2008年12月28日日曜日

メール転送

メールの転送機能。

送る側・送られる側相互が相手に《転送》する設定のときどういうことがおこるのだろう。

メールの無限増殖が際限なく続くか、あるいは《スパムメールだ》として排除されるか。いつか実験してみたいものだ。

映画

2008年は邦画の魅力に気付いた年だった。黒澤の偉大さ、小津の面白さをようやく知った。

いままでは洋画中心主義。チャップリンに惹かれて映画を見始めたが故の行動だ。

気軽に映画を観賞できる大学生活の有り難さ。就職活動はいいや、院に行こう。

タバコ

タバコの煙りMAXの環境から抜け出て、落ち着くためにはコーヒーの香が必要だ。リセッターとして珈琲が機能している、とでもいえようか。

2008年冬の帰省は新幹線自由席の喫煙シート。喫煙所で3時間座り続けることがいかに過酷かよく分かった。頭の働きがかなり悪くなっている実感がある。

もう2度と喫煙シートには座らぬ誓いを立てた。

2008年12月25日木曜日

お昼の争い

スタジオALTAの上に みのもんたの看板がある。お昼の争いはここでも行われているのだ。

2008年12月23日火曜日

2008年12月18日木曜日

フィンランドとコーヒーと学力

世界でもっともコーヒーを飲むのはどこの国の人であろうか?

正解はフィンランド(一人当たり)。一日に5杯以上飲む人もザラだ(『フィンランド 豊かさのメソッド』)。

ピサ調査世界一の学力の秘密もコーヒーの大量摂取にあるのかも知れない。

神秘主義

私は神秘主義が嫌いだ。

ときどき教育学の中に「宇宙との一体感を感じる」などと書くものが存在する。シュタイナー教育だけでなく、わりあい´ヒューマン`な教育学理論にも見受けられる。「宇宙との一体感」以外にも「人類みな兄弟」という形で現れることもある。

他人の信仰や主義に対し意見をいう気はさらさらない。意見を言いたくなるのは「さも当然」とばかり神秘主義的価値観を《押し付けて》くるときだ。

「たしかにおっしゃるとおり、そういう考え方もありますなあ。でも私はそうは思いませんよ」


このように言いたくなるのだ。

書評:ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』

書評:ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』*
 読まないで本書の書評を書いてみようと思ったが、それはやめることにした。
 この本はいわゆるハウツー本でも、トンデモ本でもない。れっきとした文学の本である。そもそも、『読んでいない』といっていながら、《読んだが忘れてしまった本》として著者自身の本を挙げている。
 読んでいない本についてコメントしなければならないことは、意外にある。バイヤールはこの行為を否定的に見るのでなく、逆にポジティブに見ていくことを提唱しているのだ。

読んでいない本についての言説は、自伝に似て、自己弁護を目的とする個人的発言の域を超えて、このチャンスを活かすすべを心得ている者には、自己発見のための特権的空間を提供する。(中略)読んでいない本についての言及は、この自己発見の可能性をも超えて、われわれを創造的プロセスのただなかに置く。われわれをこのプロセスの本源に立ち返らせるのである。(213頁)

 読書とは、もっと能動的であるべきだ。本を通じ、「みずから創作者になること」(217頁)をしてもいいのではないか。『読んでいない本について堂々と語る』時、頭の中で創作作用が始まる。「読んでいない本について語ることはまぎれもない創造の活動なのである。目立たないかもしれないが、社会的にこれより認知された活動と同じくらい立派な活動なのだ」(217頁)。それはまぎれもなく自分の思考であり、自分自身について語ることになるのだ。

 本を読むという行為のために、逆に自分の考えがなくなってしまうことがある。読むことによって、本質が見えなくなることがあるのだ。書評を書くのも然りである。あまりにも読みすぎた本については、何も言えない。著者が何を意図しているか、考えすぎるとかえって何もかけなくなる。学問も同じである。一年生の頃、「教育学って、要はこんなものだ」と恐れ多くも言えていた。しかし、今は「教育学って、結局何なんだろう」と却って分からなくなっている。レポートを書くときにも感じる。あまりにも多くを調査すると、「先攻研究に書かれていないだろうか」と思い、なかなか書けなくなる。思えば不思議なことである。

2008年12月16日火曜日

シェーン、三十郎、Come back !

~ヒットした映画に潜む、型あるいは図式についての一考察~

 黒澤映画『用心棒』(1961)と『椿三十郎』[1](1962)はリンクしている。もともと『椿三十郎』は「『用心棒』の続編を撮れ」との東宝の依頼で作ったため、当然といえば当然である。黒澤は続編にはせず、別の映画として撮った。しかし、主人公のキャラクターや設定は同一なのだ。[2]三船敏郎(三船美佳の父である)演じる桑畑三十郎(『用心棒』)と椿三十郎(『椿三十朗』)はどちらも≪フラッと来て、問題解決をし、フラッと去っていく≫点でつながりがある[3]
 アメリカ映画『シェーン』(1953)も、『用心棒』・『椿三十郎』と同じく≪フラッとやってきて、問題解決をし、フラッと去っていく≫図式の映画である。今回は、ここで示した3作品の共通点・相違点を見て行きたい。

 どの作品も、≪フラッと来て≫、〈正義〉[4]の人にお世話になり、〈悪者〉一族を倒し、〈悪者〉の中で特に腕が立つもの―いわばライバル―を1対1で倒し、そしてフラッと去っていく点で共通である[5]
 共通するそもそもの疑問として、なぜ主人公が旅をしているのか、という点が浮かぶ。主人公は腕の立つガンマンや侍であるのだが、どうして一匹狼・風来人になる必要があったのか。映画では全く描かれない。しかも利益を目的としているのでなく、任侠心からボランティアで、命の危険を冒して〈正義〉を助ける。現代風にあらわすなら、《大企業の妨害行為により、倒産寸前となった零細企業を、フラッとやってきた主人公が建て直しを図る》[6]とでも示せるであろうか。利益のためでなく、《自分の力を社会に役立てたい》との思いから行動しているといえるのであろうか。

 下に、三作品の比較対照表を作ってみた。参照していただきたい。比較してみると、時代設定や場所こそ違えど、共通する要素の多いことがお分かりになるであろう。

 この≪フラッと来て、問題解決をし、フラッと去っていく≫図式のように、ヒットする映画にはある程度の型や図式があるように考える。これから、そういった図式を見つけていきたいと思う。



[1] なお、『椿三十郎』は角川がリメイク版を2007年に出している。
[2] ほかに、『用心棒』・『椿三十郎』はBGMが同じであるという共通点がある。
[3] 『用心棒』は桑畑三十郎が農道を歩くシーンから始まる。その際、三十郎の背中が写るところから始まる。『シェーン』とも共通しているシーンだ。『シェーン』では馬上のシェーンを背中越しにアップするところから始まる。対して、『椿三十郎』では神社の境内で話し合っている武士集団の話を、三十朗が隣の部屋で盗み聞く場面から始まる。『椿三十郎』は≪フラッと来て≫とは言いがたいが、偶然いざこざ(これは主人公が世話になる〈正義〉の集団あるいは個人と、〈悪者〉間のいざこざである。各映画との対応は表を参照のこと)に巻き込まれる。
[4] あくまで、主人公や映画鑑賞者からみて〈正義〉である、との意味で〈 〉を付けている。〈悪者〉も同じである。〈悪者〉から見れば、シェーンや三十郎は《突然やってきて、敵方に味方する、よく分からない変な奴》にしか見えていないのだ。
[5] ほぼ無傷で去る『用心棒』や『椿三十郎』と違い(どちらも「あばよ」と告げて去っていく。背中のアップと共に終わる)、『シェーン』は傷だらけで去っていく(例の「シェーン、カム・バック!」との男の子の声と共に、ふら付きながら馬で去る。死を暗示しているとの見方もある)。
[6] この設定は伊丹十三の『スーパーの女』(1996)に共通している。食品スーパー「安売り大魔王」に押される、「正直屋」の社長・小林五郎のもとに、幼馴染の井上花子がフラッとやってくる。そして彼女の主導の元に「正直屋」を建て直し、「安売り大魔王」に打ち勝つ。最後は彼女と「正直屋」社長との結婚が暗示されるところで終わる。主人公が〈正義〉と一緒になる(ここでは結婚するということ。風来人が〈正義〉と一体化する、ということを意味する)点はシェーンや三十郎と違うが、≪フラッと来る≫点と《別に頼まれてもいないのに、〈正義〉に協力することになる》点は共通している。

無茶をいうな

看板にもいろいろある。なんでも書きゃいいというわけではないのだ。

2008年12月13日土曜日

映画『椿三十郎』

見た。

最近、黒沢映画が面白くてたまらない。

見ないで死ぬのは勿体ない。

いきなりの緊迫シーン。

懐手で歩く時肩を揺らす。このスタイルの格好よさ。
常に落ち着く・堂々とすることの大事さを知る。

椿三十郎の台詞は全てをメモしたくなる。

「岡目八目ずばりだ。見てみな」
「十人だ! てめえらのやることは危なくて見てられねえや」
「間抜けな味方の刀が敵の刀より危ない」
「俺だ、開けろ」

緊迫した合間に、ユーモラスなシーン。

せっかく散々助けてやっているのに、味方が三十郎をうたぐる発言。人間の忘恩を思う。

2008年12月10日水曜日

イルミネーション

今年の冬も、イルミネーションの季節だ。

この省エネブームの世の中で、イルミネーションだけが例外なのは興味深い。

友人との話で気付いた点だ。

2008年12月9日火曜日

映画評論 黒澤明『蜘蛛乃巣城』(1957年)

文豪・シェークスピアの描く悲劇は、現代にも影響を与えている。イギリスには、シェークスピア作品中の言葉だけで、一日の会話を成立させることのできる人もいるという。日本では、少なくとも黒澤明の映画に影響を与えている。この『蜘蛛乃巣城』はシェークスピアの『マクベス』を基にした作品だからだ。鑑賞後、『マクベス』のあらすじを読んでみたが、「そのままじゃないか!」との思いを強くした。ヨーロッパの話を、戦国時代の日本で成立させてしまう、黒澤の力の底知れなさを思う[1]

 鷲津武時(わしづ・たけとき)という武士が、討伐からの帰路、森の中で「物の怪」(もののけ)に会う。老婆の姿で、物の怪は≪あなたは北の舘の主となり、蜘蛛乃巣城のお城主様になる≫と鷲津に語る。同行していた親友の三木義明に対しても、物の怪は≪あなたは一の砦の対象となり、息子が蜘蛛乃巣城のお城主様になる≫と語った。城主のもとに帰った際、二人は予言の通りの役職に新たに任命される。大して予言を信じていなかった二人の顔が、はっきりと変わる。
 鷲津自体は「北の舘の主で十分。城主を狙うなんてとんでもない」というが、妻の浅茅(あさじ)にそそのかされ、城主を討ってしまう。三木の息子を次の城主にしようとするが、またしても浅茅の説得に負け、三木とその息子を殺そうとする。三木本人は亡くなるが、息子は逃走した。
 城主と親友を殺してしまった鷲津。予言どおり、蜘蛛乃巣城の城主となるが、精神的に不安定になってしまう。部下たちをスパイと疑い、何人も斬ってしまった。
 最終的に、蜘蛛乃巣城を前城主の息子・国丸と、三木の息子・義照の軍勢に囲まれた中、鷲津は家臣たちに雨のように矢を放たれ、殺されてしまう。

 この物語では、鷲津の妻・浅茅がキーパーソンである。はじめ、鷲津は自分の名誉欲を「主君への忠誠心」で抑えようとした。しかし浅茅によってそそのかされ、主君に槍を刺してしまう。主君のみでなく、自らの出世の妨げになると考え、親友の三木すらも斬ってしまう。人間は周囲に翻弄されてしまうものであるのだ。
 確固たる意志がなければ、人間は不幸になるのかもしれない。鷲津は城主になるという、当初思っても見なかった願望をかなえることができたが、親友を殺し、家臣に信頼をおくこともできなくなってしまった。結局は家臣の手によって放たれた弓に刺されなくなってしまう。これは悲劇である。
 自分は何のために生きるのか。自分なりに考え、答えを求めようとすることだ。鷲津は意志の固い男であるが、浅茅にそそのかされると良く考えもせずに動いてしまった。短絡的行動は、時として自らの破滅を招く。常に自分をメタ認知し、可能な限り考える姿勢を保っていくべきであろう。
[1] シェークスピアの生没年は1564~1616年なので、年代的には日本の戦国時代にあたる。そのため、シェークスピアの物語とこの『蜘蛛乃巣城』は同時代性を持っている。

就活できる幸せ

私の同期の人間は、「就職活動が大変だ」というが、仕事を選べるという事はそれだけで「幸せ」なことではないか。

私の中学の友人は、高卒あるいは高校中退で、結構働いている(世間的にはフリーターな友人もいるが)。
いくら不況でも、仕事はある。そうでなければ求人雑誌は廃刊してしまう。

仕事はあるのだ。「選んでいる」からみな苦労して就活をしている。それで鬱になっている。

むしろ、「仕事を選べる」幸福を考えるべきではないだろうか。

プラス思考の有無で、人生は大きく変わるという。ならば、就活もそうである。俺は大学院の準備をしているが、プラス思考と「選択できる贅沢な悩みを持つ幸せ」を噛み締めていくべきだと自分自身に思う。

社会貢献の道を考えていくべきだ。浜口直太の本に(『勉強のルール』)「世のため・人のための思いで学べ! その人が一流になる」とある。よく自己啓発本には「自己実現こそが人生の目的」とあるが、それはおかしい。人生の目的は、どれだけ他人のために尽くせたか、他人のために行動できたかではかられるべきだ。
私も、浜口と同じ決意で、人々のために役に立つ教育学者になる。そして私の師匠にお応えをするのだ。断じて、戦いきるのだ!

教育にゴールはあるのか

教育を考える者は、「教育された姿」をイメージするが、教育にゴールはない。

学校教育で完璧を目指す事はできず、個人が「他人のために行動しよう」という意識を持ち、「そのために、学ぼう」としていけるかが大切だ。

皆、ベルトコンベアー式に、「こんな子どもに作り上げたい」と考えるが、それは無理な話であるのだ。

2008年12月4日木曜日

自己の弱い命と向かい合え!

がうじやう(強盛)にはがみ(切歯)をしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いいしがごとく・すこしも・をづる心なかれ(『兄弟抄』)

日蓮の権力との戦いは、それはそれは熾烈であった。

日蓮の文章を学ぶにつれ、自己の弱い命と向かいあう必要性を感じてくる。

もっと、強くなる!

2008年12月3日水曜日

冬の朝

冬のは世界が青い。

西武新宿線各停

6時前の西武新宿線(小川から乗る)に乗った。席はすでに半分くらい埋まってる。余裕で座れるが、俺よりはやく生活が始まる人の多さに改めて気付いた。

速読と熟読

『1分間勉強法』という本に影響を受けた。

1冊を1分で読む方法だ。

ざっと読むにはいい。しかし「血肉にする」読書には使えない。くだらない新書には使えても(『A型自分のトリセツ』など)、自らの人生や考え方を変える可能性のある本には使えない。

佐藤優は正しいわけだ。

2008年12月2日火曜日

コンビニの差別化

コンビニが2店舗あるとき、意思決定の決め手になるのは店の綺麗さである。そうにちがいない。

いやでもコンビニは綺麗にしないといけないのだ。

2008年11月26日水曜日

書評『超「超」整理法』(野口悠紀雄)

 中公新書の名作に『「超」整理法』がある。「押し出し式ファイリング」という整理法を世に提唱した本である。梅棹忠夫の『知的生産の技術』の次くらいに読んだ本だ。当時私は、中学生であった。「超」整理法とは、《紙媒体の情報は、大きな封筒にいれ、本棚の端から順に入れていく。使用するたびに、使った資料を再び端に入れる》という整理法である。項目ごとに袋を作る事をしない。一見、整理しているように見えない。けれど、使ってみれば利便性がよくわかる。
 野口は『「超」整理法』以外にも、多くの著書を持つ。そのなかでは常に、《無意味な事はしない。誤解を起こさない》という原則に従った理論を立ててきたようにみえる。『「超」整理法』では無駄な整理を批判し、『「超」発想法』ではKJ法のような機械的発想法の限界を指摘し、『「超」勉強法』では伝統的学習法を批評した。そしてそれぞれについて、新たな方法論を示した。
 『超「超」整理法』は、情報社会の現代に合う形で、野口が『「超」整理法』を書き直した本である。『「超」整理法』は今から15年前の発行。開いてみると「FAXの活用法」やウインドウズ以前のパソコンを用いた文書作成法について言及されている。
 『超「超」整理法』は、これから研究者を目指す人や知的生産を行っていきたい人にとって、福音の書となる。それは今までの「論文の書き方」や「研究の仕方」といった書籍に書かれていない技法が大量に書かれているからだ。《Gメールを使用し、データをメールするようにすれば、デジタル・オフィスは知らぬ間に完成する》、《「検索力」の重要性》、《これから必要とされるのは、問題設定・仮説構築力・モデルでものを考える力である》などなど。
 個人的に興味深かったのは、次の部分である。

問題を捉え、仮説を立てるには、「考え抜く」しかない。では、考え抜く能力を高める事は可能だろうか? 私は可能だと思う。
 確実に言えるのは、「知識が増えれば、この能力が高まる」ということだ。社会科学、人文科学の分野では、明らかにそうである。ビジネスにおいても、そうだろう。広く、日常的なことについてもそうである。
 検索で得られる個々の「情報」が断片的なフローであるとすると、それらが集積したストックが「知識」だ。その体系は「理論」と言ってもよい。たとえば、経済問題であれば、経済学の知識がこれに該当する。(pp244〜245)

 いくら「検索能力で差がつく」という時代になっても、基本的にはきちっと体系だった学問をしていく必要がある、というのだ。気軽にググれば「情報」は簡単に手に入る。しかし、それらの情報をどのように活用できるかは、体系だった知識があるかどうかによって変わってくる。
 真に「考える」ためには、体系だった勉学が必要なのだと気づいたのであった。
/野口悠紀雄『超「超」整理法』(2008年、講談社)

紅白

今年の紅白は、民放関係のアーティストが多く出る。

ポニョ、羞恥心、相棒・・・

ニュースでは「大連立紅白」としていた。

視聴者が楽しめるなら、自社ブランドにこだわる事なく、各社で協力していく。この発想が、これから重要になるだろう。

そうでないと、テレビ離れはますます進むこととなる。

2008年11月18日火曜日

人間原点に回帰せよ!

書評 神野直彦『人間回復の経済学』(2002年、岩波新書)

 大学に3年間もいれば、いろいろなウワサを耳にする。楽勝授業、「ためになる」授業のほか、アルバイト情報もかなり集まってくる。嘘か本当かは分からないが、「山崎パン」バイトの話として、次の内容を聞いたことがある。《ベルトコンベアの上を流れてくる菓子パンの上に、ひたすらゴマを振っていくだけ》。きいた瞬間、チャップリンの映画『モダンタイムス』を思い起こした。「発狂して人間ではなくなるまで、機械の指示にしたがわざるをえな」(『人間回復の経済学』75項)い仕事、とてもじゃないがやっていられない。しかし、現代の労働実体を調べていくうち、その「やっていられない」仕事をしている人々が実際に存在していることを知った。本書『人間回復の経済学』にも、言及されている。苦痛を感じるほどに非人間的な仕事を要求する、現代の企業。考えるにつれ、「就職したくないな」との思いが強くなる。
 リストラやフリーターの存在無しに、現在の経済を語ることはできない。先日もTVをマレーシア料理店で観ていると「シティ・グループが5万人のリストラ」と報道していた。《現在というきびしい時代においては、「経済」的に見てそれは仕方のないことだ》。私たちは無意識にこう考えているのではないか。著者の神野は「否!」と叫ぶ。

人間が利己心にもとづく経済人だという主流派経済学の仮説は、人間のある側面を純化した理論的仮説にすぎない。人間が経済人として生きなければならないという行動規範ではない。人間は悲しみや苦しみを分かちあい、やさしさや愛情を与えあって生きている。ところが、いつのまにやら、その理論的前提が、人間は経済人として生きなければならないという行動の規範に仕立てあげられている。(ⅱ項)

 この指摘は非常に興味深い。村上ファンド事件の際、村上氏が「金儲けしちゃダメなんですか?」という発言をしていたのは記憶に新しい。村上氏の言葉には《「経済人」であるのが正しいことだ》、との思いが込められている。村上氏のみならず、現代の資本主義や市場システムを見ていると、社会を動かすのは「儲けたい」という人間の利己心であるかのように感じる。けれど、実際のところ、それは「人間のある側面を純化した理論的仮説にすぎない」のだ。
人間原点という言葉。私の好きな言葉の一つである(余談だが、海外翻訳を読むと「最も~なもののひとつ」という言葉が多用されている。個人的には断言を逃げているようで嫌なのであるが、これも否定的意味での「大人」ワザのひとつであろう。つい使ってしまう)。神野は端的に言えば《経済システムを、もっと人間的なものとすべきだ》と主張する。
 この「人間的」という言葉は、非常に定義しづらい言葉なのである。暉峻淑子[1](てるおか・いつこ)のいう、生活面の「豊かさ」を実現すること、とでも言おうか。
人間が人間らしく生きられる社会の建設を、経済を用いて行う。これが神野のテーマである。そのために「産業社会」を超えた「知識社会」建設を行っているスウェーデンに、日本の未来の方向性を見ている。
 もともと経済という言葉は、「経世済民の術[2]」を縮めて用いられるようになった言葉である。「世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと」が元の意味である。人々を不幸から救うため、との意味があったのだ。現状の《リストラや搾取労働の正当化のための経済学》とは真逆である。本来は人間のため(端的には「苦しんでいる庶民のため」)に経済学があるべきであるのだ。
 経済という言葉が、人間のために作られたのであるならば、今の経済も原点に帰る必要がある。より人間的な経済システム構築を図っていくべきだといえよう。
 次に示す神野の言葉は、人間原点の経済構築を図る上で思想的支えとなるものである。

経済システムの創造主は、人間である。人間は経済システムを、人間の幸福に役立つ方向にデザインすることも、逆に人間を不幸へと導いてしまうこともできる。(185項)

人間は経済人ではない。人間は知恵のある人であることを忘れてはならない。人間の未来を神の見えざる手にゆだねるのではなく、知恵のある人としての人間が、人間のめざす未来を創造しなければならない。(187項)

 神野の姿は、私に《現状の問題を見て、「これは学問的に見て、仕方のないことだ」と思ってはならないこと》を教えてくれた。また《学問は、究極的には人間のため(人間中心主義とは違う!)であること》も伝えてくれた。教育の現状の悲惨さに対し、「仕方がないことだ」と思ってはならない。どうすればより「人間のため」の教育にしていけるのか。このテーマは私のこれから先の問題意識としていこう。(了)

・・・・・・・・・・・・・・・・・
神野直彦『人間回復の経済学』(2002年、岩波新書)
[1] 岩波新書『豊かさとは何か』の著者。バブル期の日本と西ドイツとを比較し、《日本は物質的には豊かかもしれないが、生活の質の面では豊かであるといえるのか》と問題提起をした。
[2] 『新明解四字熟語辞典』では、次のように説明されている。〔世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと。また、そうした政治をいう。▽「経」は治める、統治する。「済民」は人民の難儀を救済すること。「済」は救う、援助する意。「経世済民」を略して「経済」という語となった〕。

じっくり学ぶ、ということ

私は、じっくりと学んでいきたい。熟読すべき本、初めて読む分野の本は、意味を理解しようと読む。インターネットを辞書とする。そして血肉にするため、打っていく。ブログや書評にしていく。そうして、教育学の本質を捉え、自ら学校を作り、教育実践を本格的にしていきたい。

本屋に並ぶ「勉強法」の本は、こういった「ゆっくりとした学び」は意図していないようだ。「すぐに結果が出る」勉強、「試験に受かる」勉強本が流行する。『収入10倍アップの勉強法』なる本があるが、高度経済成長の時代でもないのに、あたかも「学べば収入が上がる」という風に思えてしまう。思うに、学んだ結果というものはそんなすぐに出るものではない。個人的思いだが、カネのためには勉強したくはない、と思うのである。学ぶのは自分のためである。その「自分のため」とは、純粋に貨幣のための学びではない。

社会的アンバランス。

あの右翼新聞たる産経に、ほのぼの漫画『ひなちゃんの日常』が載り、主義主張の不明瞭な「中間」を自称する毎日に、風刺が強めの『アサッテ君』が載っている。同様の傾向は続き、左翼の強い朝日には『ののちゃん』という関西弁のキツい「日常」系の漫画が連載されている。読売はいわずと知れた『コボちゃん』。これは『ののちゃん』的要素と『アサッテ君』的要素が混在している。
 漫画と新聞は、必ずしも連動していない。いわば「社の良心」であるか、「無法地帯」かのどちらかである。

2008年11月17日月曜日

子どもであることの損さ

「子どもである」というだけで人間はだいぶ不利益を被っている。しなくてもいい苦労をすることになる。
例えば夜の外出。子どもを「保護しよう」としすぎると、子どもの自由は吹き飛んでしまう。中高生の不満の大部分は、電車や映画館では「大人」扱いされるにもかかわらず、社会において、また家庭においては相変わらず「子ども」と扱われるために発生する。これはどうしようもない事なのだろうか? 「大金を子どもが持つな」というのもそうである。大人は、普通に会社でジュースを飲むけれど、子どもは授業中に飲んではいけないというものそうである。
子どもであることへの不満が、非行や反社会的行動として現れる。子どもの非行は、大人を目指すだけの事なのではないか。酒・タバコは大人もする。犯罪は普通の大人が行う。万引き主婦すらいる中で、なぜ子どもだけは必要以上に処罰されるのだろうか? 大人が同様の事をしても、「この人の行く末が心配だ」とはならない。その分、社会的信用はなくなる。子どもは社会的信用のみならず、「この子の将来が心配だ」と時にはその子どもよりも道徳性の低いように見える教員によって罰される。
どうも子どもが子どもである事が難しい時代のようだ。俺はどちらかと言えば戦後までの「子どもを放っておいてくれる時代」の方が気楽であった気がする。中世的な「小さな大人」である方が楽そうである。
こういうことを西武バスの中で思った。子どもが優先席に座っており、「なんでそこに座っているのだ」との大人の視線が感じられた瞬間の着想である。

2008年11月15日土曜日

駅と交番の関係

駅のそばに必ず交番があるのは何故であろうか?

ウェブ時代のメモ術

ウェブ時代、こまごました報告メモは主語をはっきりさせてGメールに携帯から送る。

検索ワードをかければ必要な情報がすぐにでる。この日、どこにいったか、誰とあい何を話しか。

仕事の終わる度にメールすれば、PDCAサイクルもまわり始める。書く段階で思い出すからだ。

往々にして、せっかくの報告書は活用されずに死蔵される。

しかし検索できるGメールなら全ての情報が検索とともに蘇るのである。

切る喜び

この言葉には言外に「着物の着付けをマスターできないような人は『切る』という喜び」がある。

なかなかの名前

「だまれこの青二才め!」
三国志の頻出フレーズ。

カリスマ定員のいない店

中村橋にて。

2008年11月12日水曜日

高校生と語るポストモダン 〜近代と教育と構造主義を語る〜

高校生と語るポストモダン
〜近代と教育と構造主義を語る〜


扉の言葉

 学んだことの証しは、ただ一つで、何かが変わることである
林竹二『学ぶということ』)



  私は早稲田大学教育学部の学生である。本業としての教育学の研鑽とともに、ボランティアとして母校の高校によく行く。大体、週1回は。高校生の悩みを聞い たり、勉強を教えたりするためである。ふざけ話に花が咲くこともあれば、1対1の真剣な対話になることもある。高校生と話す方が、早稲田生と話すよりため になる。そんな時もある。
 あるとき、自分が書籍や友人との会話・授業などで学んできたポストモダン思想を、高校1年生のH君に語った。彼は私の話を熱心に聞いてくれ、「へー、こんな考え方があるんですか!」と驚嘆していた。この本はこの際の対話を文章化し、再構成したものである。

  よく考えれば、大学受験の「国語」ではフーコーやデリダなどの思想家がざらに登場する。けれど高校の授業ではポストモダン思想について何の説明もなかっ た。かくいう私も受験生の頃は訳も分からず問題を解いていた気がする。ポストモダン思想を高校時代に学んでいたら、受験「現代文」ももっと解けていたこと だろう。この本の執筆動機のひとつには高校生に分かりやすくポストモダン思想を伝えたい、ということがある。

 高校の授業は20世紀以前の科学観を学ぶところだ。少なくとも、一昔前の科学が教科書に載っている。現代文も然りである。
  私の大学での専門はオルタナティブスクールの研究だ。オルタナティブスクールとは、近代公教育制度のアンチテーゼの発想である。近代の持つ問題点を乗り越 えようと闘い続けている教育となっている。これを学ぶにつれて、「高校時代に知っていればよかったのにな」と思うようになった。近代教育には「国民育成」 の発想がつきまとう。無理矢理に子どもに「日本人」意識を芽生えさせる教育。それゆえ子どもの意思は問題にされない。私は高校までの学校での学習のなかで 常に気持ち悪さを感じてきた。ハッキリ自覚するようになるのは中学からだ。ニュースや読書によって知っていた情報を、授業の中ではさも知らないかのように 振る舞わなければならない。特に高校からだが、教員の話と私のすでに知っていた知識とが食い違い、「どっちが正しいんだろうか」と迷うようになってきた。 〈子どもは何も知らない白紙のような存在だ。だからこそ全てを教えなければならない〉というテーゼが存在しているかのようだ。子どもに無理矢理に多くを教 え込む教育を、パウロ=フレイレは「銀行型教育」と批判する。預金者たる教員が銀行である生徒に、知識という貨幣を預金していく。銀行はそのお金を活用で きないまま歳を取っていく(本当の銀行ならば預金を貸し出し利益を得るのだけれど、「銀行型教育」の銀行はただ蓄えることしか出来ない)。だんだんと「ど うせ教えてもらえるのなら、予習しなくてもいいや」と思うようになってくる。教えてもらうのを待つようになってくる。こうして近代教育は受け身の人間を作 り出すのに成功したのだ。私はこの〈教えてもらうのを待つ〉姿勢を崩すのに、大学1年目の大半を使ってしまった。
 この本を書くことで、私は私の 大学までの学校生活の'清算’をしたいと思っている。学校生活のなかで感じた学校文化の気持ち悪さ・居心地の悪さを再確認したいのだ。本文にもあるが、学 校制度は人類史から見ればほんの最近にできた代物である。まだまだ試行錯誤段階である。教育学者を目指すものとして、まだ学校生活を終えて早い間に、自分 が感じた「学校の気持ち悪さ」を書き残しておきたい。

 この本を読まれる高校生の方。もしあなたが今通っている学校に居心地の悪さを感じ ていたとしても、それはある意味当然のことなのです。「学校なんて、そんなものだ」と諦めておくのがよいかと存じます。学校は完全ではないのです。もし気 持ちの悪さを抱いているのでしたら、それはあなたに問題があるのではなく、学校とそれを支えている近代思想に問題があるのです。居心地が悪かったとしても 決して中退することなく、しなやかに・したたかに学校生活を終えていただくことを念願しております。


目次
●序

●近代学校はいつできたのか?
●近代において、土地所有制度は、いかに変わったか。
●近代教育観の見直し。
●フリースクールとは?
●偏差値文化の日本。
●環境問題の、本当の解決法とは?
●対話の不可思議さ。
●一流に触れよ!
●参考文献

●あとがき




近代学校はいつできたのか?

 A君は早稲田大学 教育学部の3年生。著者である私の分身である。一見博識なようだが、たまに繰り出すギャグの寒さは有名である。対するB君は「序」のH君の分身でもある。高校1年生だ。A君がB君の元にやってくるところから物語は始まる。

A:ちは、B君。元気?
B:あ、先輩。はい、元気ですよ。
A:お、勉強中か。どう? 進んでる?
B:うーん、まずまずですね。受験があるから仕方なくやっているんですけど。
A:勉強は大変だよね。「強いて勉める」って書くくらいだからね。無理にさせる、っていう通り、楽しそうな響きのない言葉だからね。
B:マイナスばっかりの言葉ですね。
A:だから勉強が楽しいはずはないんだよ。だって無理矢理にやっているんだもの。だから僕は意識的に「学び」という言葉を使ってるよ。
 「さあ勉強しよう」ではなく、「さあ学ぼう」の方が軽い感じがしないかな?
B:確かにそんな気がします。Aさんの「学び」って具体的にはどんな意味なんですか。
A:「学び」というのは意識的に自分から知っていくことだね。
 辞書には「(1)まなぶこと。学問。(2)まね。まねごと」と書いてあるよ(『大辞林』)。回りや本を見て、それを真似ていく。その姿から出た言葉だね。
B:「強いて勉める」勉強と違って、「学び」は自分から真似るところから始まるんですね。
 学校では「勉強しよう」とは言っても、「学びをしよう」とは言いませんね。
A:「学び」自体は、きっと人類が始まったころからあっただろうね。赤ちゃんって、まわりの大人の話を聞くなかで、「ダーダ」とか言ってまねしていくよね。そして段々ちゃんとした言葉がはなせるようになってくる。少しずつ、ゆっくりと修得していくイメージだね。
 「学び」と違って「勉強」は集中的に学習するというイメージになるね。学校や塾では「真似をしていこう」とは言わないしね。だいたい、赤ちゃんに「勉強しよう」とは言わないね。
B:そういえばそうですね。「一生懸命、勉強しよう」などと僕もよくいいます。
A:ところで学校って存在は、昔はなかったんだ。だからB君がこうやって学んでいるのは人類史のほんのひとときにすぎないんだよ。
B:え、本当ですか? いったいいつ、学校ができたんですか?
A:日本においては明治の近代化の途中だ。日本史で明治維新ってやったでしょ? 
B:日本史選択でないので、やってないです。
A: じゃ、中学の記憶を思い出して。明治維新の途中の1872年(明治5年)の《学制》っていう法律により、日本では学校を作ろうとしたんだ。きちんと今みた いに義務教育制度が確立したのは1900年の《小学校令》という法律が出たときである、と言われているけどね(安彦ほか2004)。
B:Aさん、すごいですね。よくそんなこと知ってますね。
A:まあ、教育学専修だからね(意気高々)。
 ともあれ、《小学校令》によって義務教育制度はひとまず成立する。
B:中学校は?
A:当時は小学校のみが義務教育の対象だったんだわ。そしてしばらくは4年間だけが義務教育だった。1907年に6年間になるんだけどね。
 こうして、近代を支える義務教育制度が成立する。
B:義務教育って、単に学校へ皆が行くだけじゃないんですか? 「近代を支える」って大げさじゃないですか。
A:それがちょっと違うんだ。近代において教育というものは、国家の権力の現れなんだよ。明治政府は近代学校を通じて「日本人」を作り出そうとしたんだ。
B:えっ、じゃ明治時代までは「日本人」って概念がなかったの?
A:そうなんだよ。さっき「概念」っていっていたけど、まさにそのとおり。「日本人」という抽象的な存在は近代になってできたんだ。江戸時代には「日本人」はいなかった。強いて言うなら坂本龍馬や勝海舟くらいかな。
 日本史の教科書だと、確信犯的にはじめから「日本」や「日本人」という概念が存在していたように書いている。でも本当は違うんだ。
 ところでB君、出身はどこだっけ?
B:神奈川です。
A:昔は神奈川でなく、相模の国とよんでいた。
B:レストランにもそんな名前のがありますね。
A:うん、そうだね。
 相模の国。これはつまり「国」なんだよ。明治時代までは、全国的な国家というものはなかったんだ。あるのはそれぞれに王様がいるいくつもの「国」だけ。藩じゃないよ。
B:でも江戸時代には幕府の将軍がいましたよ。
A:当時は王様である大名の上に、さらに権力者がいたという感じなんだ。日本だとあとは天皇もいるし。
 こんな感じに、中世はバラバラな時代だったんだ。
 あ、中世って知ってる?
B:実はあんまり・・・(笑)。
A:高校じゃ、しっかり中世とかの区分を教えないから、歴史がわからないんだよね。中世っていうのは、日本だと鎌倉時代から江戸時代まで。鎌倉から室町までを中世とし、安土桃山時代から江戸時代を近世ということもあるよ。
  中世は封建制の時代なんだ。中学校の歴史で鎌倉幕府の「御恩と奉公」って習ったじゃない。これは次のようなシステムなんだ。まず各地の実力者である武士 が、鎌倉幕府に忠誠を誓う。何かあったときや幕府に呼ばれたとき、すぐに参上する。「いざ鎌倉」ってやつだね。こうやって幕府に忠誠を示すんだ。「奉公」 という。
 「奉公」する代わりに、幕府から自分の支配している土地の支配権を認めてもらう。また、功績があれば幕府からご褒美として新たに別の土 地の支配権を受け取る。これが「御恩」。言ってしまえば、幕府が一応日本全体を支配しているけれど、実際のところ支配者である武士が各地にたくさん存在し ているんだ。  
 日本全体がバラバラな時代。それが中世なんだよ(安藤1994)。
B:うーん、難しいけど何となくわかります。
A:何の話だっけ? そう公教育の話だ。明治以前は相模の国とかがあって、日本列島はバラバラだったんだ。そこでは方言が普通にしゃべられていた。いまよりもずっとキツい方言がね。いまは標準語というものがあるけど、明治時代まで統一的な日本語はなかったんだ。
B:へー。じゃ、いつ日本語ができたんです?
A:これも近代に入ってからだ。ここでは近代の開始を明治維新ということにしておくよ。
  皆が方言をしゃべると、日本国民としての統一感がなくなる。同じ「日本人」なのに言ってることが理解できなかったら困るからね。だから日本の標準語を作っ た。東京の山の手あたりではなされていた方言を元にしてね。面白いことに、標準語は東京から遠く離れた山口弁の影響も受けているんだ。当時は長州藩出身の 政治家・役人が明治政府の要職を占めていた。伊藤博文とか長州、つまり今の山口出身だね。そのために山口弁の影響を多く受けたらしい。
 で、新しく作った標準語をどうやって徹底させるか? それを行ったのが公教育なんだ。公教育の中には「国語」や「歴史」の時間が設けられた。それにより日本語をしゃべり、日本の歴史を学び、「日本人」という意識を持った「日本国民」が形成されていくわけだ。
 この標準語政策が特に厳しく行われたのが、B君が修学旅行に行く沖縄だ。
B:僕らの代から、東北になるらしいですよ。
A:えっ、マジで? それは寂しいな。何で変えちゃうんだろう?
 ・・・まっ、とにかく沖縄では学校で方言をしゃべると、「方言札」というのを首からかけさせられ、厳しい罰をうけたらしい。まだ子どもなのに、ね。
B:ひどいことをするもんですね。
A:近代の負の側面の一つだろうね。ともあれ近代は統一を重視する。江戸時代までみたいにバラバラなのを嫌うんだ。

近代において、土地所有制度は、いかに変わったか。

A:近代では土地所有制度も変わった。土地は、地主だけの物となったんだ。これ、当たり前じゃないんだよ。
 中世までは〈誰でも利用してOK〉の、農村の入会地(いりあいち)という土地があった。いわば共有地だね。この入会地も、「誰それさんの土地」や「国有地」などに変わった。
 中学校で地租改正ってやったでしょ? 地券(ちけん)というものを発行し、その地券をもっている人が土地所有者として、年に土地の値段の2.5%を政府に納税するっていう制度。この地租改正により、日本のあらゆる土地の持ち主が明確になった。
  近代までは、土地をもっていても他人に奪われる可能性があった。だから貴族・皇族・寺社・武士など有力者に「この土地の支配権をあげます」と土地を寄進し た。有力者の方は「ありがとう。収入の一部をいただく代わりに、あなたにその土地を管理してもらいましょう」といって、保護をするんだ。ややこしいのは、 この次。寄進をしてもらった有力者といえども、絶対的な力を持っている訳でない。だからその有力者は自分よりエラい有力者に、さらに土地を寄進する。する と、どうなるか?
 表面的には土地のすぐそばに住む武士が、土地を支配しているように見える。でも実際の持ち主はその武士が土地を寄進した有力者 や、その有力者がさらに寄進した相手である。あー、ややこしい。近代に入って、このごちゃごちゃした土地制度を解消するために、「この地券をもっている人 が本当の支配者よ」ということにしたんだ(安藤1994)。
 ・・・「チケン」か。危ないバイトみたいだ。
B:何の話ですか?
A:いやいや、こっちの話。大学に入ればきっとわかるよ。
 さて。「日本」とか「日本人」とかは抽象的な物だ、ということは話したね。そしてこの「日本」「日本人」っていう概念は近代において出来上がった、と。これ以外にも、近代ではいろいろなものが新たに成立した。その一つが「国家」であり、公教育なんだよ。
B:そうなんですか。勉強になります。
A: だから近代において成立した物は、絶対的な存在ではないんだ。僕らは「もともとあったんだ」と思ってるけどね。フーコーも言ったけど、人間は自分の見てい る物は「もともとあったもの」であり、自分が住んでいる社会は、昔からずっと「いまみたい」だったのだろうと勝手に思い込んでいるだけなんだよ(内田 2002)。

近代教育観の見直し。

A:今の世の中を見ると、学校制度って言うものが、さも〈昔からあった〉ように思える。けれど、学校制度は近代までは存在していなかったんだ。
B:寺子屋は?
A: あれは余裕のある人だけがいったんだ。多くの子どもたちが寺子屋に行った地域で8割、ほとんど行っていないところでは2割も通っていないんだ。《皆が学校 に行く》という制度は近代になってからできたんだ。だいたいね、寺子屋は民間経営なんだ。幕府が意図して設立した訳ではないんだよ(安彦ほか2004)。
 寺子屋の数がすごいんだわ。江戸時代、総人口は四千万人に満たなかったのに全国には一万六千の寺子屋があったんだ(谷沢1995)。いま日本には小学校が約二万二千校あることを考えても、驚異的な数だね。
B:子ども全員が言った訳じゃないのに、本当にたくさんあるんですね。
A:学校はよく見てみると、非常に近代的な物なんだ。否定的な意味でね。フーコーっていう学者がいるんだけど、知ってる?
B:はい、《フーコーの振り子》ですね。
A:そのフーコーは科学者のレオン=フーコー。ここではミシェル=フーコーを指すよ。フーコーはフランスの哲学者。代表作に『狂気の歴史』がある。
 フーコーは、‘学校はあるものをモデルにして作られた’といっているんだけど、そのモデルって何だと思う?
B:うーん、寺子屋とか?
A:答えは監獄。
B:え、牢屋ですか?
A:そう、そうなんだよ。監獄では看守が受刑者を見張るシステムができている。
 学校には怪談話があるでしょ? トイレの花子さんとか。
B:小学校にありました。音楽室のベートーヴェン像が笑うとかでしたっけ。
A: 学校という、子どもが生活する場所において怪談が語られること自体、学校が過ごしやすい場所でない象徴なんじゃないかな? 学校が非人間的な物である証拠 かもしれない。だいたい、学校制度は完成された制度じゃなく、多くの不備を抱えているからこそ常に何らかの教育問題が騒がれているんだよ(田中 2003)。
 ある人がこんなことを言っていた。「教育こそ問題なのだ。教育の問題ではないのだ」(林1989)と。これを学校って言い換えると、実に的確な指摘になる。
 B君は学校を休むと「悪いことをしたな」と思うでしょ?
B:はい、思いますね。
A:それも近代特有な物かもね。この弊害は結構大きい。
  不登校の子っているよね。不登校の子は、結構苦しい思いをしている。それはその子自身が「学校には何があっても行かなければならない」と思っているからな んだ。いま学校に通っている人たちの中にも、同じ思いの人がいるんじゃないかな。「学校は何があっても行くべきだ、たとえいじめがあったとしても」と。
 この近代特有の思い込みのせいで、つらい思いをしている人がいる。本当は教育が子どもの幸福のためにならなければいけないはずなのに、残念なんだわ。

フリースクールとは?

A:B君はフリースクールって知ってる?
B:たしか不登校の子たちが通う学校では?
A:そうそう。
  僕の尊敬する人に奥地圭子っていう人がいるんだ。この人は22年間、小学校の教員だった。あるとき、奥地さんの息子さんが学校に行けなくなる。《どうした らいいんだろう》と途方に暮れたんだけど、それがきっかけで不登校の子どものための学び場を作ろうと考えられたんだ。海外にあったフリースクールを元に 〈東京シューレ〉っていうフリースクールを作ったんだ(奥地2005)。
 近代公教育制度は、たしかに日本の近代化に役立った。近代公教育が多くの子どもたちに有効であったからこそ、今日の日本の繁栄があるんだろうとは思う。けれど制度を作るとそこから外れる人が必ず出てくる。不登校の子どもは絶対存在するんだ。
 子どもの個性は一人ひとり違う。同じ場所に行っても、楽しいと思うかそうでないかは人によって違う。ディズニーランドも「嫌いだ」って言う人、いるでしょ?
B:そんな人、みたことないよ。
A:おかしいな…。俺の友人が変なのか?
  …えっと、子どもの個性は一人ひとり異なる。学校があわない、っていう子は必ずいるんだ。でもそういう子たちを無理に学校に行かせようとしてきたのが今日 の教育制度だ。本当はそういう子たちが行きやすい学校や教育機関を作っていくべきじゃないの? 靴のサイズが合わないとき、足を小さくしようとしないよ ね、靴を選び直すよね?
B:そうですね。
A:奥地圭子さんは不登校の子のための学校を作った。そこがすごいね。
B:フリースクールだとどういう授業を行っているんです?
A: 厳密にいえば、フリースクールによって違う、としかいえないかな。〈東京シューレ〉のケースで話すよ。東京シューレでは、子どもたちは来たいときにきて、 好きなときに帰ることができる。そして、子どもたちは思い思いに時間を過ごす。勉強したければスタッフに教わる事もできるし、自分だけで学ぶ事もできる。 勉強したくなければ、遊んでいても、何をしていてもいい。そんな所だった。
 僕が見学に行ったときは、問題集をやっている子の横で漫画を読んでる子がいた。キッチンではスタッフとともにクッキーを焼いている子もいたし、4人くらいでボンバーマン(テレビゲーム)をやっていたわ。外でバドミントンをしている子もいたしね。
 皆、不登校だったとは思えないくらい生き生きとしている。もし東京シューレがなければ、ずっと暗い思いにうち沈んでいたのかもしれない。
B:フリースクールって、重要な意味を持ってるんですね。
 でもフリースクールって民間が運営してるんでしょ? 月謝とか、かかるんじゃないんですか。
A: うん、金銭の問題はどうしようもない。実際、東京シューレでは4万円くらいかかるみたい。だからフリースクールに金銭的理由で通えない子どもはいるだろう ね。ある程度、親に年収がないと結構きつい。矛盾しているようだけど、フリースクールに行けるのはある程度のエリート層であるといえるかもしれない。
 ただ、いま日本には奨学金制度があるね。フリースクールに通っている子にも支給されるようになったらもっと通いやすくなるだろうね。
B:もっと活動に支援が与えられるといいですね。
A:フリースクールの運営にはお金がかかるんだ。場所代・設備費・光熱費とかだね。ここは必ず必要な費用だから、自然とスタッフの給料が減らされることになる。まあ、ボランティアの人にはあんまり関係がないけど。
 フリースクールのスタッフの雇用条件は結構悪いところがあるよ。最低賃金を割ってしまっているところもざらにある。フリースクールをやる人って、「子どものために何かしたい」という人がけっこういるみたいで、賃金がほとんどなくても善意で行っている。
 「NPO30歳限界説」というものもあるね。
B:何ですか? それは。
A:ボランティアみたいな活動ができる限界は30歳、っていう説。
 NPOの運営には当然お金が必要だね。建物を借りたり、道具を買ったりする。大きな組織では会議の運営や報告書作成のためにスタッフを雇ってこなければならない。でも元々こういう組織は儲からない。人びとの「なんとかしたい」という思いによって行っているから。
  若いうちは給料が少ない、あるいはゼロでもアルバイトなどして生きていくことができる。でも結婚を考えたり、「アルバイトでなく、もっと安定のある仕事に 就きたい」と思ってくる時がある。それが30歳前後。そのためにNPO30歳限界説がある。NPOだけでは食っていけなくなるんだ。

偏差値文化の日本。

A:ところで、B君はどこの大学目指してるの?
B:一橋です。
A:あ、俺の落ちたところだ(笑)。がんばってね。
 日本だとよく、偏差値の話が出るね。「オレ、偏差値低くて」とかよく聞くでしょ? 日本人はこれを一生背負っていくみたいだよ。別に学歴社会は日本だけじゃなく、アメリカとかのほうがひどいけどね。
  日本だと、学校ごとに序列があるじゃん。この学歴とか偏差値で人が分断されるのも近代特有だね。たとえば、中学の友人に「俺、早稲田行ってるんだ」という とき、僕自身優越感を感じてしまう。これ、本当は捨て去らなければならない感覚なんだけどね。僕も近代に毒されているわ(上野2002)。
 この近代の限界が、いまいろんなところに現れている。学級崩壊とかそうだね。30年ほど前はこんなことはなかった。学校で学ぶのが当たり前だと思われていたからね。でもいまはこの〈当たり前〉っていう感覚が崩れかけているんだ。近代公教育制度の限界を感じるわ。

近代の発想の限界。

A:近代の限界は、環境問題がその最たる物なんだわ。で、近代的発想っていうのは、フランスの哲学者デカルトからきている。デカルトのいった有名な言葉があったね。
B:「我思う、ゆえに我あり」ですか。
A:そう、それ。コギト・エルゴ・スム。
 「世の中の物は、本当に存在するのか? ひょっとすると、俺の妄想にすぎないのではないか?」。デカルトはこの疑問を長い間持ち続けた。そしてあちこち旅をする。あるとき、突然浮かんだのがさっきの言葉だ。
 「すべては疑わしい。実際には存在しないのかもしれぬ。でも俺という存在、つまり〈考えている〉実態がある。これだけは確かだ」と気づくわけだね。一切の存在を疑うという行為をしている、自分自身の理性の存在に気づいたんだ(青木1997)。
B:一つのドラマですね。
A:このデカルトの発見は、科学文明に絶大な影響を与えた。「我思う、ゆえに我あり」というとき、自分という存在は観察する物から離れた存在となる。よく客観的、とかいうでしょ? この客観的っていう言葉は、デカルトの発見を元に成立している。
  観察する自分がいる。そして観察される物がある。(鉛筆を持つ)ここに鉛筆があるね。客観的に見るとは、この鉛筆を自らの思いを一切入れず、そのまま見つ めることになる。いったい、この鉛筆は何からできているのか。なぜこのような形状なのか。こんな感じでひたすら観察する。
 このとき、「これを使うと勉強がはかどりそうだ」とか考えてはいけない。自分の思いを押し殺して、「客観的」に冷静に見つめるんだ。自分の解釈は入ってはならない。
 …とまあ、デカルト以来、人類はこんな観察態度をすべてのものに対して、向けるようになったんだ。
B:へー、「客観的」ってよく言ってますけど、そんな意味合いがあったんですか。
A:この観察の仕方により、人類の科学は飛躍的に進む。それまで中世の神話や迷信によって遮られていた世界の解釈が、可能になったんだ。
 デカルト的に物をみることにより、水という物質の性質が観察され、蒸気機関が発明される。産業革命だ。蒸気機関に必要なのは水もそうだけど、水を沸騰させる燃料。当時は石炭を使った。
B:ああ、中学で学びました。スチーブンソンとかですね。
A:電気という目に見えない物すら、人間は観察できるようになった。
 このデカルト的な見方が、今の社会をもたらした。デカルト的な見方は、自分と対象をたて分ける。そして相手を徹底的に観察する。この考え方が、自然と人間という二項対立を成立させた。ここに、キリスト教の一説が反映される。
 こんな一節だ。
「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。(中略)あなたたちは産めよ、増えよ。地に群がり、地に増えよ」
(『旧約聖書』創世記 第9章)
 ここを解釈し、「神は地上の物は人間のために活用していいといっているんだ」と考えた。そのために人間とは無関係である「自然」の破壊が進んでいった。だって、人間は何をやってもいい、人間こそがすべてだ、といっているんだからね。
B:聖書の一節とデカルトの発想が結びついたんですか。この2つにより自然破壊が進んでいくんですね。
 でも、不思議ですね。世界中に近代が広がっているのに、キリスト教の影響をうけて近代が成立しているなんて。
A: それは簡単だよ。近代はヨーロッパで生まれた発想なんだから。そしてヨーロッパは、近代の初期において世界をリードした。産業革命、植民地の建設などはす べてヨーロッパ発なんだ。で、ヨーロッパはキリスト教の影響が強い。だから近代は非常にキリスト教の影響を受けた時代であると言えるんだ(山本 1992)。
 さて、無反応な自然に対し、人間は徹底的に手を加え、活用していく。結果として地球上では砂漠化、温暖化、資源の欠乏などの深刻な被害が出始めている。
B:最近、ほんとうによく騒がれてますね。

環境問題の、本当の解決法とは?

A:環境問題の難しいところは、近代的発想法をしている限り、絶対に解決できないからなんだ。だって、近代は自然と人間をたて分けたデカルトの発想に縛られた時代でしょ? この考え方を人間中心主義という。
  環境問題の解決のため、「資源を大事にしよう」とか「ありがたさを感じよう」とかよく言われているよね。「倹約しよう」という考え方だ。でも、これじゃ問 題は解決しないんだ。「資源を大事に」と言っている人は、仮にみんなが倹約して経済の発展が落ち込んで生活が不便になっても、不満を言わないんだろうか。
B:言ってしまいそうですね。
A:倹約思想は、結局人間中心の発想だ。いままで人間がやりたい放題にやってきたから、それを反省しようというレベルの考え。でも事はそんなに簡単じゃない。
 デカルト的な考えと、キリスト教の考えが融合して環境破壊が起きた。この環境破壊が「近代」っていう発想によって生じた物であるのだから、近代を乗り越える発想がなければ、根本的な解決はできない。人間中心主義を乗り越える新たな思想が必要だ(長尾2001)。
B:そんな思想、あるんでしょうか。
A:ポストモダンっていうやつさ。 
B:何ですか、それ。
A:ポストっていっても、街角にある赤い物じゃない。
B:いや、さすがにわかりますよ。
A:失礼、ギャグのつもりだったんだけど。…寒いね、しかし。
 「ポスト」とは「それ以後」とか「その次」とか言う意味。つまりポストモダンとは「近代を超えたもの」という意味だ。このポストモダンって言葉やポストモダンの考え方は、現代文の入試評論に頻出ワードだから知っていると得するよ。
B:わー、じゃ集中して聞こっと。
A:環境問題を解決するには、一人ひとりが近代の人間中心主義を乗り越え、ポストモダンの発想を持たなければならないんじゃないか、と僕は考えているんだ。
B:それはどんな内容なんですか?
A:近代は、人間のエゴが無秩序にあらわれた時代だ。自然を意のままに操ろうとした。この状態の解決のためには、自己の事だけでなく、共同体意識を持つ必要がある。そして共同体のために自らの欲望を制御する必要があるんだ。
 最近、「持続可能な発展」っていうことばがよく語られるようになってきた。聞いた事ある?
B:はい、現社でやりました。
A:いまあちこちで語られているからね。
 さっき、《倹約しよう、という人は経済が落ち込んだとき不満を言うだろう》という話をしたね。これを乗り越えるのが「持続可能な発展」だ。ESDともいう。
 経済成長と地球環境の保全を両立させる道を探そう、という概念だ。地球環境を安定した状態に保ちつつ、開発を進めていく道を探っていくわけだね。そのためにいまの僕たちの産業構造や意識の構造を見直していかないといけない。そこが難しい。
 開発しなければ、経済成長は見込めない。でも開発すれば地球規模での破壊がおこり、人類は遅かれ早かれ破滅してしまう。このジレンマを抱えているの「持続可能な開発」なんだ。
B:「持続可能な開発」をすれば、環境破壊の問題を解決できるんですね。
A:そうはいうけど、難しいよ。
 個人の自由を保障しながら、未来の子孫を含む人類全体の安定を図っていく。これが難しい。自分の欲望をどこかで抑えないといけない。それも、意識的に、継続して。
 「持続可能な開発」のためには、人間の発想の根本的な変革がいるんだ(長尾2001)。
B:本当に大変なんですね。
A:端的に言うと、次のような発想をすることが、「持続可能な開発」を行う事じゃないかな。
 《可能な選択肢はたくさんある。けれど、世界のため、未来の子孫のために、あえて自分に不利益をもたらす選択をするのを辞さない》。こんな行動をする人が増えないといけない。
B:どうやって増やすんです?
A:うーん、対話をしていくことだろうね。それしか人間の意識レベルからの変革は図れないからね。
 近代を乗り越えるためには、究極的には人間の生命次元からの、根源的な変革が必要だろう。対話の実践によって、ね。これがなければ世界が終わってしまうことになるんだ。
 ここの部分は非常に難しいから、もっと勉強していくつもりだけどね。

対話の不可思議さ。

A: さっきからこうやって対話してるけど、対話っていうものも不思議なものなんだよ。対話をしてるとき、よく自分の中にあるメッセージがそのまま口に出てくる と思うじゃない? でも本当は違う。構造主義っていう考え方があってね、それによれば人間の話す内容はその人が作り出すのでなく、いままでその人が会った 人、読んだ本などの無数の影響を受けているんだ。また日本語を話す限り、日本語に基づく内容でしか話すことができない(内田2002)。
B:当たり前じゃないですか。
A:そうとも言い切れないんだね。B君が僕に話すとき、はじめにB君の言いたいことがあって、それが言葉の形で表現されている、って思うでしょ?
B:はい、そう思います。
A:20世紀に入って、その考え方は否定されるんだ。僕らは日本語っていう言語で話すね。この言語というものを離れては、人間の意識や意思は存在することができないんだ。人間の意識はつねに言語的なものとして言語に規定されている。
 ためしに、言語を使わずに考えてごらんよ。できる?
B:(しばらく沈黙)…できないです。
A:ね。つまり僕たちは言語を離れて物事を考えることはできない。自由に物を考えているつもりでも、「言語」の制約がかかるんだ。
  また、対話をするとき、相手の発言によって「自分の心の中にある思い」が引き出されて口からでてくる、と普通は思う。でもこれも違う。「自分の心の中にあ る思い」は、言葉によって「表現される」と同時に生じるんだ。心の中で考えるときも、日本語の語彙を使って、日本語の文法規則に従って、日本語で使われる 言語音だけを用いて作文をしているだけなんだ(内田2002)。
 自分が言葉を語っているとき、言葉を語っているのは自分そのものではない。自分 が習得した言語規則、自分の学んだ語彙、自分が聞き慣れた言い回しや他人から聞いたり読んだりしたことが、自分の「思い」・「考え」になるんだ。よく「僕 の持論は…」とかいうね。この持論にいちばんたくさん入っているのは実は「他人の持論」なんだ。
 また、対話だったら直前に聞いた相手の発言をうけて、いままで思ってもいなかったことが「自分の思い」として出てくることがある。つまり、純粋な自分の思いは、存在しないんだ。
B:へー、恐ろしい!
A: こんな感じで、対話をしているとき「これは自分の考えだ」と思っても、それは自分の住んでいるところの文化・規則(先の話で言う日本語の規則のこと)や直 前の対話、いままで読んだり聞いたりしたことの結果として表現されるにすぎない。このような考え方を構造主義という。

一流に触れよ!

A:さっきフーコーの話を出したけど、フーコーは構造主義の代表人物だね。構造主義とは人間の意識や考えは、言語や文化などの「構造」の影響を受ける、ということをいっているんだ
B:構造主義ですか。さっきの説明を聞くと、よくわかります。
A:人間は、自分が見聞きしたものの影響を受ける。また自分が見聞きしたものにより、自分の考えが作り出されていくんだわ。
  だからこそ、一流のものや人に意識して触れていかないといけない。二流・三流の雑誌やつまらないゴシップ記事ばかり読んでいては、自分の考えもそれらに毒 されてしまう。しかし、一流の本や一流の人物に触れていれば、自然に自分の考えも一流のものとなっていくはずなんだわ。
 骨董品のお店に弟子入り すると、まずしばらくは一流品、つまりホンモノのみを見るように命じられるそうだよ。そうするうちに、自分の精神も一流となり、偽物・まがい物をみても直 感で「これは偽物だな」と気づくようになるそうだ。両替商で偽金を判断するための訓練としても、似たようなことを実践していたらしい。
 だから、読んでも無駄な本・雑誌は極力読まない方がいいよ。知らない間に自分にマイナスの影響を与えるからね。読むなら一流の名著を。一人、気に入った作者が見つかったら、その人の言葉を自らのものにする、との決意で徹底的に読む。
 いまのは読書論だったけど、対人間に対しても同じことが言える。「この人は、すごい人だ!」と思える人を探し求めていくことだね。もし自分がとてつもなく尊敬する人物、つまり師匠と言える人間に出会ったときは、その師匠からどん欲に学んでいくといい。
B:はー、なるほど。これからもっと本を読んでいきます。師匠も探したいです。
A:だいぶ話し込んじゃったね。
 では、勉強がんばって! 邪魔したね。
B:いえいえ、学校では教えてくれないことを教えてくださり、ありがとうございました。
A:…取りようによっては、まるで僕がアブないことを教えたみたいだね。

 Aは左手首に目をやった。彼の腕時計は、話し始めからきっかり2時間経過したことを示していた。夕焼け空が、校舎の窓に広がる。(了)


参考文献

 本書執筆の際、参考にした書籍を挙げさせていただく。本文に挙げた問題をさらに考察する場合に、これらの本を開いてみると参考になるはずである。
 なお、本の並び方は著者名の五十音順である。

青木裕司『青木世界史B講義の実況中継 文化史編』(1997年、語学春秋社)
安彦忠彦・石堂常世編『現代教育の原理と方法』(2004年、勁草書房)
安藤達朗『日本史講義 時代の特徴と展開』(1994年、駿台文庫)
イヴァン=イリッチ著 東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』(1977年、東京創元社)
内田樹『先生はえらい』(2005年、ちくまプリマー新書)
内田樹『寝ながら学べる構造主義』(2002年、文春新書)
上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』(2002年、太郎次郎社)
奥地圭子『不登校という生き方』(2005年、NHKブックス)
田中智志『教育学がわかる事典』(2003年、日本実業出版社)
田中智志・今井康雄編『キーワード 現代の教育学』(2009年、東京大学出版会)
谷沢永一『人間通』(1995年、新潮選書)
長尾達也『小論文を学ぶ』(2001年、山川出版社)
パウロ=フレイレ著・小沢有作ほか訳『被抑圧 者の教育学』(1979年、亜紀書房)
林隆造『教育なんていらない』(1989年、大宮書房)
本橋哲也『ポストコロニアリズム』(2005年、岩波新書)
山本雅男『ヨーロッパ「近代」の終焉』(1992年、講談社現代新書)


あとがき

 もともとこの本はH君との対話がなければ生まれなかった。彼に最大限の感謝をしたい。誰かとの対話が、行動を生むことがある。それを今私は実感している。

  この本の中で、どうしても気に入らない点がある。それは啓蒙的な「大人」(A)と啓蒙される「子ども」(B)との対比だ。「A→B」の一方向性のみが描か れている。本当の意味での「対話」が成立していない。なお教育学における対話とは「教員→生徒」の図式を崩し、「教員⇄生徒」の関係性に持ち込むことをい う。ブラジルの民衆教育者・パウロ=フレイレはこう語った。
対 話をとおして、生徒の教師、教師の生徒といった関係は存在しなくなり、新しい言葉、すなわち、生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同 時に生徒であるような教師が登場してくる。教師はもはやたんなる教える者ではなく、生徒と対話を交わしあうなかで教えられる者にもなる。生徒もまた、教え られると同時に教えるのである。かれらは、すべてが成長する過程にたいして共同で責任を負うようになる。
(パウロ=フレイレ著、小沢有作ほか訳『被抑圧 者の教育学』亜紀書房、1979年、81頁)
 パウロ=フレイレのこの言葉を自覚していきたい。
  ポストモダン思想を語っている割に、非常に近代啓蒙主義的な構図を持つ作品となってしまった。もっと対等な関係性の対話劇・対話型専門書にしたいのである が…。いささか難しい。なんとかして、AとBとの関係を「⇄」の関係にしたい。これは次回以降の『高校生と語るポストモダン』の続編以降の課題としたい。

 つまらない本になってしまいましたが、この本を私の師匠に捧げたく存じます。

平成21年3月16日 早稲田駅前のカフェ・シャノアールにて。

2008年11月11日火曜日

警察に注意しろ

ジャケットに込める思い

私にとって学ぶことは仕事である。大学に行くのは働いているのと同じことだ。

だから私はいつもビジネスライクの服を着る。そのためのジャケットだ。

ペンネームをかえました

以前のペンネームは、私が小学校三年生のときから使ってきたものだ。

しかし、同姓同名の者がいる関係上、やむなく変更することにした。

考えたのが「石田一」である。

小学一年生ですべて読めるようになる。

それぞれの言葉には意味を込めた。

石・・・意志。または四字熟語「心堅石穿」より。
田・・・早稲田の「田」。心田。
一・・・一流を目指す。

だから、私のペンネームに文句を言うのはやめて下さい。

2008年11月10日月曜日

大衆操作か、英雄か。

トマス=ペインの『コモンセンス』。これによりアメリカの革命は進んだ。しかし、これはマスコミが大衆操作し、しなくてもいい戦争に突き進んだ、とマイナスからみることは不可能なのだろうか?

「好きじゃないと、もたない」時代の就労観

〜書評:齋藤孝・梅田望夫著『私塾のすすめ ここから創造が生まれる』〜

 〈仕事と金儲けは違う。金儲けは何も教えてはくれないが、仕事は生き方を教えてくれる〉。私の私淑する灰谷健次郎の言葉だ。今回取り上げる『私塾のすすめ』には《これからの時代の仕事観》がまとめられていた。内容に感銘を受けすぎて、コメントのしようがない。「金言集」のような物にしてみよう。

梅田:昔に比べて、圧倒的にたくさんの仕事をせざるを得ない。そして会社というのは、結局は営利を求める存在ですから、勤務時間を超えて勝手にたくさん仕事をしている人が、やっぱりいい仕事をすることになって社内競争に勝つ。(中略)だから僕は、大組織にせよ、組織以外での仕事にせよ、自分とぴったりあったことでない限り、絶対に競争力が出ない時代になってきていると思います。朝起きてすぐに、自分を取り巻く仕事のコミュニティと何かやりとりすることを面白いと思える人でなければ、生き残れない。(144項)

梅田:僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、そういう競争環境のなかで、自分の志向性というものに意識的にならないと、サバイバルできないのではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。(145項)

齋藤:これからは、梅田さんのおっしゃるように、ここまで社会がスピードアップしてしまうと、「好きじゃないともたない」。「好き」が伴わないと仕事ができないというのは、ある意味で厳しくなってきたというか、がまんすればそれですむという感覚を超えてきたといえますね。そういう厳しい状況になってきたときに、僕は「心の自己浄化装置」が必要になってくると思います。「タフ」というと、最初から動じないという感じですが、タフであるかどうかというより、自分で処理するシステムをもっているかどうか、ということです。(中略)要するに、「なんとか職人」という感じの自己規定をしてみると、腹が決まるというか、逃げ出せなくなって、そうなると、細部に楽しみを見いだすことができるというメリットがあります。(150項)

梅田:すべてはトレードオフですからね。何かを始めようとすれば、何かを諦めなくてはいけない。(180項)
梅田:最近本当に感じるのは、情報の無限性の前に自分は立っているのだなということです。圧倒的な情報を前にしている。そうすると、情報の取捨選択をしないといけない、あるいは、自分の「時間の使い方」に対して自覚的でなければならない。流されたら、本当に何もできないというのが、恐怖感としてあります。何を遮断するかを決めていかないと、何も成し遂げられない。ネットの世界というのは、ますます能動性とか積極性とか選択性とか、そういうものを求められていくなと思う。無限と有限のマッピングみたいなことを本当に上手にやらない限り、一日がすぐに終わってしまう。(183項)

 齋藤孝ファンの私は、齋藤の名につられてこの本を買ってしまった。しかし、こうして書評を書いてみると、意外に梅田望夫に自分が影響を受けたことを知った。読んでいるときは梅田望夫を気にも留めなかったのに、書評にするときは梅田の言葉で紙が埋まってしまった。対談集を読むことは、知らない作家の本に出会うチャンスをもたらしてくれる物であることに初めて気づいた。
 『ウェブ進化論』の著者たる梅田。彼はこれからのネット時代の方向性を語っていける数少ない人物の一人だ。襟を正して梅田の書を読みたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
齋藤孝・梅田望夫著『私塾のすすめ ここから創造が生まれる』
(2008年、ちくま新書)


以下は関係ない文章です。
齋藤:「自己内対話」とは、自分でいつも自分と対話しているということではなくて、自分の中のなかの他社と対話するということです。自分のなかにどれだけ他者を住まわせられているかがポイントとなります。読書というのは、自分のなかに、自分の味方となる他者を住まわせることだと思います。大量に対話した相手というのは、自分のなかに住み込むんですよ。自分のなかに、味方となる他者をたくさんつくっておく。そうすると、現実の他者と話したときに、その人が、他者のうちの「ワン・オブ・ゼム」になるわけです。その人が絶対的ではなくなる。(141項)

梅田:僕は基本的に、ものごとというのは、だいたいのことはうまくいかないという世界観を持って生きていますね。だから、一個でも何かいいことがあったら大喜び。(132項)

齋藤:僕自身はだいたい五年スパンで考えます。たとえば、二十五歳から三十歳は修業期間と考えて、アルバイトをするよりも、自分に資本を蓄積する。僕の場合の資本は、勉強するということだったわけですけれども、生涯すり減ることのない資本を身につける。これはゲーテのアドバイス(「重要なことは、けっして使い尽くすことのない資本をつくることだ」、『ゲーテとの対話』エッカーマン著、岩波文庫)だったわけですが、このアドバイスを信じていました。自分が勉強したことは、生涯、何かしらのかたちで生きてくるだろう、注ぎ込んだエネルギーが将来金銭的に回収されることはないかもしれないけれど、自分はその時期「思想家」として生きる、みたいに。(122項)

梅田:すべてはトレードオフですからね。何かを始めようとすれば、何かを諦めなくてはいけない。(180項)

齋藤:梅田さんの言われた「志向性の共同体」に、二十一世紀の希望を感じます。参加していることそれ自体が幸福感をもたらすもの。学ぶということには、そういう祝祭的幸福感があります。学んでいることそれ自体が幸福だと言い切れます。共に学ぶというのがさらに楽しい。できれば、先に行く先行者、師がいて。それが「私塾」の良さです。(195項)
 トルストイの〈努力こそ幸福そのもの〉につながる言葉である。

映画『容疑者Xの献身』

 今日、久々に映画館に行った。友人とともに。

 容疑者Xの献身であるが、あの結末はいかがなものかと。

 別にあの人を殺さず、バラバラ殺人にしていればよかったのではないか。(ネタバレ注意)

 暗いだけの石上の人生に、ひとときでも輝きをもたらせてくれた。この感謝の思いが、別の形で表現されることはなかったのであろうか。

 教育学徒として一言、ふたこと。
 その一。石上、授業にやる気なさ過ぎ。教師であるならば、生徒の理解水準まで降りて授業をするべきだ。自らの自己満足の授業であってはならない。
 その二。研究者になる道は厳しい。石上は、「その一」でもいったが教員になるべき人間ではなかった。学者としてなら、本当に大成できたはずだ。研究志望者が研究者となれないところに、この世の不幸の一つがある。もっと大学院生に資金の提供をしていくべきかもしれぬ。
 鷲田小彌太は《研究者になるなら、10年間研究し続けることに耐えなければならない》といっている。10年間無収入に近いなか、いかに戦い抜くか。ここに研究者になることの厳しさを思う。

2008年11月8日土曜日

マックを買った日

マックブックを買った。早稲田大学の生協にて。

前のWIN は重すぎ。友人がネットをみて、「これって、モデムでつないでるの?」と訪ねるほど。実際は光なのに・・・。

マックは、買ってきて箱を開ける瞬間に、感動を覚えるものらしい。実際、そうだった。

2008年11月5日水曜日

退廃文化の向こうに

退廃文化の向こうに 〜早稲田祭に思うこと〜

 早稲田祭とは、退廃文化の異名である。本来、文化祭は文化活動を行う場所である。決して、騒音とコスプレとナンパ活動で終わる祭りではない。最高学府で行うのだから、なおさら文化的であるべきだ。けれども早稲田祭2008は、人の多さに驚き、見るべき企画の少なさに驚き、早稲田祭参加者の態度に驚くという、驚いてばかりの祭りであった。
 赤いハッピを着た早稲田祭スタッフ。何人かは昨夜から一睡もせず、早稲田祭2日目に臨んでいる。11月3日の夕方、スタッフは懸命に撤収作業に当たっていた。その横で、たむろした大学生が女子高校生をナンパしているのを見た。その集団により、道が通りにくくなっている。何ともやりきれない思いを感じる。スタッフの方々は、こんな人たちのために苦労する必要があったのだろうか。それでも笑顔で対応しようとするスタッフの姿に脱帽した。
 昨年、一昨年の早稲田祭では、私は講演会企画サークルで動き回っていた。昨年は講演の司会をすることとなり、緊張しながらこの日を迎えた記憶がある。本年は準備の都合上、早稲田祭での企画はできなかった。そのため早稲田祭2008では比較的フリーアリーにキャンパスを回ることができた。
 回ってみて、とにかく疲れが出る。人の多さ、企画のくだらなさ。座って休もうにも、休める空間がない。何かを見て帰るべきであるのに、見るべき企画がほとんどない。別に私はバンドにもコスプレにも、興味はないのだ。アカデミックなもの、「来て良かった」といえるものはないのか?
 早稲田祭ではいつも講演会をする側であった分、他の企画のくだらなさに愕然としてしまった。そこで改めて、自分の講演会サークルが早稲田祭に企画を出す意義を感じたのである。〈俺たちが企画をしないと、早稲田祭の文化性が下がってしまう〉と切実に感じた。早稲田の文化性は、自分たちのサークルが少なくとも一翼を担っていたことに気づいたのだった。
 本年は手伝いの形ではあるが、別のサークルの客寄せを行った。教育学部歴史学研究会というサークルだ。《歴史検定》という企画を打った。教室に来てもらい、日本史・世界史のうち、自分にあったレベルの問題を解いてもらう、という至極シンプルな企画である。はじめ、〈100人も来ないだろう〉と思われていた。しかし蓋を開けてみれば、2日間でなんと400人以上が来場していた。入り口には行列ができた。カップルで受験に来た人もいた。受験生も来た。シルバーカーを押して、お婆さんもやってきた。うれしい悲鳴である。退廃文化の広がる中で、ただ問題を解くだけの企画に多くの人がやってきたのだ。「早稲田祭も、まだまだ捨てたものじゃない。アカデミック志向でも、十分企画は持てるのだ」との自覚を強くしたのである。
 早稲田祭についての種々の思いが想起する中で、早稲田祭2008は閉幕した。教育学部歴史学研究会は打ち上げをすることもなく、部室にて現地解散となった。あっさり感が小気味よかった。(了)

2008年10月28日火曜日

あと50年後…

あと50年したら100バーセントオフ?

2008年10月26日日曜日

学習参考書物の復権

下手な専門書よりも、学習参考書のほうが役立つことが多い。

私はいま小論文の参考書をよんでいるが、大学では学べない基礎知識が満載されていて驚いた。

ポストモダンとは、異文化理解とは…。本来、大学の教養科目として学ぶべきことであるが、いまさらながら多くをまなべているのである。

2008年10月25日土曜日

小説 ぽっぽこねんじゃ、あるいはサザン・オールスターズの夏。

タイトル:ぽっぽこねんじゃ、あるいはサザン・オールスターズの夏。

 『草枕』にあらずとも、山道を歩けば人は何かを考える。つまらないこと、会社のこと。進んでいくにつれて、段々と考えはより根本的なものに及んでいく。本作の主人公、入社三年目のビジネスマン・石田一(いしだ・はじめ)氏も、ひょんなことから山を登っていた。以下は、その記録である。

 気がつけば、山を登っていた。いつからであったか、見当もつかない。にっちもさっちも行かない仕事、神経をイラだたせられるワープロ入力。目がチカチカしたときは、目薬で何とかする。机に転がるドリンク剤。一本三百円は高い。上司の小言が胸に痛い。気軽さの裏にある、一人世帯の侘しさ。「ただいま」を言う相手もいない。
 いつから登っているのだろう。登っているはずであるのに、時おり下りがある。足に響く振動。靴は革靴。むし暑い。首に手をやるとネクタイを締めていた。真っ赤な勝負ネクタイである。そういえば今日は新製品のプレゼンの日であった。三ヶ月、かかりきっていた仕事だ。結果がうまくいったのかどうだったのか——というよりも、プレゼン自体やったのかどうか——よく覚えていない。
 日が暑い。今は八月。お盆休みはいつからだったか。腕時計をしていたはずなのに、手首には汗ばんだシャツのほかは何もついていない。こんな小説をいつか読んだ。そうそう、カミュ。「太陽があんまり暑いから」。「流れる汗をぬぐおうとして」。これは殺人者の話か。
 山を淡々と登っているつもりであるが、少し休んでいると、自分がどっちへ進んでいたか、わからなくなる。どちらが行くべき方向であるのか。というよりも、俺はそもそも、どこへ向かっているのか。頂上を目指すのか。山を越えるのが目的か。木々はどれも、高い。ヒノキや杉はあまりに真っ直ぐである。キッキッキッキ…。カワセミの声。クックルックク、クックルックク…。次は鳩だ。
 休むわけにはいかない。蚊やアブに襲われるからだ。息があがってくる。それでも進む。水分補給が登山にとって大事だと聞くが、俺は何も持っていない。ラーメン屋で飲んだお冷やが、最後の水分のようだ。あと二杯ほど飲んでおくんだった。

 俺という存在が、山を歩いている。そう考えていた。が、ふと気づくと俺の足が上にくっつている胴体を勝手に運んでいるように感じられる。ひょっとすると、この瞬間、足が意思を決定しているといえるのであろうか。山を降りる、という選択肢は残っている。けれど、何故か登り続けている。
 歩いているのは登山道なのか、それともけもの道なのか。蜘蛛の巣を怖がっていては、山は登れない。倒れた木や枝のすき間を、あるときは跨いで進み、あるときはしゃがんで進む。横たわる木に乗った瞬間、バキッと音がし、崩れる。ワイシャツは木の芽に引っ掛けてあちこちに穴が開いた。枝に体をひっかけてしまい、枝を折ってしまう。俺は山の破壊者なのか。

 平らなところへ出た。祠(ほこら)が二つ。失礼と思いつつ、扉を開ける。開かない。サビついた蝶番(ちょうつがい)。力を入れると、中に箱。グシャグシャしたこの空間を見て、無性に罪悪感を覚えた。
 ハア、ハア、ハア。シャツの袖で顔をぬぐう。後ろを見る。前方とほとんど同じ風景。俺は真っ直ぐに前へ向かっているのか。無意識のうちに、後ろへいってはいないか。何となく不安になる。
 息の音、鳥の声、虫の音。時おり、カサッという音。それ以外の音は、ない。息のみが俺の存在の証明か。目前に、道をとざす枝を見つける。くぐる際、ネックストラップがひっかかる。携帯の金具が、草に絡まってしまった。しょうがなくストラップを強く引く。草が抜けてしまった。
 ずっと歩き続けていると、自分の周りを飛び、また地面を這っている虫のことがどうでもよくなってくる。都会では、ムカデやヤスデを見たらすぐに殺虫剤である。いまはどうも気にならない。ただ進むだけ、だ。
 目的はとにかく登ること。この目的はいつからあったのか、自分で決めたのか、それは分からない。登ること、それ自体に価値を置いている俺がいる。
 都会にいた頃の自分——といっても、数時間前までここにいたのだが——は、どこへ行ったのか。ただ一歩足を出す、ただ登る。それだけ。理由などどうでもいい。ただ俺は無性に登りたいのだ。山を登れば、自分の状況を変えられるのか。そうは思わない。しかし、登らずにいられないのである。

 日が大分、傾いてきた。頂上には、いつ着くのだろう。携帯電話は圏外だ。誰かを呼ぶこともできない。
 薄暗い、山の中。足を止めたくなる。しかし、俺は何故か歩き続けている。耳を澄ますと、やはり息の声のみが、俺の存在証明である。

  ラララーララララララー
  ラララーララララララー
  砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて…

 歩みを続ける中で、俺の内面のスピーカーから小さな音でBGMが流れ始めた。それはいつかのカラオケの席で俺が意味もなく熱唱した、サザン・オールスターズの「勝手にシンドバット」だった。山にいて海の歌とは、我ながら妙だ。

  さっきまで俺ひとり
  あんた思い出してたとき
  シャイナ ハートにルージュの色が
  ただ浮かぶ
  好きにならずにいられない
  お目にかかれて

 無意識のうちに歌い始めていた。

  今何時 そうねだいたいね
  今何時 ちょっと待っててオー
  今何時 まだはやい
  不思議なものね あんたを見れば
  胸騒ぎの腰つき 胸騒ぎの腰つき
  胸騒ぎの腰つき
  心なしか今夜 波の音がしたわ…

 「ラララーララララララー、ラララーララララララー」。俺は、歌い続けていた。歌というものは、なかなかに自身を励ますもののようだ。たとえ歌詞本来の意味とは違ってはいても、である。

 段々、暗闇は広まっていく。まだ登りである。懐中電灯があるわけではない。いつまで登るのか。
 その時であった。目前の枝に、俺の目は釘付けとなった。ゆるやかに動く生物。蛇であった。マムシか、何かである。
 俺は凍り付いてしまった。気づけば、そっと後退していた。そのまま、俺はもと来た道を進んでいた。登り始めが唐突ならば、降り始めも唐突である。決定しているのは俺なのか、何なのか。
 しばらく進む。不安感が広まる。「この道、通っただろうか?」。山道は逆から見たとき、まったく違う姿を現すことを、初めて知った。
 下りは登りよりも、足に響く。そして滑る。やむなく手も使い、慎重に降りていく。

  いつになれば湘南 恋人に逢えるの
  お互いに身を寄せて
  いっちまうような瞳からませて
  江の島がみえてきた 俺の家も近い
  ゆきずりの女なんて
  夢をみるよに忘れてしまう

 口から、再びサザンの登場だ。非常に、野生的な歌だ。今の自分は、両手・両足で下っている。自分の野生が、目を覚ましたようだ。広がる闇に、怯える自分。万が一、ここで野宿する場合、動物に襲われはしないか。そう考えているうち、体が滑り落ちた。頭から思考が飛ぶ。手を離した一瞬の隙だった。足で支えて助かったものの、俺は思わず「生きたい!」と思っていた。地上に戻りたい。必ず戻りたい。そう願っていた。子どもの頃、迷子(まいご)になったときとよく似ている。

 田舎で育った俺は、街へ家族で買い物に行くとき、いつもはぐれてしまった。珍しいものに目を奪われ、家族と離れるからだ。あまりによくいなくなるので、「はぐれたら、駐車場に」という「駐車場ルール」が作られた。迷子になったときの寂しさは、大人になっても忘れない。この世の中に、ただ一人孤立して存在している、悲しき自分。半泣き状態で家族を見つけたときの安堵感といったらなかった。
 いま、俺は間違いなく迷子だ。社会からの、である。子どものときと同じく、俺はものすごく寂しくなってしまった。「帰りたい」との切実な思いが強まった。
 俺の中に、別の自分が姿を現したのだ。「子どもとしての俺」である。寂しがり屋で、弱々しいが、好奇心は失わない自分のことだ。「子どもとしての俺」は、田舎にいた少年時代、理性を持った俺の傍らに、常にいた。次第に、「理性の俺」に弱体化させられ、ついにはいるかどうかもわからなくなったのである。無目的に山を登れるのは、それは俺が「子どもとしての俺」を持っているからだろう。人から、「お前は子どもか!」と言われる度、意識して無理に殺そうとしてきた、「自分」。そうか、俺の今の不可解な登山は「子どもとしての俺」の逆襲であったのか。

 子どもの頃、こんな暗がりの中、山を下ったことがあった。俺の故郷には、「ぽっぽこねんじゃ」という伝統行事がある。室町時代から続いているらしい。これは地域の子どもたちが山へ登り、松明(たいまつ)に火をつけるところから始まる。夜になり、松明を片手に子どもたちが下山していく。「ぽっぽこねんじゃ、ほうねんじゃ」と言いつつ。なんでも、豊作祈願の思いがあるらしい。だから「豊年じゃ」と叫ぶわけか。しかし未だに「ぽっぽこねんじゃ」の意味が分からない。
 八月の下旬に、毎年行っている。俺も小六までは出ていた。燃えさかる松明を片手に地上を目指し進んでいくのは、なかなかにスリリングであった。
 大人の、「理性者としての俺」の中に、「子どもとしての俺」が立ち現れる。こいつを弱らせて小さくしていても、ろくなことがない。俺は意図的に叫んでいた。

  ぽっぽこねんじゃ ほうねんじゃ
  ぽっぽこねんじゃ ほうねんじゃ

 意味など、分からない不可解なフレーズ。大声で叫べるのは子どもだけだ。

  ぽっぽこねんじゃ ほうねんじゃ
  ぽっぽこねんじゃ ほうねんじゃ

 俺の中の、「子どもとしての俺」は、こうして復活した。子どもっぽくて、何が悪い。無目的に何かを行える、子どもを見習うべきところは多々あるのだ。センス・オブ・ワンダー忘るべからずとは、レイチェル=カーソンの言ではないか。

  ぽっぽこねんじゃ ほうねんじゃ
  ぽっぽこねんじゃ ほうねんじゃ

 俺の視界の中に、民家の明かりが見えてきた。頭上には、満月が輝いていた。(了)




著者に聞く。

――本稿のねらいは、何ですか。
著者:「人は追い込まれると、山を登る。この山は形而下のこともあれば、形而上のこともある」ということをテーマとしております。
 生きにくさややりきれなさを、組織内にいる人間は感じます。そういうときこそ、「貫け!」と申し上げたい。
 本作は入社三年目の若者が主人公です。新書に『若者はなぜ三年で辞めるのか』(ちくま新書)というものがあります。これは城繁幸氏の本ですが、本作の石田一も三年目でリーチがかかっているわけです。「辞めるか、辞めないか」というリーチですね。仕事の大変さを実感し、苦悩をし続けた石田がふと気づくと山を登っている。これは実際の山であることもあれば、石田の内面の山であるかもしれません。とにかく、この登山は葛藤なんですね、仕事や人生についての。登っていくうちに、石田は本来の自分というものを取り返そうとする。山を降りるということは現実世界にもどってくることです。精神の葛藤が終わったわけですね。形作った「自分」ではなく、案外子ども時代の精神状態にもどっている、ともいえましょう。「ぽっぽこねんじゃ」という、石田の故郷にあった風習を思い出したわけです。
――若干、理解に苦しんでしまう箇所がありましたが。
著者:それは仕方ないですね。処女作品ですから。私の場合は童貞作品とでも申しましょうか(笑)。本作は私が一気に書き上げたもので、その分至らないところが多くあったことと思います。ですが、あえてそれを残すことで、石田の複雑な葛藤が多少とも理解しやすくなるのではないかと考えたしだいです。
 文は意を尽くさず、ですね。ですが、人間の精神なんて、こういうものではないでしょうか。明快に、論理的に説明しようとしても、まだ言い尽くさないところがある。悩んでいると、はじめに何を悩んだか忘れてしまっても、なんだか知らないが悩んでいる、ということ、ありませんか。悩んでいるだけでは、筋道が見つからない、ということもあらわしていると思います。
 では悩みを解決するには、何をすればいいのでしょうか。
 ゲーテは『ファウスト』の冒頭に、こんなシーンを残しています。老齢のファウスト博士が旧約聖書を翻訳する場面です。「はじめに言葉あり」が本来の訳ですが、ファウストは「違う」と考える。で、いろいろ当てはめようとするわけです。あれがいいか、これがいいか。最終的にファウストは「はじめに行いあり」と書き記します。
 ファウストのような碩学が、物事はすべて何かを行うところから始まる、といっているのです。カール・ヒルティも「仕事を始めれば、知らぬ間に仕事がはかどる」と書いています。
 悩んで、何をするか分からないときこそ、まず何かを行う。何かを行っているなら、それを貫く。これが必要じゃないかと思うしだいです。石田氏もよくわからないけれど、とにかく動き続けている。悩んだり、壁にぶつかったりしたときは、とにかく動き続けることじゃないでしょうか。石田は歌ってもいます。いじいじ悩むより、何かを成したほうがよほどいいようです。
 私の好きな哲学者にアランがいます。彼は面白い言葉を残しています。いわく、「疲れたときは伸びをしろ」です。悩んだとき、われわれは頭のみで考えています。ですが、人間も動物です。体を動かせば、その分気分が軽くなります。私も何度もそれを体験しております。人は悩むとき、頭だけで悩むのでなく、体も悩んでいるんじゃないかと思うのです。だから体を動かすと、何か変わってくる。精神的に追い詰められた石田氏が、登山という行動に出たのは、何かを解決しなければ、という意思の働きかもしれませんね。本作でいう「子どもとしての俺」の逆襲でしょうか。
 あなたが悩んで不可解な行動を取ってしまうとき、それは「子どもとしての自分」の逆襲が始まっているのかもしれませんよ。(了)

参考資料:
うたまっぷWEBサイトより、「勝手にシンドバット」の歌詞。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36840


2008年10月24日金曜日

教育に関するすべての希望を捨てよ

 人びとは、教育に何か有能感をもっている。それは自分のいるなんともならない状況を、「未来になれば解決している、ゆえに未来を作る子どもの教育が大切だ」と安易に考えるからだ。バカをいっちゃいけない。僕らの世代も、上の世代から何かを期待された世代である。それはおそらくは「戦後日本の社会を構築する」ということだったであろう。高度経済成長で、すこしは解決した。しかし、水俣病をはじめ未解決、あるいは新たに出てきた問題もある。ネット社会に、人は適応できていないのに、ネット空間では犯罪が多発している。
 また思想界の発展により、近代や進歩といった物自体、価値があったのか、という問い直しがされている。こんな社会状況の中、教育だけが希望を持って語られる。政治も、経済も、環境も、平和も、何もかもぐしゃぐしゃ。希望を持って語られていない。なのに、教育には期待感をもって話がなされている。「今の教育は駄目だ」というのも、その人の頭の中の「理想の教育」と照らし合わせて、のものに過ぎないのだ。所詮、みんな教育に期待を持っている。
 教育に期待が持たれ始め、どれくらいがたったのだろう。未だに人類が教育に期待し続けるのは、成長が無いといえるのではないか。もう待ってても無理だ。あらゆる学問や言論のうち、教育だけは常に未来形で語られる。おかしなことだ。

灰谷は「すべての怒りは水の如くに」において、教育権の独立についての話をしている。社会のどんな部分からも、干渉されない、ということである。

教育は、社会に影響されてはならない。また、学校はなるべく教える量を減らし、学校の存在自体を小さくしていくべきだ。

託児所たるのであれば、ただ「自由」の時間を置けばいい。いやでも読書させる授業もいい。

ダンテの『神曲』ではないが、地獄の門の言葉を思い出す。
《一切の望みは捨てよ 汝ら われをくぐる者》(神曲地獄編 第三歌)

教育に関する「一切の望みは捨てよ」。そして、そこからものごとを考えていくことだ。そのなかに、教育に何かできることがあると、まあ幸せですね。教育では、何もかわらない。まずはそれを自覚していくことからはじめるべきではないか。
そして、「教育に何かできることがあれば」それをやっていくことである。

教育に関する言説は、一見するとペシミスティックだが、実際は違う。「今の教育はよくない」というのは、「このようにすれば教育はよくなる」というその人の持論の言い直しに過ぎない。そういうのを、ユートピアという。ユートピアはどこにも無い。考えるだけ無駄だ。「教育しよう」ということだけで、子どもにプレッシャーをかけているところもある。
 なら、子どもの負担をなくせばどうだろう?
学校教育では読み書き数と情報、コミュニケーションスキル習得のみでいいじゃない。余った時間はサッカーなり読書なりさせようよ。子どもも楽しいはずだ。

俺がペシミスティックだって? そう、私はペシミスト。底抜けの。

2008年10月18日土曜日

うつの詔

現代において、うつ病、といえばいろいろさけることが出来る気がする。

まさに鬱の詔だ。かつては天皇の出していた詔が、医者の手で出されるようになった。

2008年10月14日火曜日

2008年9月7日日曜日

ハルヒ

思わず

ハルヒ

と読んでしまう。

2008年9月4日木曜日

万引き

万引きは立派な…

2008年8月27日水曜日

献血か、占いか

駅前の献血の呼びかけのボードが、血液型占いにみえました。

アルタ…

アルタ前があるなら、その逆もある。

2008年8月10日日曜日

ハイルヒトラー

東戸塚駅のトイレにて。

2008年8月8日金曜日

映画の見方

どうしようもなく眠いときに観て、眠らないですむ映画は本当にいい映画である。

見出し

この見出しはないだろう、と思う。

2008年8月5日火曜日

ギリギリから、20分前へ

いままで「ヤバイかもしれないけど、限りなくギリギリ」の戦いがよい戦い方だと思っていた。

しかし持続可能性とリスクマネジメントの考え方からして、危険であった。実際、私はバイトの遅刻もけっこう、ある。

バイトも学校も仕事も待ち合わせも、ギリギリを排して参りたい。

アエラ

中吊り「アエラ」は日本語語彙力の検定に使えると思う。

2008年8月4日月曜日

月夜と金・土日夜

どうも、週末(金土日)とそれ以外では23時半ごろにでる電車の混み方は全然違う。週末だと乗れない東横線が、月曜のいまは座れているのである。

元カレのはなし

女性が元の彼氏の話をしてきたとき、親密さの度合いでいうとどのレベルであろうか?

有料トイレに100円を払う価値

JR新宿駅の有料トイレ。

入るのに100円かかる。

中、そんなに綺麗なわけではない。なんか拍子抜けである。

残念!

2008年8月3日日曜日

20分前着任

FRTで学んだ20分前着任は、

バイトでも意味を持つ。

2008年8月2日土曜日

よくありそうな間違い

女性専用車両は、美女専用車両ではない。

露天風呂の女湯は、若者専用のの湯ではない。

2008年8月1日金曜日

笑顔

元気だから笑顔になるのでなく、笑顔だから元気になるのだ。

こんな言を聞いた。

同様に、

元気だから部員さんまわりをするのでない。部員さんまわりをするから元気になるのだ。

2008年7月31日木曜日

トイレの話

男子トイレの洋式便所が繋がる場所。片方に腰掛けているとき、後ろのトイレで小をする音が。その瞬間、自分の便座からウォッシュレットが起動する…後ろの音と連動して。

偶然、経験した。

死者

日本では年間100万人以上死者がでる。

2008年7月30日水曜日

記者

『悪い奴ほどよく眠る』。

冒頭は的確に状況をつかんだ記者も、ラストの大きな悪には気付けなかった。

悪はそれほどまでに強いものである。斬れる記者になりたい。

映画と敬語

『悪い奴ほどよく眠る』を観て、電話等での敬語作法が少し身についた。上流とされる身のこなしが、目で見てよくわかる。

映画で敬語も身につくのだ。

2008年7月29日火曜日

携帯の消費

携帯は、ひたすらに個人的なもの。「ドコモ動画」を、家族皆ではおそらく見ない。

かつて家の真ん中に1台あった携帯が、各部屋1台になった。携帯の形で、いまは持ち歩かれるようになった。

消費が個人指向になって来ている証明である。

2008年7月28日月曜日

Mac

Macベーカリーのパン。ホカホカの状態で出てくるのは出来立てだからではない。レンジで温めているのである。7秒くらい。

無手勝流

予備校に行くか、いなか。

現代の無手勝流になるかいなかである。

夕焼け

何があろうと、夕焼けの綺麗さは変わらない。

悪い奴ほどよく眠る

黒澤の『悪い奴ほどよく眠る』。

悪は、徹して斬らなければならないのでないか、と感じる。

この脱力感のあるラスト。この映画は凄い。

睡眠薬を配合するシーン。チャップリンの『殺人狂時代』を思う。まあ、ちょうど似た状況である。

下っ端は消される。簡単に。真の悪は、家族すら欺き、家族すら利用する。そんな岩淵も、ひとつの汚職の相手。官僚機構は崩れない。だからこそ、『悪い奴ほどよく眠る』のである。

ソドムの市

パゾリーニの遺作『ソドムの市』。人間の暴力性の輝く映画。観ていてこれほどの気持ち悪さをあじわえる映画を、他にしらない。吐き気のする映画とは新カテゴリーである。

寄り目の大統領、大司教、最高裁長官、伯爵。権力者4人が、国中から集めた若い男女18名を相手に、狂乱の宴を繰り広げる。

原作はマルキ・ド・サド。『ソドムの120日』。

解説によれば、快楽主義・消費主義に生きる私たちは、4人の権力者にしたがわざるを得ない若者と同じであるらしい。快楽の強制が、『ソドムの市』のテーマだ。それにしても、異常な快楽なのだが。

観ると後悔する映画である。でも観れば世界観が変わる映画である。

いろいろ賛否両論あるようだが、私はいい映画であると思う。

…これを書いているのはカレーの名店・メーヤウ。無性に吐き気がしてくるのである。

教師・島耕作

広兼憲司の漫画『島耕作』シリーズ。広兼氏は「10取材して2書く」方針で連載していると聞く。そして「半分は情報提供」の意味合いがあるらしい。

私も、教育学をやる以上、専門家や教師、子ども、保護者に読まれるものを書きたい。広兼氏の手法で、読んで面白いものを連載したいものだと思う。

子ども時代を失った子どもたち

マリー・ウィン著『子ども時代を失った子どもたち』(サイマル出版会、1984年)

には、高橋勝『文化変容のなかの子ども』同様、「子どもの消滅」とも呼べる現象が載せられている。

2008年7月27日日曜日

空気入れ

無料で、しかもすぐ終わる。これは凄い。

高田馬場を支えるものである。

映画

映画を見た後の、虚しさ。

何とかならないものか。


まあ、ひとりでよく行く、俺が悪いのだが。

2008年7月25日金曜日

フリースクール、職業学校化

フリースクール、実は金がかかる。東京シューレで月4万円。

職業学校的意味合いを持たせると、低所得の家計でもフリースクールに行けるようになると思う。

2008年7月24日木曜日

本のアイデア

「教育雑学の時代」

教育とは、しょせん雑学だと、証明する。

ファックス

ファックスは放送禁止コードぎりぎりの言葉である。

スの前で切っても、SをFに変えても、禁止コードになる。

カント

ネットで流れる、「風俗嬢の落とし方」の類い。

カントが見たら、泣くだろう。

「他人の人格を自らの目的とするな」と。

2008年7月23日水曜日

自由研究の研究

小学生のとき、皆やらされた夏の課題「自由研究」。

 私は教育学部で学んでいるが、「自由研究」という課題の歴史やねらいをまだ学んだことが無い。
 
 この「自由研究」の研究を、行って行きたい。

映画『いのちの食べかた』

 静かな映画である。

 この映画を観たい人は、夕食前に行くといい。見た後、吉野家か松屋にでも行ってみてほしい。食欲がわかないことに気づくはずだ。

 「衣食住」という言葉がある。「食」をバカにすることは命をバカにすることだ。しかし、現代の消費社会ではどのように食べ物が作られているか、「知る人ぞ知る」状態であった。

 チャップリンの「モダンタイムス」を見た人は、ベルトコンベア式に作業が進められる工場を目にしたはずだ。消費社会における食べ物も、全く同じく合理的・科学的に「製造」されていることを、私たちは知るべきかもしれない。

 「工場」では、製品をより分ける。りんごのように、ヒヨコも選別する。ニワトリの肉体すら、選別する。なんともおぞましいものを感じた。

ネーミング

メタボリックシンドロームでなく、「ドラえもんシンドローム」とすればみな面白いはずだ。

名前の問題

企画案ビッグイシュー

ビッグイシューは一日にどれくらい、売れているのだろう?

ホームレスの方にやらせて頂き、調べられぬのだろうか?

2008年7月22日火曜日

タゴールのことば

書籍のアイデア

『知識人の自由研究』

有名研究者や弁護士が小学生時代の自由研究を集める。

大人だけでなく、小学生が読んでも面白い本にする。

教育学の鬼

自分は「教育学の鬼」を目指したい。

2008年7月21日月曜日

コンビニの疑問

コンビニで成人向け雑誌を販売するのはいかがなものか?

やがてこれらの雑誌もタスポのようなものがないと、買えなくなるかもしれぬ。

山下公園

横浜の山下公園付近。なかなかいい感じの所だ。いろいろくたびれたら、まめに来たいところである。

まあ、カップルの多さに耐えるだけの根性が必要である。

譲れないもの

譲れないものが、俺にはある(電車の席)

…まあ言葉遊びまでに。

2008年7月20日日曜日

エコノミー、エナジー、エンバイロンメントの3Eのトリレンマ。

同質と見るから難題に見えるが、優先順位で考えると解決への道が見えてくる。

2008年7月19日土曜日

雑誌による社会調査

一般の雑誌を用いた社会調査は、漫画喫茶でやるといいかもしれない。

椅子の違い

車の後部座席は低めに作られている。ポケットの中のものが下に落ちる。

こんな椅子は車しかない。自転車もデスクのチェアも、こういう造りにはなっていない。

2008年7月15日火曜日

子どもの乗るスペースを改善せよ

よく、ママチャリの後ろに子ども用の座席を付けた自転車にあう。シートベルトは着いてるようだが、自転車の転倒時、大変危険である。

倒れても、子どもが地面に接触しないよう、子どもの椅子の回りをガードしたものを、開発すべきだと思う。

とめてくれるな

とめてくれるなおっ母さん

背中のエンジが泣いている

男早大どこへゆく

→大学紛争時の東大を早大にアレンジ。

校門圧死事件

校門圧死は人間不在の象徴的ケースだ。

2008年7月13日日曜日

由々しき事態

大学生に、「四国四県、全て言えますか」テストをよくやってる。

意外に正答率が低い。香川が忘れられている。

だから何だというわけでないが、都道府県の場所の学習はミニマムエッセンシャルにすべきだ。日本人なんだから、読み書きの徹底と同じレベルまで重視してもよいはずだ。

交通事故死

交通事故死者が1万人を毎年切るようになった。

対して自殺者は1万人をはるかに越えている。

考えれば交通事故死者には自殺者も入っている。

自殺はかなり多い。

大分教育委員会

大分県教育委員会の汚職事件。

ニュースでは、「聖職者たる教員にあるまじき行為」というのだろうと思う(テレビが無いから見れないが)。しかし、残念ながら教育委員会は教員の組織ではなく、大分県の県庁にくっついている、と考えるほうが正確だ。メンバーに教員出身者はいても、現役の教員はあまりいない。


http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00136292.html

どうでもいいが、大分県教育委員会のWEBサイトは、「反省」を大々的に示してはいない。もみ消し感がある。http://edu.oita-ed.jp/

タムラマサカズ

「麦とホップ」のCM。

探して来た人達のうち、タムラ以外の人はみなビールと見分けたのでないか?

2008年7月12日土曜日

議員インターンシップ

議員インターンシップの募集をよくみる。

なぜ、募集をするのだろう?

誰が得をするのだろう?

「家政婦は見」おわる

「家政婦は見た」が終わった。

21世紀、新たに始めるなら「メイドは見た」がよいだろう。視聴率は取れる。

地理的問題

同じ場所であっても、2階以上と1階部分で客層の異なる街がある。

早稲田もそんな街かもしれない。

2008年7月9日水曜日

Tカード

「Tカード、100ポイント貯まってますが使いますか?」

喜ぶ前に、何故貯まったのかを考えねばならない。

「1万円も使った」ということなのだ。

煎餅におもうこと

知人に煎餅をあげた。目の前で砕いていた。

始め、馬鹿にされたのかと思ったが、「え、食べる前に砕くもんでしょ」といわれた。

国際理解とは自分が正しいと思うことの、180°逆を「正しい」と考えている人がいると自覚していくことだ、とは国際協力師・山本敏春氏の言葉である。

煎餅から国際理解を考えるきっかけになったのだから、面白い。

スタディ

普通に考えれば、勉強は楽しい。小1をみればわかる。

私のスタイルを変えた本

ごく短い人生経験しか持ちえていない私。そのため、「自分の座右の書」や「座右の銘」など、聞かれても出てこない。「私を変えた一冊」なんて、何だろう。
 しかし、話をミクロにかえよう(私はよくマクロ視点とミクロ視点を交互に使おうとしている。マクロで話が詰まればミクロ、と逃げているところもある)。私の人生それ自体を変えた一冊や、何度も読みたいという本はまだ思い浮かばないが、自分の読書スタイルを変えた本なら、一冊ある。それが齋藤孝著『三色ボールペンで読む日本語』である。
 この本はベストセラーとなったので、御存知の人も多いであろう。本を読み、「まあ重要」というところは青、「すごく重要」には赤、「面白い」箇所には緑で線を引くというやり方を提唱した本である。私の読書の仕方は、この本を契機に大きく変わった。まず、「本を買って読もう」と思うようになった。線を引き、自分の形跡の残った本を座右に残しておくために。これは続編の『三色ボールペン情報活用術』に影響されたことでもある。‘よく情報をカードやパソコンに打って活用しよう、という人がいるが、本それ自体を残しておくほうが、情報は活用しやすく、またなくなりにくい’といった内容が書かれていた。
 また、ペンを片手に、本を読む習慣がついた。「お前、こんなに線引いて意味ないだろう」といわれようが、わが道を淡々といけるようになった。本を携帯する習慣がついたため、常にペンも携帯しようと思うようになった。それで私の携帯にはミニ・ボールペンのストラップがついている。
 齋藤氏の著書には、批判もいろいろ寄せられているが、私は『三色』の本がなければ今の自分のスタイルは成立していなかったであろうと実感している。その意味では、齋藤氏に感謝の念でいっぱいである。まんまと齋藤氏の主張にのせられているが、齋藤氏の言う「読書の型」を習得できたことは、自分の財産になっているような気がする。
 齋藤氏以外の読書法の本を、私は死ぬほど読んできた。速読術という怪しげなものにも挑み、それに対抗した「遅読術」なるものにも興味を持ったこともある。「ワルの読書術」は名前に引かれ、「私の読書法」なる本は暫く私の制服のポケットにあった。けれど、結局は高校受験の帰りによんだ『三色』に行き着いてしまうのだ。それだけ、私にマッチしていたのだろう。最近も、少し浮気をしていたが、新たな読書法を教えてくれる本を三色ボールペン方式で読んでいる自分がいて、浮気は駄目だと実感した。
 本を読むときに、ペンを持つ。これだけで、本に対し、意識的に向かえるようになる。意識的にならない読書は、漫然とテレビを見ることに等しい。何か見たような気はしても、結局何も残らない。ついにはコマーシャルや作り手の意図的な編集が、無意識層に残り、私の生活を裏でコントロールするようになる。
 何ももたずに本を読むことは、私にはできない。そんなときでも本の角を折ることで、意識的に本に対抗する。存在論ではないが、本はそれ自体に意味はないと思う。読む側である「私」の存在なくしては、本は単なる所有物やオブジェに過ぎない。「私」が書を開き、そして意識的に読むときに、初めて本は「本」になることができるのであろう。

 先ほどの言を訂正。この本は読書スタイルだけでなく、私がノートを多色ペンで取るようになったきっかけを築いた。また、メモの地色を青にする契機にもなった。私は、小中学生はともかく、高校生にもなってシャーペンを振りかざして学習するのは能率的でないといつも考えている。消しゴムで消したところで、どうせ自分以外誰もこのノートを読まない。だいいち、ノートをユダヤ系三宗教の信者のバイブルの如く、何度も読むなんてことは恐らく無いはずだ。ならば、ボールペンでシャッと二重線で訂正する。このほうがシンプルだ。

9日に行く、日本点字図書館の予習。

図書館概要

日本点字図書館は、昭和15年(1940年)11月10日、本間一夫によって創立され、全国の視覚障害者を対象に、点 字・録音図書や雑誌の製作貸し出し、図書情報の提供、中途視覚障害者のための点字教室、パソコン教室の開講、盲人用具の開発と販売、点字図書の出版、触図 の製作などの事業を行なっています。

◆日本点字図書館の歴史

昭和15年11月10日 日本盲人図書館創立(豊島区雑司が谷・蔵書数700冊)
昭和16年3月 現在地(新宿区高田馬場)に移転
昭和19年3月 戦争の激化により貸し出し部が茨城県結城郡に疎開
(蔵書数2,300冊・貸し出し数1,300冊)

昭和20年 貸し出し部、北海道増毛町に再疎開(蔵書数3,000冊)
戦災により東京の図書館(本部)が全焼
昭和21年 年間貸し出し数が2,000冊を超える
昭和22年 蔵書数3,027冊・貸し出し数4,821冊・利用者約400名
昭和23年1月 疎開先より上京、仮事務所
昭和23年3月 現在地の焼け跡に木造建ての建物完成
昭和23年4月1日 日本点字図書館と改称
昭和25年10月9日 財団法人日本点字図書館設立認可
昭和27年5月7日 社会福祉法人日本点字図書館認可
昭和29年 厚生省より点字図書製作事業を委託される
昭和33年9月 声のライブラリー発足
昭和36年4月 厚生省より声の図書製作貸し出し事業を委託される
昭和37年4月 東京都より声の図書製作事業を委託される
昭和41年4月 盲人用具取扱い業務発足
昭和43年 録音図書貸し出し数が20万巻を超える
昭和45年10月 東京都より点訳奉仕者養成講習会を委託される
昭和51年 声の図書「カセットテープ化」開始
昭和53年 書庫増築工事実施
昭和54年 テープ制作棟工事実施
昭和55年 創立40周年記念式挙行
昭和60年 創立45周年記念式挙行
平成2年 創立50周年記念式挙行
平成3年 パソコン点訳者養成事業開始
平成6年1月 厚生省委託新規事業として情報ネットワーク事業開始(PC-VAN)
平成6年12月 アジア盲人図書館協力事業開始
平成8年3月 国費による新本館完成
平成10年3月 国費による新別館完成
平成11年8月 デイジー図書(デジタル録音図書)の貸し出し開始
平成12年3月 ホームページ開設
平成12年11月 創立60周年記念式挙行
平成13年4月 厚生省補正事業「点字図書館情報ネットワーク事業」稼動
平成15年1月 「本間一夫と日本点字図書館」が第10回井上靖 文化賞を受賞
平成16年4月 録音図書ネットワーク配信サービス「びぶりおネット」を開始
平成17年10月 びぶりおネットに点字データ配信を追加

→昭和22年に、すでに4500部も利用があったことは、興味深い。

http://www.nittento.or.jp/soumu/gui-01.htmより。

2008年7月8日火曜日

赤本

「先生、心なしか早稲田の赤本がエンジ色に見えたんです!」

2008年7月6日日曜日

教師目線の教育論も必要だ!

 私は将来、教育学の研究者になりたいと考えている。

 日本に教育論者・教育評論家は数多い。専門職でなくとも、例えば日常会話の中で学校の話、わが子の教育の話などが話題に上がる。そのたびに人びとは、教育を論じる。

 論者と実践者は異なる。論者は無責任に何でもいえてしまう。現場を見ていないからだ。昨今の「モンスターペアレント」という現象は、その典型であろう。私は、数多くの批判や指摘に耐えつつ、淡々と教育実践しておられる教員の方々に、尊敬の念を抱いている。

 そのため私は、批判に晒されつつも、実践を続けておられる教員の方々の目線にたった、教育学者になりたいと考えている。

 現在、教育には「子ども目線が必要だ」といわれる。もっともなことである。また「これからの日本の将来を支えるためには、もっと英語力をもった国民が必要になる」などと、マクロな視点からの教育論・国家全体を見たうえでの教育観もよく叫ばれている。けれど、決定的にかけているのは、「教員を支える」という視点である。

 教育論者は、ただ批判をするだけで事足りる。「子ども目線の教育」や「マクロな視点」の必要性を主張する人びとは、ともすれば現状の批判しか行わない。しかし、批判だけをしていては何もかわらない。実践者である教員の行動によって、現実は変わって行く。ならば、教員を支えずして、教育が良くなるはずは無いではないか。

 私は、教員を支える教育学者となりたい。そのため、現場を知るため、教職課程を受けている。

2008年7月3日木曜日

サイレン

夜に消防車のサイレンは音量を下げるべきだ。

騒音だ。

いつでも同じ音でいい訳でない。

2008年7月1日火曜日

無駄遣い

故郷を出てから、近くになかった自販機の罠にかかりつづけている。

喉が渇くとつい買ってしまう。

これではダメだ。

飲み物代は詐欺のようなもの。

「飲み物は自分が水筒に入れておくもの」との認識でいきたい。出来ることから始めるしかない。

2008年6月29日日曜日

仮眠をとること

仮眠をとるとカミングアウトする。

2008年6月28日土曜日

シンドラーのリスト

映画『シンドラーのリスト』。描いていたユダヤ人はみな金持ちである。これは間違いを与える。

2008年6月27日金曜日

漫画の学校

漫画には作者が受けた学校教育のレベル・時代の学校が出てくる。

給食がセンターでつくられかけても、漫画では給食室で作られる。

ソリコミが流行らなくなっても、漫画では主人公がやっていたりする。

ズレは10年くらいか?

2008年6月26日木曜日

研究テーマ

日本の国家試験や検定試験の制度を調べる。

2008年6月25日水曜日

対談集『21世紀への対話』より、教育関連の項目の整理。

対談集『21世紀への対話』より、教育関連の項目の整理。

(上)128項 第三章 知的生物としての人間
1 学問・教育のあり方

(1)教育のめざすもの
・「学問・教育の本質は、実利的な動機に基づくものではなく、宇宙の背後に存在する‘精神的実在’との霊的な交わりを求めること」トインビー
・学問や教育、ある意味宗教的なものにまで迫る。人間としていかにあるべきか、人生をどのようにいきるべきか。
・しかし、実利のみを動機とし、目的とするのは、教育のあるべき姿ではない。現代の技術文明の社会では教育が「実理性の侍女」に成り下がっている。「欲望追求の具」に。
・「教育は、人生の意味や目的を理解させ、正しい生き方を見いださせるための探求でなければならないのです」トインビー

・「知的職業の訓練を受けたすべてのものが‘ヒポクラテスの宣誓’を行うべきです。」「自分の専門的な知識や技能を、人間同胞の搾取に向けることなく、彼らへの奉仕に用いる旨を誓うべきでしょう。」「最大限の利益ではなく、最大限のサービスこそ、知的職業人が目的とし、身を尽くしていくべきものです。」
・現代の教育は、実利主義に陥っている(「宗教的なもの」だから、実利主義は否定すべき、と解すべきか?)
→二つの弊害。
①「学問が政治や経済の道具と化して、その本来もつべき主体性、したがって尊厳性を失ってしまったこと。」
②「実利的な知識や技術にのみ価値が認められるために、そうした学問をする人びとが知識や技術の奴隷に成り下がってしまっていること」→人間の尊厳性の失墜が起こる。
まとめ…「知識や技術に人間が奉仕し、政治や経済に操られるようになった学問・教育を、本来の、人間としての基本的なあり方や人間存在の根本を明らかにする学問、また、それを伝えていく教育へと転換することが、どうしても必要だと思います」

(2)生涯教育について
・「知識が常に増大し、しかもその解釈がたえず変化している今日の世界では、フルタイム(全日制)の青少年教育だけでは十分であはありません。引き続いて、生涯にわたるパートタイム的な自己教育をしていく必要があります。
・学校教育にも、社会との接点を作って人生の経験を踏ませる方法を考えるとか、課外活動や共同生活の経験を持たせられるよう、なるべく多くの機会を設けるべき。
→「現在求められている教育のあり方として、私は、この全体人間を志向した人間教育の必要性を強調したいと思います」
・「成人期に教育を続けることの利点の一つは、成人者は自分の個人的な経験を、学問的に、―つまり間接的に―学ぶ事項に関連付けることができるということです」トインビー
・パブリック・スクールの事例。「年長の生徒たちに実際に権力を行使させ、責任感を養う機会を与えています。」「生徒会長は常に、‘権力は人格の試金石である’というギリシャの格言で戒められていました」トインビー
まとめ…「人間の能力は多種多様であり、これら多種多様な能力はすべて社会的に価値があるものです。各個人がもつ独自の能力というものは、すべて発掘し、育成すべきです。それを可能にするには、学生たちに、実際に経験を積み、それを生かす機会を与えてやらなければなりません。また、理論と実践とが互いに補足し合い刺激しあうような、一体化した教育を、生涯続けることが必要です。(ドイツのディアルシステムは、これに近い。また牧口の『創価教育学体系』の「半日学校制度」も近いといえる)」トインビー


(3)教育の資金源について
・「私は、あらゆる国のあらゆる機関が、撤回不能の土地の寄贈を受けて、学生の学費を安く、教職者の給料を高く維持できるようになってほしいと思います。これによって初めて、国家や大企業によるコントロールからの自由が保障されることでしょう。」トインビー

(4)男女共学の得失
・男女教学
メリット
デメリット「性の紊乱」「妊娠の問題があり、生命の尊厳という問題が関わってきます」
・男女別学
メリット
デメリット「同性愛などの性的な問題」
→「二つの制度の長所と短所のバランスをとることは、きわめてむずかしいこと」
まとめ…「私は、学校なり、公共の機関が個人に教えるべきことは、個人の自由な判断を尊重できるような、それぞれの人格を磨くことであり、正しい判断のための素材を与えることだと考えます。個人の判断の結果が誤っていたとすれば、それは学校がその任務を十分に果たしていない証拠であって、個人の自由に干渉することは、自らの無能と怠慢をあらわにすることにほからならないでしょう。理想主義的にすぎるかもしれませんが、私は、学校教育とは、そうあるべきだと考えています。」

(5)教育者と研究者 →むしろ、対談集『学は光』に詳しい?
・「大学教育の役割は、学生に自己教育のやり方を教えるところにあります。私は、これを効果的に教えようとするなら、まず教授陣自らが自己教育を続けていかなければならないと考えます。そして、教職者にとっての自己教育とは、研究活動にほかならないのです」
・「最も想像性豊かな研究者というのは、常に研究を何か他の活動と結びつけてきた人々でした。」
・研究者が、人間の実際生活にふれることによってこそ、生き生きとした力を得て、自分の専門分野の研究を、より豊かに進めていくことができる。
・まとめ…「専門研究というものが、人間の実生活における感情や行動から遊離することによって、研究成果がきわめて危険なものになりうるという傾向を、是正する手がかりにもなろうかと思います。」「非常に専門化された分野の研究者も、自分の研究課題やその結果を学生や一般市民に理解できるように伝達し、あるいは教育しうるようでなければなりません(私は、ドキュメンタリー映画で、教育学の理論を伝えたい)。それによって初めて、自己の研究を人間的な眼で見つめ直すことができ、研究への新しい視点を見いだすことができるでしょう。それがまた、危険への暴走を食い止めるブレーキにもなり、その軌道を正しく修正することにもなると思うのです。」

2008年6月24日火曜日

ロータリー

高田馬場ではロータリーの存在が若者のたむろを駅からおいだせていた。

国分寺はロータリーがないので、駅に溜まるのである。さすればロータリーはただバスのためにあるのみならず、駅を自在に各人が活用する空間を生み出すためのスペースと言えるのではないか。

2008年6月21日土曜日

インド

新宿駅の回りをうろつけば、インドに行かずとも「人間」というものがわかる。特に人間の醜さが。

便所の落書き

便所の落書きによく、「××、あいつは最低な人間だ」とある。公共の施設に落書きする方が最低な人間だと思う。

2008年6月15日日曜日

エセー1より、教育への至言

お子さんの勉学への意欲と愛情とをそそること、これがなによりも肝心なのです。さもないと、たくさん書物を背負わせたロバが出来上がるだけです。


わたしは、人間の学問のうちで、もっとも困難かつ重用なのは、子供をいかに養育し教育するのかを扱う分野であるらしいということぐらいしか、わかってはいないのであります。

われわれが勉学することのメリットとは、それによって、よりよい人間に、より賢い人間になることなのです。

わたしは、世界が、わが生徒さんの教科書となってほしいのであります。

2008年6月14日土曜日

佐藤優『国家論』

佐藤優の『国家論』を読んだ。レジのカウンター待ちだったので「結語」だけ。

"首相になるとかというのはまだまだ小さい目標だ。世界から暴力を無くすというような究極的な目標をもつべきだ。そうすれば大きな視点から現実の問題を楽に解ける。究極的な目標を皆がエゴとなるレベルまで持てば、世界の問題は解決できる。そのためには一人ひとりを尊重しゆく姿勢が重要だ"

私も人がバカにするようなほど、大きな目標をもとうと考えた。究極的な目標を

買ってゆっくりと読みたい、と思った。

コルとグルントウィ

デンマークの教育者・グルントウィ。その後継者、コル。

ホルケホイスコーレという国民高等学校を作った師弟である。「民衆を賢明に」との思いが込められていた。

グルントウィの思想への共鳴者は多かった。しかしそのまま実践に移したのは30も歳の離れたコルだけであった。

誠の教育実践者は数少ない。しかし私はコルの如くありたい。学術界で世界平和を目指すものとして。

2008年6月12日木曜日

きばつなかっこう

子ども用の辞書・三省堂学習国語百科事典。

奇抜、の説明に次の写真。いやっ、これ写真にしなくていいから!

2008年6月11日水曜日

人を大切にする

日本は人口減社会に突入。喜ばしきこと。
何故なら、その分、一人の人を大事に出来るようになるから。

10年前自閉症の人はめったにスーパーで雇われなかった。人手不足のいま、黙々と同じ作業を継続してくれる自閉症の人が注目されている。

かつては人よりも「仕事」が重要であった。

人口減は、プラスの働きもするのである。

2008年6月10日火曜日

碩学の印象

2週間前の日曜、東京シューレ葛飾中学校へいった。1年間の活動報告会だ。

教育学の大家・大田尭先生も来ていた。

90になってもかくしゃくとして、教育のあるべき姿を語る。吾人も、かく老いたし、と感じた。

2008年6月6日金曜日

11年目のサカキバラ

1997年も、神戸が揺れた

 「サカキバラ」事件を、覚えておられるだろうか。漢字で書けば酒鬼薔薇。1997(平成9)年に日本中を震撼させた事件だ。「酒鬼薔薇事件」は通称で、正式名称は神戸連続児童殺傷事件という。1997527日、市内の中学校正門前で小学校6年生児童の頭部が発見される。口には2枚の犯行声明文。1枚の紙には、「酒鬼薔薇聖斗」(さかきばらせいと、という名前があり、もう1枚には次の内容が書かれていた。

「さあ、ゲームの始まりです/警察諸君、私を止めてみたまえ/人の死が見たくてしょうがない/私は殺しが愉快でたまらない/積年の大怨に流血の裁きを/SHOOLL KILL/学校殺死の酒鬼薔薇」

注…shoollschoolの書きまちがえだと言われる。またこの声明文は、さまざまな書籍などの引用から構成されている。

 この事件の3ヶ月前の2月10日と316日。神戸市内ではハンマーによる通り魔事件が起きていた。当初、20代から30代の男性が犯人像であったが、被疑者として捕まったのは14歳の少年。いわゆる、「少年A」とされる人物だ。冒頭の殺害事件と、同一人物による犯行であった。

事件当時、昭和632月生まれの私は小学校4年生であった。郷里は兵庫である。といっても、神戸まで2時間は車でかかる片田舎だ。四方は山に囲まれている。家に鍵をかけずとも、盗みを働く者がいないほど、のどかなところだ。事件が起きることもほとんどない。

それでも、この酒鬼薔薇事件のあと、犯人がつかまるまで、「登下校の際、不審者に十分気をつけること」と注意されていた。防犯ブザーも支給され、集団登校に加え、集団下校が義務づけられた。「まっすぐ家に帰りなさい」としつこく注意を受けた。酒鬼薔薇事件は私にとっても、身近な問題であったのだ。

子どもを見ない教育思想家たち

 この事件から、11星霜。少年Aは成人し、社会にも復帰した。このあいだに、「17歳の犯罪」を始めとする少年犯罪が、週刊誌・ワイドショーを賑わした。少年法の改正も、この11年間の出来事だ。

酒鬼薔薇事件は、教育行政のあり方を再考させるきっかけともなったようだ。どこか心に影を持った存在として、子どもが認識されるようになった。思想界も同様に、子どもへのまなざしが変化した。この酒鬼薔薇事件は重要なインパクトを今なお持っているのである。

教育学者・佐藤学の著書に、『身体のダイアローグ』(2002年、太郎次郎社)という対談集がある。佐藤氏のおこなってきた、さまざまなフィールドの知識人との対談を納めてある本で、何度も対談のテーマになっているのは、本稿で示した酒鬼薔薇事件だ。1997年の事件発生直後の対談も、入っていた。以下は、19971121日の『週刊 読書人』掲載分の写真家の藤原新也との対談だ。

佐藤:中学生、高校生の多くは、この事件を他人事と考えていません。とくに「透明な存在」(藤本注 酒鬼薔薇が自身の説明の中で使った言葉)というのは人ごとではない。一触即発すれば、自分たちの中でも起こりうる事件としてとらえている。教師たちは、その部分をある程度感じ取ってはいるんだけれど、どう受け止めていいかとまどっている。(34項)

この部分を良く見てほしい。「中学生、高校生の多くは、この事件を他人事と考えていません」とある。どの中学生・高校生も、少年Aのような行動に走る可能性があるということを、中高生たちが自覚している、というのである。このような論調は、「まじめそうな子がキレると、何をするかわからない」などと、ほかの多くの少年犯罪報道でもいわれている。

ところで、酒鬼薔薇事件があった当時、いまの大学生は小中学生だった。酒鬼薔薇のすぐ下の年代だ。つまり、当時の知識人にとって、我々の世代は「誰もが酒鬼薔薇になりうる存在」、と見られていたのである。

けれど、本当に自分たちは当時、「酒鬼薔薇は他人事でない」と考えたであろうか? 私には、そんな記憶がない。周りの友人に聞いてみても、いなかった。私は、「酒鬼薔薇事件は酒鬼薔薇本人、つまり『少年A』という一人の異常者が犯行を行っていた」ものと考えていた。自分が酒鬼薔薇と同じ要素を持つとは、考えたこともない。しかし、佐藤学や彼の対談者は、“今の子どもたち皆に、少年Aの要素がそなわっている”と考えているようだった。

 この佐藤学と同様の主張をした人物は、多くいた。1997年のニュース番組内で、佐藤学同様か、それ以上の主張をした者もいるのである。いわゆる知識人の、ラジカルさを思う。たった一人の例から、多くの人々に敷衍させる。少年Aという「異常者」の犯行を見て、「子どもは皆、少年Aになりうる」と考えてしまう。

 実際、酒鬼薔薇事件を見て、当時の知識人たちは気味の悪さを感じたのだろう。「いまの子どもは変だ」、と。しかし、早急すぎる発想ではないか。私という、酒鬼薔薇事件を「『自分たちの中で』『起こり』えない事件だ」と考えた子どもがいたのだから。

異常者の行動が、世に広まる時代

なぜ、思想家をはじめとする知識人は、ラジカルに子どもを見てしまうのか。私は、マスメディアの発達(特にテレビジョン)が理由であると考える。

私の認識の中では、異常者は常に社会にいた。けれどかつてはマスメディアの発達が無く、その異常者のおこした犯行が世のなかに知れ渡らなかった。日本国内の一地方の事件が、日本津々浦々まで浸透することは、マスメディアの発達するまでなかったはずである(赤穂浪士レベルならあるかもしれない)。近年のマスメディアの発達により、1人の異常者の行動が、日本中に知れ渡るようになった。そのため、通常ならば「少年Aが異常だった」となっていたものを、「今の子どもたちは、どこか心に闇をもっている」と大人たちが考えるようになったのではないか、と思うのである。

日本において、もっとも少年犯罪が多く、凶悪であった時代はいつかご存知だろうか。1997年? 違う。現在? ノン。正解は終戦直後。少年による万引きはもちろん、放火・強盗・殺人などが、現在の基準よりはるかに多かった。それだけを見ても、少年犯罪が凶悪化しているとはいえないはずである。「生きるために必死だった」といえばそれまでだが、「最近、少年犯罪は凶悪化している」「少年犯罪の数が増えている」というとき、人々は終戦直後のことを考えていない。凶悪な一部の少年犯罪を何度も報道することで、いまの子どもたち皆が凶悪に見えてしまうのである。

ともあれ、知識人による「最近の子どもたちは、酒鬼薔薇を人ごとだと思っていない」というラジカルな認識は、マスメディアの発達が支えているのである。

 

ひとりを見て、勝手に全体を判断してはいないか?

たった1人を見て、全体を判断する。酒鬼薔薇事件において、知識人たちが使った発想である。「酒鬼薔薇と同じ要素を、いまの子どもは皆が持っている」、と。一度考えてしまうと、もうこの発想から離れられなくなる。子どもを薄気味悪く感じるようになる。発想の「例外」にあたる人物が多いときも、「例外」が見えなくなってしまう。一人ひとりと会って、話さなければ分からないことが現実には多いにもかかわらず、一度決め付けてしまうと、すべてがそう見えてくる。「実際に子どもたちと話して、確認してみよう」とは思わなくなる。

 私は別に当時、少年Aに心引かれることも、あこがれることも無かった。心に闇を持っていた記憶がない。というより、あれだけ1997年は酒鬼薔薇事件がとりただされたにもかかわらず、少年Aと同じ世代が普通に成人を迎えている昨今に、「いまの20代の若者は、心に闇をもっている」という言説を聞くことが無い。

 知識人たちは、何かと子どもを悪者や「劣ったもの」と見る傾向があるのではないかと、感じる。少年Aひとりから、今の社会の子どもたちみなを推し量ることはできないはずである。けれど、どうも知識人という人々は直に子どもたちと会って、「酒鬼薔薇って、どう思う?」と聞きに行かないようである。

参考文献:

佐藤学著『身体のダイアローグ』(2002年、太郎次郎社)

『無限回廊』WEBサイトhttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/koube.htm

「羅生門的アプローチ」は、「藪の中」に潜んでいるのか?映画『羅生門』(1950年)

 日本にクロサワあり、と西欧に知らしめた作品、それが映画「羅生門」。映画「羅生門」は、芥川の小説『羅生門』(きっと国語の教科書で習ったことがあるはず)の設定から「羅生門の下で話をする」部分だけ借りてきている。そして男たちが門の下で話す内容が芥川の別の小説『藪の中』のストーリイなのである。なかなか、ややこしい話ではあるが、要はこの映画の原作は芥川の『藪の中』なのだ。

 この作品、日本ではあまりはやらなかったが、海外の映画祭で絶賛(ヴェネツィア映画祭でグランプリを受賞)された。教育界にも影響があり、教授法として「羅生門的アプローチ」と命名されているものがある。この命名、私も教育学部に入ってからの疑問であったが、ようやく晴れた。「人によって見方が違う、やり方が違う」ということを、非常に比喩的にまとめた言葉であったのだ。

 

映画の内容。山奥で、男の死体が見つかる。この殺人事件に関わった人物が、検非違使、今でいう裁判所で、次々証言していく。「私が男を殺した」という人物が二人もいる。ありえないことだが、「殺された男」までも、霊媒師の口を借りて証言するのだからレベルが高い。そしてその証言が、互いに食い違う。丁寧に、その証言に合わせて映像を作っている。事件関係者の性格が、語る人次第で別のものとなる。

原作では「殺された男が真実を語っている」ように読めるのだが、映画はもっと凝っている。「人間は自分自身にさえ、白状しないものだ」、「人は都合のいい嘘を本当と思う。そのほうが楽だからだ」等々、登場人物たちの発言も面白い。案外人間の記憶はあてにならないことが示されていく。

果たして男を殺したのは誰なのか。そしてどういう経緯で犯行がおこなわれたのか。真実が明らかになった後、事件関係者たちの発言を振り返れば、どの人物の発言にも一定の真実があったことに気づける。

検非違使の法廷で関係者の聴取が行われる際、後ろに「目撃者」2人が常にじっと座っている。特に動きもしないが、とにかくじっと座っている。真っ白い庭に2人が常に事件関係者を見つめているという構図が、非常に印象的であった。

 

実はこの映画、最後まで見れなかった。中央図書館のAVルーム使用時間が来てしまい、再生開始80分目でストップがかかった。WEB上のレビューで見る限り、ラスト8分で人間への希望(この映画では人間の醜さが、美しい映像の中で描かれていた)が語られるとのこと。早く観てしまいたい。これほど、58年前の映画に引き込まれるとは、思ってもみなかったからだ。

追記

●ブログで過去の自分の記述を見ると、いささか気恥ずかしくなる。

「よくもまあ、こんな文章を人様の前に晒す気になったものだ」と感心してしまう。

●実際に『羅生門』のラストシーンを確認してみる。「ヒューマニティー溢れる」内容ではあった。けれど、その前段階で終ってしまっても良かったような気がする。

ラストを見逃した映画。ラストを見ない方がよいこともある。

自殺・じさつ・ジサツ 映画『The Bridge』(2005年)より

 郷里・兵庫の八千代町。この隣町に、湖があった。名を翠明湖(すいめいこ)という。陸上部時代、この湖の周辺を走っていた。巨大な橋が、湖を横断している。その上を走るとき、なぜかしら寒気がしていた。立ち止まり、覗き込めば吸い込まれそうになる。この「巨大さ」がもたらす怖さと相まって、この橋からひとが何人も身を投げた、という事実が私に寒気をもたらしたのだろう。小学校時代の先輩も、この橋から飛び降り、命を絶った。どういう事情だったかは未だに知らない。映画『The Bridge』は忘れかけていた、私の中学時代の記憶を呼び戻してくれた。

 アメリカ・カリフォルニア州・サンフランシスコに架かる、ゴールデン・ゲートブリッジ。「太平洋からサンフランシスコ湾に入る通路をなす海峡」(『広辞苑』第5版)、金門海峡の上にある。年間900万人が観光に訪れる。2004年はそのうち、24名が橋から身を投げた。この橋で命を断った人の数は、1250名になる(映画より)。水面まで67メートル。即死。世界最大の自殺の名所、と映画では言っていた(私は東京のJR中央線だと思う)。

 ゴールデン・ゲートブリッジに設置した4台の定点カメラが、橋を写し続けた。映画は、定点カメラ映像と、自殺者に近しい人たちのインタビューから構成されている。映画冒頭、中年男性がいきなり橋の欄干を飛び越え、落ちていく。あまりにショッキングだ。午前4時に映画を観ていると思えぬほど、衝撃を受けた。

 観ていて気づいた点。よく晴れた日に、人びとは自殺している。カリフォルニアに晴れが多いから、当然といえばそうであるが、インパクトがある。自殺はじめじめした、暗い天気の日にやるもの、というイメージが私にあった。まさに飛び込む瞬間を見ていた人のコメントに、‘笑顔で飛び込んでいった’とあったことも印象的であった。 
 気づいた点の2つ目。自殺者に近しい人たちは、自殺前に、何らかの兆候を受け取っているようだった。たとえば‘俺はもうすぐ自殺する。ピストルでは汚れてイヤだ’などの直接的な表現。これが数年前から続いていた。回想し、「もっと愛があれば…」など、近しい人たちが後悔の念を吐露するシーンもあった。

 「本作の目的は自殺問題に答えを出すというより、我々の社会と自殺について問題提起をすることなんだ」とは、DVD収録・監督来日インタビューの言葉である。自殺は身近にある。にもかかわらず、人びとの関心をあまり引かない。日本では交通事故死は年間5000件程度。自殺は3万人。「自殺に悩む人がオープンに話せる環境づくりや彼らをポジティブに支援する方法が必要だ」とも監督はいう。

 カリフォルニアの快晴をバックに、何人も海に飛び込んでいく。しかし、我々は自殺を暗闇で、ひっそりと行われるもの、と考えている。自殺を考える人は、別の世界にいる、というように。無論、人が観ていないところで通常は自殺が起こっている。物置で、自室で、森の中で、自殺はひっそりと行われる。けれど、自殺は陰に隠すべきものではない。交通事故と同じく、あるいはそれ以上にありうべきことである。社会でも対策を採っていくべきだ。「自殺」というテーマを広く社会で議論しあっていくべきだ。カリフォルニアの太陽のように、白日の下に晒すのだ。「現実や真実を見ることを拒否するのは、助けやケアを必要としてる人びとに対しひどい仕打ちをすることになるんだ」(監督インタビューより)。

 ドキュメンタリーの目的は、現実の問題点を多くの人びとに知らしめることにある、と私は考える。編集の仕方によって現実が歪められる可能性はあるものの、ドキュメンタリーでしか伝えられないことがあるはずだ。「知らない」ということは、ある意味で幸せである。「知る」ことには、義務を伴うからだ。知ってしまった以上、何らかのアクションを起こさないことには、被害者に申し訳が立たなくなることがあるのだ。
 
 

2008年4月2日水曜日

ICレコーダーが壊れた。Iポッド的なものがほしい。

2008年3月12日水曜日

芸術

朝の芸術、それが寝癖。

全く予想のつかない芸術だ。

題目

題目をあげると、清々しい。

これは事実である。

BM

生命力MAXだと、BMは会えなくてもたのしい。

こう気付いた。

2008年3月10日月曜日

成功の鍵は鏡を見て、自分に暗示をかけること、といわれるのを聞いた。

ご本尊を自らのこころの鏡としていくことの意義もこれではないか。

2008年3月6日木曜日

うす暗がりでできること

うす暗がりで人を待つときに出来るのは、携帯と煙草くらいである。

宛名

領収書の宛名。

ここで、例えば

「小泉純一郎あてで」

等というと、どんな顔をされるだろうか?

和式トイレ

私の場合、眠いときは和式トイレに入らなければならない。

何故か?

それは洋式だと座ったまま、寝てしまうことがあるからだ。昨日もそれで、話し合いに1時間、遅刻した。

思い

同じ行動でもどんな思いでするかによって、全く違うものになるはずだ。

アコムのティッシュ。

アコムで借りると首が飛ぶ。それを暗示しているかのようだ。

2008年3月5日水曜日

なぜサラ金業者はティッシュ配りをするのか?

理由がよくわからない。

2008年2月24日日曜日

カレー

カレー屋は黄色い店が多い。イメージか?

2008年2月13日水曜日

叱る

人を叱ったほうがいいのは、どういう時か?

しかるべき時に。

2008年2月9日土曜日

宮崎駿

宮崎駿のことば

子ども達には
となりのトトロ
を見るよりも、
外で遊んでほしい。

その思いがジブリ美術館に結実している。

2008年2月8日金曜日

どんな広告・看板・標語よりも、交差点に置かれた菊の花のほうが、雄弁である。事故も減る。

2008年1月26日土曜日

マフラー

マフラーほど、個性のないものはない。

どこでも誰でも、みんなバーバリーではないか。

2008年1月25日金曜日

つづき

でも自転車のさっそうとした感覚も、いい。
自転車をやめて、歩く経験を増やした。

見落としていたことが見えて来た。身体感覚の復権、といえるのか。

灰谷健次郎のいうように、足3寸の感覚を忘れてはなるまい。

2008年1月22日火曜日

放浪学習

放浪学習。

モンテーニュは、

本よりも旅行からの学びを主張した。

うろうろし、いろんなものを見聞し、自分の学問を作っていく。

私の学習も、こうありたいものである。


2008年1月18日金曜日

うた

♪スキスキ愛してるどーんなときもー

青井そらがうたうとリアルである。

アンテナ

アンテナショップって、屋さんのことじゃないんだ、と知る。

喫茶店

喫茶店のコーヒー代、悪くいえばショバ代だ。

2008年1月14日月曜日

新宿の成人式

新宿の成人式にいった。コンドームをくばっていた。丁寧に、付け方の説明とコンドームケースも(アルミ製)。

事態の深刻さを知った。

2008年1月9日水曜日

サービス

教師はサービス業か?

2008年1月8日火曜日

クリームコーヒー

なかなか、甘く、うまい。