランティアをしている。寮生のお世話をしたり、悩みを聞いたり、寮の運営の手伝いを行ったりする。

着任の日ではないが、昨日寮に行ってきた。寮生の激励をするためだ。高校生との話が興に乗り、夜中の2時半頃まで話していた。

…私と同じく寮の着任についていた私の一つ下の後輩に叱られてしまった。「寮生を早く寝かせてください! インフルエンザが流行ってるんですよ」と。

ああ、つまらない失敗をしてしまった、と反省した。

私は自分のボランティア先での失敗談を、特に回りに話さないできた。「伝わらない」と思ったからだ。しかし今日は周囲に話してみることにした。「後輩に叱られちゃったよ」と。そうすると、笑い話となった。それまで私は「なんで後輩に言われなきゃ…」と暗く考えていた。一人気にしていると辛くなる。けれど周囲に話すと気が楽になるし、「また決意してやっていくしかない」と考えられるようになった。

「どうせ周囲に言っても伝わらない」という自分の思い込みを排すことが大事なようだ。話すことで、自分がその事実を別の捉え方で考えられるようになるからだ。伝える努力をするのを私はすっかり忘れていた。

同じ事実なら、失敗は第三者的友人に話し、笑い話とした方がいい。「何で俺だけ…」「後輩に叱られたよ…」と落ち込むよりは。事実は見方次第で価値が変ってくるのである。それに「暗いよりは明るい方がいい」のである。

バイトに命をかけられるか?

お笑い芸人をyou tubeで見ていた。
そのネタに
「俺、バイトに命かけてるから」「かっこわるいよ!」
というものがあった。

不思議に思った。
なぜ、バイトに命をかけてはいけないのだろうか? なぜこのネタで観客が笑うのだろうか? 

灰谷健次郎は「仕事と金儲けは違う」と述べた。それは「仕事は人生を教えてくれるから」であった。仕事、とくに職人仕事は丁寧に素材を扱う事の大事さ・気分が乗らなくてもやり続ける重要性を教えてくれる。これは人生の真理発見につながる、と主張する。なんだかプロテスタント的な職業観だが、私はこの灰谷の仕事観に共感を持っている。仕事は人生をかけてやるものであり、仕事を通じて学ぶものがあると信じるからである。

冒頭のコントには「バイトはあくまで食うための手段だ」という思想が背景にある。そのために「かっこわるい」とつっこむのである。けれど本当にそのアルバイト内容が自分の好きなものであるなら、命を賭けてやってもかまわないのではないか。

追記

ギリシア時代、人間の命を現す概念は2つあった。ビオスとゾーエーである。身体的・物質的な生命を意味するのがビオスであり、「Aさんが死んだ」というときに示される生命である。一方のゾーエーとは、霊魂の生き様を現すための命である。「命を賭けてやる」というときの命はゾーエーであるのだ。「精神的あるいは霊魂的な『生きがい』の主体としての'いのち’を生きているという発想がギリシア時代の人びとの原点にあった」(以上、長尾達也『小論文を学ぶ』より)。これに従うなら、「バイトに命を賭ける」とはビオスでなく、ゾーエーを賭けることである。

face book社長の話

face bookの社長は1984年生まれ。それを聞くと1988年生まれの私は驚異に思うのである。

あと4年後に私は何をしているのだろうか。大学院博士課程の2年生である(順調に行けば)。

おそらく儲かってはいないが、自分の夢を追い続けて走り続けるしかない。

2009年3月7日土曜日

梅田望夫『ウェブ時代をゆく』

'われわれは情報の無限性の前に生きている。しかし人間存在は有限性を持つ。今や各種資料やデータ・書籍がネット空間にある。その状態では資金も学歴もほとんど意味を持たない。純粋にその対象がどれだけ好きか、興味を持てるか、対象に対しどれだけ時間を注ぎ込めるかで勝負が決まる’というメッセージを受けた本であった。

私は重ねて「オープンソース・プロジェクトも、成功するものと失敗するものがあるよね。もちろんほとんどは失敗するよね。その差は何だと思う
と尋ねた。「成功するかどうかは、人生をうずめている奴が一人いるかどうかですね」と彼(石黒氏)は端的に答えた。(66頁)

時間だけがすべての人に平等に与えられたリソースである。その時間を、自らの志向性と波長の合う領域に惜しみなくつぎ込む。それが個を輝かせる。大切な時間というリソースを自分らしくどう使うのか。そこがこれからはますます問われる。(90頁)



*(  )内は石田一。

認可外保育所も補助金の対象に

「やらないルール」作りのすすめ

梅田望夫は『ウェブ時代をゆく』のなかで、新年の決意を実行できないのは何故か、と考察する。そして、それは「やらないこと」を決めていないからだ、と指摘。新たにやることばかりを言っていると、絶対に実現不可能だ。だから絶対にやらないと決めたことを絶対にやらないようにするところから、始めるべきだと。

私は多いに影響された。そのためにいろいろリストを決めた。

 よくチマチマした節約をする人がいる。ペットボトルにお茶を入れてジュース代の節約、コピーの裏紙を使って節約…。けれどそれをやって節約できるのは一日500円くらいであろう。そういうことをしている人に限って、「たまには海外旅行に行こう」と飛行機に乗る。十数万円を費やすことになる。
 先の梅田の言を借りよう。私は「なるべく帰省しない」ルールと「海外に行かない」ルールを作った。これをするだけで少なくとも大金は減らなくなる。

梅田自身は「年上の人と会わない」ルールを決めている。
友人にこれを話すと「そんなの無茶だよ」と笑った。その通りだと私も思う。けれど、実行不可能に見える「やらないルール」を定め、実行していること自体には誰も文句を言えないであろうと思う。

学問とお笑いの間

今ではすっかり売れっ子になった漫才師・オードリー。私も好きなコンビである。冷静に話を進める若林と、途中理不尽なツッコミをいれる春日。「ズレ漫才」の名にふさわしく、絶妙にずれあって話が進まないまま時間となる。

彼らは順調にお笑い界を生きてきた訳ではない。NHKのお笑い登竜門「爆笑 オンエア・バトル」では史上初の「7連敗」を喫している。ここまで評価されないのも珍しい。それでも彼らはめげずにやってきた。M1では敗者復活で勝ち抜き、決勝トーナメントまで進む。惜しくも優勝は逃すが、彼らのキャラクターが理解され、各種バラエティやトーク番組に引っ張りだこである。筆者としたら「消える芸人」にならないことを祈るばかりである。

お笑い芸人たちはたとえ売れなくても、真剣に闘い続けている。小さなステージや番組の前セツなどを経て、ようやく番組に出られるようになる。それまでの苦労は半端ない。
 ここまで見てきてふと、お笑い芸人の精神と学者の精神の一致点に気づいた。学者は食えない。大卒後、職を得るまで長い長い下積み生活がある。その間、バイトをしながら自己の学問の研鑽に励む。芸人も食えない。やはりバイトをやりながらネタを作り、練習に励む。
 ようやく自分に非常勤の口がやってきた。あるいは助手でもいい。これは芸人では前セツをできるようになったことに相当する。ようやく助/准教授。これはレギュラー番組を持つことにあたるか。
 そして自分の冠番組を持ち「天下を取る」。学者ならば教授のポストに就くことにあたる。

こうしてみると、芸人の上を目指すハングリー精神は、学者の精神性とも一致する。いまは全く理解されなくとも、常に研究に励む。

 だから私は芸人的真剣さを持って教育学の研究に精進したい。

 最後に下手ながら歌をひとつ。
「芸人と/学者のつながり/深しかな/ともに理想を/めざす仲なら」

過去の自分との再会

昨日、自分の著作集をまとめていた。

自宅での試しコピーの際、裏紙を使用した。何気なく本文を見て驚く。
その裏紙は、私が1年生のときサークル内で発案した「早稲田大学合格体験記・記事募集のチラシ」であった。

昔の自分の行動を、こんな形で知ることになるとは…。ワープロ文の下に書かれた手書きの補足説明。稚拙な文字で恥ずかしくなった。

黒澤明が官僚制批判を行った映画『生きる』。その主人公を思い出す。かつての意欲を失った市民課長たる彼が、ハンコを拭くために引き出しから紙を出す。それは何十年も前に自分が書いた'役所業務の効率化私案’の文章であった。何の気無しにその束を破り、淡々と判を拭う主人公の姿が記憶に残っている。

過去の自分は乗り越えられるべき対象なのか。それを乗り越えた時が自分の成長と言えるのか。粛々とハンコを拭く主人公は若かりし自己を乗り越えたのか。

映画では主人公は「余命半年の間、死ぬ気で働き、市民の要望する公園建設を断固成し遂げよう」と決意する。そして奮闘の結果、公園が完成するのだ。

作家や小説家と音楽家の違い

昨日、ミュージシャンを目指す後輩と話した。
自分がブログを書いていることを話すと、次の話をしてくれた。

'作家や小説家と違い、音楽家は「過去の自分」と向き合わないといけないんですよ。作家は過去の作品を再び書くことはないですね。でもミュージシャンは昔の自分の書いた歌を歌うことになるんです’

真理だと思った。たしかに、彼の言う通り私は過去に書いた作品を再び書くことはない。けれど歌手のコンサートでは何十年も前のデビュー曲が歌われることがある。歌手は過去の自分の作品を再び思いを込めて歌わねばならない。たとえ、それが「今はこんなこと考えないよな」と思ったとしても。

非常に面白い。

1日8時間の勉強、について

アメリカの大学は学生が平日1日8時間勉強をすることを基準にしている、と言う。高卒で働いている人と同じだけは学べよ、ということだ。これは「勉強=労働」と見ていると言ってよいだろう。

また佐藤優はいまも「1日6時間の読書」を日課としている。それも仕事で使う本ではなく、6ヶ月先のトレンドを見据えて(もちろん思想のトレンドである)読書をしている。'自己の内面で熟成するのを待つ’のだそうだ。(『「諜報的生活」の技術 野蛮人のテーブルマナー』 )

学生たるならば、休日をレジャーで過ごすのはあまりにももったいない。まして学者を目指すならば、1日8時間の勉強は最低すべきではないか。

…とはいうものの、なかなか難しい物である。

缶コーヒー

缶コーヒー
無糖を飲んで
ダイエット
でもラーメンは
普通に食ってる

無糖缶コーヒー

無糖缶コーヒーをよく見る。糖分を気にする人・カロリーを気にする人が増えてきたようだ。しかしそういう人に鍵って普通にラーメンやビールを口にしている。なら食うなよ、といいたいのである。

製本代の高さと処女作発行

著作集を今日まとめた。

タイトルは『著作集・高校生と語るポストモダン』だ。今までの大学3年間の集大成として作る。合計文字数5万字。市販の新書はもっと文字数が多いことを考えると、「意外に3年間、物を書かなかったのだろうか」と思ってきた。

作り方。印刷、製本、出来上がり。簡単である。けれど早稲田大学22号館の印刷機をしばらく占拠する形になり、申し訳なかった。

製本をするのに「くるみ印刷」という物をもちいた。印刷した原稿を厚紙で覆った上で印刷する。それで750円かかる。くるんでもらう紙に印刷をたのむと追加料金が1000円かかる。高い。

青木雄二が好きでよく彼の本を読む。彼ならばこの状況を見て「資本主義は設備や資本を持っているものが暴利をむさぼる社会だ」と語るであろう。持たない物は力がない。製本を依頼しないことには、目的を達成できない分、持たざる物は弱い立場にいる。

よく小さな団体の刊行物が、原稿を厚紙でくるんだだけの「くるみ印刷」であることがある。1000円を超えることもざらであり、「こんな安そうな本を売るなんて。ぼったくってるな〜」といつも感じていた。これはその団体の問題ではなく、製本所の問題であったのだ。

ともあれ、私の処女作がまもなく完成する。
出版社から出すのでも、自費出版でもない〈自分で印刷して、製本してもらう〉式の出版である。こんなやり方でも本は出せる。うれしいことである。
といっても、できあがるのはたった4部ではあるのだが。それでも紙代合わせて3500円はかかっている。

2009年3月5日木曜日

英語版wikipedia

英語版wikipediaは色々と面白い。「Japan」で調べると非常に興味深い。
http://en.wikipedia.org/wiki/Japan


Education and health」の欄では、次のことを言っている。

The two top-ranking universities in Japan are the University of Tokyo and Keio University.

この並びなら「東京大学と京都大学」や「早稲田大学と慶応大学」が適切なはずだが…。早稲田生として納得がいかないのである。

free skool

英語版のwikipediaでfree schoolを引いてみた。

A free school, sometimes intentionally spelled free skool, is a decentralized network in which skills, information, and knowledge are shared without hierarchy or the institutional environment of formal schooling. The open structure of a free school is intended to encourage self-reliance, critical consciousness, and personal development.

何やら、free skoolという言い方もあるようだ。

英語で教育学をやると、日本語では見えない点が見えてくるはずだ。

言語はメディアである。言語は自らの心情を単に示したものではない。言語を使うことで見えてくるものもある。
日本語という言語に限定せずに使っていく必要があるようだ。

2009年3月4日水曜日

脱学校と脱フリースクール

脱学校会議室(http://groups.yahoo.co.jp/group/deschooling-oriented/messages/1?expand=1
このサイトは面白い。

脱学校の急先鋒が、フリースクールであり、オルタナティブスクール実現の最善の方法だと思っていた。

しかし、人間は多様である。フリースクールの運営者も善人ばかりでない。

フリースクールゆえに人生をめちゃめちゃにされた人もいるのだと、このサイト(厳密にはメーリングリスト)は教えてくれた。

拝啓 寺山修司様

拝啓 寺山修司様

 「言葉の魔術師」たるあなたは生前、非常に多くの作品を遺されましたね。私は映画監督としてのあなたの姿しか、目にしてはおりません。『書を捨てよ町へ出よう』も『田園に死す』も、遺作『さらば箱船』も面白く見させていただきました。個人的な話ですが『町へ出よう』は『街』とされた方が雰囲気が出る気がします。『箱船』、今では祖父役が与えられる山崎努の若かりし頃の迫力にシビれあがりました。

 「見世物の復権」を訴えられたあなたの演劇は、厳密には再度お目にはかかれません。あなたが演出する演劇は、もはやこの世に存在しないからです。演劇を録画しても、演劇の数%のみを今に伝えるのみでしょう。なんといっても、見る場所によって見え方の違う演劇をあなたが作ろうとしたのですから。

 私はあなたに憧れます。何の衒いもなく「アジテーター」であることを誇れるのですから。
 私は脱学校論を専門にしていきたいと考える一教育学徒です。仮に事実として現存の学校の醜さ・非人間性を訴えることをしたとしましょう。教育学者であればそれで済みます。ですが、私の文章を読んだ中高生が「学校は欺瞞の固まりだ」と考え、学校をボイコットする。その結果、この中高生が将来的に「反抗少年」としてレッテルが貼られ、人生を棒に振ってしまった場合、私の文章作成行為は正しいと言えるのでしょうか。あなたは「正しい」と言うかもしれません。ですが、私はこの中高生の将来受けるであろうデメリットを考えると、「何も書かない方がいいのではないか」と思ってしまうのです。教育学者ではあっても、真理より子どもへの影響を考えてしまうのです。
 あなたは映画のなかで何度も母を「殺」してきました。捨ててきました。けれど生涯母からは逃れることが出来ませんでした。あなたはハッキリとご自分の矛盾に気づいておられました。それゆえに私たちに「寺山の言うことを100%は信じないほうがいい」と無言のうちに語っておられたのでした。ですが世の中はそんな人ばかりではありません。あなたの言を真に受け、行動してしまった若者がいるのです。少なくとも、私の回りには1人はいました。あなたを乗り越えるべき父親像とするのであれば何の問題もありません。「昔はこんなことがあった」と流してしまえるからです。問題なのは、皆が乗り越えられる訳ではないということです。あなたを信用した結果、あなたを乗り越えること(精神的意味での「父親殺し」)が出来なかった者はあなたに人生を狂わされたと言わざるを得ないのではないのでしょうか。
 あなたは食うために文章を書いた人間ではありません。では何のために文章を書いてこられたのですか。人を不幸にする可能性も考慮して、文字を原稿用紙に書き付けられたのですか。
 永六輔の『芸人』にはある役者の言葉が出てきます。'江戸時代の役者の演技を見て、世をはかなんで自殺した若い娘がいた。私も、一人くらいはそうやって殺してみたい’と。あなたの創作行為はこのような物なのではないかと推察するのです。

 「死ぬのはいつも他人ばかり」。
 あなたはよく口にされました。現に亡くなってみて、いかがですか。あなたは舞台の役者に話させました。「自分の死を量ってくれるのは、いつだって他人ですよ。それどころか、自分の死を知覚するのだって他人なんです」(『地獄編』)と。
 死は他人の
認識のなかにのみ発生します。「死」を認識する自己は存在しないからです。限りなく死に近い状況でのみ「ああ、もうすぐ死ぬんだ」と思うことはあっても、本当に心肺停止をする際には私の認識は無くなっているからです。
 ということは、このことは生命の不死を説明することになるのではないでしょうか。私が「死ぬ」瞬間、別の場所に私の生命が連続して続いていく。あなたの言を聞き、そう思うのです。
 いつの頃からか、本を読んでいて「私はこの著者であった時があるのじゃないだろうか」と、ふと考えるようになりました。説明が不足してすみません。自分の前世やその前に書いた本を、自分自身が再び読んでいることがある気がするのです。私の妄想が実際におこっていたとすればさぞ愉快ですね。前世の自分の思索を今世の私が再び引き継ぐことになるのですから。前世に書いた本を私が「この著者の言うことは間違いだ」と指摘するとき、さらに面白くなります。いったい、私という生命は何なんだ、と思うからです。

 あなたは一体、誰として(あるいは何として)いま今世におられるのですか? それとも生命は一期限りのものなのですか? 教えてください、「言葉の魔術師」様。

*『地獄編』からの引用はhttp://homepage2.nifty.com/highmoon/kanrinin/meigen/ijin2.htm#maより。

2009年3月2日月曜日

大学訪問記①玉川大学

 早稲田大学はもともとの早稲田村にできた大学だから早稲田大学という。地名→学校名だ。玉川大学はその反対。学校名→地名である。学校が出来てから、その名称が地名となった。だから学校の敷地でなくても、「玉川学園」が地名として使われる。
 大学名以外にも逆のところがある。例えばキャンパスの広さ。散歩できるほどの広い空間であり、自然が多い。あとは付属の小中高が同じ場所にある点だ。早稲田——特に早稲田キャンパスは——狭く、自然と言えば街路樹くらいで、付属・系列校は大学外に存在する。また両校とも教育学部をもっているが、玉川は教員育成の名門、早稲田は【教育学の研究場所】としての学部である。

 本日3月2日、私は小田急線を使った関係上「フラッと」玉川学園前駅に降り立った。そしてこの真逆である大学に足を踏み入れることになった。守衛さんは小学生に挨拶をするほどフレンドリー。その姿に感心し、コソッと大学に入るのでなしに許可を得て入ることにしたのである。

 玉川大学とはそもそもどんな大学であろうか? 玉川学園のWEBには次のように書かれている。

 玉川学園は、1929年(昭和4年)に創立者小原國芳により「全人教育」を第一の教育信条に掲げて開校されました。生徒数全111名、教職員18名によってスタートした学校は、現在K-12(Kindergarten to 12th) 、大学(文学部・農学部・工学部・経営学部・教育学部・芸術学部・リベラルアーツ学部)・大学院まで約1万人が約59万m2の広大なキャンパスに集う総合学園に発展し、幅広い教育活動を展開しています。
 創立以来「全人教育」を教育理念の中心として、人間形成には真・善・美・聖・健・富の6つの価値を調和的に創造することを教育の理想としています。その理想を実現するため12の教育信条 ―全人教育、個性尊重、自学自律、能率高き教育、学的根拠に立てる教育、自然の尊重、師弟間の温情、労作教育、反対の合一、第二里行者と人生の開拓者、24時間の教育、国際教育を掲げた教育活動を行っています。
(http://www.tamagawa.jp/introduction/history/index.html?link_id=his2)
 
 足を踏み入れてみて、ここに書かれている内容に、よくも悪くも嘘はないように感じた。創立者たる小原國芳はクリスチャン。小原の著書のエッセンスをおさめた『贈る言葉』(注 海援隊にあらず!)という本にも信仰を根底においたがゆえの言葉が書かれている。わざわざ人間形成の中身に「聖」をおくのは信仰故のものであろう。
 今ではほとんど聞かなくなった「熱い」言葉を伝えているのが玉川大学の教育学部であるようだ。「いい」教員になり、子どもに夢を与えよう、子どもによい教育を与えよう。古き良き教員像を見る思いがする。そのために「理想」の教育たる松下村塾や咸宜園(かんぎえん)を学校内に再現してしまっている。本当に教育に「熱い」学校である。
 玉川大学の本屋。「教育学」コーナーには教員養成や授業運営の仕方をキーワードとする本が多い。早稲田は文字通りの「教育学」に関する本しかない。ただ、水谷修の本は早稲田にも玉川にもあった。
 教育への「熱い」言葉の広まっている玉川大学。早稲田大学の教育学部は教員育成を主目的としない分、「いい教員になろう」「いい教育をしよう」ということをあまり伝えてこなかった。「熱い」ものに惹かれる傾向も私にはあり、「この大学で学んでみたい」という思いを久々にもったのである。
 現在は善の言葉がニヒリスティックに見られる時代となった。「正義」や「善人」という言葉や「人のために」という言葉を真正直に口に出すと恥ずかしさを感じる時代だ。教育学の世界でも、この傾向はあったように思う。教育に関しての「熱い」言葉が語られず、いたずらに脱学校論や近代教育批判が展開される。これ自体には何の問題もないが、あまりにも現代の教育批判に汲々としていると教育が本来もっていた「熱い」側面が軽視されてしまう。教育に無限の可能性や輝きがあったのは「今は昔」のことなのか? 本当にこの状態でいいのか?
 ニーチェは「神は死んだ」と言った。そして「神は死んだままだ」と続けた。誰の本だったか忘れたが、ニーチェのこの一連の言葉から、'神は確かに死んだ。まだ死んだままだ。けれど、この状態はいつまでも続いていいわけでない’という解釈をしているものがあった。教育学にも言える。教育における「熱い」言葉は確かに軽視されるようになった(死んだ)。けれど、この状態はいつまでも続いていいのだろうか? そうではないだろう、と。教育学が近代教育批判を躍起になってやりすぎたため、教育が本来もっていた希望や輝きが見えづらくなってしまったのかもしれない。
 
 玉川大学の竹薮に風が通る。3月2日の風は冷たいながらも心地いい。風に揺れた竹が夕陽に輝く。この光景を見ていると、教育への希望があふれてくるように思うのだ。

不審者

この看板、一見正しい看板にみえる。しかし本当は恐ろしい看板だ。

この高級住宅に相応しくない人物−−例えば私のような−−を締め出す発想だ。

「怪しそうだから通報する」はアメリカのイラク攻撃と同じである。「民主主義の敵に見えるから先に攻撃して倒してしまえ」と。

バレンタイン・チョコ

私は今年の2月14日、ボランティア先の学校の生徒にチョコを12個渡した。
よく男性は「チョコを何個もらった」と話す。そのながれでいえば、私はマイナス12個である。

2009年3月1日日曜日

自販機売り上げの一位

自販機売り上げの一位がクリスタルガイザーであった。ペットボトルでは最安の商品である。せちがらい。

世の中の不景気を感じた。

なお、写真は西武線・東村山駅ホームの自販機である。

高田馬場駅の変化

西武線・高田馬場駅の看板が変わった。単に新しくなっただけでなく、ハングル表記も追加された。

多文化共生社会の変動の一つの現れである。